フーコー
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18世紀的リベルティナージュ
17世紀初頭、自由思想としてのリベルティナージュは、生まれつつある合理思想であるばかりでなく、理性それ自体の内部における非理性の現存を前にした不安、つまり理性の認識の限界ではなく理性をまるごと疑う懐疑思想でもあった。
つまり17世紀のリベルティナージュとは、デカルトに向かう合理思想であると同時に、パスカルに向かうような懐疑思想でもあったのだ。この異種混入状態は長く続かず両者の「あいだに根本的な大きな切断」ができたという。一方は合理主義という形態に「リベルティナージュ」の語からすり抜け、自らのシニフィアンを確固たるものとしていった。理性が抜け落ちてしまった「自由思想」は放蕩へと変容を遂げる。「合理主義においては、どんな非理性も不合理なものの外観をまとう。もう一つは心の非理性であって、それは自らの非理性的な論理に理性の言説を順応させる」。 「自由思想」は、いまや非理性の側に滑り落ち「放蕩」となったのである。18世紀には、首尾一貫した厳密な意味での自由思想の哲学は存在しない。リベルティナージュが「自由思想」という意味でこの時代の哲学について使われる場合は、あくまでも表面的な用法であり、この言葉は、監禁施設の登録者名簿の中でのみ、「放蕩」という意味で正しく使われたのである。当時、この『リベルティナージュという言葉が意味していたのは、自由な思想ではまったくなく、厳密には風紀の自由でもなく、逆に「理性が欲望の奴隷となり心情の召使となっている隷属状態」なのである。(...)18世紀にはじめてサドが、彼以前にはその存在はなかば秘密のままであったリベルティナージュについて首尾一貫した理論をつくろうとするとき、彼が賞揚するのはまさしくこの奴隷状態だったのである。
なぜサドの構築した理論が「自由な思想ではまったくな」いと言い切られるのか。そしてサドの構築した言説はなぜ「理性の言説を順応」させた「非理性的な論理」だとか「理性が欲望の奴隷」だとか言えるのだろうか。心情の召使であるリベルタンの教義を次のように説明する。
リベルタンは、「自分の情念のどんなにちょっとした欲望にも応じて、(...)どんなに忌まわしくても」すべての行為をやってのけることを名誉にかけて誓わなければならない。リベルタンはこの隷属状態の中心部に身をおかねばならないし、「人間は自由ではないこと、自然の掟によって束縛されているので、すべての人間がこの基本的な掟の奴隷で在ること」を確信している。
即ちあくまでリベルタンにとっては「心情」や「情念」が核なのであって、それに従うことをリベルタン自身が強いられている意味で「自由な思想ではまったくなく」、またリベルタンは「心情」や「情念」の論理を核に、道具的に理性を用いて言説を構築するゆえに「理性の言説を順応」させた「非理性的な論理」であると同時に「理性が欲望の奴隷」なのだ。
こうして非理性は新しい領域を手にいれる。すなわち、そこでは理性は心情の欲望に従い、理性の行使は、不道徳に属する放縦な行いに類似する。
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コスモポリタニズムとしての実用性
まずフーコーはカントの実用的人間学の見地を下記のように論ずる。 ―世界知は〜具体的な生を組織し導く実用的な境地に立たなければならない。―そのためには、知が働く二つの領域である自然界と人間界は、狂詩曲の主題のように雑然ととりあげられてはならず、宇宙論的なやりかたで捉えられなくてはならない。すなわち、自然界と人間界からなり、この両者が所を得て、たがいに位置づけられるような全体との関係において捉えられなくてはならない。〜人間学が自然と出会うのは、あらかじめ人間の居住可能な場として考えられた「地球」という姿のもとでしかないのだ。その結果、地理学と人間学を前もって遠くから支配し、自然についての知と人間についての認識の統一的な参照枠とされるような、宇宙論的なパースペクティヴという理念は雲散霧消して、コスモポリスの理念にとってかわられる。このコスモポリスの理念はプログラムとしての性格を持っており、それにしたがって世界はすでに与えられた字宙としてよりも、建設さるべき政治共同体としてあらわれるのである
別箇所でフーコーは「1770年代の講義草稿では、問題はただ「一、自然物としての人間についての認識、二、人倫的存在としての人間についての認識」というふうに分離されて考えられるか、あるいは「世界知とは、一、自然知、二、人間知であるが、人間は同時にひとつの自然を持つ」といった円環をなすものとして考えられているだけだった。後年の断章では、〜「人間知は、われわれはみずからの意図に即して自然をもっともよく使用できる、という理念を根底とする」。」という。つまり、こうした「後年」にかけての転回を指して「人間学が自然と出会うのは、あらかじめ人間の居住可能な場として考えられた「地球」という姿のもとでしかない」といったと考えられるだろう。また、こうした意味で「実用的」概念を理解しなければならない。それをフーコーは下記のように整理する。 『人間学』が「実用的プラグマティック」なのは、それが人間を諸々の精神からなる道徳的な共同体に属すものととらえる(もしそうなら、『人間学』は「実践的」と呼ばれるだろう)のでもなく、諸々の法的主体からなる市民社会に属すものととらえる(その場合は「法的」となるだろう)のでもなく、むしろ「世界市民」として、つまり具体的普遍の領域に属すものとして考察するからなのだ。〜『人間学』が実用的であることとと、人間を世界市民としてとらえることは、したがって同じことを意味する。 『言葉と物』の前触れを予感させる結論部
例を挙げるなら「人間本性という意味での「自然」」として人間は自由や実存などをもつ、と錯覚されてしまったのだ。
その結果、錯覚はそれを批判する認識論的考察の運動によって定義されるのではなく、批判以前の水準に差し戻されて、二重化と根拠づけをこうむった。こうして、錯覚は真理の真理となった。〜錯覚は批判の存在理由と源泉となり、真理を失いつつたえず真理に呼び戻される人間の運動の原点となった。いまや有限性として定義されたこの錯覚は、真理の退却地そのものとなったのだ。真理はそとに隠れているのだが、つねにそこに見いだされうるのである。
つまり「真理の真理」とは、超越論的誤謬によって「人間本性」という基盤的な真理が構築され、その論理的基盤のもとに二次的真理をうちたてる、という意味で理解できよう。それゆえ二次的な真理が打ち破られたとき還る先(=退却地)が人間本性になるのだが、それ自体が錯覚にすぎないのだ。その意味で「真理を失いつつたえず真理に呼び戻される人間の運動の原点」を理解できるだろう。
ニーチェの企ては、人間についての問いかけの増殖についに終止符を打ったものとして理解しうるだろう。実際、神の死は、絶対者にとどめを刺すと同時に人間自体を殺すような、二重の殺害の身振りとともに宣言されたのではなかったか。〜神の死は人間の死において完成するのだ。〜「人間とは何か」という問いが哲学の領野のなかで辿った奇跡は、その問いを退け、無力にする、ひとつの答えにおいて完結する。すなわち、超人。 性行動というものは、現代の体験においてその本性の真実を見いだした。その真実は長いあいだ影のなかに置かれてきたし、それもさまざまな仮装をまとってのことだった、そしてわれわれの実証的な明敏さだけが今日、これが言語の全き光に進するに先立ってこの実を解読することを可能ならしめる―人は好んでそんなふうに思いこんでいる。
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人間にとって自らの身体は決して逃れることのできない場所、私にとってつねにある場所という点で〈どこにもない場所=ユートピア〉の対極にありながら、そうであるがゆえに身体は、人間が夢想し、欲望し、構想するすべてのユートピアの主要な当事者なのだと述べる。
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グラアニ族の言葉を用いるなら、私たちの身体とは、私たち各々にとってつねに〈一〉である場所であり、そうであるがゆえに〈二〉であろうとすることがそこで生起し、夢想され、欲望され、構想する。
ヘテロトピア学
私は、あれら異なった空間、あれら別の場所、私たちが生きている空間へのあれら神話的で現実的な異議申し立てを対象とするような、ある学―まさしくそれを一つの学と呼ぶことにする―を夢想しているのだ。この学は、ユートピアを研究するものではないだろう。というのも、ユートピア〔非在郷〕というこの名前は、まったくいかなる場所も持たないようなものに取っておかねばならないからだ。この学は、ヘテロトピア〔異在郷〕を、絶対的に他なる空間を研究するだろう。 上記のような転回を行うべく、フーコーは冒頭でユートピアの「非在性」を述べていたのだ。
かくして、場所なき国々があり、年譜なき歴史が存在する―いかなる地図上にも、いかなる天空中にもその痕跡を見出すことができないような、都市、惑星、大陸、世界が。というのも単に、それらはいかなる空間にも属していないからだ。恐らく、これらの都市、これらの大陸、これらの惑星が生まれたのは、言わば人間たちの頭の中、あるいは実を言えば、人間たちの言葉の隙間、彼らの物語の厚みの中、さらには彼らの夢という場所なき場所の中、彼らの心の空虚の中であろう。要するに、それはユートピアの甘美さなのである。
すなわち「私の考えでは、ある正確で現実の場所を持ち、地図上に位置づけられるようなユートピアが、ある特定の時間を、毎日のカレンダーに従って特定し測定できるような時間を持ったユートピアが―あらゆる社会の中に―存在する。いかなるものであれ各人間集団は、自らが占めている空間の中に、自らが実際に生き、働いている空間の中に、ユートピア的場所を浮かび上がらせることが大いにありうる」とした言明は「ヘテロトピア」のことを指しているのである。
そしてフーコーは上記の探究を「ヘテロトピア学」として「生まれつつあるこの学に、まったく最初の基礎を与えなければならない」と述べる。
第一の原理=あらゆる社会に存在すること
つまりヘテロトピアとは、ある社会が「自らのために単数あるいは複数のヘテロトピアを構成する」ものであり、ヘテロトピアのない「社会は存在しない」。なぜならそれが「あらゆる人間集団の不変的性格」だからだ。ただそのヘテロトピア自体は可変的で動的なものなのだ。そこでまず未開社会の「生物学的ヘテロトピア」を紹介する。 例えば、社会が選好するヘテロトピアに応じて、社会が構成するへテロトピアに応じて、社会を分類することができるだろう。例えば、いわゆる未開社会は―ある面では私たちもそうだが―、特権化された、聖なる、あるいは禁じられた諸々の場所を持つ。ただし、これらの特権化された、あるいは聖なる場所は、一般的に、「生物学的に危機の状態にある」個人に割り当てられる。思春期にさしかかった若者にとっての特別な施設がある。生理期にある女性に割り当てられた特別の施設がある。また、産褥期にある女性に割り当てられた別の施設がある。私たちの社会において、生物学的に危機の状態にある諸個人のためのこれらのヘテロトピアは、ほぼ消滅した。〜また結局のところ、若い娘にとっては、新婚旅行とはヘテロトピアであり、ヘテロクロニー〔異時間〕であったのではないか、と私は自問する。つまり、若い娘の処女喪失は、彼女が生まれた家で起こってはならなかった、この処女喪失は言わばどこでもない場所で起こらねばならなかった、ということだ。
