手記.2025
1/8 “理性の光 Ⅱ”
文明の光によって浮かびあがる水面のゆらぎ。
人工的に演出されたがはずの反射は、夜闇の静けさと調和して我々を安らぎへと誘う。
それはモネに代表的な「印象主義が一種の自然主義である範囲において、世界を微細な物質に還元し、スーラの振れ動く「無数のタッチの群」を思わせる分子の中に事物を解体していた当時の科学の一側面でもあった」ように、天空をかききる如く聳えたつ上海の摩天楼は、その光をもってして、水のもつ原子運動を可視的なものにしたのだ。文明に解剖された水の鼓動、即ち秘められた自然性が投影されたことに我々の心の琴線を揺らす原理が存するのである。
1/16 “母という存在”
エジプトの最西。美しきオアシスで名を馳せるシワという地。都市と共存する遺跡群の旧市街シャーリーで、わたしは『アドルフ』を読んでいた。
観光客の交錯する象徴的な塔を避け、人気がなく、デイツの大森林と市街を一望できる絶好の昼寝場をみつけたわたしは、雲ひとつない快晴と活気溢れるベルベル民族の建築音の只中で、ある街へと流れつくアドルフを見届けた。
そして静かに本を閉じ、ゆるやかにエジプトの大空へと視線を動かしたわたしはその雄大な自然にある疑問符を浮かべる。大いなる自然よ、なぜかくもあなたは美しいのか。我々のあまねく悲劇の起源となるあなたは、なぜかくも人類を魅了してやまないのか。なぜ我々はあまねく元凶たる自然をかくも愛してしまうのか。
それは、きっと母だからなのだろう。そして、それは母という存在それ自体が残酷さと愛情という二面性を駆りたてるからなのだろう。ショーペンハウアー然り、シオラン然り、ベネター然り。彼らが幾ら生を憎み、嫌悪していたとて母への愛情から免れるは至難の業である。理性が生を否定し、出生への嫌悪を育ててもなお、大方の情念は母の抱擁でその全てが消え失せる。万物の母、あまねく被造物の母たる自然はそれゆえ愛されるのである。
母親そして母性性。
それはなんと残酷で、美しく、そして愛おしい。
1/24 “死期”
雪の吹き荒ぶビシュケクで、四〇度の高熱にうなされたわたしは異境の不安と未知の病と闘う日々をおくっていた。そんな闘病にあけくれるわたしにはわたしの気づかぬところで、ある当為論的憑依体がわたしの精神へと侵攻をはじめていた。
多くが求め、血を流し、時に封印されたそれは朦朧とする意識のなかで尚その輪郭を保つ。日々減退する体力に比例し、自らが纏う諸概念が崩れゆくのに対し、わたしに出来するそれには、身体秩序の不安定性が高まるにつれて、確固たる存在論的地盤が築かれていた。
それは自由である。人生の終幕、即ち死と同時に自由は出来する。自由の当為性が我々に現在の不足をつきつける。論理をもって我々を拘束する道徳や社会の鎖は、死の前に無力だ。それほどまでに鮮烈に、死は自由を照らす。
死期が迫るその時、絶対的自由は明らかとなる。「かような時にこそ始めて真実の声が心の底から出るものであり、又仮面ははがれ、真価のみが残るからである」。
リベルティナージュが様々な当為論を明らかにしたのは、神の死。換言するならば永生の道が途絶えることで、知覚し得ぬほど遥か彼方に位置する死期が、彼らのもとへと迫ったことにあったのかもしれない。こうして、神の力で遥か彼方へと遠ざかった死は、神の死によって再び我々の前へ顕現する。
その意味でサドの言説の偉大さが垣間見えることだろう。サドのその破壊的なエクリチュールは死にも比した、或いは形而上的死とも呼べる状態を人類によび醒ます。死とサドは、あらゆる当為論的鎖を切断し、絶対的自由を啓示させることで各人の真価へと人類を導くのだ。
手記.2024#674d92fe76c7f10000b22528
2/11 “映画という仮象的救済”
人間は「自由の刑」に処されている、とサルトルは言った。またキルケゴールは「不安は自由の目まい」だとする。自由はその不足に対し絶えずその余剰を要請するが、ひとたび獲得された自由は絶対的な孤独と責任を主体へと課す。
だからわたしは映画が好きだ。映画に縛られるあの時間に、自由はないが不安もない。リッチョット・カニュードは映画を「第七芸術」として、空間的な造形に関わる芸術(建築、彫刻、絵画)と時間的な造形に関わる芸術(音楽、詩、舞踏)に加わった第七の芸術形式であり、さらにそれらを統合する役割を担うと訴えた。しかし、その統合が成す特質する価値は寧ろ拘束性にあるように思える。建築、絵画、彫刻、音楽、舞踏、文学。これらの芸術に対し映画とはその起源において、作品の終幕まで鑑賞者をその〈時空間〉へと拘束するのだ。
ゆえに、あまねく生に共有された悲劇性から逃れる手立てとして芸術を称揚するショーペンハウアーが現代に息を吹き返すことがあれば、彼は映画館へと足繁く通うことであろう。いわく「美しいものに寄せる審美的な喜悦の大部分は、(...)その瞬間にいっさいの意欲、すなわちいっさいの願望や心配を絶して、いわば自分自身から脱却」することであり、「われわれが残忍な意志の衝迫から解脱して、いわば重苦しい地上の空気から抜け出して浮かび上がっているこのような瞬間こそは、まことにわれわれの知りうるもっとも祝福された瞬間である」。
また拘束とは二種類存在し、アンガージュマンの如く主体的な関係論とパノプティコンのような強迫的な関係論である。後者は有無を言わさず契約関係に結ぶことで悠久の自由を支配するが、前者は自由と共にあるがために、不断にその関係を更新せねばならず、絶えず自らを律するような強靭な精神を必要とする。映画はこのような二項の狭間に位置するように思える。すなわち鑑賞者となるには主体的に拘束へ向かわねばならないが、ひとたび契約が為されれば〈時空間〉へと閉鎖され、地上の悲劇からわれわれを解放する。しかしそれは有限なものとして与えられる。映画には誰かに強いられ、無限に課される契約もなければ、絶えず強い意思を持ちつづける是非もない。そこには仮象的な救済に適した拘束のかたちがあるのだ。
2/17 “ファム・ファタル”
無垢にして、聖哲。深淵にして、純潔。
美と智の狭間を揺らぐ高貴な精神と、悲惨を嘆き弱きへと自らを貶める献身さ。
偽りが失効されたその形而上学は、生きとし生けるものすべてに憐れみと愛を傾け、あまねく存在を抱擁する。
あまりに脆く儚い悲劇を定められた彼女は、苦悶の数々に抗いながらも、その歩みをとめることなく、いつの日にか完成される失われた神への夢想を踊る。
彼女が紡ぐ詩的言語の奥ゆきも、その純粋さを基礎としているからして美しさがひきたつ。それはまるで「蜜蜂が花にひかれるように」。
曇ひとつなき純粋さと、知性の色気を併せもつ第十一のミューズ。その名はシモーヌ・ヴェイユ。わたしを魅了してやまないファム・ファタル。
わたしの僅かな幸福といえば、わたしがギュスターヴ・ティボンでなかったことにある。わたしが彼だったら。彼がわたしとして彼女と出逢ったならば。彼女との別れの際、ティボンのように冗談めかして、自分の心の動揺を外にあらわすまいとし、「また会おうね、この世か、でなけりゃあの世でね」といったとき。そして純朴な彼女から真顔で「あの世ではもう会えないのですよ」と告げられ、彼女が通りを向こうへ去って行くのを眺め、悠久の別れを予感するとき。その別れにて手渡された断章から、終幕の言葉に宿る本懐を知ったとき。文通さえも途絶え、ヴェイユの帰りを待ち侘びるわたしにロンドンでの死を通告されたとき。わたしのうちに占める感情は、彼女の想いに反したものとなったことだろう。
わたしは、自分の愛する人々に、どんな苦しみをも決して与えはしないと確信していたいので、どの人の心の中にも、あくまでもどんな小さな場所をも占めていたくないのです
2/18 “アンチ・トマス”
トマス・アクィナスは『神学大全』にて知恵、節制、正義、勇気を四つの枢要徳として訴えた。しかしこれら四徳は、厳密に分析すれば、それぞれが同等の地位をもつものではない。知恵と結合された勇気は、個人のなかでは節制を、他者との関係においては正義をそのなかに包括する。そこで問題が出てくる。一体勇気と知恵とではどちらがより包括的な徳であるか。これに対する答えは、そもそも人間の本質においては、したがってまた人間的人格性においては、知性と意志のどちらが優位するか、という有名な論争がいかに結着するかによってきまる。
もし知恵が優位するならば、勇気とは本質的には理性(もしくは啓示)の諸要請に服従することを可能ならしめる精神的力ということになる。これに対し〔もし勇気が優位するならば〕決断的勇気は、知恵をばつくり出す役割をはたすのである。第一の見方のもつ明白な危険性は、カトリックや合理主義的思想のなかにしばしば見出されるような創造性を失った沈滞であり、同じく第二の見方の危険は、ある種のプロテスタント的傾向のなかにあり、またほとんどすべての実存主義思想のなかにあるところの方向性をもたない恣意性である。
知性の優位をはっきり断定したトマスは、必然的に勇気を知恵の下位に従属させざるをえない。しかしわたしはそうしたトマス主義に、キリスト教の起源からして、疑問符を抱かずにはいられない。実存主義へ大きく影響を与えたフッサールは、まさに「第二の見方」を明確に意識していた。デューラーの《騎士と死と悪魔》をこよなく愛していた彼がことあるごとに「いやしくも学に志すものは、長槍を携え、冑を目深にかぶり、脇目もふらず死と悪魔との境をまっすぐに騎り進んでゆくあの勇敢な騎士のようでなくてはならない」とするのは、示唆的であると言える。わたしはこうした考え方に同意である。遙か失楽園より、知恵と悲劇は両輪をなしていた。すなわち「悲しみと虚無しかないのだとしたら、ぼくは悲しみのほうを取ろう」という意志のもとに、はじめて知恵が獲得されなくてはならない。知恵の優位を訴え、知恵の獲得を誰かに急がせてはならない。そうでなくては無垢に楽園で生活をおくるアダムとイヴにレッドピルを与えてしまうこととなるのだから。
