ニーチェ
和辻哲郎『ニーチェ研究』序論
生の歓喜や力や充実や肯定などを理想とするギリシャ主義と、存在の痛苦を語るショーペンハウアーの哲学と芸術による人生の救済を実現しようとするワーグナーの暗示とが融け合っている。ニーチェはここで厭世主義でありながらなお生を肯定する悲劇的気分を説き、ギリシアの古代においては悲劇、近代においてはワーグナーの音楽に体現せられた悲劇的芸術をもって、その焦点とした。
1872『悲劇の誕生』
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リヒャルト・ワーグナーに捧げる序文
私自身は、この道における私の崇高な先駆的闘士、私がすでにこの書を捧げておりますかたの言う意味において、芸術がこの人生の最高の課題であり、この人生の本来の形而上的な活動であることを確信している者であります。
芸術における二項
芸術は、アポロ的なものとディオニュソス的なものとの二重性によって進展して行く。ちょうど生殖が、たえず争いつづけ、わずかに周期的に仲直りする男女両性の対立によって子どもをふやして行くのと、様子がよく似ている。(...)ギリシア人の二柱の芸術神、アポロとディオニュソスとを手がかりにして、われわれは次のようなことを認識する。ギリシア世界には、造形家の芸術であるアポロ的芸術と、音楽という非造形的芸術であるディオニュソス的芸術との間に、発生から見ても、目的から見ても、巨大な対立がみとめられるということである。二つの衝動はまことに性格が異なっておりながら、たがいに並行して進み、たいていは相互に公然と反目しながら、相互に刺激しあって、つねに新たな、力強い作品の出産にはげむ。産み落としてきた作品の中に、両者は、対立抗争の姿を永久にのこし、わずかに「芸術」という共通語が橋渡しをしているが、それも見かけだけのことでしかない。しかし、この二つの衝動は、あげくの果てには、ギリシア的「意志」という形而上的な奇跡のたすけで、いつしかたがいに夫婦になって出現するようになり、そしてこの晴れの婚姻において、最終的に、ディオニュソス的でもありアポロ的でもある芸術作品、アッチカ悲劇を産み落とすことになるのである。
こうしたアポロ的なものとディオニュソス的なものの重要な点は、弁証法的に対立しつつも共存し、時に調和し、並列で歩みを進める夫婦のような存在であることであり、その果てアポロ的なものとディオニュソス的なものの総合としての「アッチカ悲劇」を産みだすことにある。ニーチェはこれをさらに解剖するべく、アポロ的なものに「夢」、ディオニュソス的なものに「陶酔」という語を用いて更なる理解を図ることにこの書の第一節を用いる。「夢と陶酔──この生理的現象のあいだには、アポロ的なものとディオニュソス的なものとのあいだにあるのと似たような対立がみとめられる」。
〈アポロン=夢〉と〈ディオニュソス=陶酔〉
ルクレティウスの考えによれば、壮麗な神々の姿がはじめて人間の魂の前にあらわれたのは、夢のなかであるという。偉大な造形芸術家が、それら超人間的な存在のうっとりするような肢体に見いったのも、夢のなかであったという。そしてまた、ギリシアの詩人は、詩的創造の秘術について尋ねられれば、やはり夢のことを思い出したであろうし、『職匠詩人』のなかでハンス・ザックスがさとしているのと似たような教訓を与えたことだろう。「友よ、詩人のつとめは、/ 夢を解き明かし、書きしるすこと。/ 人間のまことの思いは、/夢の中でこそあらわに姿をみせる。/ すべての文芸と詩歌とは、/ まことの夢を解き明かすことにほかならぬ」。人間は、夢の世界を創り出すことにかけては誰でも完全な芸術家である。この夢の世界の美しい仮象は、あらゆる造形芸術の前提である。いや、そればかりか、後に述べることになるが、詩文芸の重要な一半の前提をもなすものである。
こうした夢と陶酔の大きな違いは自我の有無である。夢は仮象として、その自覚と並列で共存し得る存在である。しかし自我の残る陶酔は、道半ばであることを呑んだくれなら理解できることだろう。
夢の世界において、われわれは物の形の直接的な理解をたのしむ。あらゆる形相がわれわれに語りかけてくる。どうでもよいもの、不必要なものなど何ひとつない。しかし、この夢がどんなに生き生きとした現実性をそなえていても、われわれは、やはりこれも仮象であるという感じをほのかながらいだくのである。(...)哲学的な人間は、こんな予感をいだくことすらある。すなわち、われわれが生きかつ存在している日常の現実の下にも、第二のまったく異なった現実がかくされており、したがってこの日常の現実も、やはり仮象である、と。ショーペンハウアーは、人間や万物をときどきたんなる幻影あるいは夢像のように考える天分を、哲学的能力の目じるしであると言っている。実生活という現実に哲学者が対するときのこの態度は、芸術的感受性ゆたかな人間が夢の現実に対するときの態度と同じなのである。芸術的な人間は、精緻に、また進んで、夢の現実に目を注ぐ。彼は夢にみた影像から人生の意味を読みとり、その移ろいの中で人生の習練をつむからである。
よって、外側への引力が働くような、超越的で超自然的な体験を可能とする陶酔とは異なり、自我の残る夢とはなによりも内側へ向かう内省の手段となる。それをニーチェはショーペンハウアーの言葉を借りうけ「個体化の原理」と呼ぶ。
夢の中で、彼があのようにありありとわが身に経験しているものは、およそこころよい、親しみやすい影像ばかりではない。厳粛なもの、濁ったもの、悲しいもの、暗いもの、思わぬ障害、偶然のからかい、不安な期待、要するに人生の『神曲』全編が、地獄とともに彼のそばを通りすぎるのである。しかも、それは、たんに影絵芝居のように通っていくのではない。──なぜなら彼は場面場面で、ともに生き、ともに悩んでいるからである。──しかし、これもまた仮象、という感じがちらっとよぎらぬでもない。そしておそらく、幾多の人々は、私同様に、夢のなかで危難と恐怖に出会ったとき、ときどき励ますように、「夢なのだ。この夢をどこまでも見とどけよう!」と自分自身によびかけては、その甲斐あったことを思い起こすであろう。私はまた、おなじ夢の続きを三晩、あるいはそれ以上にもわたって見つづけることのできた人たちの話も聞いたことがある。以上私が述べてきた事実は、深い快感とよろこびに満ちた欲求とをもって夢そのものを経験することが、われわれのもっとも内なる本質、われわれすべての共通の地盤であることを、はっきりと証明するものである。(...)こうした状態は、不完全にしか理解されない白昼の現実とくらべてみて、はるかに高い真実性、完全性を示すものである。この真実性、完全性は、眠りと夢とにふくまれている自然の治癒力、救いの力についての深い意識とともに、予言の能力の象徴的な一面である。(...)「四方はてしなく、山なす波が、猛りつつ起伏している荒れ狂った海上で、一艘の小舟にひとりの舟人がすわり、そのたよりない小舟に命を託している。それと同じように、苦悩の世界のまっただ中で、個体としての人間が安らかにすわっているのは、「個体化の原理」にささえられ、それに命を託しているからである」。 アポロについて言えば、事実、右の「原理」への不動の信頼、そして原理のなかに制約された者の安らかな静座は、この神の姿においてもっとも崇高な表現を得ているといえるだろう。そしてアポロそのものを「個体化の原理」の壮麗な神像とよぶこともできよう。
次に説明されるは陶酔のメカニズムである。ここで重要なのは「自己忘却」、すなわちプラトン=デカルトなものからの解脱し、肉体の輪郭を歪め、他者ひいては世界と合一することにある。
あらゆる原始人や原始民族が讃歌の中でたたえている麻酔の飲み物の作用によってか、あるいはまた、全自然を歓喜をもってみたす春の力強い訪れに際してか、あのディオニュソス的な興奮が目ざめ、興奮が高まるにつれて、主観的なものは完全な自己忘却へと消え去っていく。たとえば、ドイツ中世において、やはり同じようなディオニュソス的な強烈な力にとらえられた群衆が、しだいにその数を増しつつ、歌いながら、踊りながら、村から村へと波うっていった。聖ヨハネ祭や聖ファイト祭のたびに乱舞するこの群衆に、われわれはギリシア人のバッカス祭合唱隊の面影を見る。このコーラスはすでに小アジアにその前史をもち、バビロンにさかのぼり、さらに狂躁乱舞するサカイエン族にまでさかのぼることができる。(...)ディオニュソス的なものの魔力のもとでは、人間と人間とのあいだの結びつきがふたたび回復されるばかりではない。人間からへだてられてきた自然も、敵視され、あるいは押さえつけられてきた自然も、あらためて、その家出息子である人間と和解の祭典を祝うことになる。大地はみずからすすんでその贈り物をささげ、岩山や荒野の猛獣はこころなごやかに近寄ってくる。ディオニュソスの車は草花や花輪で埋められ、その軛をひいてや虎が歩む。べートーヴェンの《歓喜》の頌歌を一幅の画に変えてみるがよい。幾百万のひとびとがわななきにみちて塵にひれ伏すとき、ひるむことなくおのれの想像力を翔けさせてみよ。そうすれば、ディオニュソス的なものの正体に接近することができるだろう。
この理解にはデュルケームの集合的沸騰が適任だろう。宗教が齎す集合的沸騰は人間を恍惚にまで高め、肉体の感覚をぼかす。同空間にいる人間は個から解脱し、全体主義が如くの単一生物と化す。仮象であることの自我を保つ夢とは異なり、陶酔とは忘却を前提とした没入であるのだ。それは以下のように記される。
いまや、宇宙調和の福音に接し、ひとりびとりがその隣人と結合し、和解し、融合しているのを感ずるばかりではない。ちょうどマーヤのヴェールがひき裂かれて、きれぎれになったまま、神秘にみちた根源的一者の前にひるがえっているかのように、ひとえに隣人との一体感を感ずるのだ。歌をうたいつつ、踊りをおどりつつ、人間はおのれがより高次の共同体の一員であることを表明する。人間は歩くことも、話すことも忘れ果てる。まさしく、踊りながら虚空に舞い上がろうとする。
ゆえにディオニュソス的なものをニーチェは次のように云う。「「個体化の原理」が打ちこわされてしまうと、人間の、いや、自然のもっとも奥ぶかい根底から歓喜あふれる恍惚感が湧き上がってくる」。
1873『道徳外の意味における真理と虚偽について』
1876 『反時代的考察』(フーコーも愛した)
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第二論文 生に対する歴史の利害
たとえ夢のなかでさえも、歴史的想像力がこれまではばたいたことはなかった。なぜなら、いまや人類の歴史は、動物や植物の歴史のたんなる延長線にすぎないからである。普遍的な歴史を書こうとする者は、深い海底にさえ、生きた泥土という形で人類の進化の足跡を発見する。人類が駆けぬけてきた巨大な道のりに直面して、歴史家は立ちすくむ。そしてこの道のりをすべて見通すことのできる現代人の登場という、いっそう巨大な奇跡を目のあたりにして、歴史家は震えおののく。現代人は、世界進歩のピラミッドの上に誇らしげに立っている。彼はみずからの知識の最後の石をそこに積み終えながら、耳を澄ませる自然に向かってこう叫んでいるかのようだ。「われわれは頂点にいる、われわれは頂点にいるのだ。われわれこそが自然のもっとも完成された姿なのだ」と。
1882『悦ばしき知識』
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狂気の人間。 諸君はあの狂気の人間のことを耳にしなかったか、白昼に堤燈をつけながら、市場へ駆けてきて、ひっきりなしに 「おれは神を探している!おれは神を探している!」 と叫んだ人間のことを。市場には折りしも、神を信じないひとびとが大勢群がっていたので、たちまち彼はひどい物笑いの種となった。 「神さまが行方知れずになったというのか?」 とあるものは言った。「神さまが子供のように迷子になったのか?」と他の者は言った。〜彼らはがやがやわめき立て嘲笑した。狂気の人間は彼らの中にとびこみ、孔のあくほどひとりびとりを睨みつけた。「神がどこへ行ったかって?」、と彼は叫んだ、「おれがお前たちに言ってやる!おれたちが神を殺したのだ〜お前たちとおれがだ!おれたちはみな神の殺害者なのだ!だが、どうしてそんなことをやったのか?〜こ の地球を太陽から切り離すようなことを何かおれたちはやったのか?地球は今どっちへ動いているのだ?おれたちはどっちへ動いているのだ?あらゆる太陽から離れ去ってゆくのか?おれたちは絶えず突き進んでいるのではないか?それも後方へなのか、側方へなのか、前方へなのか、四方八方へなのか?上方と下方がまだあるのか?おれたちは無限の虚無の中を彷徨するように、さ迷ってゆくのではないか?〜神は死んだ!神は死んだままだ!それも、おれたちが神を殺したのだ!