そして「これら生物学的へテロトピア〜は、徐々に姿を消し、逸脱のヘテロトピアに取って代わられる」という。では逸脱のヘテロトピアとはなんなのか。 つまり法に背く犯罪者、デフォルトの行動規範からかけ離れた精神異常者、など「逸脱」者を収容する機関こそが、「逸脱のヘテロトピア」なのだ。
第二の原理=節合性或いは脱-節合性
そこで墓地を中心に例を持って論じる。
例えば、約二〇年前から、ヨーロッパのほとんどの国は、売春宿を消滅させようと試みてきた。ご存じの通り、それは中途半端な成功に終わっているが、それというのも電話が、私たちの祖先の古い売春宿に代えて、クモの巣のごとき、さらに巧妙なネットワークを作り上げたからだ。それに反して、私たちにとって、私たちの現在の経験において、ヘテロトピアのより明白な例である墓地(墓地は絶対的に他なる場所である)は、西洋文明において常にこのような役割を演じてきたわけではなかった。一八世紀まで、墓地は都市の中心にあり、街の直中の、教会のすぐそばに配置されていた。そして実を言えば、人は墓地にいかなる荘厳な価値も与えていなかった。一部の個人にとって以外、遺体に共通の運命は、個人の亡骸に対する敬意などなく、ただ単に死体置場に投げ込まれるだけというものだったのだ。ところで、極めて興味深いことに、私たちの文明が無神論的になった、あるいは少なくともより無神論的になったそのとき、つまり一八世紀末に、遺骸が個人化されるようになったのである。各人は自らのささやかな箱への、自らのささやかな腐敗への権利を得たのだ。他方で、これらすべての遺骸、これらすべてのささやかな箱、これらすべての棺、これらすべての墓、これらすべての墓地はわきに除けられた。それらは街の外に、都市の境界に置かれたのである―あたかもそれが、感染の中心であると同時に感染の場所であるかのように、そして言わば、死の伝染の中心であると同時に死の伝染の場所であるかのように。しかし、忘れてはならないのは、こうしたことすべてが起こったのは、一九世紀、しかも第二帝政の最中に過ぎないということである。事実、巨大なパリの墓地が街の境界に整備されたのは、ナポレオン三世下のことである。また、挙げておく必要があるのは―そのとき言わば、ヘテロトピアの多元決定があることになるだろう―結核患者のための墓地であろう。 人間の終焉の意味
一九世紀は、非常に重要なものがいくつか考え出された世紀でした。例えば微生物学がありますし、また電磁気学などもそうですが、この世紀はまた、人間科学が創出された世紀でもあります。人間科学を創出するということ、このことは見たところ、人間を或る可能な知の対象とすることであった、というふうに思われます。それは、人間を認識の対象として構成するということでした。さて、この同じ一九世紀に、ひとはまた次のような壮大な終末論的神話を希望し、夢想していました。すなわち、この人間の認識を、それによって人間がその疎外から解放され、彼の統御できないあらゆる決定から解放されるようなものとし、人間が、自身について得たこの認識によって、自分自身の主人、所有者に戻るようにする、或いは初めてそうなるようにする、という神話です。言い換えるなら、ひとは、人間が自分自身の自由と実存の主体となることができるように、人間を一つの認識の対象としていたのです。〜まさにその点で人間は一九世紀に生まれたということができるのです。 つまりフーコーにおける一九世紀の「人間の誕生」は、「人間が自分自身の自由と実存の主体となる」ための「人間科学」である。だが探求が進んでゆくうちに「見出されたのは、構造であり、相関関係であり、ほとんど理論的といってもいいような体系でした」。その意味で「人間なるもの、人間の本性或いは本質、さらには固有の性質といったものが、一度として見出されなかった」、つまり自由と実存なぞ立ち顕れなかったのである。
そして人間、その自由、その実存における人間は、ここでもまた消滅してしまったのです。
だがこれは勿論、神経科学や社会科学を筆頭とした、人間科学の失墜を意味しているのではない。これがよくある誤謬である。つまり人間を探求することが消え失せるのではなく、一九世紀的人間観の失墜なのである。
この人間の消滅は、ひとが人間をその根元において捜し求めていたまさにその時に起きたのですが、その結果人間科学も次第に消えて行く、ということにはなりません。私はそんなことを言ったことは一度もありません。しかし人間科学は今後、このヒューマニズムにもはや封じ込められたり、規定されたりしていない地平の中で展開されるようになるでしょう。哲学において人間は消滅しますが、それは知の対象としてではなく、自由や実存の主体としてなのです。 そして自然科学的見地によって消滅していった一九世紀的人間本性を極めて宗教的なものであるとする。
主体たる人間、自身の意識と自由の主体たる人間とは、結局神と相関的な一種のイマージュです。一九世紀の人間は、人類の中に受肉した神なのです。そこでは人間なるものの一種の神学化が生じました。地上への神の再降臨があって、その結果一九世紀の人間はそれ自身が幾分神学化することになったのです。 https://scrapbox.io/files/6511410c42d490001c529d01.png
中村雄二郎: 訳語解説
閾〈seuil〉
日常語としては「敷居」や「入口」を表すが、学術用語としては、地理、地質学では、二つの山魂を分ける断層を意味する。が、学術用語としてもっとも重要な意味を帯びて使われているのは心理学の領域で「刺激が或る反応を呼び起こすに必要最小限に達する点」をまず表し、さらに〈seuil absolu〉というとき、「そこを超えると知覚が消滅する限界的価値」を表す。日本語の「閾」も主として心理学用語〜だが、一つの領域から他の領域〜に移行する決定的境界、という意味では、物理学や経済学の諸現象についても広く言われるようになった。
系・系列〈série〉
本来では数学用語〜数学上では一定の法則に従った連続数、とくにさまざまな級数を表すことが多いが、一般には、まとまりをもった一様な連続物を意味し、訳語としては化学や植物学では「系」(ときに「系列」)、博物学では「族」、地質学では「統」と訳されている。
ゲシュタルト〈configuration〉
ドイツ語の「ゲシュタルト心理学」でいう「ゲシュタルト」は、もっとも端的には「構造をもったもの。まとまりをもった一つの図形、一つのメロディー、一つの動作など」のすべてをさすが、従来の「ゲシュタルト」の仏訳は「フォルム」〈forme〉であり、英訳が「コンフィギレーション」〈configuration〉であった。ところが、フランスの「フォルム」が一般の用法としても広く使われてるため、最近では特に「ゲシュタルト」の意味を明示するとき、英語〜をフランス読みにした「コンフィギラシオン」が用いられるようになった。なお、〈configuration〉は元来、英語でもフランス語でも、星の配置を意味する天文学上の用語であった。 言表〈énoncé〉
本書において、フーコーは「言表」を「言説」を構成する最小単位としてとらえている
さまざまな言表が同一の言説編成に属するかぎりにおいて、そうした言表の総体を言説と呼ぶ
上記のように述べられているように厳密な概念として用いられている。
言説〈discours〉
これまでフーコーについて「ディスクール」は「叙述」「叙法」「話し方」「論述」「陳述」「説述」「述話」などの訳語があり〜わたしはあえて「言説」という訳語を採用して、ときに「論述」という訳語を括弧にいれて援用することにした。
最大の理由は「ディスクール」には「言」という要素と「説」という要素が不可欠なものとして存在していること、および、言語学的にも端的に言って「言表の総体」としてとらえられていることによる。また『ロベール仏語大辞典』によって「ディスクール」がギリシア語の「ロゴス」〈logos〉に由来することを知って、「ディスクール」が「話」という意味と、「ディスキュルシフ」〈discursif〉という場合に「論弁的」という意味を持ち得ることに納得がいった。
なお、本書の基本テーマは、すべて「存在」は「言説」の網の目をとおしてとらえられ、存在するということにある。したがってフーコーの場合には、たとえばマルチネのように「ディスクール」は必ずしも「言語体系、システム、コード」に対立するものではなく、いわば、それらと異なったオーダーにおける一種のシステムやコードを形づくるものと言うべきであろう。 編制〈formation〉
ふつう「形成」と訳される「フォルマシオン」をあえて「編制」と訳したのは、本書中でキー・ワードの一つとしてフーコーが使うとき、「フォルマシオン」は「形成」行為や、さらに「形成」された外的なかたちではなく、むしろ内部的な「編制」を意味させているからである。
総体〈ensemble〉
フーコーが〈ensemble〉という語を用いるとき、その背後に「集合論」的な考え方があることは「基底総体」(=「部分集合」sous-ensemble)などといった表現が用いられていることからも明らかである。
集蔵体
1968年5月号の『エスプリ』誌では下記と述べている
この語〔アルシーヴ〕によってわたしが意味するのは、或る一定の時代に集められた、あるいはこの時代から消去の災難を乗りきって保存された、大量のテキストのことではない。それは、或る時代、或る一定の社会において、〔言説や言表についてのさまざまな限界や形式を規定する〕諸規則の総体である。
また本書では下記のように述べる。
諸言表の出現を独自な出来事として支配するシステム
要するに、「諸言表を整序する諸規則の集蔵体」を意味するものと考え訳語をあてた。
考古学〈archéologie〉
1968年5月号の『エスプリ』誌では下記と述べている
歴史的なものの厚みのなかで、歴史自身の諸条件を解読しよう
つまりフーコーが「考古学アルケオロジー」というとき、それは始原を意味するギリシア語の「アルケー」〈arché〉の学を意味するのものでなく、彼自身の造語たるアルシーヴ(集蔵体)の記述を意味するものとされる。 読者に
本書の主題
要するに、わたしがこれまで空のままで放置してきた〈考古学〉という語にシニフィカシオンを与えることである。〈考古学〉とは危険な語ことばである。というのは、それが時間の外に抜け落ち、今や無言の中に凍結されたさまざまな痕跡を呼び起こすように見えるからである。事実は、重要なのは、さまざまな〈言説ディスクール〉を記述することである。(その著書との関係における)書物でも、(その構造や緊密性を伴った)理論でも決してない。そうではなくて、時間を貫いて医学というもの、経済学というもの、あるいは生物学というもの、として与えられている、同時に身近でもあれば謎を含んでもいるさまざまな総体のことである。わたしは、これらの統一体が、たとえ独立したものでもなく、規整されているものでもないにせよ、それらが永遠の変形のうちにあり、匿名で、主体がないにせよ、また、多くの個別的な著作を貫通するにせよ、多くの自律的な領域を形づくることを示したいと思っている。そして思想史がテキストを解読することによって思念の秘められた運動〜「述べられた事柄」のレヴェルをその特殊性において明らかにしたいと思っている。すなわち、そうした事柄の出現の条件、その累合と連鎖の諸体系、その変形の諸規則、そうした事柄のあらこれを分解する非連続性、など。述べられた事柄の領域とは〈集蔵体アルシーヴ〉と呼ばれるものであり、考古学の使命はこれを分析することにある。 /icons/白.icon
序論
新しい歴史学への手引き
フーコー的歴史観