ニーチェは次のように云う。「ものを書くときに、人は理解されることを望んでいるだけではない。まさしく理解されないことをもきっと望んでいるのだ。誰かがある本について理解不能だというとき、それはその本に対する異議申し立てには必ずしもならない。ひょっとしたらそれが著者の意図の一部だったかもしれないのだ-彼はまさに「誰から」でも理解されたいとは思っていなかったのだ。(...)文体のより手の込んだ法則はすべて、その起源をこの点に有している。その法則は、先に述べたように、同時に遠ざかり、距離を創造し、「入場」を、理解を禁ずる-その一方で私たちに類縁の耳をもった者たちの耳を開くのだ」。「それを読むのが低い魂、低い生命力であるのか、あるいは、より高くより強力な魂や生命力なのかに応じて、魂や健康に対して正反対の価値を有する本が存在する。前者の場合、その本は危険であり、崩壊や分裂につながる。後者の場合、その本は最も勇敢な者たちを彼らの勇気へと呼び覚ます伝令者の叫びである」。
2/22 “現前を愛おしむディレッタンティズム”
ビシュケクからアルマトイへ。
古典主義建築の対に聳えたつ、硝子と光線の甲冑を纏った摩天楼の数々に、わたしはノスタルジーを予感する。おしよせる資本主義の荒波に侵犯されゆく旧ソ連の残骸。商業化され、シニフィエをひき剥がされた空疎な文化。偶然か、作為か。ビシュケクに残された退廃的な都市の二十世紀的造形美たるや。
そのときふいに魔法のようなひとときが舞いこみ、かねてから、静止した膨大なモノクロ写真の連続のように上映されていたわたしの精神疾患に手術を施し、たちまち永劫に続くかと思われた失明状態から目醒めたかのような感覚におそわれる。市街を放浪していたわたしに突如として現れた奇跡にも近い祝福は、世界を美しく彩り、現前にひろがる地平を愛すことの素晴らしさをおしえてくれた。しかし、こうした恍惚はほんの一瞬しか続かず、もう過去のことになった。
ノスタルジーによって喚起されたあのひととき、刹那の美学とも言えるそれは如何にして再びわたしのもとへ向かうのか。それを絶えず感じることができたのなら、われわれに与えられたこの世界の一瞬一瞬を愛せるようになるのだろうか。そのすべてを美しく感じることは叶うのだろうか。
ノスタルジーとは、無限性のなかに有限性がうちたてられたことで、美を享受するロマン主義的精神である。ヘルダーリンいわく「終わりのないのは、絶対的な根拠を求めてやみがたく駆り立てられながらも相対的にしか充たされることはなく、それゆえ止むことのない永遠の衝迫が存在するからである」。「私たちはあらゆる場所に絶対性を探し求める」とノヴァーリスは云う、「だが、いつも有限のものしかみつけられない」。
われわれはあまねく存在対象を悠久なものと扱う。ワイングラスを傾けるとき、長椅子に腰掛けるとき、トレンチコートを羽織るとき。それが次の瞬間瓦解すると絶えず認識している者は病理的な何かを患っていることだろう。すなわちわれわれは存在対象に対し、認識論的無限性を与える。絶対の信仰。そのうちに自らを位置づけることで、存在対象と安定的な関係を築くことが可能となるのだ。ゾーン=レーテルが貨幣に対する主体の関係を「実用的唯我論者」としたように、各存在対象が悠久の存在でないことを理論的次元では理解しながらも、実用的次元では絶対無限の性質をもつものと扱うことでわれわれは分裂症を免れる。無意識のなかで強迫的に出来する「絶対への終わりなき渇き」が、人間存在の根底を躍動する認識論的基盤なのである。
然れど、存在対象が絶対無限の性質を認識を越えて獲得することは叶わず、あらゆる信仰は失敗に幕を閉じる。われわれは失敗が定められた、ひとときの夢想を歩む。ノスタルジーとはそのさきに出来する到達し得ぬ夢想すなわち失敗であり、換言するならば無限という虚像のうちに位置づけられた有限性を意味する。その意味でロマン主義とは、「永続的な前進運動の理論である」ノスタルジーの詩学と説明できることだろう。
ただしノスタルジーと、それを予感することとは決定的に異なる性質をもつ。ノスタルジーとはすでに失われた存在対象の有限性に対し、過去に向けてつねに失敗する夢想を傾ける。しかしそれを予感することは、未来に失われる存在対象の有限性に対し、現前の〈いま・ここ〉へと向かう、刹那の美学を組織するのだ。そしてノスタルジーを予感することは、絶対の信仰を破壊することで、再び出逢うことのない偶然性の戯れが手掛けた細部へとわれわれを誘う。この地点にて「世界を見ること」は〈第二段階〉へと昇華される。
ゲーテは『ディレッタンティズムについて』にて、芸術を見ることの三段階というものを素描する。わたしは思うに、それは「世界を見ること」、そしてそのすべて美しいと想うことへの手立てに照応可能である。
見ることを学ぶこと(Sehen lernen)。われわれが見る際に従う法則を知ること(Die Gesetze kennenlernen, wornach wir sehen)。(...) あらゆる人々は全体印象(Totaleindruck)(区別のない)から始まる。区別(Unterscheidung)が続く、そして第三の段階は区別から全体の感情への回帰である。この感情は美的感情である。
見ることは「あらゆる人々は全体印象(Totaleindruck)(区別のない)から始まる」。そしてそれは「非活動的観照者」という、消極的或いは受動的な態度であるとゲーテは云う。確かにわれわれはあらゆる存在対象へ、絶対無限の性質を認識論的に付加するがしかし、それは無意識に出来する強迫的な手続きであるために、積極的な関係を結ぶことを意味しない。それはカントがいうように美が生まれることの不可能性を意味する。
そしてそこから区別(Unterscheidung)に至る。つまり〈第一段階〉見えること〔=消極・受動的〕から〈第二段階〉見ること〔=積極・能動的〕への移行である。これこそアルマトイの市街でわたしに与えられた奇跡の正体である。旧連邦の建築様式におしよせる摩天楼の侵攻は、わたしにノスタルジーを予感させることで、存在対象の認識論的無限性を破壊した。こうして、いずれ失われる現前へと誘われることで、われわれは刹那の美学を獲得する。受動的に与えられた全体性から、絶対の信仰が破壊されることで他の存在対象から区別(Unterscheidung)された細部へと。積極的に。
その果てにある〈第三段階〉
受動的な印象を超えた積極的な関与をもって、高次元に回帰される全体性すなわち世界。そこには、われわれに与えられた所与の一瞬一瞬、そのすべてを美しく感じる愛に満ちた世界がひろがっていることだろう。「全知ではないから予感を味わえる」。ヴィム・ヴェンダースはこうした刹那の美学こそ、有限なる人間のみに与えられたパースペクティヴであると、―反転されたロマン主義的願望(Desire)を抱き―永劫の時を生きる天使を以て我々に告げているのだ。
2/25 “死へ”
ショーペンハウアー曰く
人生というものは岩礁と渦巻きにみちみちている海にほかなるまい。人間はこれらを避けようとしてこのうえなく慎重に気をくばっている。が、それでいて彼は知っているのだ。たとえ彼が努力と手だての限りをつくして岩礁や渦巻きをくぐり抜けることに成功したとしても、まさにそのことによって、彼はひと船足ごとに、最大の、全面的難破―避けることもできず救いようもない難破に近づきつつあるのだということを。いな、彼はもともとこのような難破をめざして―すなわち死をめざして舵を取っていたのだといっていい。死こそ苦難にみちた航海の最後の目標地なのであり、死こそ人間がこれまで避けてきたあらゆる岩礁よりもはるかにひどいものなのである。
生とは死場所を探すこと。それが見つからずして或いは叶わずして、命を落とすこと。それが真の悲劇であると言える。あらゆる作品が描くようにきっと永生が獲得されようと、われわれに浮上する倦怠は新たな絶望をよび醒す。
生の終幕とはどこまでいっても死なのであり、人はいずれ終わりを切望する。その幕引きが意に適うものなのであれば、それは救済を冠するにふさわしい。
すなわち、死場所こそが生の在処なのだ。それはソクラテスやブルーノにとっての死の選択が、同時に生としての選択であったように、死への在り方こそ生の在り方そのものを完成させる。
ゆえにわたしはシェリーと志を同じくする者である。なぜならば彼の友人はシェリーへ向けてつぎのように謳うのであった。
彼は私たちがみな避けているもの、死を探し求めている
2/26 “言と在ること”
ひとの言葉で語れば語るほど、シニフィアンとシニフィエは分離する。それはシニフィアンをなぞること。すなわち意味をわれわれからひき剥がすことである。こうして、ただ反復されたそれは真意を歪め、シニフィアンは空へ浮遊する。
ゆえに、われわれはその確信を自らの語彙をもって語らねばなるまい。さすれば、意味は受肉され、記号は身体化されることだろう。
2/28 “自由の象徴”
イスタンブール、旧コンスタンティノーブル。東と西を隔てる文化の集積地にして、一であり全なる場所。アヤソフィアに残されたキリスト教芸術のオリジン―禍々しき翼に身を隠す大天使ガブリエルと聖母子増のモザイク。オスマン帝国の繁栄よって成された旧キリスト建築のモスク群。そして正教会の総主教座すなわちバチカン、聖ゲオルギオス大聖堂。アウラそのものと一体化された旧市街はその崇高さが細部までをも包みこみ、歴史と信仰の重みを要請した。
その地ではばたく鳥とはまさに自由の象徴であった。重力から、大地から解放され、雲一つとない大空を優雅に、そしてあるがままに泳ぐ。地上にひしめく豪奢な建築物と都市さながらの人口を縫うように歩く人々に比して、彼らが踊るその舞台は完全に開かれている。