第四書
ソクラテスのペシミズム-病める魂と治療
ソクラテスが行い、語ったすべて、──また黙して語らなかったすべてに現れるその勇気と知恵に、私は感嘆している。思い上がった若者たちをすら震え上がらせ嗚咽させたソクラテス、皮肉でありながら敬慕されたアテナイの怪物にして誘惑者は、かつて世にあった最も賢明な雄弁家であっただけではない。彼は沈黙においても同様に偉大であった。私は彼が、その生の最後の瞬間にも沈黙を貫いてくれていたらと思う。──そうすればおそらく、彼はひときわ高い精神の位階に置かれたことだろう。死のせいか、毒薬のせいか、敬虔さゆえか、悪意ゆえかは知らず、何ものかがその瞬間に彼の舌を緩ませ、彼はこう洩らした──「クリトンよ、医神アスクレピオスに鶏を一羽捧げなければいけなかった」と。この滑稽でかつ恐るべき「臨終の言葉」は、聞く耳のある者にはこう響く。──「クリトンよ、生とは一個の病気なのだ!」と。こんなことがあるだろうか。あれほど快活で、誰の目にも兵士のように生きたあの人物が──ペシミストであったとは! 要するに彼は、人生に対して上辺を装って、一生のあいだ自分の究極の見解、最も内奥の感情を隠し通したのだ。ソクラテスが──あのソクラテスが、人生に苦悩していたのだ! しかも彼はその復讐をやってのけた。──謎めいておぞましい、信心めかした、しかし冒瀆的なあの言葉によって!ソクラテスのような人物でさえ、やはり復讐をせずにはいられなかったのか? 有り余るほどの徳に、一滴の寛大さが足りなかったのか?──友よ、われわれはギリシア人をも乗り越えなければならないのだ!
ソクラテスは病気を患っていたわけではない。彼の最後の言葉から、むしろ人生そのものが病であって、ソクラテスは病としての人生に悩んでいたのだ、という意味をニーチェは読みとっている。死は人生という病からの回復であって、それをもたらすアスクレピオスにソクラテスは感謝しなくてはならない。これがニーチェの解釈である。しかしこれは何も新しいものでなく、たとえば新プラトン派の哲学者ダマスキオスの『パイドン注解』からもみてとれる。
第五書
ディオニュソス的ペシミズム対ロマン主義的ペシミズム
少なくとも私の友人のなかには、覚えているひともいるかもしれない―私が当初、いくらかの酷い思い違いと過大評価を抱き、とにもかくにも希望に溢れた者として、現代世界に乗り出していったことを。私は―いかなる個人的盤によるものか誰も知るよしもないが―十九世紀の哲学的ペシミズムを、あたかもそれが、十八世紀の、ヒュームやカントやコンディヤック、そして感覚主義者の時代に特有のものよりも、より高次の思考力、より剛毅な大胆き、より勝ち誇った生の充実の微候であるかのように解釈したものだ。そのため、悲劇的認識こそ、われわれの文化の真の贅沢であるように、私には思われた。(...)お察しの通り、当時、私は、哲学的ペシミズムに関しても、ドイツ音楽に関しても、その本来の性格をなすもの――そのロマン主義を見損なっていたのである。
本章は前期ニーチェへの決別を示すエクリチュールである。したがって前述されるは前期ニーチェが陶酔した哲学的ペシミズム、すなわちロマン主義的ペシミズムへの過去の「過大評価」を嘆くものである。ニーチェは過去、ロマン主義を「過大評価」し、「酷い思い違い」をよせ、一八世紀のあまねく思想に対し「勝ち誇った」存在とした。ゆえに彼は『悲劇の誕生』を第一の者としたのであり、それを暗に示すが如く「悲劇的認識こそ、われわれの文化の真の贅沢であるように、私には思われた」とするのであった。ではそのように糾弾するロマン主義を彼はなんと心得るか。次のように語る。
ロマン主義とはなにか?およそいかなる芸術、いかなる哲学も、成長し闘争している生に奉仕する救済手段、補助手段とみなされてしかるべきものだ。それらはつねに苦悩と苦悩する者とを前提にしている。だが苦悩する者にも二種がある。ひとつは生の過剰のゆえに苦悩する者であって、ディオニュソス的芸術をもとめ、同様に生にたいする悲劇的な見方と洞察をもとめる。─もうひとつは生の貧化のゆえに苦悩する者であって、休息、静寂、穏やかな海、芸術と認識とによる自己からの救済をもとめるか、それとも陶酔、痙攣、忘我、狂躁をもとめるかする。後者のこの二重の要求に応じるのが、芸術と認識とにおけるロマン主義のいっさいである。同様に、最も著名で極め付けのロマン主義者を―当時の私の誤解(とはいえ、それが彼らの足を引つ張りはしなかったのは容易に分かることだが)にならって―挙げるなら、ショーペンハウアーもワーグナーもこれらの要求に応えてきた(そしていまもなお応えている)。
ここで重要なのは二様のペシミズムであり、―後述されるが―それこそがディオニュソス的ペシミズムとロマン主義的ペシミズムである。世紀病患者ニーチェは前期、後者の苦悩をもつ存在として、ショーペンハウアーとワーグナーを「休息、静寂、穏やかな海」、「陶酔、痙攣、忘我、狂躁」を届ける存在と、崇拝し、惚れこむ。後期は前者へと転向するのであり、その地点にて以下に記載されるように「悪や無意味」を永劫回帰などでもって肯定するのであった。
生の豊饒の最も豊かな者、ディオニュソス的な神と人間は、恐るべき人間、怪しげな人間の相貌のみならず、恐るべき行いや、破壊・解体・否定といった贅沢さえも自らに許す。こうした者にあっては、いかなる砂漠をも肥沃な天野に変えることのできる。豊饒な産出力の過剰ゆえに、悪や無意味や醜悪が、いわば容認されるように見える。これとは反対に、極度の苦悩を抱く者、生の最も貧しい者は、思考と行動において、柔和さや平安や善意を、そしてできるなら神を、しかも病んだ者にふさわしい神、「救済者」である神を必要とするだろう。
上記にはそれぞれディオニュソス的ペシミズムとロマン主義的ペシミズムへの論理的展開が記される。すなわち、「生の過剰のゆえに苦悩する」ディオニュソス的ペシミストにおいては「悪や無意味や醜悪が、いわば容認され」、「生の貧化のゆえに苦悩する」ロマン主義的ペシミストにおいては「柔和さや平安や善意を、そしてできるなら神を、しかも病んだ者にふさわしい神、「救済者」である神を必要とする」のだ。そしてこの後者の地点においてロマン主義、エピキュリズム、キリスト教が合流するとニーチェは訴える。
同様に論理学を、すなわち生存の概念的理解を求めるのであり―なぜなら論理学は安心をもたらし、信頼を与えるから―、要するに、恐怖から身を護る暖かな狭小空間を、楽天的な地平の内への隔離を必要とするのだ。こうして私は少しずつ、ディオニュソス的ペシミストの対極であるエピクロスのことが分かるようになってきた。同様に「キリスト教徒」のことも。キリスト教徒なるものは一種のエピクロス主義者にすぎず、エピクロスと同じく本質的にロマン主義者なのである。
ニーチェにしてみれば、エピキュアン=キリスト教徒=ロマン主義者は三位一体である。それはエピキュリズムをリベルティナージュと換言するならば理解が片づく。十七世紀フランス。キリスト教が不能になったものたちが抱く新たな教義はエピキュリズムであった。そして新たに求められる道徳律はガッサンディの復興したエピクロスの洗礼に基づく、デズリエール夫人の無垢、サン=テヴルモンの逃避、ショーリューの自己欺瞞、ラ・ファールの怠惰に象徴的である。なぜならばデズリエールのそれは罪以前のエデンの園へのノスタルジーと言い換えることができ、サン=テヴルモンとショーリューのそれは現世の苦しみから、来世という幻想へ目を背けるキリスト教的当為の世俗化と整理でき、さらにラ・ファールが冀求するアタラクシアは内在化された楽園とできることだろう。こうしてエピキュリズムとキリスト教は接続された。ではつぎにロマン主義とエピキュリズムは如何にして接合されうるのか。これもまたリベルティナージュによって整理可能である。リベルティナージュにおいてその批判者として輝くはかの有名なパスカルであり、神なき人間の悲惨とはまさにリベルタンたちをさす言葉である。これは二重でロマン主義への系譜を指摘できる。それは第一にルソーであり、第二に―ルソーにも通ずるが―シャトーブリアンである。なぜならルソーはパスカルの後継者として、そのペシミズムを批判的に継承し、神なき人間の悲惨を社会の改良によって打開することを謳う。これは啓蒙の翼を授かったリベルタン的な対置関係と言えるだろう。そして彼は以後前ロマン主義の代表的人物、すなわちロマン主義の創始者とされるのだ。そして来るロマン主義第一世代。こうきたメランコリー、ペシミズムには病名がつけられる。十九世紀の文人はそれを世紀病と呼ぶ。あるシャトーブリアン研究者は云う。「彼はパスカルのうちに世紀病を見出したのである」。シャトーブリアンは神へと回帰し、ロマン主義的キリスト教徒として名を馳せるが、彼は生涯全てをキリスト教に捧げたわけでないことを理解しなければならない。そしてシャトーブリアンと同じく世紀病を患うロマン主義者の多くが、キリスト教徒でなかったことを理解しなければならない。したがってキリスト教徒、エピキュリアン、ロマン主義者は皆共通したペシミズム、神なき人間の悲惨、世紀病を共有するのであり、キリスト教が不能になったペシミストたちこそ、現代のエピキュリアンであり、ロマン主義者なのだ。
永遠化への意志についても、同様に二種類の解釈が必要である。ひとつには、それは感謝と愛から生じうる。こうした起源をもつ芸術は、いつでも神化の芸術であろう。おそらくルーベンスのように酒宴歌的な、ハーフィスのように至福にして嘲笑的な、ゲーテのように明期かつ善良な、そしてホメロス的な光輝と栄光で万象を蔽うものであろう。永遠化への意志はまた、懊悩する者、苦闘する者、虐げられている者の暴君的な意志でもありうる。このような意志は、個人的なもの、個別的なもの、限定的なもの、その苦悩に固有の特異性を必然的な法則や強制へと転じようとして、一切の事物に自らの像を、自らの責苦の像を押しつけ、強要し、焼きつけることによって、いわばそれらに対して復讐を果たす。この後者こそ、ショーペンハウアーの意志哲学としてであれワーグナーの音楽としてであれ、最も明瞭なかたちをとったロマン主義的ペシミズムであり、すなわちわれわれの文化の運命のなかでの最新の大事件である。
ここでようやく、ルーベンス的で、ハーフィス的で、ゲーテ的で、ホメロス的なペシミズムとして「ディオニュソス的ペシミズム」が対置されるのだ。
ひとつのまったく別のペシミズム、すなわち古典的ペシミズムというものが可能であること―こうした予感と幻影が、私から拭い去れないもの、私固有のもの、私の自己そのものとして、私に取り憑いている。ただし、「古典的」という語は私には耳障りだ。それはあまりに使い回されて角が取れ、目を惹かなくなっている。ディオニュンス的ペシミズム―私はかの未来のペシミズムをこう呼ぼう。いまやそれが到来する。私にはそれがやってくるのが見える
これこそ前期ニーチェへの決別であり、後期で謳われる超人思想への第一マニフェストである。ディオニュソス的ペシミズムとはその萌芽であり、ヴァリエーションに他ならないのだ!