歴史が自ら第一の仕事として課するのは、記録を解釈することでも、記録の語る真偽や表現のなんたるかを決定することでもなく、内部から記録に働きかけ、仕上げることなのである。すなわち歴史は、記録を組織化し、截りとり、区分し、秩序あるものとし、幾つかのレヴェルに分け、系をうち立て、十分に適合するものとそうでないものとを区別し、諸要素を標定し、統一性を明確にし、諸連関を記述するものとなる。
上記から見出される記録概念の転回
それゆえ、記録ドキンマンはもはや歴史にとって、惰性的な素材−それをとおして歴史が人々の言動や、ただ形跡だけが残っている過去を再構成しようと試みる素材−ではない。〜記録は、それ自身としても、正当な権利からいっても〈記憶〉でありうるような、歴史の好都合な道具ではない。 総じて下記のように歴史を定義づける。次節では下記の定義から帰結する
歴史とは、(書物、テキスト、物語、帳簿、証書、建造物、制度、取決め、技術、物件オブジェ、慣習などの)記録的物質性〔素材性〕にかかわる仕事であり、その物質性を作品化することである。〜約言するならば、歴史はその伝統的な形態においては、過去の〈モニュマン〉を「記憶化する」こと、それらを「記録」に変えること、および痕跡をして語らせることを企てた。 第一の帰結=切断と長い時期
ここからさまざまな帰結が生ずる。まず、周知となった表面的あらわれとして、思想史における切断の増大、本来の歴史における長い時期への着目がある。
まず従来の歴史研究についてを「いつまでも接近不可能な起源や創始的開始ウーベルチュール・フォンダトリスに遡る、理性の連続的な年代学」と批判し以下のように紹介する。 伝統的な形態のもとでは、日付のある事実や出来事の間に(単純な因果性、循環的決定、対立、表現などの)諸連関を明確化する努力として自称された。すなわち、一定の系が与えられれば、そのあと問題になるのは個々の要素の隣接関係を精確化するだけなのだ。以後、問題はさまざまな系を構成することにあることになる。〜今日の歴史学における長い時期の出現は、歴史哲学への復帰でも、地球の先史的時代区分、あるいは諸文明の寿命によって規定された諸段階への復帰でもない。それはさまざまな系の、方法論的に協合された仕上げの結果である。
だかそんな現代の歴史研究手法に対する逆説的なパラダイムを紹介する。
思想、思念、諸科学などの歴史においては、同一の変動が、反対の結果を惹き起こした。すなわき、意識の発達が構成した長い系、理性の目的論、人間の思念の進化などが解離され、収斂と達成の多くの主題が問い直され、全体化のさまざまな可能性が疑われることになった。
そして現代の上記潮流は下記のような性質を紹介するとともに、フーコーの帰結の立場を明らかにする。
相異なった系−それらを一つの線的な図式に還元することなく、互いに並置され、相継起し、重なり合い、交錯し合う系−の個別化をもたらした。〜しばしば短く、相互に区別の明らかな尺度、唯一の法則に逆らい、しばしばそれぞれに相応しい一つの歴史類型を携えた尺度、獲得し、前進し、自ら想起する意識の一般的モデルに還元しえない尺度、などがあらわれた。
第二の帰結=非連続性
まずは旧来の歴史学を紐解く
古典的形態では歴史にとって、非連続的なるものは所与でもあれば思惟不可能なものでもあった。〜出来事の連続性があらわれるために、分析によって曲げられ、減少させられ、消し去られるべきものであった。非連続性は、歴史家たるものがそのつとめとして、歴史から除去すべき時間的散らばりの痕であるとされていた。
ここから非連続性の三重の役割を説く。
更にこう続ける。
歴史家が発見しようと企てていること、それは、一つの過程の諸限界、一つの曲線の屈折点、一つの調整運動の反転、振動の幅、作用の閾、循環的因果性乱調の瞬間、などである。〜非連続性なものは、もはや歴史的読解の否定的契機ではなく、その対象を確定し、その分析を有効なものたらしめる積極的な要素となる。
最後に特殊性を用いて境界を成し相互比較する地平を示す。
非連続性は、研究が特殊性を規定せずにはおかない〜概念である。非連続性は、割り当てられた領域やレヴェルに応じて、特殊な形態をとって働く。〜或る認識論上の一つの閾〜領野の境界劃定をなすものだからである。またそれは、諸領域の個別化を可能にするが、それらの相互の比較によってはじめて非連続性はうち立てられるものだからである。
第三の帰結=一般史―最後の帰結
包括的記述は、あらゆる現象を唯一の中心−原理、シニフィカシオン、精神、世界像、総体的形態といったもの−のまわりにまとめあげていく。が、一般史の方は、逆に、分散の空間を展開していくだろう。 則、フーコーは後者の立場をとる。以下ではまず旧来の記述における3つの仮定ついて述べる。
① 旧来の節合システム
時間的=空間的に明確に規定された一区域のあらゆる出来事の間、その痕跡が再発見された全現象の間に、等質的な諸連関の一システムをうち立てうるはずである、と想定されている。
② 節合システムというピュシス
このシステムとは、それらの個々の現象の派生を可能にする因果性の網であり、〜いかにそれらはすべて、一つの同じ中心的核心を表わしうるか〜歴史性に関する一つの同じ形態が、経済的諸構造、社会的安定性、精神状態の惰性、技術的慣習、政治活動、などを支配し、かつ、それらすべてを同一の型の変形の下に置いている、と想定されている。
言説の規則性の章で代表例を下記のようにあげる
発展や進化の観念もそうで、これらの観念は、分散したさまざまな出来事を一つの継起にまとめ、それらを一つの同じ組織原理にはめこみ、それらを生の模範的な力ピュイサンスに従属させ(生の適応的な働き、その革新能力、相異なる諸要素の絶えざる相関、同化と交換のシステムなどによって)、〜さらに、「心性」や「精神」の観念してもそうで、これらの観念によって、〜あるいはまた、統一性および説明の原理として、集合意識の至上権が生じる。 ③ ピュシスかつヤハウェ
歴史それ自身が、自己のうちに結合の原理をもっている−段階あるいは位相のような−多数の大きな統一性に分節化されうる、と想定されている。
そしてフーコーは上記を拒むが、それはそれぞれの歴史的文脈が完全に独立し、交わることがない歴史性求めるように感じる。だがそういった立場ではないことを明らかにする。
新しい歴史学が、さまざまな系、切断、教会、勾配、ずれデカラージュ、年代学的特殊性、残存の独自な諸形態、連関の可能的な諸類型を問題化するときに〜並存し、互いに独立した複数の歴史を得ようとしているというわけではない。 そして新しい歴史学の求める地平や研究対象を述べる
これらの相異なった系の間で、いかなる連関の形態が正当に記述されうるか?それらの系は、いかなる垂直なシステムを編制しうるか?それらの系相互の間の相関関係と支配の働きはいかなるものか?なにゆえにさまざまなずれ〔転移〕や、相異なった時間性、さまざまな残存がありうるのか?いかなる明確な総体〔集合〕のうちに、いくつかの要素は、同時的に姿を現しうるのか?要するに、ただ単にいかなる系ではなく、いかなる「系の系」を、換言すれば、いかなる「図表」を構成しうるか、ということである。 そして最後の帰結として、新しい歴史学は「歴史哲学の提出していた諸問題」からの解放、そして「言語学、民族学、経済学、文学の分析、神話学などの領域」への応用、を可能とする構造主義的方法論であると説明する。
実際に下記のような言明が存在する
これらの問題に構造主義という符牒を与えることもできる。だが、そこには、さまざまな条件が存在する。
ここでいう構造主義は、本書に先立つ、予備的論考の一つ『一つの質問の答え』(1968/5)の「言説のうちに、構造論的諸方法のように、その構築の諸法則をではなく、その存在諸条件を探究すること」にあるように、さらにその註に「これでもまだ、わたしがいわゆる〈構造主義者〉ではないことをはっきりさせる必要があろうか」と語っているように、あくまでその意味で語っていると推測できる。 脱・人間学
歴史学のこういった認識論的変動は成就しておらず、その原因を人間学という地平から紐解く。彼に言わせれば連続的な歴史が人間主体にとってのいわば最後の隠れ家なのである。
連続的な歴史とは、主体の創設機能フォンクシオン・フォンダトリスの不可欠な相関物である。すなわち、主体から逃がれ去ったすべてをとりもどし得る保証である。また、時間が、主体を、再組織された統一のうちに復原させずには、なんら分散させないことの確実性でもある。〜主体はいつの日か−歴史意識の形態のもとに−自ら、ふたたびそれらをわがものとし、そこに自己の住居ともいうべきものを見出しうるであろうという約束でもある。 そしてその起源をマルクスとニーチェの非中心化を曲解し中心化(人間学化)したことによるものだとする。 この主題は、相異なった諸形態のもとで、十九世紀以来一つの恒常的な役割を演じてきた。すなわち、あらゆる非中心からに対して、主体の至上権、人類学〔人間学〕とユマニスムの対をなしたらかたち、を救い出してきた。生産諸関係、経済的諸決定、階級闘争などの歴史的な分析によって、マルクスが行なった非中心化に対して、それは、19世紀の終わり頃、一つの包括的歴史の探究をもたらした。すなわち、そこでは一つの社会のあらゆる差異が唯一の形態に、一つの世界像の組織化に、一つの価値体系の建設に、文明の緊密な一つの型に、還元されうるはずであった。ニーチェ的な系譜学によってなされた非中心化には、それは、合理性をもって人類の〈目的〉となし、自然の歴史のすべてを、この合理性の守護、この目的論の維持、たえず必要な基礎への復帰、などに結びつける最初の基礎の探究に対置した。
そしてつぎのように続ける。
こうして人々は、マルクスを人間学化し、かれを全体性の歴史家はたらしめ、かれの裡にユマニスムの意図を見出すようになる。こうしてまた、人々は、ニーチェを超越論的哲学の用語のうちに解釈し、始原的なものの探究の平面で、かれの系譜学をうち倒すようになる。~この同じ保守的な機能が、文化的全体性という主題−それに対して、人々はマルクスを批判し、ついでに改作した−のうちで、また始原的なものの探究という主題−人々は、かれをそこに置き換えようと欲する以前に、ニーチェにそれを対立させた−のうちで、さらに、生きた、連続した、そして開かれた歴史という主題のうちで、働いている。~マルクスもニーチェも、人々がかれらにたのんだ守護を保証しない、ということさえみとめられるのだ。それらの特権を守るためには、もはやかれらを当てにすべきではない。また、歴史は少なくも生きた、連続的なものであること、それは問われている主体にとって、休息、確実性、和解−安らかな眠り−などの場所であることを、もう一度肯定しようとするなら〜かれらを当てにするべきではない。
前期フーコーの著作はまさにそうした試みといえるとフーコーは綴る。
こうした点において、一つの企てが明確になる。『狂気の歴史』『臨床医学の誕生』『言葉と物』はきわめて不完全ながら、そうした企てのデッサンを定着させたものである。この企てによって、われわれは、歴史の分野において一般的に起こる変動を測ろうと試みる。この企てのうちで、さまざまな方法、限界、思想史に固有な主題などが、問われ、この企てによって、われわれは、最後の人間学的隷属を断とうとする。この企ては、逆に、これらの隷属がいかにして形づくられたかを示そうとするものでもある。 /icons/白.icon
言説の規則性
言説は網目状に多分野が交錯する
われわれにとって親密なものになってしまっているこれらの截りぬきや集合化を前にしても懸念しなければならない。たとえば、言説の大きな類型の区別、相互に対立し合う科学、文学、哲学、宗教、歴史、創作などの諸形式或いは諸ジャンルの区別、相互に対立し合う科学、文学、哲学、宗教、歴史、創作などの諸形式或いは諸ジャンルの区別、また、歴史上の偉大な個人たちの種類を分ける区別、などを、認容することができようか?