こうして、おおきく羽根をのばし、力強くはばたき上空を謳歌するイスタンブールの鳥は、未だわれわれが文明の延長に設置することが不可能ななにかをさし示しているようでならなかった。
3/11 “シニフィアンの非対称性”
美しさを解剖することは、ときにその美しさを毀損することとなる。パスカル曰く
同じ一つの意味も、それを表現する言葉によって変化する。意味はその尊厳を、言葉から受け取るのであって、言葉に与えるのではない
例えば「現在がなんら阻止されず過去の中へくりこまれていくことは、死への休むことのない移行であり、休むことなく死んでいくことだといっていい」というテーゼを換言し、「現在は絶えず過去となり、それは不断に続くからして、生は休息することなく死へと向かう」などと解剖することは間違いなくその理解には役立つといえる。しかし、これでは表象される意味の同一性は保たれているといえるのだろうか。
細部を捨象し、完全性を欠いた言葉。それはわれわれを意味へと接近させるが、その真価へ到達させることは叶わない。ゆえにシニフィアンとは、シニフィエへとむかうための道具ではない。寧ろ本来的にはシニフィアンがシニフィエそれ自体を表象させるのだ。すなわちシニフィアンのなかにシニフィエは複数性をもって共存するが、特定のシニフィエを表すシニフィアンはただひとつ、一対関係にあるのである。
よってエクリチュールにおいて引用とは重要な意味を成し、パロールにおいてむやみに相手の言葉を解剖することは、その尊厳を傷つける。
しかるに、原典を愛すること。そして時に黙すること。それこそが言葉を重んじる者がその美しさを穢さないための当為論なのである。
3/26 “エリック・ロメール”
ゴダールほどワイルドでもなく、タルコフスキーほど洗練されてもない。
それはまるで、『ラ・ジュテ』で描かれたアクチュアリティをひき延ばしたような、癒しと静けさのアンサンブル。
田園的で、平穏で、日常的で、退屈。
かくして彼は慎ましく、穏やかに、そして、粛として密かなる「詩の最後の隠れ家」をひとり、建設するのであった。
4/6 "ルネサンス、宗教改革、そして観念論"
チェリーニは『自伝』のなかの言葉「私は自由にうまれついたのだから自由に生きるつもりである」とし、マキャヴェリは『君主論』のなかで、フォルトゥーナfortuna(運命)を超えさせるものとして、ヴィルトゥーvirtù(力)という考えを導入する。そしてマキャヴェリの人間中心の思想は国家という、個を超えた組織体までもvirtùの下に置こうとする。よってルネサンスの当為命令は外界ではなく内面の世界、自らを解剖し掌握すること。すなわち人間性の探究にむけて発動される。まさにこうした地平に立つことで、モンテーニュは『エセー』をもってして彼自身の自己の内面の航海に旅立つのだ。
中世からルネサンスにかけて次第に教会の権威が弱まってゆくことで、あらゆる面において人間は自己のうちに権威をとりこんでゆく。そして新たな宗教的権威を自己のうちに見て、それによる支配をめざすものは宗教改革者となり、それは世界支配の欲望として最大限の表現をとることになるだろう。ルターからカントまで、近代ドイツの精神はルネサンスに芽吹いたのである。
ディルタイは「ルター(...)において近代の観念論がはじまる」として、宗教改革を可視的なものから不可視的なものへの転換とみた。聖衣、霊域、儀礼を一蹴し、「宗教過程はその真髄において見えないものであり、悟性には全然近よりがたいもの、すなわち信仰である」としたルターは、宗教を脱政治化=個人化することで、外界を拒絶し、宗教の内面化を成したのだ。ゆえに宗教的権威を王権神授に基づく高次の社会階層に求めるカトリシズムに対し、プロテスタンティズムは救済へ向かう宗教的権威を自らへとひきわたした。それはあまねく存在に比して自我を優位とせしめ、信仰に耽る観念論への萌芽となるようなルネサンスの全き系譜であると言える。
こうして人間にとって自我中心のヴェクトルが強まると、そこに、自我の絶対化が始まる。ドイツに始まるファウスト伝説がそれを示す。自我は拡大された空間をも自己の支配のもとに置こうとして悪魔に魂を売る。ここには人間的力によって善悪の彼岸を超えようとする果敢な試みが、早くもあらわれているといえる。
ニック・ランドは、レヴィナスが提唱したような〈同〉を〈他〉に還元する西洋哲学史のなかでその傑出した地位をカントに与え、植民地主義の根幹をそこに求めた。内面と外界を隔て、他方を一方に還元しようとする姿勢はシュミットがいう友敵理論の思想的起源、或いはその加速を齎す構造を有する。ヘーゲルにおいてひとつの極に達する人間中心主義、自我の絶対性、西洋形而上学はこうして世界支配の言説へと変貌を遂げる。
ゆえにルネサンスは権威の内在化をもって、宗教改革をつたい、世界支配の欲望へと駒を進める。かくして神を中心として周縁に位置していた人間は、ルネサンスによるプトレマイオス的反転をもって、中心を奪還する。すなわちルネサンスに、デカルトは準備されていたのだ。そしてその終焉こそがポストモダンであり、かの有名なフーコーによる人間学終幕のテーゼへ至るのだった。
しかしそうした日が、来るのはいつであろうか。
中心を占める自我という形而上学的軛は、未だ我々の脳裏にこびりついて離れない。
4/8 “革命は辺境から”
わたしは先々週、ジョージアの至聖三者大聖堂にて、世界有数の正教会建築の中心を占める巨大なキリストの荘厳な壁画をみて、キリストの偉大さと、そのリアリティを触知した。それはその建設が2004年に終わりを迎えたからであり、万学の祖たるプラトンも、近代を彩ったナポレオンも、ましてやモーセでさえも、時代を越えてここまでの大きさを誇る偶像をつくらせることは成しえなかった。
しかしそんな彼も存命時は無名であり、十二使徒と対話を育むことに従事した。王を説得することよりも、その教えを涵養することに心血を注いだ。
また、ニーチェは突如として神を殺したわけではない。デカルトが錬成し、ヴォルテールが研磨し、ショーペンハウアーが塗装することで、数世紀の歳月をかけ、彼は神殺しの槍を手に入れた。そうして聖火の如くひき継がれた神殺しの槍も、ヴォルテールの手元では政治的安泰のために神は必要であると温和な輝きを保っていたし、ましてデカルトにおいては神を復権させるべくして存在したと言える。
ゆえにマモンを滅ぼすには、自らの意志に基づく逸脱のヘテロトピアを、すなわち閨房と庭園を組織しなければならない。私的な空間をもって、我々はゆるやかなる準備をしなければならない。
そして、それこそが歴史の終わりの終わりを迎えた二一世紀の運動のかたちなのかもしれない。
4/8 "サント・シャペル、ルーブル美術館を経て"
わたしは美しい情景、絵画、建築を見たら、それを写真に収めようと試みる。
しかし、それは粗野で低俗な所以では勿論ないし、有限なる儚きこの世界を写実的に、そして静的なかたちで保存したいが為でもない。またいつかそれを通じて時を遡るためでも、到達し得ぬノスタルジーに耽る為でも決してない。
それは写真という化合物に、アウラを照合する機能をみることにある。
 
わたしは写真に投影される美しさには、三段階存在しているように思える。それは、写真に対して収まらず、その内なるダイナミクスが削がれ、単なる平面へと矮小化されてしまうもの。完璧にその美しさを投影し、写実の極致としての写真を体現するもの。そして、現実を越え、写真にのみ許された美しさを誇るものである。
 
後者にむかえばむかうほど、オリジナルであることの必然性は削がれ、アウラは散逸される。そして、眼前に繰りひろげられる力学のリアリティは低減されていく。よって自らの美学の解剖、そしてアウラへの旅路を往くには写真をもってその価値を照合することをお薦めしたい。
そうして相対化された現実にはきっと、潜在下でみずからを流れる美的感覚の本性が立ち顕れることだろう。
4/13 "理解するということ"
シュザンヌの企画展にて、わたしは彼女のパースペクティヴに心打たれた。そして、わたしはその在り方に、技巧に長けたものにのみ許された感受の地平をみる。
彼女は、自らの絵を描写することを通じて、人々に触れ、世界を理解する。その精神の動きを、蔓延る不安を、今日の心行きを描写をもって分析する。ひとはただみることだけでもって理解することは難しい。それを噛みくだき、整理し、自分のものとせねば真に理解することは叶わない。
その最も顕著で開かれたツールが言語といえる。例えば、読んだ本のシニフィアンをなぞるだけでは、感動した情景をこころに受けとめるだけでは、なぜその本を理解したと言えるのか、なぜその世界に感動したのか、理解したとは言えない。言葉をもってそれらを分割し、組み替え、再構築することではじめて我々は物事を整理し、自らのものとすることができよう。
技巧に長けたものの特質した価値とは、音楽や絵画をもってそれができる。すなわち非言語の地平で、自らが感受したあまねく事件を表現、理解することが可能であるのだ。絵画を描くことは、音楽を奏でることは、感情を分割し、組み替え、再構築することで実践される。そして言葉のように、構築されたものには保存の手順を踏むことで再現性が宿る。
我々人類の多くは日頃、言葉というツールでしか理解を試みない。しかし、それは極めて乏しい理解といえる。なぜならば我々が理解に用いることができるツールの数は圧倒的に非言語が勝るからだ。映像、絵画、音楽、建築、彫刻、料理、そして言語。これらを多層的に用いることで、はじめて、対象の真価というものがたち顕れてくる。それこそ理解の本質ではなかろうか。
わかるということは、表現できることではないか?