無意味性の革命的性質
存在が解釈も「理由〔raison〕」も欠いているならば、それは「不条理〔déraison〕」なものとなってしまうのではないか、一方、全ての存在は本質的に解釈的ではないか(...)むしろ世界は我々にとってもう一度「無限」となった。世界が無限の解釈を含んでいるという可能性を否定できない限りにおいて
1878『人間的、あまりにも人間的な』
序言:ロマン主義に対する絶望と「告別」−1886/9
『反時代的考察』第三篇において、わが最初にして唯一の師、偉大なアルトゥール・ショーペンハウアーに対する畏敬の念を表明したとき(...)これまでの一切の悲観論の深化にほかならない批判を抱いていたのだ−、そしてもはや、世の言葉にあるように「まるでもう何も」信じず、ショーペンハウアーも信じてはいなかった。まさにその時期に成立したのが、秘密にしておかれた一論文『道徳以外の意味における真理と虚為について』であった。一八七六年のバイロイトの勝利の祝典を機会に−バイロイトは一芸術家がこれまでにかち得た最大の勝利を意味する−リヒャルト・ヴァーグナーに敬意を表した私の戦勝祝賀の辞、「車性」の外見をきわめて強く帯びているその作品ですら、その背景においては、私の過去の一片に対する、わが航海のもっとも美わしくもっとも危険でもあった風に対する愛情と感謝の一表明であった.....が、また事実上、ひとつの離脱、告別でもあった。
ではこうした離脱はいつに明らかとなったのか。ニーチェは次のように記す。
−実際、当時こそまさに別れを告げるべき時機であった。ただちに私はもうその証拠を得ることになった。リヒャルト・ヴァーグナー、見かけは赫々たる勝利者ながら、実のところは腐材し絶望している一人のロマン主義者にすぎなかった彼が突然寄るべなく挫折し、キリスト教の十字架のもとにひれ伏したのである....。当時この戦慄すべき光景に対して顔に眼があり良心に同情の念があったドイツ人はいったい一人もいなかったのか。私一人だけだったのか、この光景に−苦しんだ者は。ともかく私自身にとってこの思いがけぬ事件は、稲妻のように私が立ち去ったばかりのその場所を明るませてくれた−そしてまた、それと知らずにとほうもない危険のなかを走り抜けた者なら誰でも感じるような、あのあとから襲われる恐怖をも与えたのである。さらに一人で進んでいったとき、私は戦いた。その後まもなく私は病気になった、いや、病気以上のものに、つまり倦み疲れてしまったしわれわれ現代人を熱狂させるべく残されていた一切のものへの、いたるところで浪費された力や仕事や希望や青春や愛などへの、抑えようもない幻滅から疲れ、このようなロマン主義の女々しく放恣で無規律的なものへの、ここでまたしてももっとも勇敢な者の一人に勝利した理想主義の虚偽と良心の軟弱化すべてへの、吐き気から疲れ、最後に、他に劣らず、仮借ない疑念−つまり、私はこの幻滅によって以前にもましていっそう深く不信し、軽蔑し、孤独であるべく申し渡されているのではないかという疑念による煩悶から疲れてしまった。私の課題−それはどこに行ってしまったのか。そうではないか、いまやまるで私の課題が私を避け、私には今後長いあいだそのような課題を負う資格がないように見えはしなかったか。この最大の欠乏に耐えるにはどうすればよかったか。−私は一切のロマン派音楽−精神からその厳しさと快活さを失わせ、あらゆる種類の不明瞭な懂慣、膨れあがった熱望をはびこらせるこの曖昧な、大ぶろしきの鬱陶しい芸術を徹底的かつ生活原則上自分に禁じることから始めた。「音楽に用心しろ」(Cave musicam)は今日でもなお、精神の事柄において潔癖さを固守しうるだけの雄々しさを持つすべての者たちに対する私の忠告である。そのような音楽はひとを無気力にし、柔弱にし、女性化させる、その音楽の「永遠に女性的なるもの」はわれわれを引き−下げる!.....当時私の最初の満疑、私のさしあたりの用心がロマン派音楽に逆らったのだ。
ここでは『悦ばしき知識』にてニーチェがキリスト教をロマン主義と同一視した見解の実例症状がみてとれる。ニーチェは『曙光』にてキリスト教的救済の治療を暗に指し「人間の最大の病気は彼らの病気の克服から生じた、そして治療法と思われたものが、長くたつうちに、それによって除かれるはずのものよりも、いっそう悪いものを生んだのだ」とする。まさにロマン主義はキリスト教が如く、ニーチェの絶望をさらに悪化させ、以下にあるようにロマン主義的病理への治療を必要とさせたのである。ゆえに彼は過去の自らの「罹患」(Erkrankung)に対し、「ロマン主義そのものの最も危険な形式」と呼ぶ。こうしてロマン主義と袂を分つニーチェは「反ロマン主義的自己治療」として本作を記す。
『さまざまな意見と箴言』は『漂白者とその影』と同様、最初は別個に、いま挙げたあの、人間的な、あまりに人間的な「自由なる精神のための書」の続編にして補遺として刊行されたが、それは同時に、ひとつの精神的治療の、すなわち私の健康であり続けた本能がロマン主義のもっとも危険な形式に一時的に病みついたことに対処して、みずから考案しみずから処方したような反ロマン主義的自己治療の、継続および増強としてでもあった。(...)これらの著作の中から語っているのは、何度となくたまりかねて自分の皮を脱ぎ捨てたが、常に再び冷静になってはおのれの皮のなかにもぐり込んだ一人の悲観論者、したがって悲観論への好意を持った、かくてともかくももはやロマン主義者ではない一人の悲観論者である。
かくして確立を試みる新たな地平とはロマン主義的な女性的で、柔弱で、無規律な当為論とは一線を画する。
こうして私は、あらゆるロマン主義的虚偽とは対照的なあの果敢な悲観論への道を再び見出した(...)われわれのかずかずの安易化こそ、われわれがその罪滅ぼしをもっとも厳格に行わねばならぬものなのである!そしてもしわれわれがあとから健康に戻ろうとするなら、われわれに選択の余地はない。われわれは以前よりもいっそう重い荷を負わねばならないのである....。(...)−最後にロマン主義的悲観論に対する、すなわち欠乏に苦しむ者、うまくゆかぬ者、克服された者たちの悲観論に対する私の反対命題をさらに一定式で表現してみるならば、−知性(好み、感情、良心)の強さの印でもその厳格さの印でもある。
ここにこそ現代思想の根幹が立ち現れた。すなわち勇気と猛々しい態度をもって、世界の不条理を受け入れ、前へと進むあの当為論に他ならない。キリスト教も絶望を受け入れ、救済に向けて修練をすることは変わらない。しかし彼らはその所以ひいては起源を定めているのであり、不条理に満ちた非意味の自然力学を受け入れてはいない。そこに進歩主義、実存主義、資本主義に代表される信念との決定的な差異がある。
治療
悪き救済=治療たるキリスト教
キリスト数の救済飲求について。-慎重に熟慮すれば、救済欲求と呼ばれるキリスト教徒の魂のなかの事象から、神話学に捉われない説明を、つまり純粋に心理学的な説明を求めうるにちがいない。もちろん現在までのところ宗教的状態と宗教的事象の心理学的説明は、自由だと自称する神学がこの分野で無益な活動を続けていたので、多少不評に陥っていた。なぜなら、神学においては、その開祖なるシュライアマハーの精神から推察されるように、はじめからキリスト教的信仰の維持とキリスト教的神学の存続が目的だったからである。(...)そうした先駆者たちに迷わされることなく、われわれは救済欲求という現象の次のような解釈をあえてしょう。人間は普通の諸行動の位階秩序のなかで下位にあるようなある種の行動を自覚する、のみならず、そうした行動への傾向を、彼にはほとんど自分の全本質と同様に不可変に思われる傾向を、自分のなかに発見する。どんなにか彼は、一般の評価のなかで最上・最高のものと認められているあの別の種類の行動に従事したく思うことだろう!どんなにか、没我的な考え方の結果として生ずるはず良い自覚に満ちているのを感じたく思うことだろう!しかし、遺憾ながらまさしくこの願望以上には進めないのである。この願望を満たすことができないという不満が、彼の運命一般とか、あの悪いと呼ばれている行動の結果とかによって彼のなかに起こされた、他の種類の不満の上に加わってくる。かくて、深い不機嫌とともに、これやその他のあらゆる原因を除きうる医者を求める待望が生ずるのである。
こうして救済は病める魂の治療として、それを為す医者を欲する。まさにここにキリストは現れた。
救世主と医師-キリスト教の教祖は、自明のことながら最大の知識不足と偏見もないわけでもない、人間の魂の通暁者として身を処したが、さらにまた魂の医師として、万能薬に対するきわめていかがわしくて素人めいた信仰に身をゆだねた。彼はその方法の点ではときおり、抜歯によってあらゆる苦痛を直そうとする歯医者に似ている。たとえば彼が官能に抵抗する処置として「眼が邪魔になるなら、眼をえぐり出せ」と勧告するときがそうである。それでもまだ、歯医者は少なくとも患者の苦痛を除くという目的を達するという点で相違がある。もちろん歯医者のこのやり方は物笑いになるほど乱暴ではあるが、キリスト教祖のあの勧告に従って自分の官能を殺したと信ずるキリスト者は誤りを犯すことになる。官能はぶきみな吸血鬼めいた生を続けて、彼を忌むべき仮装のもとで苦しめるのである。
こうして確立された救済、治療の技法としてのキリスト教はニーチェにおいて-「素人めいた」という軽蔑からもわかるように-悪き治癒の術に他ならない。ではなぜニーチェはキリスト教を悪き治療術とするのか。その所以は多岐に渡ると予測されるが、本書には次の言明に最もわかりやすく現れている。
医者の危険。-人々は自分の医者に合うように生まれついていなくてはならぬ。さもないと自分の医者のために亡んでしまう。
キリスト教はその信仰の力をもって、幾万の信徒を犠牲にしたと言える。生一般の悲劇へ絶望するニーチェからすれば、その救済の技法が死であってはならないと考えるのはごく自然なことだろう。その意味でキリスト教とは彼において悪き手段なのである。他にもニーチェにしてみれば、それはその治療に授かった者だけでなく、後世まで悪影響を齎した。
病気の信仰という病気。-キリスト数がはじめて世界の壁画に悪魔の姿を描いたのである。キリスト教がはじめて世界のなかに原罪を持ち込んだのである。キリスト教がそれらに効き目があるとして提供した薬草への信仰は、いまでは最深の根にいたるまで絶滅しそうになっている。しかしキリスト教が教え弘めた病気への信仰はいまなお存続している。
それはまさにニーチェが『曙光』にて唱えたように「人間の最大の病気は彼らの病気の克服から生じた、そして治療法と思われたものが、長くたつうちに、それによって除かれるはずのものよりも、いっそう悪いものを生んだのだ」。したがって、以下の引用からも借用するならば、キリスト教は生一般の悲劇という病理の克服に向けて「原罪」という意味を与えた。その起源を与えた。ゆえにそれが失効してもなお、我々は生一般の悲劇の起源、所以を求めてしまうような病理に罹ってしまったのだ。こうして虚構という悪魔をもって空洞を埋めたキリスト教は、ニーチェの時代にその力は失墜した。ゆえに、キリスト教的虚構が不能になった世界では「他の悪魔」、意味という虚構を待たなければならなくなってしまったのだ。
病人のなぐさみ。-魂の苦悩がある場合には、髪の毛をかきむしったり、銀を叩いたり、頬の肉に爪を立てたり、はなはだしきはオイディプスのように両眼をえぐり出したりするものだが、それと同様に、烈しい身体的苦痛のある場合にはときとして、烈しく苦々しい感情に援助を求めて、中傷者とその容疑者の想い出や、われわれの将来の暗黒視や、眼前にいない人々に想像のなかで差しむける悪意と短力のひと突きなどによってつぐないを得ようとする。この場合、一方の悪魔が他の悪魔を追い払うということは、往々にして真実である、-しかしそうすれば人々は他の悪魔を持つことになる。-それゆえ病人には、苦痛が和らげられるらしい他のなぐさみが推称されるであろう、つまり、自分が友人と敵とに示すことのできるような恩恵と礼節を思い浮かべることである。