上記のような傾向は歴史的なレヴェルでは更に作用すると下記のように述べる。
文学も政治も、さらには哲学も諸科学も、十七世紀や十八世紀においては、十九世紀におけるようには言説領野を文節化させていなかった。〜それらにしても、他のものと並んで、分析に価する減冊の諸事実に関わる、ということである。それらは、間違いなく、そうした諸事実と複雑な関係を持っている。
多様な文学を引き合いに出し、下記結論を見出す。
一冊の書物の周縁は、けっしてはっきりしてもいなければ、厳密に区切りがついてもいない。表題、最初の数行、終止符などを越え、その内的ゲシュタルトやそれを自律化する形態を越えて、それは、他の書物、他のテクスト、他の文などの関係のシステムのうちに、つまり、網の目のうちにとらえられている。そしてこの関係の動きは、数学上の論文、テキストの注釈、歴史的な物語、ロマネスクな作品群のなかの挿話などのいずれを対象にするかに応じて、類を異にする。〜それは自己自身で示すことはできず、ただ、言説の複雑な領野から出発してのみ、自己を構築することができる。
言説を無限に後退させてはならない
最後に、人々が分析したいと思う言説を前もって組織化することを可能にする、非反省的連続性を断ちきるための最終的な注意だが、それには、相互に結びつき、向かい合った二つの主題を拒けることだ。
1つめの主題
前者は、言説の秩序のうちへ実際の出来事の闖入を許すことが決してありえないことを欲している。また、表面的なすべての始めの彼方に、いつでも秘密な起源があること–きわめて秘密かつ始源的なので、それ自身においてはそれは完全にとらえられない。–を欲している。そういう次第で、人々は、素朴な年代学を横切って、不可避的に、際限なく後退する点へ、いかなる歴史中にも決して現存しない点へと導かれることになりかねない。
2つめの主題
この主題に、もう一つの主題が結びつく。それによれば、すべての明白な言説は、ひそかに、すでに述べられたことの上に基づいているとされる。また、このすでに述べられたことは単に、すでに発音された文でも、すでに書かれたテキストでもなく、「決して述べられことのないもの」、無形の言説、息のように静かな声、それ自身の痕跡の窪みにほかならぬ書かれたものであるとされる。こうして、言説が定式化するに至るすべてのものは〜その下に底流として執拗に存在しつづけている、が、言説がこれを蔽いかくし、黙らせてる〜この言われざることは、言われることのすべてを、内部から掘りすすむ空洞であろう。 上記二つの交錯した主題は何を及ぼすのかを下記のように述べる
第一の動機は、言説の歴史的分析を、あらゆる歴史的決定から洩れる起源の探索と反復たらしめる。もう一方は、それを解釈たらしめ、すでに言われたこと−これは同時に、言われざることでもある−について耳を傾ける。言説の無限の連続性と、たえず更新される不在の働きのうちでそのひそかな自己への現存とを保証する機能をもつ、これらすべての主題を、拒けなければならない。 本観点で語られていることはⅢ章での下記言明と有機的に連結しているため、照らし合わせるとわかりやすいのではないか
言表分析とは、語られたことを、それがまさしく語られた限りにおいて記述するものであるということだ。したがって、言表分析は一つの歴史的分析であるが、しかし、あらゆる解釈の外に自らを保っている。言表分析は、語られたことに対し、それが何を隠しているのか、そのなかでその意に反して何が語られたのか、それが覆い隠している語られざることとは何か、そこにはいかなる思考やイメージや幻想がひしめいているのか、などと問いはしない。言表分析の問いは、逆に、次のようなものである。語られたことはいかなる様式のもとで存在しているのか。語られたことにとって、それが表明されたということ、それが痕跡を残したということ、そしてそれがおそらくはその場所にとどまり場合によっては再使用されるということは、いったいどういうことなのか。語られたことにとって―他ならぬそれ自身の場所に―出現したということは、いったいどういうことなのか。この観点から言えば、潜在的な言表が認められることはない。というのも、ここで問題になっているのは、実質的な言語の顕在性であるからだ。 それを問題としても「言説の無限の連続性」という永遠の後退にしかなりえない、だからやめようということ。
言説の未決定性
次に体系化された諸学問をどう扱うべきかを示す
そして、わたし自身にしても、それ以外のことをやろうというのではない。たしかにわたしも(精神病理学、医学、経済学のごとき)所与の様々なる統一体を主なる基準としようが、その内的ゲシュタルトや隠れた矛盾を検討するためには、これらの疑わしい統一性の内部に安住はしないだろう。わたしがそれらに依拠するのは、いかなる統一体をそれらが編織するかと自間するときだけであろう。またいかなる権利によってそれらは、空間中に自己の特殊性を規定する分野、時間中に自己を個別化する連続性、を要求することができるか?いかなる法則によってそれらは自己を編制するか?いかなる言説的出来事の基礎の上に、それらは明確な輪郭を示すか?そして、最後に、それらが、一般に認容された、ほとんど制度的な個別性において、いっそう堅固な統一体の表面効果でないかどりか、を自問するときだけである。歴史がわたしに差出すさまざまな総体を、わたしは、それらをただちに討議に付するためだけ、受け入れるであろう。それらを解きほぐし、正当にそれらを再組織化しうるかどうかを知るため、それらによって他の総体を再構成すべきでないかどうかを知るため、それらをよりいっそう一般的な空間〜のうちに置き直すために、だけ受け入れるだろう。
つまり下記帰結に至るのだ
さらに思念史の分析と退避することでより言説の分析自体の特殊性を浮上させる
言説についてのこのような記述が思念史と対立することは、同様にわかる。そこでは、いまだ、言説の限定された総体〔集合〕からしか、思念の依系を再構成しえない。しかし、この総体は次のような仕方で扱われるのだ。すなわち、人々は、言表それ自身を超えて、語る主体の意図、かれの意識的活動、かれの言わんとするところ、さらには、かれの意に反してその言葉のうちに、またかれの明白な言葉のほとんど知覚されないような裂け目のうちに、表われる無意識的な働きを、再発見しようと試みる。いずれにせよ、重要なのは、別の言説を再構成し、聞こえる声を内部から生気づける無言の、ささやきの、豊かな言葉を再発見し、書かれた数行の間隙を経めぐり、ときにはそうした数行をひっくりかえす、些細で目に見えぬテキストを再建することである。思念の分析は、その用いる言説とくらべると、常に〈寓意的〉である。その問いは必ず、次のようになる。一体なにが、述べられたことのなかで言われるのか?言説の領野の分析は、まったく別の方向をたどる。重要なのは、その出来事の狭さと特異性のうちに、言表をとらえることである。その存在条件を決定し、それの限界をもっとも正当に定め、それに結びつきうる他の諸言表との相関関係をうち立て、それが他のいかなる言表形態を排除するかを示すことである。人々は、決して、明白なものの下に、他の言説の半ば沈黙のおしゃべりを探し求めることをしない。人々は、なにゆえに、それが他のものではありえなかったのか、いかなる点でそれが他のすべてを排除しているのか、いかにしてそれが、他のもののなかで、また他のものとくらべて、他のいかなるものも占めえなかった場所を得ているのか、を示すべきなのである。このような分析にふさわしい問いは、次のように定式化されよう。一体、述べられていることのうちに現われてき―他のいかなる場所にも現われない―この独自な存在は何なのか?