4/13 "現代の霊媒師"
ポンピドゥ・センターでみたコンセプチュアル・アートのコレクション。圧巻だった。
溢れでるポストモダン。アバンギャルドのなれの果て。破壊によって散逸した残滓は、混沌の渦のもとで新たなる様式美を自己組織化する。
平面や額縁に押しこまれていたような作品に内在する観念は暴発し、その形象をあるがままに表す。イデアは爆発し、形式性から飛びだし、むきだしになる。
芸術家が管理=操作し、特定の枠組みに加工するような古典的観念表現は解体され、芸術家が観念を支配する時代は終わりを迎える。現代において寧ろ芸術家は観念に支配され、如何に観念をこの世界に召喚すべきかと、作品を産みだす主体としてではなく、観念が顕現する為の触媒として、作品と奮闘するのである。
ゆえに芸術家は降霊術の如く、相応しき形態を有する物質へと観念を受肉させる。こうして観念表現はコンセプチュアル・アートにおいて純粋なイデアへと接近する。あらゆる形式性を破壊し、自らのアイデンティティをあるがままに自己表現する観念群は、作者と主題の支配関係の革命、すなわち芸術の在り方そのものを大きく反転させたのである。
また、トニー・ゴドフリーが「見る人からの従来以上の活発な反応がなければ成立せず、見る人の意識が関与してはじめてコンセプチュアルな芸術作品は本当の意味で存在しうる」と説明したのはその意味で示唆的である。なぜならば、純粋な肉体を獲得したイデアは、その対価として作者という主体を喪失した。ゆえに作品は作者ではなく、鑑賞者へと主体を要請するのだ。この地点において真に「作者の死」は完成される。
よって次に求められるはその主体の回復、すなわち高次元での回帰なのかもしれない。いつだって歴史は韻を踏む。聖書に示されているかのように。
4/21 “さくら”
イタリアのフィレンツェ。アルノ河沿いのレストランで Ruchè が育むベリーとローズのニュアンスに心奪われ、その感動を伝えようと、ふと母に電話をかけたとき、彼女は故郷の写真を送ってくれた。
そこに写るは春の終幕を告げる八重桜とその下を無邪気に駆ける愛犬の姿だった。
先日訪れたヴェルサイユ宮殿でみたマーガレットやアナベルのように、華々しいドレスで春を彩る花々と異なり、さくらには無垢な少女が、春の暖かさに頬を染めたような、そんな儚さがわたしの細胞を歓喜させる。
そう彼女へ伝えると、母はその終幕の美しさを、さくらの死の甘美さを、わたしへと教えてくれた。母曰く、花の多くは自らの最期を妖艶に魅せた後、突如としてこときれる。それはまるでクレオパトラの如く、その美貌の絶頂にて死を選ぶ。しかし、さくらは違う。彼女は短命ながらもゆっくりと自らの死を味わい、延命し、時間をかけてその花弁を地へと堕とす。
さくらが散逸することの延伸は、その有限性を僕達に教えてくれる。ゆえにその儚さとノスタルジーをひきたてる。
だからこそ、さくらのように自らの死に美しさをまとえることができたら、それはなんと理想なことだろうか。
こうして〈有限を触知することで感じる儚さ〉に美を感じる僕達。それは、人間における普遍的な死への理想を、さくらへと投影しているからなのかもしれない。
4/23 “サドの賭け”
神の創世、それはあまねく存在の芽吹き。宗教曰く神はその全能でもって、この世界を創造す。
しかし、神の産んだこの世界は、あきらかに愛と憐れみにかけている。存在は求めずして生まれ、求めずして死へ向かう。想像は容易いが、その成就はあまりにも困難で、存在は有限であるが、無限へと惹かれる。
悲しみと不条理の溢れるこの世界で神がいると信じ、神を人格として傑出した存在とするならば、すべての宗教的立場は万人救済主義のみ相応しい。臨まずして生まれ、あらゆる制約を受けた我々は道理的に自由であり、いずれ救済されるべきである。絶望に満ちたこの世界で、せめてもの救済を求めた人類。彼らを選民することは、善なる至高存在から最も距離のある行為である。したがって万人救済にのみ、神の地平は開かれる。
ゆえにヴィニーは最後の審判を神へ向けた裁判と心得る。「それは、神がすべての魂、すべて生きとし生ける者の前に進み出て、自らの潔白をあかすべき日となるであろう。彼が姿をあらわし、彼が演説をし、彼が、なぜ創造が行われ、なぜ無実の者に苦しみと死とがあるのか、を明らかにするのである。(...)その時、蘇生した人類こそが審判官であり、永遠なる創造者は、生命を押しつけられたすべての世代の人びとによって裁かれるであろう」。
もし悲惨な世界を創造した神がいるのであれば、彼はすぐさまに裁判を受けるべきであり、その世界で生きることを強いられた我々すべてのいのちを尊ぶべきである。そこに善も悪も存立しない。如何に生を贈ろうと、苦しみから逃れようと、救われて然るべきだ。我々は生まれたときより、原罪が如く悲劇を運命づけられた存在なのだから。
神がそうして帰結される、絶対的自由を阻害するならば、神とは紛れもない悪である。みずからを元凶とする生の悲劇を棚にあげ、他者へ善悪を語るなど勘違いも甚だしい。そうした神が悪意などなく、善意の結果だとするならば、神は全能から程遠い阿呆である。そして神が悪意に満ちた存在であるならば、尚更そのような存在の思うがままを征くのは、人類が為に拒むべきである。
ゆえにいずれにせよ、我々は自由に生きるべきだ。善悪を捨て、鎖を解き、その生を解放すべきだ。慈愛に満ちた神がいるならばなんであれ、我々はきっと救われる。そして不在ならば、せめてもの救済として、この現世を謳歌することができる。ここにパスカルの賭けは反転される。
わたしは不可知論者だ。パスカルに同じく神の存在証明は不可能であるように思う。であるからして、神の在否に関わらず妥当な賭けを施行する。
そうして自由は出来し、信仰の不要が現れ、万人救済へと帰結される。わたしは、これをサドの賭けと名づけよう。不在性の頂、彼の哲学の功罪をもって、わたしはこの道を選ぶ。
4/24 “アウラの正体”
今年二月。わたしはゼンコフ正教会で念願のアウラと対面した。全面に広がる崇高に恍惚とし、全細胞が歓喜し、全身にくまなくいきわたった痺れは、わたしの脳裏にその感動を刻印した。
かくして、わたしのアウラを巡る旅路が幕をあけた。第一にその正体を正教会にあると考えたわたしは、イスタンブールへと向かう。正教会のバチカン〈コンスタンティノープル総主教庁〉。それはその名に相応しく圧巻だった。しかし、あの日の感動を超えることは叶わなかった。
トルコを共にした友人は、テセウスの船ではないかとわたしに問うた。幾度となく改築と修繕を余儀なくされた〈コンスタンティノープル総主教庁〉は、確かにアウラの定義を欠いている。よってわたしはオリジナルへの旅路へと駒を進めた。
パリ、フィレンツェ、ローマ。わたしは時代を遡りながらオリジナルをこの身に浸透させた。世界を席巻した絵画、彫刻、建築。その数々は思索の助産婦として、わたしの大いなる糧となった。しかしそれはあの日の感動と歓喜を超えることはなく、寧ろその意味では大きく下回る結果となる。
そうした悲嘆の漂うローマ滞在の半ば。バチカンを外した四大聖堂を巡り、トレビの泉へ向かう道すがら。ある教会がわたしの前に現れた。そしてそれは夜十時のことだった。
その教会の名は、聖イグナチオ・デ・ロヨラ教会である。わたしはこの教会で再びアウラを獲得した。無限に湧きだす歓喜と、溢れでる恍惚はゼンコフ正教会に次ぐ感動を奏でた。それはまるで救済のイデアそのものを表象しているようで、わたしの細胞は再び覚醒する。
そして同時にわたしはアウラの正体を触知した。それは夜闇にその身を染めた教会が、か細い蝋燭に照らされた、その地平である。
太陽が我々を照らすとき、世界にはまず光があり、それを闇が侵蝕する。世界は無条件で存在を余儀なくされ、あまねく対象は剥きだしになる。そして影はつかのまの無を、光の隙間を縫うように与える。しかし、夜にそれは逆転する。闇が通奏低音として世界をつつみ、そのなかに我々は光を灯すのだ。これは人間的実存のメタファーに相応しい。
救済とは二つのタブローを用意する。第一にこの世界の絶望、悲嘆、苦難が示され、第二にその世界に差しこまれる希望、歓喜、至福が僅かに灯る。人間的実存とは、まず光があって、それを闇が侵蝕するのではない。この世の始まりも然り、闇に始まり、光明をみるのだ。あの日みたゼンコフ正教会もそうであった。斜陽に差しかかり、夜闇が教会を占め、昼を集積したステンドグラスと、シスターに消されゆく蝋燭にのみ、僅かな光が残されていた。
ゆえにわたしは夜の教会を愛する。それはキリスト教イデアに最も近い形象をもち、実存の原理をわれわれに気づかさせてくれる。そしてそれは原初のイデアという装具を纏い、われわれの感動を、眠る精神のうちからひきだしてくれるのだ。
4/25 “洗礼名”
原罪。それはわれわれが享受する生が、誕生と時を同じくして宿命づけられたあまねく悲劇の寓意である。
キリスト教はその歴史において、罪を病、回復を救済としてそのメタファーとす。
それはルネサンス、リベルティナージュ、ロマン主義に連綿と受けつがれ、〈魂の医者としての神〉に替わる哲学者、詩人、芸術家を次なる存在として掲げる。
中世のテクストにおいて medicus と称された―癒しの力能を有す―天使ラファエル
わたしがあまねく世俗救済に絶望をし、パスカルが如くみずからの内側を空洞とすることで、神の恩寵にこの身を委ねることを選ぶとき
わたしは洗礼名として彼の名を受けとりたい。
4/29 "言葉の功罪"
古代より倫理と理性とは蜜月な関係とされた。粗野な動物と隔て、我々人間がこの世界で特別なる存在へと昇華される手続きとして、倫理と理性はいつの時代も賞賛されてきた。しかし、なぜこの両者は如何なる時代も絶えず緊密な存在であったのか。それはゾーエーとビオスなるものの差異のあらわれとでもいうのだろうか。
前者によって後者を導出するような、古典的手続きに基づくならばわたしはその理由を必然性、因果、法則性を求める人間の性にあるように思う。
われわれは自然、そして社会に必然性を求める。なぜりんごは実を熟す後、下へと牽引されるのか。なぜわたしは裁かれ、悪の烙印を押されるのか。なぜこの世界は生まれたのか。
その意味で自然法とは素晴らしい。なぜなら生来より存在する理を、社会に適応させる試みは人間の性の全き表象である。我々は自然に位置する必然性を暴き、その因果を自らの支配下とする。社会においても然り、その法則性を時に創造し、時に分析することで自らの支配下とするのだ。