治療のオルタナティヴ
ではニーチェはキリスト教に替わる治療をなんと考察するか。本書においてはそれ確信にあらず、思索の断片にしかないが各種紹介するとしたい。第一に紹介するは喜びである。
「されば、われわれは楽しまん」-喜びは、人間の倫理的性格にとっても、啓発的な力、病いを完全に癒す力を含んでいるにちがいない。そうでなければ、われわれの魂が、喜びの陽光に休らうやいなや、思わずも「良くあろう!」、「完全になろう!」と自分に誓わずにはいられず、しかも至福の戦慄に似た完全さの予感に襲われるということがどうして起きるだろう。
次に紹介されるは無垢、すなわちエデンの技法である。
魂の薬。-じっと横たわってほとんど考えないことは魂のあらゆる病気のためのもっとも安上がりの薬であり、よく心がけるなら、それを用いるごとに快適になる。
第三に紹介するは、ロマン主義の最後を飾るニーチェに相応しい激情を駈り立てる存在、「戦争」である。
療法としての戦争。困憊してみじめな状態になりつつある諸民族には、療法として戦争を勧めるのがいいかもしれない。つまり、それらの民族がどうしてもまだ生き続けたいと欲する場合にかぎる。なぜならば、諸民族の肺結核のためにはある種の乱暴な療法が存在するからである。しかし、永遠に生き続けたいと欲すること、死ぬことができないということは、すでにそれ自体として感情の老化の徴候なのであり、人々が十全にしっかりと生きていればいるほど、ますます速やかに生をたった一つの良い感情のために投げ出す覚悟をきめるのである。そのように生き、感ずる一民族には戦争は必要ではない。
第四に紹介されるは極めてユング的である。それすなわち文化圏であり、カフカが「ぼくは散歩するほかないし、それさえできれば十分だ。けれどこの世界には、ぼくが散歩できる場所がまだない」としたように、新たな世界の導入と換言できる。
療法としての精神的および身体的培養。-さまざまに異なった文化はさまざまに異なった精神的風土を必要とするのであり、この風土それぞれが主としてあれこれの組織に有害もしくは有効なのである。さまざまな文化に関する知識としての全体的な歴史は、療法上の教説であって、治療学そのものではない。療法上の教説を利用する医師は、各人にまさしく有益な風土を-一時的に、あるいは永久に-与えるためにこそ、なお必要なのである。現在のなかに、唯一の文化のなかに生きるということは、一般的処方としては不充分であり、そのままでは、そこで健全な呼吸のできない最高に有用なあまたの種類の人間たちが死滅することになろう。われわれは歴史によって、この種の人間たちに空気を送ってやり、彼らの命を維持してやらなくてはならない。時代おくれの文化に所属する人間たちもやはり彼らなりの価値を持っている。-以上のような諸精神の治療とならんで重要な事実は、人類が身体上の関係においては医学的な地理学を明らかに悟り、地上のあらゆる土地がいかなる退化と病気への動機となるか、また逆に、いかなる治療の因子を持つかということを知らなくてはならない。そうなれば、しだいに諸民族・家族・個々人が、相続した生理的欠陥を征服するにいたるまでのあいだ、きわめて永く、きわめて持続的に培養されることになる。そしてついには、大地全体が健康管理所の連続となるであろう。
かくして本書或いはニーチェ全般にて、生一般の悲劇とは病的なものとして表されていることがわかるだろう。その意味でニーチェは病弱たる存在を肯定する。
病弱の効用。-しばしば病気にかかる者は、それだけ健康回復を繰り返すために、健康でいることの享受がはるかに大きいばかりではない、自他の仕事と行動における健康なものと病的なものに対するきわめて研ぎ澄まされた感覚をも持つのである。だから、たとえば、かえって病弱な著作家たち-遺憾ながらほとんどすべての大著作家はこれに該当する-の著作のなかでこそ、健康の語調がはるかに確信に満ち、均斉がとれているのは、彼らが身体頑健な者たちよりも、心の健康と健康回復の哲学に、またそれを教える師匠連-午前、陽光、森と泉ーに、よく通眺しているからである。
後述した引用はまさにそうした洞察から勝ち得たものなのかもしれない。
最良の治療法。-ときおりのいささかの健康が病人の最良の治療法である。
芸術
陶酔としての芸術
芸術、酒抜きで暮らす。-芸術作品は酒のようなものである。だから、この二つを必要とせず水を頼りとして、それを魂の内奥の火、内奥の甘味をもとに繰り返しておのずから酒に化すならば、なお良いわけである。
これは完全に反ロマン主義的自己治療であることがわかる。ニーチェが前期に傾倒したショーペンハウアーは芸術の価値を次のようにいう。「美しいものに寄せる審美的な喜悦の大部分は、(...)その瞬間にいっさいの意欲、すなわちいっさいの願望や心配を絶して、いわば自分自身から脱却」することであり、「われわれが残忍な意志の衝迫から解脱して、いわば重苦しい地上の空気から抜け出して浮かび上がっているこのような瞬間こそは、まことにわれわれの知りうるもっとも祝福された瞬間である」。こうして獲得される美的恍惚とはまさに陶酔と言い換えられるだろう。
またニーチェはロマン主義への決別を告げる文書で次のようにもいう。キリスト教-エピクロス-ロマン主義は「休息、静寂、穏やかな海、芸術と認識とによる自己からの救済をもとめるか、それとも陶酔、痙攣、忘我、狂躁をもとめるかする」。
1881『曙光』
魂の医師
新しい魂の医師はどこにいる?−人生の根本的な性格は苦悩に充ちたものだと、人々は現に信じている。しかしこれは慰めという薬のためにはじめてそういうことになったのだ。人間の最大の病気は彼らの病気の克服から生じた、そして治療法と思われたものが、長くたつうちに、それによって除かれるはずのものよりも、いっそう悪いものを生んだのだ。人々が、無知から、瞬間的な効果のある麻痺的で陶酔的な方法、いわば気休めのたぐいを本来の治療法と取ったこと、否、彼らがこの即座に効く緩和作用に対してしばしば苦痛の深刻な一般的悪化という代償を払ったこと、病人が陶酔の影響で、後には陶酔の欠乏で、さらに後には不安や神経の顫えや不健康というような重苦しい全般的な感じで悩むようになったことさえ人々は気がつかなかった。人々はある程度まで病気になるともはや癒らなかった、−そういうものに対しては魂の医師(牧師)、すなわち一般に信仰と崇拝の対象にされていた人々が配慮したのであった。−人々がショーペンハウアーのことを、彼に至ってようやく人類の病苦が真面目に考えなおされたというのは正しい。−すすんでこれらの病苦に対する対症療法を真剣に考えて、これまで最大の美名のもとに人類の魂の病気を扱ってきた恐るべきいかさま診療に鉄鑓をくだす者はどこにいる!
キリスト教はオリゲネス、アンブロジウス、アウグスティヌスをみればわかるように、魂の医師として神、イエス、天使、聖人という像を長らく訴えてきた。上述した五二項の文中に「魂の医師(牧師)」とあるようにその失脚を彼は嘆いている。すなわちキリスト教に替わる「新しい魂の医師」を彼は求めているのであり、それは続く五四項にも表れている。
病気に対する思想!−病人が少なくともいままでのように、病気そのものよりも、病気に対する思想のために、より多く悩まされることのないように、病人の想像力を鎮めること−思うに、これこそ大事なことなのだ!決して小言ではない!おわかりか、われわれの使命が?
芸術
陶酔について
病人と芸術-各種の憂愁や意気銷沈に対しては、まず試みるべきなのだ、食餌を一新すること、また肉体的な手荒い仕事を。しかし、人々はこうした際に、とかく陶酔の手段を求めようとする。たとえば芸術に。彼らのためにも芸術のためにも不幸なことだ!諸君が病人として芸術を求めれば、諸君は芸術家を病気にしてしまうことが見えないのだろうか?
こうして求められる陶酔の術としての芸術。ではそもそも陶酔とはなんたるか。
陶酔の信仰-崇高な歓喜の瞬間にだけ生きがいを感じる人間たちは、ふだんは、その反対に、また、その神経力の浪費的消耗の結果として、惨めな絶望的な気分に陥っているものだが、彼らはかの瞬間を本来の自己、「自分自身」と見て、悲惨と絶望を自分以外からの作用と見る。そのため、彼らは彼らの環境・時代・世界に対して復讐心を抱いて考える。陶酔が彼らには真の生命、本来の我と思われる。他のすべてのものに彼らは陶酔-精神的・道徳的・宗教的・芸術的など、いずれの性質のものであれ-の反対者・妨害者を見る。この狂信的な酩酊者のおかげで、人類は多くの災禍を蒙る。なぜなら、こういう酩酊者は自己や隣人に対する不満、時代や世界の軽蔑、特に厭世という雑草の倦まざる種蒔き人であるから。おそらく地獄全部の罪者も、かの手に負えがたい人間・夢想家・半狂人の一団、すなわち自己を支配することができず、一切の可能な快楽を、完全な自己喪失によってはじめて獲得する天才たちの小さな高貴な一団のように、こうした重苦しい・地も空も毒する・きわめて遠きにまでも及ぶ不気味な影響を持つことはできまい。これに反して犯罪者のほうはしばしばなお卓越した自己支配・犠牲・知態などの存在を証示し、これらの特性は、犯罪者を恐れる人々によって、感得されている。犯罪者によって人生の天はおそらく危険に充ち、暗くなる、が大気はいぜん力強く漠然たるものがあるのである。-なおその上にかの陶酔者たちはその全力をあげて最大の生きがいとしての陶酔の信仰を植えつける、-恐るべき信仰を!野蛮人が現在急速に「火酒」によって毒されて破滅していくように、人類は大局から見て、緩慢にそして徹底的に、酩酊を与える感情の精神的火酒によって、またそれを求める欲望に燃えつづけている人々によって毒されてきた。ひょっとすると、人類はそのために破滅に至るかもしれない。
この文章はナチズム、政治の美学化を予感してると言える。この意味でロマン主義とは全体主義に至るのだ。前著でニーチェは「困憊してみじめな状態になりつつある諸民族には、療法として戦争を勧めるのがいいかもしれない」とする。これは前提戦争を推進するものでなく、あくまで事実として戦争は療法たり得る、とそういった理解をしなければならない。その意味で世界苦に絶望するロマン主義大国ドイツにとって、世界大戦時の政治の美学化とは凄まじいコラボレーションであったのだろう。
1885 『ツァラトゥストラかく語りき』
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序章(引用)
1
我は汝のごとく没落せざるべからず
2
森で神を讃ずることを選んだ聖者との対話
老いたる聖者はその森にありて、未だなお、神の死したることを知らざるなり
table:対応関係
ツァトゥラストラ 森の聖者
過去 苦悩から神という陶酔的快楽 人間への愛と贈与
TP 神は死んだ 人間への絶望
現在 人間への愛と贈与 苦悩から神という陶酔的快楽
これ自体が永劫回帰構造のような
3
全てのものはこれまで、それ自体を超えたる何等かのものを造りたり。さて汝等はこの大いなる潮の退潮となり、人間を超克するよりもむしろ禽獣へ引き換えさんことを欲するか。猿猴は人間にとりて何物ぞ。笑柄のみ、或いは痛ましき陰所のみ。しかして人間も超人にとりては同様なるべし
潮の比喩は無為自然的で、自然選択を感じるリバタリアニズム的でただ本質的な一文。それが大地の意義としての記述なのではないか
しかして汝等に天上の希望を説くところのものを信ぜざれ。彼等は自ら知れると知らざるとを問わず荼毒者なり。
毒蜘蛛の比喩へ繋がる、
超人はかの海なり。汝等の大いなる侮蔑はよくその中に陥没するを得ん。
あらゆるものを内包した絶対精神的な進化を遂げた現存在?