次に統一性の未決定性の利益を三つ語る
最初に人々が質問するふりをしたさまざまな統一性を再発見することが、結局、重要であるのなら、 すべての統一性を未決定のままに置くことが、最終的に何の役に立ちうるのか、 考えるべきである。
①
たしかに奇異な出来事である。まず、それは、一方において、書くことのしぐさ、音声言語の分節化と結びつくが、また他方では、それは、記憶の領野において、草稿、書物、およびあらゆるかたちの記録、の物質性において、自己自身に或る残存的な存在を開示するからである。次には、それがあらゆる出来事同様に唯一のものであり、しかも、反復、変形、再活動に供されているからである。それが最後に、それは、 単にそれを惹き起す諸状況、それがそそのかす諸帰結に結びつくだけでなく、同時に、またまったく異なった態様に応じて、それに先行し、かつそれに続くところの諸言表にも結びついているからである。
だが、言語体系や思念について、言表的出来事の決定要件を隔離するにしても、それは、事実の塵を散布するためではない。それは、純粋に心理学的な綜合を行なうもの(作者の意図、その精神形態、その思考の厳密さ、かれにつきまとうさまざまな主題、かれの存在を貫き、それに意味を付与する投企) に、事実の塵を再びもたらすことが確実にないように、また、規則性の他の諸形態や他の関係の諸類型を捉えうるように、するためである。すなわち、言表相互の間の諸連関。(たとえそれらが作者の意識から逃がれ出る場合でも、たとえ同一の作者のものでない諸言表に関しても、たとえ作者たちが相互に知り合っていないにせよ。)このようにしてうら立てられた言表群の諸連関。(たとえこれらの群が同一の分野にも隣接の分野にも関わらないにせよ、たとえそれらが、同一の明白なレヴェルを持たないにせよ、たとえそれらが指定可能な交換場所でないにせよ。諸言表や言表の群と、まったく別な秩序(技術的、経済的、社会的、政治的な秩序)の出来事との間の諸連関。
③
言説の諸事実のこのような記述の持つ第三の利益は、次の点にある。すなわち、それらの諸事実を、 自然的、直接的、普遍的な統一性を自称するすべての群から解放することによって、自分に記述の可能性を〜与える。 それらの諸条件を明白に規定しさえすれば、正確に記述された諸連関から出発して、言説の総体―恣意的なものではないが、しかし依然として不可視的なもののままでいる―を正当に構成することができよう。たしかに、これらの連関は、それ自身としては、問題になっている諸言表のうちでは定式化されたことが絶えてなかったかも知れない。(たとえば、言説そのものによって提出され、述べられている顕在的な諸連関、小説の形態をとったり一連の数学上の定理のうちに書きこまれたりしているときの諸連関、とはその点で異なっている。)けれどもそれらは、いかなる仕方においても、一種の密そかな言説―明白な言説に内部から生気を与えるような―を構成しないであろう。したがってそれらを明るみに出しうるのは、言表的諸事実の解釈ではなくて、それらの共在、継起、交互作用、相互決定、独立した、あるいは相関的な変形、などの分析なのである。 言説の諸連関
ここでフーコーは「諸言表の間のさまざまな連関を記述することを企てた」として、「四つの企て、四つの失敗、およびその両者を継ぐ四つの仮説に直面」する。
1.
言説
言説は〜考え、知り、それを言うある主体の意思表明ではない。反対に、主体の分散や主体自身との非連続性がそこで決定される総体であ
ここで彼は人々の発言を、当該状況も自身の欲するところも知る、自覚的・意識的な主体が意図した通りのものとして捉えることを否定した。
第一講演
サド的真理観
冒頭の一行でサドは、自分がこれから語ることすべてに対して、いかに嫌悪や不快を感じようとも、文人たるものは、真理を語るのに十分なほどに哲学者であらねばならないと説明している。
ここでフーコーが参照先としているのは『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』の結末部の一節である。リベルタンの1人であるノアルスイユは「ジャスティーヌの美徳のおかげ」で大臣になったと感謝し「これがもし小説だったら、作者たるもの、よもやそんなことを筆にのぼしはしないだろう」とする。それに対してジュリエットは「そんなことを遠慮する必要があるものですか」としたうえで「いかに人間を慄然たらしめようと、すべてを言わねばならないのが哲学というものですわ」と返している。これはメタ的にサドが自身のテクストの当為を表明したと言えるだろう。その意味でフーコーは「文人たるものは、真理を語るのに十分なほどに哲学者であらねばならないと説明しています」というのだ。 ただこうした真理らしさを表明しようとするのは一八世紀文学の常套手段である。「この種の手法や技巧は、十八世紀には大変よく知られていて、ディドロやスターンは、周知のように天才的な仕方でそうした手法や技巧を利用していた」。ただ「サドは彼の小説を通じてずっと、自分の語っていることは真理だと語っている」。この真理とは何を指すのか。
真理とは一体何なのだろうか。というのも出来事の筋を取り上げてみれば、サドのテクストにはたとえ一瞬たりといえども、わずかばかりの本当らしさもないことは明らかだからだ。そこに登場するのは、無数の死者と殺戮であり、日がな一日、若い娘たちや若者たちを手に入れては、彼らを使って無限に繰り返されている性的享楽を得た後で、この若者たちを虐殺し続ける、そうした男女です。ある者はローマで、二四もの病院とそこに収容された一万四千人もの人々を一瞬にして破壊し、またある者は、火山の噴火を引き起こします。こうしたことは皆、サドのテクストにあっては日常茶飯事で、サドはそれでもなお、「私があなたがたにお話ししていることは真理だ」と言い続けるのです。
ではサドのいう真理とはいかに理解すればよいのか。フーコーは次のように答える。
サドが言う真理というのは、彼が語っている事柄の真理ではなくて、彼の推論の真理なのです。十八世紀の小説家の問題とは、本当らしさという形式のもとで、人の心を動かし得るフィクションを作り上げることだったのですが、サドの問題とは、真理を論証すること、欲望の実現に完全に結びついた真理を論証することではなく、哲学者のように真理を論証することなのです。『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』の物語において問題になっているのは、欲望の実践において、支配や残酷さ、殺人の実践において、真理であるような何ものかを出現させることです。そうした行為を行なっている最中、あるいはその前や後で、そのような行為を説明し、正当化するために、登場人物たちが語っていることこそが真でなければならないのです。別の言い方をするなら、真でなければならないものとは推論であり、欲望の実践によって称揚され、欲望の実践を支えるこうした合理性の形式こそが、真でなければならないのです。 第二講演
四つの非存在証明と「不規則な実存」
サドはつねに(...)四つの同じことを語ります。サドの言説は、『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』と『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』の十巻を通じて、また『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』や他のすべての作品を通じて、四つの同じことを語るのです。それは四つの面を持った一種の多面体です。この多面体は登場人物たちによってたえず投げ返されて、ある面に当たることもあれば、別の面に当たることもあり、また場合によっては言説を通じて四つの面が次々に現れることもあります。この四つの面は容易に規定されます。それら四面は皆それぞれに非存在の確認を担っているのです。 したがって彼の言説とはあらゆる著作に一貫して四つの非存在証明テーゼで成り立っているのである。そこで第一に紹介されるのが神だ。
第一の面、つまりこの多面体全体の底面はもちろん、神は存在しないということです。神が存在しないことの証拠は、神が完全に矛盾しているということです。神は全能だと言われているのに、どうして神の意志が、あらゆる瞬間に、人間たちの意志によって揺り動かされ得るなどということがあるのでしょうか。したがって、神は無能なのです。神は自由だとか言われていますが、実際のところ人間には、神が望むことをしないでいる自由があります。したがって、神は自由ではないのです。神は善良だと言われていますが、世界がどのように進んでいるか眺めてみれば、神が善良ではなく、邪悪であることは十分に分かります。したがって、神は矛盾しているがゆえに、神は存在しません。これが最初の照明です。
第二に紹介されるのが魂である。
第二の証明は、魂は矛盾しているがゆえに、魂もまた存在しないというものです。というのも、もし魂が身体に結びついているとするなら、もし魂が身体に従っているとするなら、もし魂が欲望や感情によって侵入され得るとするなら、魂は物質的です。もし魂が身体とともに誕生するとするなら、もし魂が身体と同時に世界に現れるとするなら、魂は物質的です。もし魂が身体とともに誕生するとするなら、もし魂が身体と同時に世界に現れるとするなら、魂は、人々が言うように永遠なものではなく、滅ぶべきものです。魂が罪を犯した時、もし魂に責任があるとするなら、どうしてこの罪がいつの日にか許され、魂がふたたび潔白なものとなることがあり得るでしょうか。反対に、もし魂が自分が為すことを行うべく定められているのだとするなら、どうして魂を断罪し得るでしょうか。こうした一連の逆説のすべてが示しているのは、魂はそれ自体において矛盾しており、したがって、魂は存在しないということなのです。
次に紹介されるのが罪である。
第三の非存在証明は、犯罪は存在しないというものです。実際、犯罪は法に対してしか 存在しません。法が存在しないところには、犯罪も存在しません。法がある種の事柄を禁止しない場合には、こうした事柄は犯罪として存在することはできません。ところで法と は、ある個人たちによって彼らだけの利益のために決定されたものでないとしたら、一体何だというのでしょうか。法とは、幾人かの個人たちが、彼ら自身の利益のために企てた陰謀の表現でないとしたら、一体何だというのでしょうか。とすれば、犯罪とはたんにあ る人々の意志と対立するもの、せいぜいのところ彼らの偽善に対立するものだとしたら、 犯罪は悪だなどとどうして言えるのでしょうか。
第三に紹介されるのが自然である。
第四の非存在証明とは、自然は存在しないというものです。あるいはより正確に言うなら、たとえ自然が存在するとしても、それは破壊という形式でだけ、したがって自己自身の廃止という形式でだけだというものです。実際のところ自然とは何でしょうか。自然とは生ある諸存在を生み出すものです。ところで、生ある諸存在の特徴とは、まさしく死ぬということでないとしたら、一体何なのでしょうか。死ぬというのは、ある場合には、老化という自然の運命によって死ぬことであり、そのことが示しているのは、自然は自分自身を破壊するより他のことはできないということです。別の場合には、死は、他の諸個体の暴力に由来しますが、暴力、邪悪さ、渇望、食人欲求を持ったそうした諸個体たちを作り出したのは自然です。したがって、やはり自然が自己自身を破壊しているのです。それゆえ、自然とはつねに自己自身の破壊なのです。しかしそれぞれの個体は、自らの本性に導かれて自己自身を保存しようとします。自然はすべての個体に、そうした保存欲求を刻み込んだのです。ところで、もし諸存在が自己を保存するということが自然の法則だとすれば、諸個体が死ぬこと、諸個体が自分自身のせいで、あるいは他の者たちのせいで死ぬことが自然の法則だということがどうしてあり得るでしょうか。したがってわれわれは、諸存在が自己を保存するという欲求と、諸存在を死へと追いやる運命との間に、自然のただ中に一種の矛盾を穿つ何ものかを見いだすのであり、自然はこうした矛盾のうちで消失してしまうのです。