そして我々はあるとき誤謬する。
自然的必然性と倫理的必然性は異なる因果に置かれている。それは摂理と道理である。われわれは極めて倫理的傾向の強い存在であるがゆえに、不条理に対し、摂理の道理化を行使する。すなわち神である。われわれは目的なくして生まれた。それは生殖という摂理のもとにあるからである。われわれは突如として死に至る。それは病や災害の蠢く摂理のもとにあるからである。そこに意志は介在せず、無為なる運動、現象の連なりに他ならない。こうした摂理に道理を求めることをもって、それを説明する神ひいては宗教が誕生するのだ。
ゆえに理性とは必然性、因果を結ぶことで神を誕生させ、殺した。すなわち倫理的必然性の探求の末、摂理の道理化たる-意志と超能を有す-上位存在を創造し、自然的必然性の探求の末、その不整合ゆえ神を殺した。
言葉を孕み、意味に惑う人間が意味なき世界に生まれたこと。それが原初の悲劇である。
團上祐志個展 “In Time, A Vesse” 寄稿文
5/6 〈距離〉を奪いとられた現実
一九世紀。真理の功罪として、我々は神を失った。
神なき人間の悲惨。その嘆きはすぐさま病として伝染し、悲観的な色調で世相を染める。真理を知らぬ幸福のノスタルジー漂う近代の始まり。その地点において、中世とは暗黒の時代になく、帰ることの叶わぬエデンの園、すなわち黄金時代に他ならず、理性という蛇に唆され、真理を食した者たちは失落者として絶望と共にこの全き現実を歩むことを強いられた。
続く現代。しかし、それは未だポスト近代に他ならず、全存在を貫くオルタナティヴを酸っぱい葡萄とした人類において、絶対への夢想は枯れはてた。かくして勝利をなした理性は、人々をひき裂き、共同体を機能不全に陥らせ、個人、そして相対化へと奉仕する。
ロゴスが裁断する世界は、バビロンより共約不可能性に満ちていた。貨幣はそうした世界を縫いあわせる。貨幣とは不可視な領域で有機的に、互恵的に作用する。したがって現在、我々は世界と関係し、接続され、自由を手にした。されど、そうして機能的に作動する世界には、人類に普遍なる内的契機が欠落していた。
そうした地点に漂着するは團上の芸術に他ならない。蜂-舟を紡ぐは越境。それは世界にひかれた輪郭をぼかす。全存在を抱擁する理の温もり。誰もがその恩寵にあずかるも、誰もが忘れてしまう。そうした地平へと、彼の芸術は絶えずわたしたちを導く。
分解と結合をくりかえすわたしたちは、この世界で個体、種、界を越えた生命の共有をなす。あなたはわたしであり、わたしはあなたである。すべては浸透し、移ろぎ、越境する。こうした内在のパースペクティヴはエマヌエーレ・コッチャに象徴的である。曰く「惑星の視点で見れば、それぞれの生きものが足を踏みしめる大地が動かされるのだから、生は移住している。移民となるのは生きものの一部にすぎないと考えるのは不可能だ。土地は移住するものであり、絶えず移住している。祖国や植民地など存在せず、さまざまな船や筏のみが存在する」。
無限にひろがる延伸には誕生、そして死など存在しない。すべては連続的に織りかさなり、すべてはすべてのなかにある。絶対的内在性。それを基礎づける万物の流転。越境し、調和するその芸術は我々が忘れていた理をみせてくれる。
かくして團上の芸術は、-失われた神に替わる-〈無限なる愛〉の沸きだす座標となった。
近代以前、ひいては現代までも愛とは信仰的であるように思う。ひとは有限なる人間存在に対し、外在化され、不可侵なる領域に位置づけられた次元でもって、愛とその当為を訴えてきた。しかし團上のそれは、宗教的愛の反転にある。すべてがすべてであることの摂理が示すは、誰しもの無限性の証明であり、無限存在たる我々の内に秘めたダイナミクスに触れることが、〈無限なる愛〉への第一段階を意味するのだ。すなわち、團上の芸術を感じ、自らの無限性を触知することは、誰かのそのすべてを愛するとき、全存在へまでその想いを傾ける契機となる。
一を愛すことは全を愛すこと。それは有限存在として絶対的外在を志向するのでなく、無限存在として絶対的内在を志向することで到達されるあくなき地平。存在の大いなる円環。その知覚は、我々を紡ぐ尽きることのない情愛と燐憫の源泉となる。
ゆえに彼の芸術は、すべてを繋ぐ。罪深き人類に、世界への触媒を授ける。それは我々に現前する悲哀を遠ざけ、神なき魂に治療を施す救済の技法。愛と無限の存在論である。
ティリッヒは云う。救済は、愛を妨害する宇宙的疾患の治癒である。
5/16 "岡崎乾二郎展を経て"
1983年、3時12分という作品にて本個展は幕を開ける。
ゲシュタルト(形態)が強ければ、素材(ゴミ箱の紙であれ)やスケールにかかわらず、周囲からくっきり際立った領域として現れる。が、壁にかけられている限りである。展示のため輸送された作品が紛失したことがあった。「箱の中には相包材しか入ってなかった」と報告されたのである。作品はゴミ箱の中から発見された。
マティスの系譜を強く投影する岡崎の芸術はゲシュタルト、そして輪郭に始まり、それをのり越える。与えられた形式に、その空虚なフォルムに、なにを符合させるか。そこで岡崎は絵画に物語を受肉させる。
絵画によって空間を与えられ、物語によって時間が与えられる。こうして二つが織りあい、静と動が共演する。
時空間の拡張。それは絵画と絵画までを有機的に結び合わせ、美術館全体へその領域を展開する。
「AはXである」と一方のXが未確定なとき、私たちの感受性は広がる。この関数的応答は絵画内だけでなく、絵画と絵画、絵画とタイトル、タイトルとタイトルの間、さらにその関係と関係にも張り巡らされている。こうした理論ができ、絵画が制作できるようになった
こうしてあまねく絵画は有機的に連関し、全体であり部分、すなわちオブジェクトとなる。その有機性の起源とは、絵画単一の枠、境界線を脱構築する一貫された様式美と、コンポーザビリティを育む残された余白にあるようにわたしは思う。
すべてが同一の形式性を共有していて、それでいて外側に残された余白がオブジェクトとオブジェクトを繋げあわせる。コンポーザブルな絵画の一つ一つは、それぞれに物語を宿し、自由に接続され、絶えず神話と化す。
それはまるでバフチンのいうポリフォニー的芸術思考であり、エクリチュールの限界は、時間的延伸をもった同一様式の絵画が、余白を通じて有機的に越境される。
ヒルマ・アフ・クリント展を経て
6/8 “ルターからヒルマへ”
抽象絵画とはドイツ精神の全き系譜であり、連綿と続く観念論の結実である。それを我々に教えてくれるは、一般に抽象画の創始者とされるカンディンスキーにない。そこに普遍史に取り残されたヒルマの玉座があるように思えるのだ。
見えないものを見る。このドイツ的な系統樹はディルタイに倣いルターに始めればならない。プロテスタンティズムがキリスト教個人主義の契機となったことは広く知られている。ではその転換はどこに求められるのか。そうした転換の象徴こそ、信仰の内在化にあると言える。なぜならばプロテスタンティズム以前のキリスト教とは、信仰を豪奢な建築や壁画に外在化することで、宗教の政治化を確立する。それはベンヤミンが言うように政治の美学化としてである。しかし、信仰を個人的なものとし外から内へと還元したルターはこの意味でドイツ観念論の先駆けとも言える。ディルタイはこの意味でルターを「宗教過程はその真髄において見えないものであり、悟性には全然近よりがたいもの、すなわち信仰である」と紹介するのだ。
こうして近代に架橋された観念論はカントからヘーゲルまであらゆるセクトを育み、歴史へその精神を刻印する。そして至るはシュタイナー、ヒルマの芸術活動における理論的支柱である。シュタイナーとは名実ともにドイツ的である。なぜならば一五の代にはカントの研究を行い、大学ではフィヒテの研究に没頭、そしてその生涯を通しゲーテに傾倒したゆえである。そして彼は自らの体系
6/10 "オパール"
わたしは一年前に見たあの輝きが忘れられず、衝動的に箱根ラリック美術館に訪れた。
さし迫る東京の別れが、わたしに啓示を授けたのだ。
それは《女の顔と鳥のバリュール》と呼ばれるジュエリー・セットのブレスレットであった。若草を想わせるような麗らかな緑を通奏低音としながら、海堂色、藍白にほおを染めあげる水面のような表情。動的で恍惚なる美と、静的な治療を施す安らぎを奏でるその神秘さ。静的であるがインタラクティヴにわたしを惹きつけるは、どうやらラリックの手で完成されたオパールであった。
遊色効果と呼ばれるそれはわたしが絶えず求めていたメディウム。救済のモチーフ。治療とは魅惑的であり、優しくもあり、それでいて遊んでいて、牧歌的でなくてはならない。
美食家サヴァランは、芸術家にひけをとらない感性でもってシンボル、モチーフとしての魚に全精神を傾倒する。
魚は、その種を集めてみると、哲学者にとって尽きることのない瞑想と驚嘆の源泉となる。これら不可思議な動物たちの、無限の変化に富んだ形状、彼らに久落している感覚、あるいは与えられていたとしてもきわめて限られた感覚、その存在のかたちの多様さ、彼らがそこで生きることを運命づけられている環境の違いにより、呼吸から動作まですべてが規定されている、そのありさまを想像しただけで、私たちの思考の範囲は際限なく広がり、物質や運動や生命に関するあらゆる言説が修正を迫られる。
わたしにとって「無限の変化に富んだ形状」を有すオパールとは「尽きることのない瞑想と驚嘆の源泉」であり、オパールによって「私たちの思考の範囲は際限なく広がり、物質や運動や生命に関するあらゆる言説が修正を迫られる」ように思えてならないのだ。
6/15 "カントとティリッヒ"
ティリッヒは主著『組織神学』にて救済の治療的性格を指摘し、以下のように記す。
治療は疎外したものを再結合すること、分裂したものに中心を与えること、神と人、人と世界、人と人自身、の分裂を克服することを意味する。
ゼードルマイヤーが中心の喪失と嘆き、ハンス・ヨナスが宇宙(世界)と主体との分裂、すなわち神なき人間の「絶対的異邦性」を唱えたように、現代の実存主義的系譜は神なき救済、神なき「治療」を求め、思索する。