4
人間は禽獣と超人との間を繋ぐ一つの索なり。一つの深潭に懸れる一の索なり。
に続き愛を語るツァラトゥストラ
毒蜘蛛
ルサンチマンの比喩
よくこそ、毒蜘蛛よ。汝の三角と標徴とは、汝の背に於て黒し。しかして汝の魂に何物のあるかをも我は知る。汝の魂には復讐あり〜汝等平等の説教者よ。汝等は我にまで毒蜘蛛なり、また隠密の復讐者なり
説教者の深層心理
汝ら平等の説教者達よ、無力の暴君的なる乱心は、かく汝らの中に平等を求めて叫ぶ。汝らの最も隠密なる暴君的熱望は、かく徳の言葉の中に自らを蔽う
太宰メソッドだね
真理とは偽りのない表現ではなく、むしろ、メタファーの動的な一群である
真理は言語ゲームのもとに記述される。真理が真理足りえるには言語が完璧なものでないとならない(人工言語なら可能ってこと)。つまり本来の真理をメタファーとして描いたものにすぎない
「西欧の哲学はプラトンの思想の注釈に過ぎない」やなー
龍 汝なすべし/獅子 我欲する
第一の自由として自然権を得た次に、定言命法を止揚して、当為の自由という第二の自由を獲得しようとしたことではないか(引用)
受動的ニヒリズム
能動的ニヒリズム
社会彫刻とchoukokuの綴りが一緒なの運命感じる
逆を末人
永劫回帰
『ツァラトゥストラかく語りき』は、自分の個人的な経験とあまりにも深くかかわっているので、読者には分かりにくかったのではないかと考え直したのだ。そこでニーチェはツァラトゥストラが詩的な言葉で「歌った」ことを、もっと素の言葉で読者に分かりやすいように語り直す必要があると考えた。こうして『善悪の彼岸』という書物が生まれることになった。ニーチェはブルクハルト宛ての書簡において『善悪の彼岸』が、前の『ツァラトゥストラかく語りき』と「おなじことをいっておりますが、しかし違うのです」と説明しているのである。
1886 『善悪の彼岸』
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第一遍
第一にニーチェは「真理への意志」徹底的な懐疑から始める。
わたしたちをまだ多くの冒険に誘うに違いない真理への意志、すべての哲学がこれまで畏敬の念をもって語ってきたこの有名な〈誠実さへの願い〉、この真理への意志はわたしたちに何という問いを投げかけてきたのだろうか! それは何と驚くほどに悪しき奇妙な問いだろうか!(...)なぜ、むしろ非真理を望まないのか? なぜ不確実さを望まないのか? 無知をさえ望まないのか?──真理の価値の問題がわたしたちの前に歩みでる。
ではなぜニーチェは反真理の立場にたつのか。それは真理という物差しにおいて、それが「間違っていたとしても、それはわたしたちにとって判断そのものを否定する根拠にはならない」からである。そこで展開されるのが生の哲学的思考である。
ある判断が間違っていたとしても、それはわたしたちにとって判断そのものを否定する根拠にはならない。(...)重要なのは、判断というものがどれほどまでわたしたちの生を促進するものか、生を維持するものか、人間という種を維持するものか、おそらくは種を育てるものかということなのだ。(...)非真理が生の条件であることを認めるべきなのだ。もちろんこれは、わたしたちに馴染みの価値評価の感情に抵抗しようとする危険な営みだ。だからこのようなことを敢えてする哲学というものは、そのことだけで、すでに善悪の彼岸にあるのである。
真理を生の条件として誤謬する際たる例がストア派の自然賛美である。
[ストア派は]「自然にしたがって生きよ」と教えたが、君たちはほんとうに生きることを望んでいたのだろうか? おお高貴なストア派の人々よ、何という言葉による欺瞞だろうか! 自然というものがどんなものか考えていただきたい。自然は、際限なしに浪費するし、際限なしに無関心であり、意図も顧慮ももたず、憐憫も正義も知らず、豊饒であると同時に不毛であり、同時に不確実である。この無関心こそが力であることを考えてみたまえ。──君たちはどうやってこの無関心にしたがって生きることができるというのか?──生きるとはまさに、この自然とは〈違ったものとして存在しようとすること〉ではないのか。生きるということは、評価すること、選り好みすること、不正であること、限られたものであること、関心をもとうと[違ったものであろうと]欲することではないだろうか? もしも君たちの「自然にしたがって生きよ」という命令が、基本的には「生にしたがって生きよ」という意味だとすると、──君たちにそれができない理由があるだろうか。君たち自身がそうであるものから、そうでしかあらざるをえないものから、一つの原理を作りだすということができるものだろうか?──ほんとうのところはその反対なのだ。君たちは自然から自分たちの掟のための規範を読みとるのだと強弁しているが、じつはすばらしき役者であり、自己欺瞞者である君たちは、その反対のことを望んでいるのだ! 君たちの傲慢な心は、自然に(自然にすらだ)、自分の道徳と理想をおしつけ、[自然を]わがものにしようとしているのだ。
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ
1887『道徳の系譜』
序言
道徳の起源についての私の仮説の若干を公にする最初の切っ掛けを私に与えてくれたのは、明快で、小綺麗で、小器用で、小生意気なくらいの一小冊子であった。その中では、一種の不合理な逆立ちした系譜論的仮説が、生粋のイギリス風の仮説が初めてはっきりと私の前に立ち現れた。〜小冊子の議題は『道徳的感情の起源』、著者はパウル・レー博士〜この書物ほど章句という章句、結論という結論ごとに、私が心のうちで「否」を言った書物は、私のかつて読んだもののうちに恐らくなかったであろう。
この系譜論的仮説こそ後期フーコーの歴史研究に引き継がれたものである。それは直感とか心理学的原理から対象の歴史的変遷を導き出すのではなく、何らかの起源から歴史的変化を経て、我々の時代の対象へと生成されたという前提で、その変化の過程を追っていこうという態度のこと。
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第二論文:
契約の存立基盤を構成する負のエネルギー
ニーチェは「約束」という概念から本論を始める。そして約束を分析するために、当概念を構成する緊密な二つの能動的実践を見出す。それが忘れることと覚えること、忘却と記憶である。しかし、彼はどちらかを劣位に置くことはしない。確かに約束を履行することにおいて、それを支えるのは明らかに記憶であり、意志をもって忘却を拒むことである。しかし、忘却がなければ我々は「精神的な秩序、平穏」を得ることが困難となるだろうし、ひいては「いかなる幸福も、明朗さも、希望も、誇りももてないし、いかなる現在もありえない」と論じるのだ。
約束することのできる動物を育成すること−これこそが、自然が人間についてみずからに課した逆説的な課題そのものではないだろうか。これこそが人間についてのほんらいの問題ではないだろうか?.......この問題がすでにかなりの程度まで解決されているということは、忘れっぽさという反対の力の大きさを重くみている者には、きわめて驚くべきことに違いない。忘れっぽさとは、浅薄な人々が考えているような、たんなる習慣の力ではない。これはむしろ能動的で、厳密な意味で積極的な抑止能力である。この能力のおかげで、わたしたちがこれまで体験し、経験し、自分のうちに取りいれたものが熟れるまでは(「精神に同化」されるまでは、と言い換えることもできるだろう)、意識にのぼらないですむのである。それはわたしたちの身体にとって栄養となるものが「身体に同化」される無数のプロセスが、意識にのぼらないのと同じことである。この能動的な忘れっぽさというものの効用とは、意識の戸口と窓を一時的に閉ざすことであり、われわれの神経にしたがって機能するさまざまな器官が意識下においてたがいに協力し、競争しながら働いている騒ぎと闘いに煩わされずにいることであり、意識のしばしの静寂、しばしの白継状態を確保して、新しいものをうけいれるべき場所を作りだすこと、とくに高尚な機能と器官が働く余地を作りだして、統制し、予測し、予定を立てられるようにすることである(人間の有機体の組織は、寡頭制で統治されているからだ)−それがすでに述べたように、能動的な忘れっぽさの効用であり、この精神的な秩序、平穏、社儀件法の門番であり、維持者であるこの忘れっぽさの効用である。そのことから直ちに洞察できるのは、この忘れっぽさなしでは、いかなる幸福も、明朗さも、希望も、誇りももてないし、いかなる現在もありえないということである。(...)人間は必然的にこうした忘れっぽい動物にならざるをえないのであり、忘れっぽさは人間においては一つの力であり、逞しい健康の一つの形式である。その一方で人間はこれに対抗する能力を育てあげたのである。それが記憶というものであり、この記憶の力によって、特定の場合には忘れっぽさを〈解除する〉のである。特定の場合というのは、約束を守るべき場合ということだ。この記憶とは、たんに一度でも刻み込まれた印象を〈二度と消すことができない〉という受動的なものではないし、一度約束として与えた言葉をもはや[ないものとして]片づけることができないという消化不良でもない。むしろこれは〈二度と消し去るつもりはない〉という能動的なものであり、かつて望んだものを〈いつまでも望みつづける〉という意欲であり、ほんらいの意味での意志の記憶である。だから根っこのところにある「わたしは望む」「わたしは成すだろう」という意志と、その意志が十全に実現されて行動にいたるまでには、長い連鎖が存在するのである。その意志の長い連鎖の途中に、見知らぬ新しい物事や事情が思いがけずに介入することも、別の意志の行為が介入することもあるが、そのためにこの意志の連鎖が中断されるわけではないのである。
しかし、「この問題がすでにかなりの程度まで解決されている」或いは「熟れた果実」として、この二つの力学の均衡は今や崩れたとニーチェは論じる。ではなぜ約束に資する意志の力、記憶の力学が支配的になったのか?
自由になり、真実の意味で約束することができるようになった人間、自由な意志の支配者となった人間、この至高な人間、この人間はよく弁えているのだ、約束することができず、みずからについて保証することのできない人間と比較すると、自分がいかに優越していることか、そしていかに他者からの借頼を、恐れを、畏敬をひきおこすことか、を−彼はこの[信頼と恐れと畏敬の]三つのすべてに「値する」のである−。そして彼が自己を支配することで、環境や自然や、短期的な意志しかもてないために倍頼するに足りない他のすべての被造物の支配も、また必然的に委ねられるようになったことを弁えていないはずがあるだろうか?この「自由な」人間、この長く不屈な意志の持ち主は、この意志を所有しているということのうちに、みずからの価値の尺度をおくようになるのである。彼は自分のこの意志を基準として、他人を眺めて尊敬したり軽蔑したりする。彼は自分と同じような意志をもつ人間を、すなわち強く、信頼できる人間を(すなわち、約束することのできる人間を)尊敬するのである。-誰であろうと、至高な人間として、重々しく、ごくまれに、ゆっくりと約束することのできる人間を、めったに他人を信用せず、ひとたび倍用するならばこれを称賛する人間を、自分が十分に強いことを知っているために、不幸な出来事に抗してでも、「運命に抗して」でも、自分の一言を守り抜くことができる人間を、他人に約束する言葉を絶対に倍頼のおけるものとして与えることのできる人間を、尊敬するのである−。(..)責任という異例な特権をめぐる誇り高き知、このごく稀少な自由についての意識、自己自身と運命まで支配するこの力の意識は、彼の心のもっとも深いところまで降りてゆき、彼の本能に、支配的な本能になっているのである。もし必要となったときの話だが、彼はこの支配的な本能をどう名づけるだろうか?疑問の余地もないことだ。この至高な人間はそれをみずからの良心と呼ぶのだ。..............
ただ勿論このような楽観的な波及として、かのニーチェがこの問題を片付けることはない。「すでに指摘したように、熟れた果実であるが、同時に遅れて熟してきた果実なのである。この果実はどれほど長いあいだ、渋く酸っぱいままでにぶらさがっていなければならなかったことか!そしてこのような果実は、きわめて長いあいだ、誰も目にしたこともなかったのである−樹がさまざまな準備を整えており、この果実が熟すことを目指して成長してきたというのに、その果実が熟すことを約束できる者は、誰一人としていなかったのだ!」。そこで挙げられるのが、負の感情である。
「どうすれば人間という動物に記憶させることができるのか?愚かでぼんやりしたこの動物に、今という瞬間しか理解していないこの動物に、忘れっぽさの化身のような動物に、いつまでも残るようなものを、どうすれば刻み込むことができるのか?」......この昔からの問題が、繊細な回答や手段で解決されたわけではないことは、すぐに理解できるだろう。人間のすべての前史をつうじて、記憶術ほど恐ろしいもの、不気味なものはないのではないだろうか。「記憶に残るようにするためには、それを焼きつけるしかない。苦痛を与えつづけるものだけが、記憶に残るのだ」これが地上で最古の(残念ながら同時にもっとも長く維持された)心理学の根本命題である。今日なお、地上において人間や民族の生活のうちに、荘厳なもの、厳粛なもの、秘されたもの、陰鬱な色合いのものが漂っているところではどこでも、かつて地上において約束され、保証され、誓約されたものに憑きまとっていた恐怖の名残が響いていると言っても間違いではあるまい。わたしたちが「真面目に」なるときにはいつでも、過去が、もっとも長く、もっとも深く、もっとも残酷な過去が囁きかけ、わたしたちの胸の奥深いところから湧き上がってくるのである。人間がみずからに記憶を刻み込もうとするときにはつねに、流血と拷問と犠牲なしでは済まなかった。きわめて戦慄的な犠牲と担保(たとえば初子の犠牲がその一例だ)、きわめて忌まわしい身体の毀損(たとえば去勢である)、あらゆる宗教の礼拝におけるきわめて残酷な儀礼(すべての宗教はもっとも深いところで、残酷さの体系にほかならない)−これらのすべては、苦痛こそが記憶術の力強い助けとなることを嗅ぎつけた本能から生まれたものなのである。(...)人間の「物覚え」が悪ければ悪いほど、その習慣はますます恐るべき様相を示すことになる。刑法の過酷さは、人類がこの忘れっぽさを克服するためにどれほど苦労したか、そしてすぐに情念と欲望の奴隷となってしまう人間たちに、社会的な共同生活に必要ないくつかの基本的な必要事項を記憶にとどめさせるために、どれほど苦労したかを示す一つの尺度なのである。(...)この種の記憶の力で、人はどうにか「理性的に」なることができたのだ!−ああ、理性というもの、真面目さとか、自分の情動の制御とか、一般に熟慮と呼ばれているこの陰鬱な事柄、この人間の特権と飾り物のすべて、それらがいかに高価な代償の支払いを求めてきたことだろうか!こうした「よき事柄」すべてのために、どれほどの血が流され、戦慄がもたらされたことだろうか!
