ある判断が間違っていたとしても、それはわたしたちにとって判断そのものを否定する根拠にはならない。(...)重要なのは、判断というものがどれほどまでわたしたちの生を促進するものか、生を維持するものか、人間という種を維持するものか、おそらくは種を育てるものかということなのだ。(...)非真理が生の条件であることを認めるべきなのだ