我々が再びそうした救済を獲得することがあるのならば、それはきっと超越論的仮象の完成、宇宙論的統覚なるものの獲得を意味するのではなかろうか。カントは個々に分裂して現象する経験を統合する機能として自我を設置する。いわば各経験は接続されておらず、断片的であるとして、それを経験した存在たる「我」を設置することで、経験の統合を成さんとするのだ。経験以前に存在し、現象した経験を束ねるそれをカントは超越論的統覚と読んだが、同時に彼は超越論的統覚を仮象であると言っている。しかし、そのうえで人間には超越論的統覚が必要であることを唱えるのだ。神や宇宙などの概念もこうした超越論的仮象に当たる。我々には現前する世界を調和させる機能がなくては、自らの生を歩むことができない。したがって神とは超越論的仮象としての、宇宙論的統覚であった。ティリッヒは救済を宇宙的治療でなければならないとするように、「宇宙が人間の自然的故郷と見なされていたかぎり、すなわち世界が「秩序」と理解されていたかぎり、「ここ」には常に理由があった」のだ。世界に存する万物と、世界に生起するすべての出来事を結びあわせ、全体性を回復させる神とはこの意味において、人間の宇宙論的な統覚機能、すなわち「疎外したものを再結合すること、分裂したものに中心を与えること、神と人、人と世界、人と人自身、の分裂を克服する」ための治療〔救済〕であるのだった。
しかし「神は死んだ」。それは前近代的生に調和をもたらした超越論的仮象の喪失に他ならない。自然科学は真理という抗い難き信仰を組織し、神、宇宙、自我といった超越論的仮象を無化していく。そして神なき人間の悲惨を痛感し、世界と存在と現象から我々はひき裂かれる。二十世紀の実存主義的局面とはまさにこのことであろう。しかるにカントとは偉大であった。彼はプラトンの如く真理の理論的探求を志し、ニーチェの如く真理の実践的価値を疑った。すなわち、真理と救済とを調和せしめたのだ。
したがって、カントの地点において信仰と科学は共存する。信仰とは超越論的仮象としての、宇宙論的統覚を成す治療、人類の救済の技法であるのだ。
6/15 "次なる問題"
"カントとティリッヒ"は未だ救済に対する論証の完全性を欠いた試論に留まる。なぜならば真理の毒牙は我々の全身をまわる。古代より信仰とは真理を基礎づけとして成されてきた。であるならば真理でないとわかっていながら信仰するというカントやジェイムズ、ユングらのプラグマティズムは万人へ開かれているのだろうか。真理への諦念を基礎づけとする信仰は、真に完成と言えるのか。はたまた真理であり、救済である信仰は創造可能か。
わたしは一八より、医学で離人症とあだ名される病理に侵されている。それはデカルトの如く、実存の可否が問題の根幹ではない。実存していることは理解している。しかし、実存していることのリアリティが欠けているのだ(この病に関しては『ちいさな生存の美学』を参照されたい)。わたしは確かに存在している。そう理知的に合点がいく。しかし、そのリアリティがない。もしわたしが実存のリアリティを感じることができていて、それでいて実存していない地平が、現前する世界に対し天秤にかけられたとしよう。わたしは間違いなく前者を選ぶ。そこに真理と信仰を調和させる何かがあるように思えてならない。よってわたしは次の仮説を提起する。
信仰の基礎づけに必要たるは真理ではなく、リアリティである。近代以前それは感性によって成され、近代以降それは理性によって成された。ひいては真理とはリアリティなのかもしれない。よって信仰に必要なのは真理ではなく、リアリティ。そしてその技法である。それは絵画なのか、言説なのか。はたまた数式なのか、音楽なのか。この仮説においてカントは放棄される。もはや問題は宇宙論的な統覚が真実なのか、仮象なのかにはない。それすなわち、宇宙論的統覚のリアリティは如何にして可能か。
6/26 "カントとティリッヒⅡ"
被投的投企。それは時空間における人間的実存の在り方を示すハイデガーの傑作である。これは次のように言い換えることができよう。すなわち人間は受動性のうちに始まり、能動性を獲得していく、と。これはちょうどカントによる超越論的な感性=悟性の関係に対応するといえる。カント曰く
私たちが対象によって触発されるしかたをつうじて、表象を受けとる能力(受容性)を感性という。感性を介して、したがって私たちに対象が与えられて、感性だけが私たちに直感を提供する。(...)悟性によっていっぽう対象が思考され、悟性からは概念が生じるのだ。(,,,)私たちの認識はこころのふたつの根本源泉から生じる。第一のものは表象を受けとる能力(印象に対する受容性)であり、第二のものはこの表象をとおして対照を認識する能力(概念を生みだす自発性)にほかならない。前者をつうじて私たちに対象が与えられ、後者によって対象が(こころをたんに規定したにすぎない)あの表象に関係づけられ、思考される。
わたしはなにも厳密なことを論ずるつもりはない。あくまで人類はみな時空間の受容性に始まり、あたえられた所与を組み替えることで、自発性を獲得し、思考し、或いは行為していくという関係式を論じたい。なぜならばこれは世界の感受であり、存在論であり、さらにあたえられた所与を組み替えるとは当意論、すなわち世界への姿勢なのである。
したがってこれは救済にも該当する。まさにその意味で宇宙的/救済とは、被投的/投企なのであり、存在論/当為論の関係式に他ならず、そして空間論/時間論の関係式に他ならないのである。したがって、ティリッヒの宇宙的という言及は、人間が救われるには当為論=時間論だけでは不完全であり、存在論=空間論的次元の議論をせねばならないことそのものなのである。
6/27 "情報について"
理解のし難さ、完結しない情報。無際限の陶酔と驚嘆。ここにわたしは崇高と美の源泉があるように思う。有限であって汲み尽くされてしまう美は、完全性を欠いている。なぜならそれは模倣可能で、代替を構想させ、再現の対象へと至らしめる。
オリジナルにしか表現し得ない完全性。それでいて無限。ここに我々がアウラと呼ぶものが湧きいずる。
しかし、現代にメディアと呼び得るものは言葉を還元の術とし、あまねく表現を捨象する。PVという理解の魔力に囚われ、美のポピュリズムに加担するメディアは、かくして言葉のもつ美しさを幾度となく削ぎ落す。
詩的能力の失態。これこそ文化人が抗うべき現代の病である。わたしが思想を受肉し、再びメディアに帰するとき、潰えた民に美と崇高を捧げ、来たる覚醒の助産婦となるよう、学に志すことをここに記す。ソクラテス曰く「魂はある種の唱えごとによって手当てをされ、その唱えごととは美しい言葉であるという。そのような言葉から魂の内に思慮が生じるのであり、それがその内に生じそなわれば、頭にも身体の他の部分にも健康をもたらすことは、もう容易であると、彼はいった」。
それはまるでメディア〔ラジオ〕を通じ、療法を試みたフランクルが如く。
6/29 "エデンへの小道"
ポピュリズム、そして衆愚。
知に対する逆行であり、自由民主主義の病理
しかし、それは果たして悪き道といえるのか。問題はそれが悪き道へと姿を変えてしまう教理。すなわち資本主義と民主主義にあるのではないか。
知性が削がれ、無垢に還ること。情念に仕え、刹那を漂うこと。それは確かに民主主義を悪政に向かわせ、資本主義を愚の生産システムへと至らしめる。したがって自由民主主義において最も資するたるは主知主義と帰結する。しかし、エデンから示されるが如く無知は浄福である。無垢は恩寵である。そしてある側面において知は毒といえる。
我々が自由民主主義にある以上、我々は知恵の実を、禁断の果実を不断に喰らわねばならない。しかし、もし知を持たずしてそれが可能ならば、社会の安寧と秩序が保たれるのならば、ポピュリズムとは癒しと安らぎの力学と化すだろう。
7/6 "モルドバとの別れ"
世俗から隔離され、欲と毒の無縁な田園風景。
緑と黄金に染める雄大な園の海は、その地平線に時間と所与をおき去りにする。
遠いいつか。この想い出すら色褪せてなにかを、過去のノスタルジーへ求む、そんな時が来るならば、フェテアスカ・ネアグラを飲みながら、St. Mary's Church の花園で、すべてを忘れてゆっくりと聖書の陶酔に浸りたい。
あの豊かで、そして静かで、そのすべてにおいて淡く、欠落しているあの教会には、有限がみせる無限への誘いが、楽園のひとときがやさしくぼくたちを包みこんでくれるように想う。
7/7 "ブラン城と暴力"
ワラキア公国の君主ヴラド三世。
敵を拷問するなどして暴虐の限りを尽くしたことから、ルーマニア語で「ヴラド・ツェペシュ」、すなわち「串刺し公ヴラド」という呼び名で最もよく知られるようになった彼はもう一つの異名をもつ。
それこそヴラド・ドラキュラ、後のドラキュラのモデルである。そしてわたしはドラキュラ城とも呼ばれる彼の館〈ブラン城〉で耐え難き痛ましさに直面した。
暴力、それはときに連帯の礎とされる。たとえばリヴァイアサンや、その反転としてバトラーがレヴィナスから援用した可傷性。或いは腐敗した政権に対する革命等々である。われわれ人類は諸相ありつつも、こうした暴力に対する正当化言説を幾許か有する。したがって、平和に浸る現代人は理性に屈服させられし、感性に気づかない。
わたしはブラン城にて、そうして眠りについた存在を喚起された。それは暴力の耐え難き痛ましさである。ブラン城に陳列された拷問器具の数々と、それを精巧に描写した絵画の数々。首を絞められた貴婦人や、車輪に四肢を無作為に巻きつけられ、ひき裂かれる人間。熱したペンチで乳房のさきをひきちぎろうとする審問官。
ルシール・アザリロヴィックの作品。『エヴォリューション』では通奏低音のように響きわたるメランコリーと、その一部で少年の腹がメスでひらかれる悍ましさが見るに堪えない感覚を喚起させる。インタビューで彼女はこう紡ぐ。「これは「言葉」の映画ではなく、「映像」の映画だ」。
映画も然り、また絵画も然り、ビジュアルはわれわれに耐え難さを強制する。言葉と違い、それはよりダイレクトに忘れられたあの感覚を抉りだす。理性と言説に浸された暴力は、感性を屈服させ、机上で人間存在を完成させる。平穏であることの病。それは日常から暴力を遠ざけることで、身体からその耐え難さを剥奪することにある。
われわれが真に教養人たるならば、こうした耐え難さを絶えず喚起せねばならない。それは言説や理性によってはなしえない、芸術による喚起によって。
7/17 "喪失、深淵、回復"−人間の喪失について