経済を基礎とする道徳の系譜
ところでもう一つの「陰鬱な事柄」、すなわちあの罪の意識、すべての「疚しい良心」は、どのようにして世界に現れたのだろうか?(...)これまでの道徳の系譜学者たちは、たとえばあの「負い目シュルト」という道徳の主要な概念が、きわめて即物的な概念である「負債シュルデン」から生まれたものであることを、ごくわずかに夢想でもしたことがあるだろうか?
そこで第一に論じるのは刑罰の起源である。現代では罪と罰が対応関係にあり、それは一つの合理的手続きのように振る舞う。しかし、むしろそれは成熟期にある人間社会においてのみであり、ニーチェ曰く刑罰とは「一つの報復として発展してきたものだ」とするのだ。
「「人間」という動物が「故意による」とか「過失による」とか、「偶然に」とか「責任能力のある」とかの概念と、その反対の概念を原始的に区別するようになり、刑罰の大きさを決定する際にこれらの概念を考慮にいれるようになるためには、〈人間となるプロセス〉が高度な段階にまで到達していなければならなかったのである。(...)人間の歴史のごく長い期間にわたって、悪しき行為をなした者は、その行為の責任があるからという理由で、処罰されてはこなかったのである。罪のある者だけが罰せられるべきであるという前提で、処罰されてはこなかったのである。むしろ現代でも親が[怒りのために]子供を罰するように、加害者がもたらした被害の大きさにたいする怒りによって罰が加えられたのである。
そしてこうした論理には一つの前提が含まれる。それすなわち、債権者と債務者の契約関係に起源をもつ〈損害と苦痛の等価性〉である。
しかしこの憤怒は、すべての損害にはそれを償うことのできる等価なものがあるはずであり、たとえば加害者に与える苦痛の大きさによって、実際に埋め合わせることができるはずだという考え方のために制約され、加減されたのである。損害と苦痛が等価であるという考え方は、ごく昔からある根深いものであり、おそらく今でも完全には根絶されえないものなのだが、この考え方はどこからその力を手にいれたのだろうか?その秘密はすでにわたしが示唆してきた。それは債権者と債務者の契約関係からである。この契約関係は、「権利主体」そのものと同じくらい古くからあるものであり、この契約関係はさらに、購入、販売、交換、取引、交易などの基本的形式から生まれたものなのである。(...)この関係においてこそ、約束がなされるのである。この関係においてこそ、約束した者に記憶を植えつけることが重要となる。この関係こそが、過酷なもの、残酷なもの、苦痛なものが生まれる場所なのだと邪推することができよう。債務を負った者は、負債を返済するという約束を信用してもらうために、その約束が厳粛で神聖なものであることを相手に保証するために、そして返済することが義務であり、責務であることを自分の良心に刻み込んでおくために、そして万一返済しなかった場合のために、契約に基づいて債権者に抵当をさしだす。この抵当とされるものは、債務者がまだほかに「所有しているもの」、まだ彼の裁量のもとにあるもの、たとえば自分の身体とか、自分の妻とか、自分の自由とか、自分の生命などである(あるいは特定の宗教的な前提のあるところでは、自分の来世の浄福や、魂の救いまで、究極のところは墓場のうちでの平安にいたるまでが抵当にされるのだ(...))。そして債権者は債務者の肉体に、あらゆる種類の辱めや責め苦を加えることができた。たとえば負債の額に相当すると思われる量の肉を債務者から切り取ることができた−こうして古代からいたるところで、人間の四肢と身体のさまざまな部分について、合法的な価格査定が、きわめて精密で、ときには恐ろしいほどの細部にいたる価格査定が行われてきたのである。
このようにして損害と苦痛における等価性が歴史的事実に基づいて示された訳であるがしかし、なぜそこに等価性が生じるのか。その背景にある論理は語られていない。そこでニーチェが見出す論理とは苦痛を与えることの快楽、処罰という祝祭性である。
この賠償形式の背後にある論理を明確にしてみよう。これはきわめて奇妙な論理なのだ。等価関係は次のようにして成立する。債権者は、損害を[債務者に]直接に賠償させることができるが(すなわち、金銭、土地、ある種の所有物を代償としてうけとることができるが)、こうした返済や賠償の代わりに、[債務者に罰を与えることで]ある種の快感を味わうことも認められているのである。この快感は、無力な者にたいして自分の力を遠慮なしに行使するという快感であり、「悪をなす楽しみのためだけに悪をなす」という快楽であり、暴力の行使を享受することでもある。(...)この領域、すなわち債務の法律の領域こそが、「負い目」「良心」「義務」「義務の神聖さ」などの道徳的な概念の世界の発祥の地であるのだ-これらの概念の世界の端緒は、はるか昔から根本的に血で洗われてきたのであり、これは地上のすべての偉大な物事の端緒にもあてはまることなのだ。ここで、この道徳的な概念の世界からは基本的に、血と責め苦の臭気が完全に拭い去られたことはなかったとつけ加えずにいられるだろうか?(老カントでも同じことだ。定言命法からは残酷さが臭う........)同じくこの領域においてこそ、「罪と苦悩」という不気味で、おそらく分かち難い一対の概念が、最初に結びあわされたのである。いま一度問うことにしよう。苦悩はどうして「罪」を賠償するものとなりうるのだろうか?それは[債務者に]苦悩を与えることで、[債権者は]最高度の快感をえるからである。[債務が返還されないことで]不利益をこうむった者[債権者]が、その不利益と、不利益による不快感を償うものとして、いわばそれと引き換えに異様な快楽をうけとるからである。苦悩を与えること、−それは一つの真の祝祭なのだ。すでに述べたように、債権者の身分や社会的な地位が低いほどに、[この快楽は]高く評価されるものなのだ。これは憶測として語るだけのことである。というのは、こうした地下に隠れた事柄は、根本的に解明するのは苦痛なことであるだけでなく、困難なことでもあるからだ。(...)残酷さとは、人間の高度な文化のすべての歴史を貫くものなのだ(ある重要な意味では、残酷さは歴史を作りだすものですらあるのだ)。(...)他人が苦悩するのをみるのは楽しいことである。他人に苦悩を与えるのはさらに楽しいことである。これは過酷な命題だ。しかし古く、力強く、人間的なあまりに人間的な根本命題なのだ。この命題なら猿でも同意することだろう。というのは猿はさまざまな奇妙で残酷な行為を考えだすことでは、人間の登場をすでに予告しており、同時に「前座」を演じているというからだ。残酷さなしには、祝祭はない。人間のもっとも古い、もっとも長い歴史がそれを教えてくれるのだ−そして処罰には同じように祝祭的なものがみられるのだ!−ついでに言っておきたいのだが、わたしはこのような思想によって、わがペシミストたちに力を貸してやるつもりも、調子はずれでぎしぎし鳴っている彼らの生の倦怠の水車に新たな水を注いでやるつもりも、毛頭ないのだ。それよりもここではっきりさせておきたいことがある。かつて人類がまだその残酷さを恥じることのなかった頃の地上の生活のほうが、ペシミストたちのいる現在より、はるかに晴朗だったのである。人間がみずからにたいして恥辱の念を抱くようになればなるほどに、人間の頭上の天空は陰鬱なものとなるのだ。(...)人間は「天使」(もっとひどい言葉は使わないことにする)にいたる途上において、自分の胃を痛めつけ、舌に苔を生やしてしまったために、動物の幸福と無垢を忌み嫌うようになっただけではなく、人生そのものが味気ないものになったのである。(...)現在では苦悩は、人生への最たる疑問符であり、人間の生存が生易しいものではないことを証明する第一の事実としてあげねばならないものであることを考えると、その正反対の判断が下されていた時代のことを思いだすのも一興だろう。その時代には、苦悩を作りだすことこそが必要で不可々なこと、きわめつけの魅力であり、人生のもつ真の誘惑の餌と考えられていたのである。(...)さらに人間のうちには、あの残酷さを求める欲望がまだ死に絶えてはいない可能性があることすら、認めることができるだろう。ただし現在では、苦痛が以前よりも辛いものと感じられるようになっただけに、こうした欲望をかなり昇華し、繊細なものとして表現することが必要になっているだろう。(...)そもそも人間は苦悩には憤慨するものだが、それは苦悩そのものではなく、苦悩が意味のないことに腹を立てているのである。しかし苦悩のうちに魂を救済する秘密の機械を読み込んでいるキリスト教徒にとっても、すべての苦悩を傍観者としての立場や、他人に苦悩を与える側の立場からしか解釈することを知らなかった古代の人々にとっても、意味のない苦悩というものは存在しなかったのである。(...)ホメロスは、彼の神々がどのようなまなざしをもって人間たちの運命を[天から]見下ろしているように描いているだろうか?トロイア戦争や、それと同じような悲劇的で恐ろしい出来事の究極的な意味はどのようなものだっただろうか?その意味が神々のための祝祭劇であったことに、疑問の余地はないのである。そして詩人たちがその他の人間よりも「神的な」種族であったかぎりでは、この祝祭は詩人たちのための祝祭でもあったのだ
こうしてニーチェは経済こそが、負い目、罪、ひいては善悪、そして客観性の起源とするのだ。
負い目という感情や個人的な義務という感情はすでに指摘したように、存在するかぎりでもっとも古く、もっとも原初的な人格的な関係に根ざすものである。すなわち買い手と売り手の関係、債権者と債務者の関係から生まれてきたものなのだ。この関係のうちで人格と人格が直面し、人格が他の人格との関係でみずからを計ったのである。どれほど低い文明であっても、このような関係が確認されないような文明はまだみいだされていないのである。値段をつけること、価値を測定すること、同等な価値のあるものを考えること、交換すること−これらは人間のごく最初の思考において重要な位置を占めていたものであり、ある意味では思考そのものだったのである。人間のもっとも古い種類の鋭敏さが育てられたのはここにおいてであり、人間が他の動物と比較してみずからに誇りをもち、優越感を抱いたのも、ここにおいてである。ドイツ語の「人間」([サンスクリットで精神を指す]マナス)という語も、まさにこの自己感情を表現したものかもしれない。人間はみずからを、価値を測る生物として、価値を見積もって測定する生物として、「まさに評価する動物そのもの」として特色づけたのである。買うことと売ること、およびそれに付随する心理的な要素は、あらゆる社会的な組織形式や結びつきの端緒よりもさらに古いものである。交換、契約、負債、権利、義務、補償などの感情の萌芽は、まず個人の権利のきわめて原初的な形式として生まれたものであり、それがやがて(他の複合体と比較すると)ごく粗野で初歩的な複合的な共同体へと移行していったのである。同時に、力と力を比較し、測定し、計算する習慣もまた、この共同体のうちに移行したのだった。こうして人間の目は、この遠近法にふさわしい形で調整されていったのである。そしてなかなか動こうとはしないが、ひとたび動き始めると、同じ方向に動きつづける古代人の思考方法に固有のあの無骨な首尾一貫性にしたがって、やがて人は「すべてのものには価格がある。どんなものでも金を払えば手に入れることができる」というおおまかな一般命題に到達したというわけだーこれがもっとも古く、もっとも素朴な正義の道徳的な基準であり、地上に存在するすべての「好意」とすべての「公正」とすべての「善意」とすべての「客観性」の端緒となったのである。この最初の段階における正義とは、ほぼ同等な者たちのあいだで、たがいに和解し、たがいに埋め合わせることで「了解」しあおうとする善意であった−そして力の弱い者たちを強制して、たがいに埋め合わせをさせようとするのである。
したがって、次第にこのパースペクティヴは個人的なものから政治的なものへと変化する。