これらの四テーゼあらゆる側面から、あらゆる仮説に始まり、あらゆる帰結を伴いつつ反復されている。こうした四つの存在証明を否定し、それを受容したとき、どの存在からも規定されない「不規則な実存」を獲得するという。それこそがサドの描く登場人物なのである。
実際サドの言う意味における不規則な個人とは一体何なのでしょうか。それは、こうした四つの非存在に関する四つの原則を決定的な仕方で提起する者です。それは自分の上位に、神の至高性であれ、魂の至高性であれ、法の至高性であれ、自然の至高性であれ、いかなる至高性も認めない者です。それは、自らの生の瞬間ばかりでなく、自らの欲望の瞬間をも超越するようないかな る時間、いかなる永遠性、いかなる不死性、いかなる義務、いかなる連続性にも結びつけられていない個人です。不規則的な実存とは、神に由来する宗教的規範であれ、魂によって定義された個人的規範であれ、犯罪によって定義された社会的規範であれ、自然の規範 であれ、いかなる規範も認めない実存です。そして最後に不規則な実存とは、いかなる不可能性も認めない実存です。いかなる神も、いかなる個人的同一性も、いかなる自然も、社会や法に由来するいかなる人間的制約も存在しないとするなら、可能なものと不可能なものの間にはもはや違いはありません。結局のところ、不規則な実存、つまりジュリエットの実存、あるいはサドの主人公たちの実存とは、あらゆる規範の外部、あらゆる瞬間の 非連続的な再開のうちで、すべてが起こり得るような実存なのです。
非存在証明による機能と、五つ目の非存在テーゼ
フーコーは、サドの言説の第一の機能を次のように論ずる(私は第一の機能は大変納得するが、他の機能はどうも納得いかない)。
それは、西洋の哲学的でイデオロギー的な言説の機能を逐一反転させている(...)サドの言説は、哲学的で宗教的な言説が肯定しようとしたことをすべて否定するのです。西洋の宗教的で哲学的な言説は、つねになんらかの仕方で、神を肯定し、魂を肯定し、法を肯定し、自然を肯定してきました。サドの言説はそれらをすべて否定します。その反面、西洋の哲学的言説は、これら四つの根本的な肯定、これら四つの哲学的主張から出発して、否定的な命令の次元を導入しました。神が存在するのだから、お前はこれをやってはならない。お前の魂が存在するのだから、お前はこれをする権利がない。法が存在するのだから、お前はこうしたことを断念しなければならない。自然が存在するのだから、お前は自然を侵してはならないというわけです。つまり西洋の哲学的言説は、四つの根本的な主張、四つの根本的な肯定から出発して、道徳と法の次元、命令の次元に、否定を導入したのです。反対にサドの言説のゲームは、否定を逆転させて、肯定されていたものをすべて否定します。神は存在しない。したがって自然は存在しないし、法は存在しないし、魂は存在しない。ゆえにすべてが可能であり、命令の次元において拒絶されるものはもはや何もないのです。
つまり四つの非存在証明はあらゆる命令を無効化し、あらゆる可能性を肯定するのだ。そうしてサドの登場人物はあらゆる禁忌に足を踏みこむことで絶対的自由を我々に知覚させるのである。
結論
サドとは、われわれの文明において欲望がずっととらわれていた真理に対する従属から、欲望を実際に解放した人物です。サドとは、欲望を真理の主権に従わせるプラトン的な大構築物のかわりに、欲望と真理とが互いに対峙し、ぶつかり合い、両者が同じ螺旋の内にとらえられるようなゲームを提示した人物です。サドが、「結局、欲望に比べて、真理などどうでもよいではないか?」と語っているということではまるでありません。サドとは、「欲望と真理は、一方が他方に対して従属しているわけでもなければ、互いに分離可能なわけでもない」と語った人物なのです。サドとは、「欲望は、真理のうちにおいてのみ無際限なものになり、真理は、欲望のうちにおいてのみ作動する」と語った人物なのです。
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本書の主題
『知の考古学』から本書への最も大きな変化は、「言説の自律性」の修正である。『知の考古学』においては、言説の編制は言説の内部で自律的に変化することが前提され、この変化を記述することが考古学の目的とされていた。考古学では、言説の編制の規則の変化を記述することしかなされず、なぜ変化するのかという説明は保留されたままであった。 フーコーは『知の考古学』において、言説的実践と非言説的実践が因果的に関連していることを示唆してはいるのだが、それがいかに関連しているかを探求 してはいない。言説の自律性という前提に従う限り、言説の編制の変化を統御するものを言説の外部に探求することはできず、この点を『知の考古学』における方法論的困難と指摘する論者は多い。そこで本書の冒頭で下記のように記す
あらゆる社会において、言説の生産は、いくつかの手続きによって同時に管理され選別され構成され再分配されており、これらの手続きは、 言説の権力と危険をかわし、言説の不確かな出来事を支配し、言説の重く恐ろしい物質性を避ける働きをすると私は想定する。
この冒頭でフーコーは、言説の生産に関して統御の手続きが働くことを明言している。すなわち、言説の内部だけで、言説に関わることすべてが決定されるわけではないという立場を取っており、言説の自律性というアイディアを修正していることがうかがえる。
そこでフーコーは「言説の領界」の視点を提示する。「言説の領界」とは、言説の「外部から行使」され、「排除のシステムとして機能」する「外的な諸手続き」と、「言説が言説自身によって管理」される「内的な諸手続き」とによって構成される言説編成のシステムである。
これはニーチェが提示した「外在性の原則」知の背後には知とは全く別のものがあるという原則―をふまえ、「階級間の闘いが、言説の虚構の場所を定義し、言説を述べることができる者、述べるべき者に対する(現実的ないし理念的な)資格付与を行うのは、いったいどのようにしてなのか」、「しかじかのタイプの対象が、そうした闘いの道具としての言説の対象とならねばならないのは、いったいどのようにしてなのか」と問う態度なのである=だから系譜学 /icons/白.icon
外的な手続き
禁忌
一つ目は、「禁忌」の手続きである。例えば我々は、自分の立場をわきまえ時と場に応じて、語る主題や語り方を選んでいる。我々は現実には、どこでも、何についてでも語りはしない。このような事態をフーコーは、単に語らないのではな く、言説とは関係ないところで語ることを禁じる力が働くと考えている。そして、この力の働きが最も顕著に見られるのは、性と政治に関わる事柄であるとされる。
つまり「禁忌」とは特定の歴史・社会的状況での言説の「排除」の原理である。フーコーによれば、人々は、「すべてを語る権利などな」く、「いかなる状況においてもあらゆることについて語りうるわけではな」い。
なぜならいかなる社会にも、上記が存在し、それらが語られる事柄の限界を創出するからだ。
分割
次に挙げられるのが、「分割」である。例えば従来西洋社会では、狂人の言説は通常の言説とは厳密に区別されてきた。多くの場合狂人の言葉は真偽の判断の外におかれ、社会の中で流通することもなかったのである。このように、 社会ではどのような言葉でも流通できるわけではなく、ある種の言説は他とは明確に区別され、排除されるように力が働いている。このような事態をフーコーは「分割」と呼んでいる。
もっとも、「分割」は、すでに消失したわけではない。フーコーによれば、今日、「誰かに対して―医師や精神分析学者に対して―その言葉の聴取を可能にすると同時に、患者に対しては自分の取るに足らぬ言葉を提供したり必死に押しとどめたりすることを可能にする」ような「知の骨組み全体」が台頭しており、それは「諸々の異なる分割線に従」って、「同じでない諸効果を伴いつつ作用している」という。
真理への意志
そして最後に指摘されるのが、「真理への意志 (volonté de vérité)」である。これを理解するために、まずフーコー独特の本書における「真理」という語の意味合いを確認する。それは通常真理という言葉から連想される、 客観性・中立性・普遍性といったものからはかけ離れたものである。
フーコーによれば、真と偽の区別というのは、社会の中で歴史的に構成されたものである。仮に社会の外で、たった一人で言葉を発したとすれば、その言葉の真偽は社会とは関係なく決められるだろう。しかし、このような事態は現実には想定し難いのであって、我々は歴史の中で、社会の中で言葉を発している。そして社会においては、「真理を言うこと」とその言葉が「真理として受け入れられること」とは必ずしも対応しない。フーコーはこのことを次のように表現している。
未開の外部空間において真理を言うことは常に可能である。しかし、 我々が真なるものの内にあるのは、個々の言説において活性化すべき言説の<警察>の規則に従っている時だけである。
つまり、ある言明が「真理」となるためには、その社会の中で真理として受け入れられるための条件を満たしていなければならない。その真理として受け入れられるための条件をフーコーは「真なるもののうちにいること (être dans le vrai)」と呼び、「真理を言うこと (dire vrai)」と区別する。
では「真なるもののうちにいる」とは具体的にはどういうことなのだろうか。それはその時代に受け入れられていたある対象、概念、理論的基礎といった学問領域 (discipline)の 枠組みに適応した言説を生産することである。たとえ「真理を言った」として もその時代の「真なるもののうちにいな」ければ、その言明は「真理」とは見 なされ得ない。フーコーが例としてあげるのは、メンデルであり、下記のように皮肉る。
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内的な手続き
フーコーは言説空間の自律性を認め、言説は「内的な手続き」によっても編成されると
指摘する。
注釈の原理
第一の「内的な手続き」は、「注釈の原理」である。フーコーによれば、いかなる社会にあっても、一方に下記のような性質をもつ言説
そこに秘密ないし豊かさのような何かがあるという推測のものとに、ひとたび語られるやいなや保存される
他方に下記のような性質をもつ言説が存在する。
日々の言葉の交換のなかで「口に出され」、それを発した行為そのものと一緒に消え去ってしまう言説
聖書は、注釈が書かれ続けてきた、そして書かれ続けるであろう、特権的テクストの例である。「儀礼化された言説の集合」としての特権的テクストは、「語るための開かれた可能性を基礎づけ」、何がどのように語られるべきかをめぐる境界を画定する。その「言説が我々の前にはっきりと描き出す境界の内側で、我々は話し、行動する」のである。
稀少化の原理
フーコーは、第二の「内的な手続き」として「稀少化の原理」をあげる。この手続きは、
前記の「注釈の原理」をある程度まで補うもので、「作者」にかかわるものである。ここ
でフーコーは、下記のような独自の定義を与えている。
言説のグループ化の原理としての、言説の意味作用の統一性および起源としての、言説の整合性の源としての作者
彼は、言説間の差異のシステムの産出物として「作者」をとらえており、「作者」は「一つのテクストを口に出したり書いたりした語る個人」ではない。フーコーにとって「作者」は、個人が「何を作品の粗描として描き出し、何を日常的な話題として捨て置くのか」を規定する。先にみた「注釈の原理」が「反復と同じものというかたちでの同一性の作用」によって「言説の偶然性」を制限するのに対し、「作者」(稀少化の原理)は、「個人性と私というかたちでの同一性の作用」によって「言説の偶然性」を制限するのである。