わたしは先日、ティリッヒの著作『精神分析、実存主義、神学』を読んだ。そこには精巧に反主意主義的人間本性論と、その系譜が記されていた。
そこで云われる反主意主義とは、トマス・アクィナスに代表される主知主義との二元論的図式ではない。主知主義を含むより広範な反主意主義的系譜であるといえる。第一に、意志を重んじることは自我を重んじることに等しい。それは自覚的でなければならず、「自らの意志に基づく行動のみが価値をもつ」という言葉に換言できることだろう。であればその象徴とはデカルトであり、ルターである。内在に問い、意識へと向かうその運動こそ、近代理性主義の大いなる一助となったのだ。
時を経て、二〇世紀。ティリッヒによれば実存主義と精神分析とは反主意主義的系譜という共通の根をもつという。すなわち自覚の外側、意識の深淵なる領域、未開のフロンティアをフロイトは発見したのである。しかしそれは同時に我の喪失であったように思えてならない。
旧来、我々は統一された人間であった。どこから生まれ、何を有し、どこへ向かうのか。そのすべての説明を手にしていた。誤謬はあれど誰もが人間本性とは何かを理解し、自らを律する調和の取れた歩みを獲得していた。懐疑はあれど、それが蔓延することはなく人間学は基礎として、如何なる時代にも秩序づけられていたのだ。しかし、実存主義、そして精神分析に代表される現代の学問は人間的実存の外側、未だ不可侵で組み尽くすことのできない未開のフロンティアを目の当たりにした。それは人間学の分裂と、懐疑を蔓延させ、動乱の時代へと移行させたのである。シェーラー曰く、
人間が今日ほど自分自身に対して懐疑的になっている時代はない。人類学に科学的人類学、哲学的人類学、神学的人類学があるが、おたがいになにも知らない。したがって,われわれはもはや明快で一貫した人間観をなにひとつもっていない。人間を研究する特定の科学はますます多様化するので,われわれの人間についての概念は解明されるどころか、ますます混乱し、不明確になっている
その後、書籍のなかでティリッヒは「救い」に関して次のように云う。
救い(salvation)はギリシャ語の saluos あるいは sals から来た言葉であり、それは分裂に対する「癒された」あるいは「完全である」を意味する。人間本性に関するこれら三つの考察は、すべての真正の神学的思索の中に現れている。本質的善、実存的疎外、そして本質と実存を越えた「第三のもの」の可能性である。それを通して裂け目は克服され、癒しが起こるのである。
もしかしたら彼が『精神分析、実存主義』だけでなく、最後に神学を位置づけたのは、そうして分裂をしてしまった「本質と実存を超え」、それらを調和=統合することで、まさに「第三のもの」として、喪失してしまった我々に癒しを与えるものとしての神学という地平を謳うことにあったのかもしれない。それは精神分析、実存主義と並置されるものでなく、それらを抱擁し、完成させる「現代神学」の地平として人間を再び獲得するのである。
7/20 "ゴッホ、メーテルリンク、ショーペンハウアー"
この世に魂ほど美を渇望するものはなく、魂ほど容易に美しくなるものはない。魂ほど自然に高 みに達し、瞬く間に高費になるものはなく、これほど清らかで高い要求に忠実に応えるものもない。 また、より高次の知の力をこれほど素直に受け入れるものも他にない。だから、美に向かうこの本 来の性向に逆行するような魂など、この世には存在しないのだ。 実際、美は魂の唯一の食物にたとえられよう。魂は至る所に美を探し求める。最も乏しい生活に ても、魂が餓死するようなことはない。
「ぼくは情熱の人間だ」と弟に記したゴッホの話。
プロテスタントの家庭に生まれた彼は第一に牧師になることを試みた。そして、道半ば文学へ想いを馳せながらも、彼の終着するは絵画であった。では牧師、文学者、芸術家。それを貫く彼の「情熱」とはどこに発芽するのだろうか??
それはまさに彼の父の如く、絶望に対する救済を届けること、メランコリーに対する魂の治療を成すことにあったのだ。ゴッホ曰く「魂と呼ばれるあの何かしらは持っている。人の言うところでは、この何かしらは、けっして死ぬことはなく、つねに生き続ける。そして、つねに追い求め続ける、つねに、つねに。(...)活動力を持つ限り、絶望に陥ったりしないで、能動的なメランコリーの道を選ぶことにした。言い換えれば、活気なく、停滞し、絶望するメランコリーよりも、期待し、渇望し、追い求めるメランコリーの方を選んだということさ」。また妹には「われわれ文明人を最も苦しめている病はメランコリーとぺシミズムだ」と残し、文明人、すなわち神なきことを理する存在が、その病理に苦しんでいる、と説いた。
そして、それを治療するものとして、彼は絵画へと帰結する。ゴッホは次のように言った。「絵画のなかで、ほくは、音楽のように人を慰める何かを語りたい。男たちや女たちを、永遠なる何かとともに描きたい。かつては後光の光輪がその永遠なるものの象徴だった。ぼくらは、陽光それ自体によって、色彩の振動によって、永遠なるものを追い求めている」。「かつては後光の光輪がその永遠なるものの象徴だった」と上述されたように彼はメランコリーを癒すものとして、神学に替わる芸術という地平を打ちたてたのである。
さらに驚くことは「貧しいひとたちに平和を与え、かれらがこの世の生活を安らかに受け入れられるようにする仕事にたずさわりたいと思っている人間」と自らを評していることである。それは有限な救済ではなく、無限かつ普遍なる魂の救済、万人救済の技法を探したことに求められるだろう。そしてこれは冒頭に引用したメーテルリンク、そしてショーペンハウアーに呼応するように思えるのだ。
メーテルリンクは「美は魂の唯一の食物にたとえられよう。魂は至る所に美を探し求める。最も乏しい生活に ても、魂が餓死するようなことはない。」とし、ショーペンハウアーは「美しいものに寄せる審美的な喜悦の大部分は、(...)その瞬間にいっさいの意欲、すなわちいっさいの願望や心配を絶して、いわば自分自身から脱却し、われわれはもはやたえまない意欲のために認識する個体―個体とは個々の事物と対応するものである―ではなしに、意志を離れた永遠の認識主観―これは イデアと対応するものである―になっているということにいつにかかっているのであるわれわれは知っている。われわれが残忍な意志の衝迫から解脱して、いわば重苦しい地上の空気から抜け出して浮かび上がっているこのような瞬間こそは、まことにわれわれの知りうるもっとも祝福された瞬間であることを」としたように、三者は貧しきものにも平等に献身する〈美の普遍的救済性〉に言及しているのです。
であるからしてゴッホ、ショーペンハウアー、メーテルリンクとは、この意味で魂の治療を芸術と位置づけることになくてはならないような存在に思う。
それは芸術が資する美こそ、その治療に必要であると示した芸術家、哲学者、詩人であるから、このことに他ならない。
7/23 "アレクサンドリアのオムレツ"
生きるべきか死すべきか、それが問題だ。
『ハムレット』
いわずとしれたこの言葉。
それをわたしはふと思いだす。
しかしいつかみた田園的で悲劇的な英国映画にて援用されたその言葉は、上述されたようなロマン主義的な音色ではなく、ニュートラルで透きとおったシニフィアンであったように想起する。
そしてわたしは素敵な記事に出会うことになる。
その記事によると、どうやらわたしの記憶は間違いでなく、それは解釈のいり混じる訳出にあると知る。原文で記されるは
"To be or not to be, that is the question"
悲劇を甘んじて受けいれ、停滞と平穏のなかに身を潜めるか、それに抗い、戦い、自らの運命を獲得するか。まさにそれは誰もが直面する実存主義的分水嶺を象徴するかの如く、普遍なる生存の問題であり、近代より連綿と続く問題である。
わたしは先日おおきな決断を成した。それはまるでハムレット、ニーチェのようだった。五年の歳月を有し、苦難と格闘の日々にあったわたしには、それゆえに、その言葉がありありと写るのであった。
"To be or not to be"
それこそが問題なのだ。
7/27 "蔑みと憫み"
品格と品位、高潔さと美徳。
良家のみに与えられたプライオリティ。
誇りは時として暴力性に転移する。他者を下位へと位置付け、人民を序列化する。かくして、それらは蔑みとの烙印を押され、平等と公平を愛すこの世紀では、その倫理的問題ばかりが取り沙汰されてきた。
しかし、それは時に文化人としての矜持を養う。奉仕としてのノブレス・オブリージュ、伝統と気品を司るアイデンティティ。それは二分性の齎す恩寵である。蔑みとは確かに時代錯誤の行為であることに異論はない。されど、であるならばして、我々は如何にしてその精神を確立することができるのか。愚かさに決別を下し、自らを高きへ律する精神は如何にして可能か。ラカンの云うようにそれを自らが自らに行えと論ずるは愚行であろう。我々人類は自らを、他を通じてのみ確立できる。差異と相対化の機能があってのみ、刹那ではなく、自らの意志を有す我と呼ぶものに出会うことができる。では、蔑みのさきにそれを齎す態度とはなんたるか。
もしかすると、それは憫みではないだろうか。四星と呼ばれる釈迦もイエスも、孔子もソクラテスも、他を廃絶することは決してなかった。彼らは他者に対し蔑むどころか、憐みを抱いて接した。断罪に値する他者に対しても、手ほどきを行い、その無類の優しさと慈しみを他なる者へと向けたのである。それは二分性のもと、愚かさに決別を下し、矜持を養い、自らを高きに律すると同時に、暴力性に転化することなく他者へ慈悲をかけ、無限の愛を贈り、文字通りその境涯を憫むのだ。
そして、憫みは赦しの問題へと至る。なぜならば蔑みと憫みが齎す二分性とは、人間の本来的な自他の図式だからである。そしてそれは同時に蔑みの潜在的な生存を意味する。現代社会において大っぴらに蔑みを肯定する者はそう多くないだろう。しかし、人に対して怒りをぶつける者は、多く、この蔑みを抱く。なぜならばそれは自らの行為を善と置き、悪を対置することで、他者を断罪する在り方に他ならず、それは根源的に蔑みに該当するといえるのだ。また何があろうとも特定の他者に対し、絶えず鬱憤を抱き、怒りを向けることは、特定の基準において、他者を存在としての下位へと位置付ける負の遺産の再現である。勿論それには相応の理由があるのだろう。また、そのカタルシスとしていつの時代にも罰がある。しかし罪とは、蔑みそのものであるのではなかろうか。わたしが論ずるのは蔑みが善であるとか、悪であるとか、或いはその象徴としての罪と罰を廃止すべきとかそういった類いの話ではない。わたしの主張とは、蔑みは過去の産物として消滅したのではなく、潜在化しただけであって、この世の至るところに未だ蔓延る原理なのである、ということに帰結されるのだ。