ふたたび人間の前史の尺度で測定するとすれば(ついでながら指摘しておくと、この<前史)というものは、すべての時代において存在するもの、あるいは存在する可能性のあるものだ)、共同体がその成員と結ぶ関係もまた、債権者が債務者と結ぶ重要で根本的な関係と同じものである。人は共同体のうちで生き、共同体の恩恵を享受している(おお、何という恩恵だろうか!わたしたちはこれを現在ではしばしば過小評価してしまうのだ)。人は守られ、大切にされ、平和と信頼のうちに生きている。ある種の危害や敵意などに煩わされることなく暮らしているのである。しかし外部の人間、「平和なき者」たちは、こうした危害や敵意にさらされて生きているのである-ドイツ人なら、「惨めさ」という言葉がもともとはどのような意味だったかを理解しているものだ-。こうした危害や敵意にそなえるために人々は、共同体にみずからを抵当としていれ、義務を負ったのである。もしも人がそうしなければ、何が起きるだろうか?共同体は[その人に]裏切られた債権者と同じようにふるまうだろう。そしてできるかぎりで最大の支払いを求めるはずであり、これは確実なことなのだ。この支払いにおいては、[支払いを求められる人である]加害者が直接に引き起こした被害の大きさそのものは、ほとんど問題にもされないだろう。直接の被害は別の問題であり、犯罪者は何よりもまず「破壊者」とみなされるのだ。この者はいまや、それまでその恩恵をこうむっていた共同生活のあらゆる財産と快適な生にかんして、全体に逆らって契約に背き、約束を破った者である。犯罪者はいまや債務者であり、この債務者はこれまで享受してきた恩恵や前借りを返済しないだけでなく、債権者に攻撃をしかける者である。だからこの者はこれからは、こうしたすべての財と恩恵を失うだけにとどまらないのは当然のことである彼は、こうした財がいかに自分にとって大切なものだったかを、思い知らされるのだ。被害をうけた債権者、怒り狂った共同体は、この者をそれまで保護してきた状態から、もとの野蛮で法の恩恵を奪われた状態へと追い返すのである。共同体はこの者を排除するのだ-今やこの者にたいしてどのような種類の敵意を向けても許されるのである。
負債と罪責、そして神
ニーチェは一九節にて負債の起源を以下のように語る。
原始的な種族社会の内部では−太古の時代のことだが−、生存している世代はつねに前の世代に、とくにごく初期の、種族の基礎を築いた世代にたいして、ある法的な義務を感じるものである(これはたんに感情的な責務ではない。人類が長いあいだ存続するためには、こうした責務が感情的なものとなることを否定することはできないだろうが)。ここで支配的な力を発揮しているのは、みずからの種族は祖先の犠牲と働きの力だけによって存続しているのだという確信であり、これにはみずからの犠牲と働きによって返礼しなければならないという確信である。こうして人は一つの負い目を認めたのであるが、この祖先は強力な霊として存在し続けていることが感じられ、その力によって新しい世代に新たな利益と[利益の]〈前貸し〉を与え続けていることが感じられるだけに、祖先へのこの負い目はますます大きくなってゆくのである。しかし[こうした恩恵は]無償で与えられるのだろうか?そもそもかの粗野で「魂の貧しい」時代には、無償なものはありえなかったのだ。それでは何を代償として支払うことができるのだろうか。それは犠牲であり(当初はごく粗雑な意味で食べ物だった)、祝祭であり、礼拝堂であり、崇拝であり、とくに服従であった−というのはすべての習俗は、祖先が作りだしたものであり、祖先の指令や命令に等しいものだったからだ−。それに十分な代償を支払っているだろうか?この疑いは決して消えることがなく、つねに大きくなりつづける。そしてときおり、巨額の一括払いを強いられることになる。これは「債権者」にたいする恐るべき負債の償却とでもいうべきものである(たとえば悪名高い初子の犠牲であり、血であり、つねに人間の血だった)。祖先と祖先のもつ力にたいする恐怖と、祖先に負っている負債の意識は、こうした論理にしたがって、種族の力が強まるとともに、種族がますます勝利を収め、独立し、尊敬され、恐れられるようになるとともに、それと正確に比例して、ますます強くなるのである。決してその逆ではないのだ!だから種族の力を弱めるすべての措置は、すべての悲惨な事故は、顔廃と解体の始まりを告げるすべての兆候は、その種族を創設した人々の霊にたいする恐怖を弱めるのであり、祖先の賢さと先見の明、祖先の力の現存にたいする軽視をもたらすのである。この乱暴な論理がどのような帰結に到達するかを想像してみよう。結局はもっとも力の強い種族の祖先は、恐怖の幻想が強まるにつれて、法外な存在にまで成長し、神的な不気味さと想像を絶する闇の中に押し込められるに違いない。最後に祖先は神に姿を変えるようになるのは必然である。おそらくここに神々の起源がある。それは恐怖から生まれたのだ!......この主張に、「しかし神は敬虔からも生まれるのだ」とつけ加える必要があると考えるような人には、人類が過ごしてきたもっとも長い時代、すなわちあの原初の時代について、その言い分を通すことはできないだろう。
このことは穏健な表現をするならば祖先や神話、そして歴史に象徴的な「前史的なもの」からの負債関係である。アダム以降は、いやアダムでさえも、前史的なものの恩恵に授かっている。これは原始社会から、封建社会、資本主義社会に広がれば広がるほど拡大し、その恩恵の豊かさは広がりを見せ、その分だけ負債性は増大する。他にも国民国家におけるナショナリズムも一つの負債性を基礎としていると言えるだろう。自らの国家の歴史、勃興と趨勢、その価値と大義、これらを示すことで未来の当意を示す行為は、まさにニーチェが上述したような「前史的」負債関係である。
さらにこの前史的負債の当意は、生のすべてを捧げることによるものだ。なぜならば我々の恩恵は、かつての偉大なる産物の計り知れない蓄積によって想像されたものだとし、それを継承し、さらなる発展を次なる世代に託す営みとは、死でもってしか終わることのない、無限の当意論なのだ。
そしてこの構造は資本主義によって究極形に至る。なぜならば前史的負債とは今や観念的問題ではなく、また現行秩序における再生産の是非としてではなく、経済的問題として全面化されたのである。金融資本主義と呼ばれる現代は、負債によって国家を成立させる。すなわち、それは使命や意志を超えた現実問題として我々の生すべてを捧げることを条件としたのだ。いわば、ここに前史的負債の経済化がみられるのであり、終わりなき無限の返済に駆られる僕たちは、それを無限の成長、すなわち進歩主義と読み替え、自らをいさめてきたのである。
国民国家資本主義とは、幾千年と続いた精神的な前史的負債と、経済的な前史的負債の総合を表象する。シュミット的に言うならば、いわば経済神学、すなわち「近代資本主義におけるすべての重要概念は世俗化された神学概念にほかならない」のだ。
レジンスター
2006『生の肯定』
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序論
ニーチェの記した最後のオリジナル『この人を見よ』は次のような「理解してもらうことへの不安に満ちた最後の嘆願で閉じられている」。
「私は理解されたのだろうか-ディオニュソス対十字梨にかけられし者。-」。その頃までには、ディオニュソスという形象は、ニーチェが「生の肯定」と呼ぶ理想の象徴としての役割を完全に担うようになっていた。その一方で、「十字架にかけられし者」、伝統的にパウロ的なキリスト把握を指すこの表現は、逆の理想、すなわち生の否定を表現している。これらの用語の戦略的に重要な配置は、私の見るところ、生の肯定を自らの決定的な哲学的業績だとニーチェが見なしていたことをはっきりと示唆している。
しかしそれは全人類の理解でないことは知っておかねばならない。彼は『悦ばしき知識』、そして『善悪の彼岸』の順で次のように明言する。
ニーチェが自らの見解を表明する仕方は、究極的にはその内容によって決定されているという一般的意見を、私も共有している。それだからこそ、彼は自分の文体が時々意図的に不明際であることについて、以下のように説明している。「ものを書くときに、人は理解されることを望んでいるだけではない。まさしく理解されないことをもきっと望んでいるのだ。誰かがある本について理解不能だというとき、それはその本に対する異議申し立てには必ずしもならない。ひょっとしたらそれが著者の意図の一部だったかもしれないのだ-彼はまさに「誰から」でも理解されたいとは思っていなかったのだ。(...)文体のより手の込んだ法則はすべて、その起源をこの点に有している。その法則は、先に述べたように、同時に遠ざかり、距離を創造し、「入場」を、理解を禁ずる-その一方で私たちに類縁の耳をもった者たちの耳を開くのだ」。しかしながら、この選択性はセクト的な傾向によって動機づけられているのではない。そうではなくニーチェの本が表明している見解の特殊な内容や、さまざまなありうべき読者層に対して内容が有する影響を考慮することによって、動機づけられているのだ。「それを読むのが低い魂、低い生命力であるのか、あるいは、より高くより強力な魂や生命力なのかに応じて、魂や健康に対して正反対の価値を有する本が存在する。前者の場合、その本は危険であり、崩壊や分裂につながる。後者の場合、その本は最も勇敢な者たちを彼らの勇気へと呼び覚ます伝令者の叫びである」。
それはニーチェが真理に対して、その「本性」ではなく「価値」に関心をむけるからに他ならない。
この点に関連して、以下の点には注意すべきである。すなわち、ニーチェはしばしば真理の本性よりも真理の価値により関心を抱いていたということ、そして、彼がその関心を表明するやり方は、真理の本性に関する彼の考えへの合意を有しているが、それが過小評価されてきたということである。真理の価値を問題にする際、プラトン以来の西洋哲学の伝統の中に深く身を隠している想定と彼が見なしているものに対して、自分は挑戦しているのだとニーチェは考えていた。「真理の価値という問題が私たちの前に現れた。(...)そしてほとんど信じがたく思えるけれども、ついには、私たちにとってまるでその問題は今まで一度も立てられてこなかったかのようにしまるで私たちがその問題を初めて見つけ、しっかりと目でとらえ、そしてその問題を扱う危険を冒した最初の者たちであるかのように、思われるほどなのだ」。真理の価値を問うことは、非真理や不確実や無知のほうがひょっとしたら好ましいのではないのかと問うことだと、ニーチェは明記している。
第一章
生一般に対するニヒリズム
第一にレジンスターは人生の有意味性についてから分析を始める。そこで粗野に彷彿とされるは「有意味性を多くの特殊な価値の一つととらえること」であるが、ニーチェの語る「有意味性とは総称的な価値性質」のことである。この両者は如何にして理解できるか。前者について次のように云う。
一般的に、有意味性の特質は関係的だということである。つまり、人生が意味をもつのは何か別のものとの関係によってである。いくつかの平凡な例を考えてみよう。(...)たとえば、私が何らかの職業を選んだとする。その理由の一部は、長く続く家族の伝統を永続させるためというものだ。その職業がよい選択であるのは、それが興味深かったり儲かったりするからというだけでなく、私を家族の伝統と結びつけるからでもある。私たちがよく口にするように、このことがその職業を「意味のある」ものとするのである。人生はまた、周りの世界と違う種類の関係を獲得することによっても、意味あるものとなりうる。たとえば、ある人の人生が世界の成り行きに大きなインパクトを残したり、世界に何らかの影響を与えたりしたとき、その人生は意味あるものだったと私たちは言う。意味ある人生というのは、人類の文化の歴史に印を残した業績によって、特徴づけられる-非常に美しい作品や表現力を創造した芸術家の人生や、新しい思想を発展させた哲学者の人生、帝国を建設した政治家の人生、等々。議論の余地があるとはいえ、人生が意味あるものとなるのはただ、それがある特定の影響をおよぼした場合のみ、おそらくよりよい影響をおよぼした場合のみである、と私たちは付け加えたくなるだろう。その場合、有意味性という観念は他の諸価値との本質的な関係を有することになる。
すなわちこの場合人生の意味とは相対的であり、関係的であり、作られるものである。さらにそれは存在それ自体に意味が刻印されている訳でなく、主体の諸行為によって人生の意味が築かれていくことに他ならない。意味とはその地平において、内に秘められたものでなく、外へ探しにいくものなのだ。ゆえに「一般的に有意味性の特質は関係的だということである」。したがってこうした解釈では一方の生には意味があり、他方には意味がないと言い換えることができるわけだが、ニーチェの語る人生の有意味性とはこれではない。彼の著作で現れる生の意味とは、そうした相対的、他律的、特殊的な、社会的な問いではなく、絶対的、自律的、普遍的な「実存主義的な問い」の議論なのである。すなわち「ニーチェのニヒリズムは生全般の意味に関係している」。