研究分野
さらにフーコーは「研究分野」という、第三の内的な手続きの存在を指摘する。
一つの対象領域、一群の方法、真であるとみなされた諸命題から成る一つのコーパス、規則と定義の一式、技術と道具の一式
それは上記の諸要素からなる「制限の原理」である。フーコーが指摘するように、植物学・生物学・医学等において「真なるもの」を画定する手続きや諸条件は、知の歴史のなかで常に遷移し続けてきた。「研究分野」が産出し管理する言説は、絶えざる注釈を必要とする、唯一絶対の特権的テクストではない。
「研究分野」は、「諸規則の絶えざる再現働化」によって真なる言説を生み出す、「相対的かつ可動的な原理」である。ゆえに、ある調査研究が事実に基づいているか、洞察に溢れていたとしても、それがある特定の学問の形式や内容に一致しなければ、軽視されたり、あるいは学問的ではないとか通俗的であるとみなされたりすることが生じうるのである。
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社会関係資本における批判
『知の考古学』から『言説の領界』に至り、フーコーは「認識論的」言説編成のみならず、「社会的領域」と言説編成とのかかわりに言及しているが、そこではたしかに、伝達者―獲得者・親―子・医師―患者等の「社会的諸関係」 と言説編成のかかわりをめぐる議論は等閑に付されているが、しかし、『監獄の誕生』に至り、フーコーは言説編成を、認識論的にだけでなく、囚人―看守や教師―生徒等の具体的な社会的諸関係において捉える視点を導入している。ゆえに、「社会的諸関係なき言説」というバーンスティンによる批判は、『言説の領界』までのフーコーの言説論に対しては妥当であるといえる。 個人的には、本書の「外部的な手続き」と『ニーチェ、系譜学、歴史』における「対象」とされているものの結果として、具体的な社会的諸関係のエージェントが述べられたような気がしており、『知の考古学』までという表現が妥当な気がする。 階級における批判
バーンスティンによる「単に社会階級を用いることからの撤退だけでなく、社会学的分析からの撤退」という「社会的なもの」(階級・社会集団)の観点の不足における批判についてはどうだろうか。S.ミルズによれば、フーコーは、「マルクス主義思想に多くを負っていることをしばしば明白に認め」ていたが、「他の機会にはマルクス主義思想と自らの研究が確かに区別され、そこに距離があるとみなした」。フーコー自身、「マルクス主義によって」言説編成における社会的・経済的位相の重要性が「異論の余地のないかたちで示され」たにもかかわらず、『知の考古学』においては、「言説の形成と、社会や経済の形成との間の諸関係を、体系化しなかった」と述べている。ただし、フーコーが階級関係をその言説論に組み込むことの重要性を自覚していたことについては、留意が必要である。彼は、マルクス主義的な言説編成の理解から一線を画することを試み、階級関係を言説編成の「最終審級」とすることを意図的に回避した。つまり彼は、言説編成の社会的位相の重要性を認めていたものの、その議論を追究する方向性をあえて採らなかったのだと解釈できる。バーンスティンのフーコー批判は、フーコーの理論的営為の一部に焦点化する限りにおいて妥当であるということができよう。 個人的には上記観点は『ヘゲモニーと社会主義の戦略』におけるヘゲモニー概念が代わりにフーコーも同意できる形式で徹底化してくれているような気がする。則、彼らはグラムシの階級還元志向を乗り越え、それらそもそもがヘゲモニーによって、アポステリオリに構成されたという論は、バーンスティンの懸念を広範に包み込んでいると言えるのではないだろうか 伝統的歴史学について
フーコーによれば、伝統的歴史学とは「起源 (origine / Ursprung)」を探求するものである。この「起源」という語は次の三つの意味をもっている。第一の意味が下記である
そこに、ものの正確な本質、最も純粋な可能性、注意深く折り畳まれた同一性、外的なものや偶然的、継起的なものすべてに先立つ不動の形式を集めようとする
つまり、現在のあり方と同一性を保ち、それを規定するような本質という意味である。伝統的歴史学は、歴史を連続的なものと捉えるがゆえに、現在につながる起源を探求する。第二に、「最初の、完全な状態のもの」という意味である。第三は「真理の場」という意味である。つまり、 起源を明らかにすることが知を可能にすると考えられているのである。
これらの特徴を踏まえると、伝統的歴史学にとって「起源」とは、現在を規定する歴史における真理と考えることができるだろう。この起源を探求するにあたって伝統的歴史学は「時間の外に支点 (point d’appui hors du temps)」を持とうとする。それは「永遠の真理、不死の魂、常に自己との同一性を保つ意識」という「超歴史的視点」を取ることになる。ここで想定されているのは具体的には、超越論的な主観性から歴史を連続的な運動として捉えようとする目的論的歴史学であろう。このような「超歴史的視点」を前提とする限り、伝統的歴史学は一種の形而上学になってしまうとフーコーは考える。
このように伝統的歴史学は「超歴史的視点」から出来事を記述し、現在のあり方を規定する究極因としての起源・歴史の真理としての起源を見いだそうとする。そして系譜学は、このような起源の探求を徹底して拒否する。フーコーに言わせれば、歴史において普遍的に同一性を保つものなど存在しない。例え ば、通常、人間の肉体は、歴史の変化を被ることなく、生理的な自然のシステ ムにのみ従うという意味で不変のものだと考えられている。しかし、フーコー の考えでは、肉体でさえも、労働や食事といった生活・習慣によって歴史的に つくられ、常に変化するものである。
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系譜学の特性
系譜学の特徴は三点に整理できる。下記で論じられる第一の「真理の否定と解釈主義」、「因果性・必然性の拒否と偶然性」、「歴史記述の対象の変更」という系譜学の基礎をなす三つの特徴をフーコーは「歴史的感覚 (sens historique)」と呼んでいる。これによって、系譜学は、伝統的歴史学の超越論的視点に立った目的論的歴史観へのアンチテーゼ となり、同時に伝統的な真理概念に基づく形而上学へのアンチテーゼともなっている。 解釈主義
第一点は、真理の否定と解釈主義である。第一章でみたように、フーコーは系譜学を始めるにあたって、伝統的真理概念を拒否していた。ここでフーコーがとるのは、客観的・普遍的な真理の探求ではなく、「ある視点を持つ (perspectif) 知であることを恐れない」 という解釈主義の立場である。このことをフーコー は次のように説明している。 ニーチェの考えるような歴史的感覚は、自らがある視点を持つことを知っており、自らに固有の不公正さの体系を拒否しはしない。歴史的感覚は、評価し、イエスかノーを言い、毒のあらゆる痕跡をたどり、最良の解毒剤を見つけ出そうという断固とした意図 (propos)をもって、特定の角度から眺めるのである。
これは、伝統的歴史学の想定するような超歴史的視点と普遍の起源・真理の存在を拒否し、歴史記述もある視点に立った一つの解釈であるとする立場である。こうして、伝統的な真理概念の代替として解釈という考え方が提示される。 当然ながらここで言う解釈とは、隠れた真理を明らかにするという意味ではなく、あらゆるものを一つの見解として捉えるということである。この立場に立てば通常真理と考えられているものも、真理への意志が働いた結果、社会に流通している一つの解釈にすぎないことになる。
このような解釈主義を取ることは非常に偏っているように思われるけれどもその一方でこの態度は自分自身の立場や眺めている対象の位置について、伝統的歴史学よりもよほど自覚的だと言える。というのも、伝統的歴史学が客観性と呼んでいるものはフーコーに言わせれば下記なのである
欲望の関係を知と入れ替えたものであり、摂理や究極因、目的論への必然的な信仰
それは一つの明確な立場を取っているにもかかわらず、それには無自覚だからであることなのである。
偶然性
解釈主義に続く系譜学の二つ目の特徴として、歴史における因果性・必然性という想定の拒否が挙げられる。系譜学は伝統的歴史学が想定するような「出来事の出現と連続的な必然性との間に通常想定されている関係を逆転させる」 。
目的論に立つ伝統的歴史学は、出来事を必然的に生じたもの、連続的なものとして捉えようとする。これに対して、系譜学では、歴史の中で働く力は、何らかの目標を目指すものでも何らかの法則に従うものでもないし、誰かの意図によって働くものでもないと考える。出来事を生じさせる力は、ただ偶然の結果、働いているのである。
系譜学的対象概念
系譜学の最後の特徴は、歴史学が記述すべき対象を変化させるということで ある。その結果、伝統的歴史学が想定している「近いものと遠いもの」との関係も逆転させられてしまう。伝統的歴史学は、遠い時代の出来事や高い価値が与えられてきたものを好んで記述の対象としてきた。なぜなら、そこに理想、 例えば「最も高貴な時代、最も高められた形式、最も抽象的な観念、最も純粋な個人」といったものがあると想定してしまっているからである。
しかし、系譜学はむしろ、今まで見過ごされてきた卑近なものを対象とし、それは、身体や食物までも含んでいる。加えてフーコーは『知の考古学』に引き続き『言説の秩序』でも、言説を出来事として扱い、歴史記述の対象とする必要性を強調している。ここでフーコーの考える出来事とは、 物質性のレベルで影響を及ぼし、また影響として機能する
出来事とは人間の行為や物質の働きだけでなく、現実に影響を及ぼすもののことを指している。確かに、言説は物質性をもつものではない。しかしながら、ある言説の出現の仕方、その語られ方、誰がどこで語るのかという言説の配分のされ方などは、現実に影響を及ぼすのであって、この意味で言説は物質と同様に出来事として扱われなければならないのである。このように系譜学は、従来価値が置かれてこなかったささいな事柄や、今まで出来事として取り扱われてこなかった言説をも歴史的記述の対象とする。
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系譜学の探究対象
フーコーは、系譜学を下記のように定義している。
由来 (provenance / Herkunft)と現出 (émergence / Entstehung)の探求
則、真理への意志の分析は、出来事の「由来」と「現出」の分析という形で行われる。
由来
まず、由来の探求とは下記のようま態度であるとされる
人やものの周りで交差しあいほどくのが困難な関係を作り出すような、細かな、単一の、個別化されていないあらゆる痕跡を割り出す
すなわち、一つのまとまりを作り出しているように見える複数の出来事を個別に描き出さねばならない。そして、出来事を合理性やあらかじめ想定された目的に沿ってたどるのではなく、「起こったことをそれに固有の拡散の中に捉える」 。これは現在価値を与えられているものが偶然やあるいは誤謬の中から現れてくる過程を辿る作業になる。そして、この作業は 次のことを明らかにする
由来の探求は何かを築くものではなく、全くその逆である。この探求は、不動だと知覚されていたものを動揺させ、統合されたと考えられていたものをばらばらにする。すなわち、それ自体と合致していると想像されているものの異質性を示すのである。これに抵抗できるいかなる確信があろうか。さらにこれに抵抗できるいかなる知があろうか。
由来の探求は、ある時に何が起こったのか・どのような言説が生産されたのかを、目的論的な意味付けや連続性を導入せずに、ただありのままに出来事として記述する。それによって、現在我々が確かなものだと信じている知覚、価値、あり方などが、通常考えられているように「起源」に依拠するのではなく、 実はばらばらの偶然の出来事から生じてきたにすぎないということを明らかに し、その統一性を解体する機能を果たす。