そうした場合においても憫みは蔑みの、ひとつのオルタナティヴになるように思える。罪と罰に対する憫みとはまさに赦しであり、自らの怒りを調停する憫みとはこれもまた赦しなのである。蔑みは二分性を暴力性へと転化させるのに対し、憫みは二分性を赦しへと転化させる。暴力性とその表現としての罪と罰はフロイトが云うように、人間の逃れられないさがなのかもしれない。しかし、つねにそのオルタナティヴとしてわたしは憫みを志向したい。第一に、それは二分性を示し、品格と品位、高潔さと美徳へと自らを導く礎として。第二に、二分性を調停し、赦しを育む愛と慈悲の礎として。
7/28 "堕罪"
権威は絶えず人間をある圏域に押しこもうとし、際限なきリビドーは絶えずそれを破壊する。宗教は善悪をもって、君主は暴力をもって、科学は真理をもって、正統と異端あるいは正常と異常をよりわけ、人類の支配を試みる。しかし、絶えず人類は、真理と自由と倫理でもってそれらの解放を渇望した。それは現代においても変わらない。宗教、君主、科学に続き、人間は技術(technology)によってそれを試みる。したがってドゥルーズは来たる近未来へ向けて「闘争のための新しい武器を探しもとめなければならないのである」と予言した。かくして次なる支配は準備され、同時に次なる武器は人類の手中へと下る。秩序と混沌、支配のネゲントロピーと解放のエントロピー。この衝突こそが社会と人間を結びあわせ、基礎づける弁証法的力学、歴史の惨状である。
万人の万人に対する戦争、エントロピーを掌握せんとする支配。ある圏域におしこめることで秩序を創りだし、混沌を斥けんとする統治への志向性。上述したように人類は善、力、知をもってそれを試みた。しかし、それはなにも悪行と断行することはできず、なぜならば正しき者が扱う限りにおいて、支配とは秩序を組織し、平穏を齎らすからであった。その意味ではむしろ解放こそが秩序を嫌う。秩序とは再生産によって織りなされ、呪縛によって保存される。解放のヒロイズムが秘匿した支配の力学は、-いき過ぎた暴力性へと転化されない限り-混沌に満ちたこの世界に、制約をもって平静を創造し、秩序へと向かう志向性に他ならない。
しかし、荒ぶるリビドーは、時代を超えて解放がための武器を精製し、人類は再び混沌へと向かう。真理を捨て、自由を諦めたならば、遥か昔に我々は楽園を手にしたのかもしれない。されど、我々はまたもや禁忌を犯す。これこそが人間本性に植えつけられた普遍的堕罪、失楽園の絶えまなき再現なのである。自らを律し、静性を愛し、圏域に留まることができるならば、仮初の秩序を獲得でき、その浄福を享受できる可能性は如何なる時代にも開かれていた。しかし、安らいだ精神は飢餓へと転化する。退屈は自らのうちに眠るイカロスをよび醒ますのだ。どの世界にも、禁断の果実は思わぬ場所にころがっている。秩序とはこのようにして不断に失敗として幕を下ろすのであった。
したがって、真なるユートピアを構想するとき、我々はユートピアからの堕罪を考慮しなければならない。なぜならば人間本性は無きものを欲し、さらなるなにかを求め、人知れず混沌へ向かう。与えられた楽園を拒み、未だ見ぬ楽園を夢想する僕達は、いつまでもアダムであり、イヴなのだ。
リビドーとは堕罪への泉にあり、解放とは混沌への汽笛である。メタ・ユートピア、それは道徳と、支配と、秩序のユートピアに次ぐオルタナティヴ。それすなわち堕罪と、解放と、混沌のユートピアなのである。ネゲントロピーへの執念を捨て、エントロピーと手を結ぶ。ここに現代思想の宿命があるように憶うのだ。
8/2 "資本家はアトラスか、それともマモンか"
現代思想の分水嶺、それは決まって資本家に求められる。二十世紀、その問題は共同体の統治へと向かい、新たな国の創造へと人類を動員させ、世紀を象徴する争いまでへと激化する。人が血を流し、競い、願ったその在処はなにか。それこそがアトラスとマモンを巡る物語。現代の神話である。
『マタイによる福音書』第六章二四節「あなたがたは、神にも仕え、マモンにも仕えることはできない」。神、そしてその権威を受け継ぐ地上の君主。神が死に、王からの解放を願う人民はマモンへと仕えた。革命による君主制の崩壊と、資本主義の前傾化の同時多発とはこのように予言される。かくして、王は神からその権威を継承したように、資本家はマモンよりその権威を継承する。神−王−民の図式は、マモン−資本家−労働者へと置き換わり、我々人類の多くは、王に替わる主人として資本家へと仕える。これこそがマルクスの記した神話であり、解放を求め、新たなる奴隷へと陥った人類への悲哀、封建的搾取の資本主義的搾取への転化であった。
他方で、ギリシャ神話に登場する神アトラスとは、孤高の存在として天の蒼穹を支え、この世界の秩序が為に耐え忍ぶ。まさに資本家とはアトラスが如く、無能な支配者と愚かで依存的な群衆に替わって、この不条理なる世界を支え、苦しみを一挙に背負い、資本主義の礎として世界を成立させる。そして、彼らが支えるのをやめるとあらば、社会はみるも無惨に崩壊し、国家と民衆は絶望と苦難の道へ駆け降りることとなる。これこそがアイン・ランドの記した神話であり、資本主義の格律、起業家のヒロイズムである。
資本家は新たなる時代の英雄か、それとも暴君か。これこそが世界を二分した神話に他ならない。しかし、表象に留まる人間はその本質を忘れてしまう。だからこそ我々は今一度この問題を吟味しなければならない。
資本家はアトラスか、それともマモンか。
8/6 "挫折"
わたしは一五の頃からつい先日まで教育というものに関心を示し、事業を起こしていた。それはプラトンが如く、困窮者に道を示し、正しきへと導く。それが教育の可能性であったからに他ならない。しかし、学を志すようになってから人間の深淵さと、その行先の見えぬ多様性に戸惑う日々であった。
たとえば先日、わたしはアトラスかマモンか、などと現代神話の二分性を論じた-現代思想に通ずるわたしがどちらの系譜を継ぐかは言うまでもない。しかし、マモン神話に組みするものが直面する問題こそ自発的隷従である。ラ・ボエシが王への民主的な隷属とそのおかしさを示し、ニーチェが神への民主的な隷属とそのおかしさを示したが、それは資本主義、そして労働者にもにも通ずる。確かにそれはボエシが如く習慣に求められるかもしれないし、ニーチェが如く未熟さに求められるかもしれない。ひいてはフロイトはそれを神経症と規定した。しかし、こうした光が差しこんでも尚、特定の人々はそっと目を伏せる—檻にゆらめく偽りに、平穏と安堵を見出すために。
このような者に禁断の果実を喰わせ、荒野へとひき摺りこむはまるでサタンの所業ではないか。しかるに、教育者であることとは、絶えず自らがイヴであることの可能性にひき裂かれながらも、他者へむきあうことである。わたしはその苦しみに向きあうことができなかった。それは人間の深淵さと無限なる多様性の片鱗を触知してしまったからなのである。
8/10 "覚醒したプルートス"
豊穣の女神デメテルの子、ギリシャ神話の富神プルートス。
最高神ゼウスは富が中立で透明であるよう、プルートスを盲目にした。
しかし、それは悪人へも公平性を期すことを意味する。なぜ、最高神はそれを望むのか。なぜ、不条理を築いてまで公平を望むのか。アリストファネスの戯曲『プルートス』にて、クレミュロスはこうしたさだめに抗い、闇に沈む瞳に光をよびもどし、采配の権能は、かつての主プルートスのもとへ。本来の座に復したのだった。しかしその果て、到来するは一神教的局面、ゼウスの恐れた偏在性の暴力である。
覚醒したプルートスは采配の権能を有した。それは偶然性から善悪へと傾く天秤を意味し、均衡の破れをもたらす。富の偶然性があまねく多様性を開花させたように、富の偏在性は人間を一元化した。よって多くの神々は窮乏する。人々の心は多なる神々から離れ、祈りは絶え、供物は祭壇より消え失せた。神の多様性は、富の偶然性によって──すなわちプルートスの盲目によって──支えられ、多神教としてあり続けたのだ。そして、それはその果て、かの最高神ゼウスまでをも屈服させる。物語の終幕、かつての最高神をも自らの配下に秩序づけたプルートスは、最高神の名を我がものとした。しかし、それはかつてのゼウスの意味ではない。なぜならば確かにそこに位階はあったものの、ゼウスの治めるは全き多神教であった。しかし、プルートスは富を偏在化することで自らの力を蓄え、多くの神を困窮させ、ゼウスまでをも己が下に秩序づける。それはギリシャ世界の一神教的局面であり、まさにマルクスの嘆く資本の自己増殖を想起させる。
その意味で、もしかしたら資本主義リアリズムとは、覚醒したプルートスなのかもしれない。資本主義以前、貨幣とはいまよりも偶然的で、その意味で社会は多様に開かれていた。しかし、目覚めてしまったプルートスは自らを肥大化させ、商品の助産婦として恩恵を采配する。ジンメルは貨幣は透明であるとしたが、それはプルートスが盲人であった近代以前に他ならない。ゆえにジェームズ・ワットこそがクレミュロスであり、ワットは盲き神の瞳に、再び世界を映した。よって貨幣はいま、その身を染め、局所に偏在し、一つの神に献身する。
したがって、我々人類はオリュンポスの名のもとに、最高神プルートスの邪眼を封じなければならない。そして、一神教的現代に終止符を打ち、資本主義の多神教化へと導くのだ。そしていつの日か、我々がゼウスの代行者を冠すならば、資本主義は暴力性を払いのけ、人類からその毒針を、貨幣からその瘴気を抜きとり、再び大地は多くの花を咲かせるだろう。その時、プルートスは盲目となり、貨幣は透明へと溶けゆく──凍てつく雪がいずれ大地へと染みいるように。
堕罪 Ⅱ
わたしはいつもフェルマーのように呟く。この世紀に関して、人類は真に驚くべき多様性を見つけたが、民主主義は、資本主義は、国民国家は、そしてこの地球はそれを押しこむには狭すぎる、と。