対照的に、人生の意味を考えるための二つ目の道においては、有意味性とは総称的な価値性質のことである。有意味性のこの観念は、「人生に意味があるのか」という実存主義的な問いにおいて典型的に問題となる類のものである。この問いが尋ねているのは、人生は、それがもつことのできる他の諸価値(道徳的であるとか、思慮深いとか)から区別されるある特殊な価値を有しているかどうかといったことではない。そうではなく、人生に意味があるのかということで尋ねられているのは、単純に、人生はそもそも生きるに値するのか、ということなのである。この場合、意味ある人生という観念は純粋に形式的な概念であることになる。つまり、その概念の内容は、行為主体の最高の諸価値や諸理想によって決まる。したがって、ある人生は意味がないにもかかわらず生きるに値する、などということはありえないことになろう。しかも、実存主義的な問いは、概して、人間の生全般に関する問いであり、個々人の特殊な人生に関するものではない。それが尋ねているのは人間の生に特有の諸性格をもって生きることの価値についてなのである。たとえば、苦悩や死を避けることのできない人生など生きるに値するのだろうか、と。そしてこの問いに対して肯定の答えを与えるのであれば、苦悩と死に対する何らかの正当化を提供せねばならなくなるだろう。
ではこうした人間の生形式一般に対する「実存的な問い」に対してニーチェは如何に応えるのか。
ニヒリズムという概念は、きわめて当然のことながら、意味ある人生という観念の二つ目の解釈と関連づけられている。そもそも、ニーチェによる分析においては、意味がない(sinmlos)と価値がない(werthlos)という両術語は、交換可能な形で使われている。言い換えると、意味ある人生という観念は、単純に、生きるに値する人生という観念のことであり、それゆえニヒリズムとは無価値性の認識のことなのである(「いまや世界が無価値に見えてくる(nun sieht die Welt werthlos aus)」)。そしてニーチェのニヒリズムは生全般の意味に関係している。 つまり、そのニヒリズムとは、「生じることのすべてに意味はない」という見解なのである。
ではこの「意味」や「価値」とはなにをもってはかることができるのか。ニーチェは次のようにいったとする。
ニーチェは、人生が生きるに値するのはただ、人を駆り立てるような諸目標、つまり生きることへと駆り立てる諸目標が存在する場合に限る、と言明する。したがって、ニヒリズムは目標のないことと定義できるかもしれない。「ニヒリズムとは何を意味するのか。(...)目標が欠けていること。「なぜ」へのいかなる答えも見つからない」
すなわち「意味」や「価値」は目標によって決定づけられるのであり、目標によって秩序づけられるものこそ、人生の「意味」または「価値」と呼ぶものである。そしてこの目標が欠如した状態、これをニヒリズムと呼ぶのであり、レジンスターはまさにこの状態を「方向喪失」と換言するのだ。
ニーチェのニヒリズム概念は、(道徳的、価値的な)ある種の事実は実在しないということの単なる純粋に理論的な認識ではなく、この認識に起因する喪失あるいは方向喪失という実践的感覚、つまり「「なぜ」へのいかなる答えも見つからない」ということなのである。(...)ニヒリストは根本的に、意味の喪失そのものを、意志すべき何かの喪失を、嘆くということである。そしてニヒリストが経験する特徴的な苦境を彼は方向喪失の感覚として特徴づけているのだ。「太陽から地球を切り離したときに、俺たちは何をしていたのか。どこへ俺たちは動いているのか。あらゆる太陽から離れていくのか。絶えず落ちているのではないのか。後ろへ、脇へ、上へ、あらゆる方向に。そもそもまだ上とか下があるのだろうか。俺たちは無限の無のなかをさまよっているのではないのか」(「私たちは重力の中心を失ってしまった。それによって生きてこられたのに。私たちはしばらくのあいだ途方に暮れている」)。(...)ニーチェは、それを引き起こしているのは、人間の意志を動機づけることのできる意味への、諸価値の実在への、人間特有の欲望、まさにその必要性だと推測している。「徐々に、人間は空想的な動物となってしまった。生きるために他の動物より一つ多い条件を満たさねばならないのだ。時々、人間は自分がなぜ存在しているのかを信じ、知らねばならないのだ。生きることへの周期的な言頼なくして-生における理性への信仰なくして-人間という種族は繁栄できないのだ」。ニヒリズム的方向喪失は、その必要性が満たされないフラストレーションの帰結なのである。人類は生きるために目的あるいは意味をもつことを必要とする。だが生きることは出来事の無意味な連続であることが判明してしまったのだ。したがって、倫理的規範性に関するニーチェの思想の中心には、意味というものは自然的必要性の対象であるという考えがあることになる。「自然的」必要性というのはここでは単純に、それを満たすことが「生存条件」であるような必要性のことである。私たちが生きることの完全な無意味性をすべて承認することは「自殺的ニヒリズム」へとつながるだろう。
人間において「目標」こそが人生の「意味」や「価値」を規定してくれる「生存条件」なのであり、それを失った存在は「方向喪失」へ陥る。そしてそれに対する救済やオルタナティヴたる目標を獲得できなかった存在は「自殺」、すなわち自存在の完全なる否定へと至るのだ。そしてこうして目標を失った存在をニーチェはニヒリズムと呼ぶのである。かくして「生存条件」を失ったものは「絶望」をあらわにする。
しかしながら、絶望のすべての形がニヒリズムだというわけではない。ニヒリズム的絶望にとって何が特徴的なのかを理解するために、自らの諸価値が実現不可能であるというニヒリストの確言の意味をより詳しく検討しなければならない。諸価値が実現不可能なのは得然的かもしれないし、必然的かもしれないということを先に私は指摘した。ある価値が特定の行為主体の人生の偶有的な環境下でのみ実現不可能である場合、その価値は得然的に実現不可能である。私の人生に意味を与えるであろう目標は次の偉大なアメリカ小説を書くことであるが、不運にも余暇や文学的才能がないために自分にはそれをすることが不可能であると私が気づいたと仮定しよう。この場合、私の人生は無意味である。だがそれだけでは私を二ビリストにはしない。というのも、私は生そのものに失望してはおらず、ただ私自身の人生にのみ失望しているだけだからである。私はまだ生きることを欲している。まったく別の人として。思い起こしてほしいのだが、ニヒリズムとはある人の特定の人生が無意味だという見解ではなく、生般が無意味だという確である。自分の特定の人生ではなく、生一般が無意味だという結論を下すためには、この世界が必然的もしくは本質的に自らの諸価値の実現にとって適しておらず、自分の人生の特定の環境のいかなる変化も効果がないのだと、ニヒリストは肩じていなくてはならないのだ。
「ニヒリズム的絶望」とは「生一般」に対する絶望であって、粗雑な悲観主義とは一線を画する。それはカントの言葉を使うなら定言絶望なのであって、そこらの陰鬱を漂わせた人間の条件づけられた仮言絶望と混同するのはあってはならない。そしてそれは冒頭の区分に帰着する。すなわちニーチェは有意味性においても、その失脚における絶望においても、相対的で、他律的で、特殊的で、関係的なものとしては扱わず、あくまで生一般に共有された絶対的で、自律的で、普遍的なものとして。言い換えるなら「総称的な価値性質」として扱うのである。ゆえにニヒリズムとは論理的帰結に他ならず、生理学的兆候、すなわちデカダンスではない。
一つの観点からすると、ニーチェはニヒリズムを哲学的な問題だと考えていた。「「社会的窮境」あるいは「生理学的退化」を(...)ニヒリズムの原因と考えるのは間違いである」。ニヒリズムは心理学的状態ではないし、生理学的退化の結果でもない。社会文化的現象でもないし、社会的窮境の現れでもない。そうではなくて、ニヒリズムとは、ある種の価値にコミットすることの結果なのである。「ニヒリズムは、私たちの偉大な諸価値や諸理想の究極的な論理的帰結を表しているのである(die zu Ende gedachte Logik unsrer grossen Werthe und Ideale)」。この区別はいくつかの重要な帰結をもたらす。第一に、「生理学的」絶望は、薬やそれ以外の何らかの心理学的あるいは生理学的治療によって緩和することができるが、「哲学的」絶望は、哲学的議論を含む哲学特有の手段によってしか克服できない。第二に、何らかの神経化学的失調に苦しむ際にはその徴候である絶望感を経験しないことはありえないが、ニヒリズムを含意する何らかの信念を有していないがらも、そのことに気づかず、それゆえ絶望感に類するそのような経験をしないということは、きわめてありそうなことである。それと認識せずにニヒリズム的苦境に陥っているということがありうるのだ。ニーチェが見ているニヒリズムは、「神の死」の一つの帰結であるが、神の死を受け入れている多くの人は、その出来事の含意をまだ正しく理解できていないのである。しかしながら、一般的に言って、後期近代のヨーロッパ文化においてニヒリズムへの実際の気づきは広まっている。それでも、ニヒリズムが「私たちの偉大な諸価値や諸理想の論理的帰結」であるという決定的な事実は、依然として認識されないままである。ニーチェはこの状況を「不完全なニヒリズム」と呼んだ。それは、「完全なーとリズムがいかにこれまで抱かれてきた諸理想の必然的な帰結であるのか」を正しく理解できていない者たちの苦境なのである。私たちの諸価値や諸理想を前提する場合に帰結するニヒリズムの合理的必然性をニーチェが自ら断言するのは、それを支持しているということではなく、ある種の諸価値や諸理想にコミットすることがニヒリズムの発生に果たしている本質的な役割を暴露しようとする努力なのである。したがって、ニーチェが自分に割り当てた課題は、ヨーロッパ文化の最高の諸価値と諸理想にニヒリズムの最も深い源泉があるということを明らかにするという意味で、ニヒリズムを完成にもたらすことなのである。(...)この診断の重要性は過小評価されてはならない。というのも、もしニヒリズムが「単に、生理学的デカダンスの現れにすぎない」ことが明らかになるとすれば、それに従ってニヒリズムの克服の見通しは修正されなければならないからだ。ニヒリズムの生理学的ルーツが明らかになるならば、哲学もまた、まさにそのことによって、ニヒリズムを克服するための自らの力の限界を明らかにすることになるだろう。というのも、哲学的議論は生理学的デカダンスに対して力をもっていないからである。
すなわちニーチェの分析とは生一般、存在に刻印され、それ自体の存立条件として切離すことのできない生それ自体の病理を分析し、絶望したのである。
ニヒリズム打開にむけて
そこでニヒリズム、より詳細にいうのであれば「方向喪失」と「絶望」を拭うにはなにをすればよいか。
ニーチェによれば、目標が駆り立てる力をもつ(それゆえ人生に意味を与える能力をもつ)のはただ、二つの条件がそろった場合のみである。つまり、その目標には価値があり、かつまたその価値は実現可能である、と行為主体が評価する場合である。方向喪失としてのニヒリズムにおいては、最初の条件が満たされない。目標の価値がそれによって評価されるはずの諸価値が無価値化してしまっているのである。それに対し、絶望としてのニヒリズムにおいて満たされないのは、二つ目の条件である。私たちの最も価値のある諸目標、私たちの最高の諸理想が、実現不可能だと判明するのである。
このすなわち行為主体に叶う目標の価値が提示されていれば、その生は方向喪失に陥らず、同時に実現可能であれば絶望しなくてすむのである。これらは次のようにも言い換えられる。
ある目標が人生を生きるに値するものたらしめるのは、その目標が行為主体を生き続けることへと駆り立てる場合に限る、というものである。(...)目標の有する駆り立てる力は、二つの条件に依存する。第一に、それは目標の価値に関する行為主体の評価に依存する。第二に、それはまた目標の実現可能性に関する行為主体の評価に依存する。この二つの条件の片方あるいは両方が満たされない場合、目標は駆り立てる力を失うことになる。したがってニヒリズムは二つの源泉をもつことになるだろう。(...)個人の人生の意味はしたがって、二つの要素の関数なのだ。自らの目標の価値に関する評価と、その実現可能性についての評価である。