現出
一方現出は下記のように定義される
出現(apparition)の原理、それ特有の法
則、現出の探求とは、どのようにして価値や考え方などの現在のあり方が生じてきたのかを明らかにすることである。すでに見たように、系譜学の立場では、現在のあり方をあらかじめ規定している「起源」の存在を認めない。それゆえ、現在の価値や論理をもとにして、出来事の出現を説明することはできない。
この点を自覚する系譜学は、伝統的歴史学が「現在を起源へと置き換えることによって、運命の埋もれた働きが最初の瞬間から、姿を現そうとしていたと信じ込ま せようとする」のに対して、下記性質をもつとされる
一つの意味の持つ予見の力ではなくて、支配の偶然の戯れを復元する
すなわち伝統的歴史学が、出来事の生起をあらかじめ設定された目的なり他の出来事との連続性から説明するのに対して、 系譜学は、出来事を力が働いた結果生じたものと考え、出来事が出現する際にどんな力が働いていたかを記述せねばならない。
ここで注意しなければならないのは、フーコーが力を働かせる主体のようなものを想定していないということである。フーコーによれば、出来事は複数の 偶然の力の働きが相まって自然と生じてくるものである。それゆえ、責任を下記のように捉える。
現出の責任を負うべきものは存在しないし、現出を自らの功績とできるようなものもない
出来事は誰のせいでもなく、現出は力と力の「隙間」から生じるのであって、系譜学はそれらの力を描き出して、現出がいかに偶然から生じてくるのかを明らかにするのである。
ところで、様々な出来事の出現およびそれを出現させる力の働きが具体的に、どのように我々の生に関わるかといえば、それはある解釈を「真理」として押し付けるという形をとる。
解釈するということが、暴力や隠蔽によって、それ自体では本質的な意味をもたない規則の体系を我が物とし、一つの方向をおしつけ、新たな意志に従属させ、別の仕組みにとりこみ、二次的な規則のもとに置こうとすることであるならば、人類の生成は一連の解釈だと言えるだろう。系譜学とはまさに、この解釈の歴史でなければならない。 我々が共有し当然視している道徳や理想といった考え方や実践、すなわち現在の「真理」も、一つの解釈にすぎないと系譜学では考える。すなわち、社会の中で流通し言わば一つの真なるあり方だとみなされるものも、数多くあり得る実践の中で「真理」として受け入れられている解釈にすぎないのである。それゆえ、系譜学は今まで真理として受け入れられてきたものを、解釈として捉 え直す作業だといえるだろう。由来の探求は一つの解釈が真理として現れてくる様を出来事として描き出し、現出の探求はその解釈がどのような力の働きの結果生じてきたのかを明らかにするのである。
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ところで、この伝統的歴史学・形而上学に異議申し立てをするフーコーのラディカルな議論に対して、フーコー自身の言説のステータスはどのようなもの かが問われるかもしれない。これに対してHanは、フーコーの系譜学的言説も一つの解釈であるという立場を取り、一つの解釈でしかないことを自認することこそ、系譜学の長所であると論じる
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身体刑と変遷
ルイ15世がダミヤンに対して課された処刑は、「処罰する権力の明示のために組織される祭式」を顕著に表しているという点で、18世紀までの身体刑を特徴づけるのに最も相応しいモデルである。 処罰権力を象徴する中心的な人物は君主であり、法の侵犯は君主権に対する攻撃に等しいものと見なされた。したがって身体刑は、毀損された君主権を再興するため、その苛酷さを見物人に見せつけるような仕方で、ある種の祭式として執り行われなければならない。そして、その祭式を最も華やかに彩るにあたって、処罰権力が捉えたものこそ身体であった。君主権の優越性は「敵対者の身体に襲いかかりそれを支配する君主の物理的な力」として誇示されるのであって、敵対者の身体に対して過酷なまでの危害を加え、それを通じて見物人に恐怖を与えること、こうした恐怖の舞台で演じられる祭式こそ、身体刑を駆動させる力学だったのである。 身体から精神へ
やがて18世紀の改革者から身体刑の苛酷さを緩和すべきであるとする主張が現れは、表面上は、犯罪者の「人間性 humanité」を擁護するものであるかのように見えるが、主張を促していたのは経済策に基づく動機であった。「少なく処罰する」のではなく「より良く処罰する punir mieux」こと。そうすることによって、「過酷さを和らげたかたちで処罰することになろうが、しかし一層多くの普遍性と必然性による処罰であること、処罰する権力を社会体のいっそう奥深くに組み込むこと」こそ、改革者が求めていたものであった。
つまり「より良く処罰する」とは、道徳的処罰ではなく「技術」を刑罰に組み入れることによって、より適切に処罰することを企図している。
社会体のなかで処罰を調整しその成果を適合させるため、新しい技術を見つけ出すこと。懲罰を正規のものに整え、完成させ、普遍化するため、新しい原則を定めること。その技術の行使を同質的なものにすること。その技術の効果を増し、それの回路を多様にすることによって、それの経済的で政治的な費用を減らすこと
処罰権力を社会体の深い次元に組み込むにあたって、人々に恐怖を与える場として相応しいのは身体の次元より、むしろ精神の次元でなければならないのである
つまり、その場はもはや身体であってはならない、身体刑の祭式における、極度の苦痛と派手な印(marques)をもたらす祭式中心の営みであってはならない。それは精神でなければならない、いやむしろ、すべての人々の精神のなかに、控え目に、たが明確に、是非とも拡がってほしい表象と表徴の作用でなければならない
この新たな恐怖は、毀損された君主権を再興しようとする物理的な力に起因するものではない。改革者の構想において、法の侵犯とは社会全体への攻撃であって、人々に与えられるべき恐怖とは、社会全体に対する敵と見なされうる可能性に起因するものなのである
種々の犯罪をそれに相応する懲罰の表徴と結びつけること、こうした類推の操作を通じて形づくられる、犯罪と 懲罰との合理的な対応関係をひとつの表象として広く社会に浸透させることが重要となる。
ある犯罪にかんして、適当な懲罰を見つけるということは、不利益の観念がいちじるしいので犯行の観念が最終的には魅力を失ってしまう、そうした不利益を見つけることである。~つまり問題となるのは、互いに対立する価値をもつ対の表象をいくつか組み立てることであり、向かい合う力のあいだに量的な差異をつくりだすことであり、さまざまな力の動きを一つの権力関係に従属させうるような表象=妨害の或る作用を確立することである
が、「またたくまに監禁が懲罰の本質的形態となった」下記より注目すべきは、身体刑から改革者の構想へと至る線分よりむしろ、改革者の構想から監獄へと至る線分である。
どんな理由によって、身体中心の処罰の行使(しかも身体刑ではないところの)と、それの制度上の支えである監獄が、懲罰の表徴とそれを流布させていた、口伝えの効果をねらう祭式という社会的作用にとって替わったのか
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監獄の誕生と性質
改革者の構想の矯正性質
処罰の都市~では、刑罰権力の作用は社会空間全体のなかに広がっていて、情景・見世物・表徴・言説としていたるところに現存するし、開かれた本のように読み解くことが可能であり、市民たちの精神を恒常的に再コード化することで作動する。犯罪の観念と結びつけられた例の妨害(刑罰による)を用いて犯罪の抑止を確実にする 監獄の矯正性質
強制権を中心とする制度~には、処罰権力の緻密な作用がある。つまり、罪人の身体ならびに時間の入念な掌握であり、権威ならびに知にもとづく一つの体系による罪人の動作・行動の取締りである。罪人をひとりひとり矯正するために彼らに課される動作・行動の取締りである
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改革者の構想から監獄へと至るパラダイム
17世紀初頭において頑健さと勇気を生まれつきの表徴として有することで語られた兵士の理想像は、18世紀後半にはもはや生得的であることを求めてはいない。この時代において兵士は「造り上げられる或るもの」となるのであり、「徐々にではあるが、計画に基づく拘束が、身体各部にゆきわたり、それらを自由に支配し、身体全体を服従させ、恒久的に取り扱い可能にし、しかも自動的な習慣となって暗黙の内に残りつづける」ことが目指されるようになるそれは兵士の身体を巡る言説にとどまるものでなく、言うなれば、古典主義時代の権力と身体との関係を如実に表すものだったと言えよう。
18世紀にかくも多大な関心がよせられた、従順さにかんするこうした図式のなかで、斬新なものはなんであったか。なるほど身体がきわめて緊急かつ切実な攻囲の対象となったのは確かに今回が最初ではない。どのような社会においても身体は、ごく緻密な権力の内側で捕捉され、その権力は身体に拘束や禁忌や義務を課すのである。しかしながら、今回の技術では、いくつかの事柄が新しい。まず取締りの尺度。すなわち、不可分な統一単位ででもあるかのように身体を、かたまりとして、大ざっぱに扱うのが問題なのではなく、細部(detail)にわたって身体に働きかけること、微細な強制権を身体に行使すること、力学の水準そのものにおける影響――運動・動作・姿勢・速さを確実に与えることが重要である。つまり、活動的な身体へおよぶ無限小の権力である こうした権力の方法こそ、フーコーがディシプリン(規律・訓練)として位置づけた当のものである 身体の運用への綿密な取締りを可能にし、体力の恒常的な束縛を揺るぎないものとし、体力に従順=効用の関係を強制するこうした方法
17世紀および18世紀に支配の一般的方式になったディシプリンの波及
単に他の人びとにこちらの欲する事柄をさせるためばかりでなく、こちらの望みどおりに、技術にのっとって、しかもこちらが定める速度および効用にもとづいて他の人々を行動させるためには、いかにしてこちらは彼らの身体を掌握できるか、そうした方法を定義する〜学校や兵営や施療院や工場では、のちにやがて、諸規則・諸規程の精密さ、査察の細心の注意を払った視線、生活および身体のごく些細な事態にたいする取締りが、微細なるものと無限なるものへの、一途な信心にもとづくこうした計算に、脱宗教的な内容を、経済や技術中心の合理的組織化を与えるようになるだろう
下記を語ったのはまさにこれである。
規律・訓練は、細部への一種の政治解剖学である
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フーコーの教育観
とりわけ1762年以降〜学級の空間は拡がって、学級は同質的になり、もはやそれを構成するのは、順番に配列されて教師の視線に入ってくるようになる、個々の生徒を中心にした諸要素にかぎられる。18世紀には、《序列》が、学校の秩序のなかでの個々人の配分という大がかりな形式を限定しはじめるのである。例えば、教室・廊下・運動場での生徒の整列、各自の宿題や試験にかんして各生徒に与えられる序列、毎週・毎月・毎年手に入れる序列、年齢順に並べられる学級の配置、難易度にもとづく教材ならびに課題の順番など。しかも、こうした強制的な配列の総体では、ひとりひとりの生徒はその年齢・成績・品行に応じて、占める序列がその時その時によって変わるのであって、つぎのさまざまなの系列のいわば碁盤目のうえをたえず移動させられるわけであるある系列の碁盤目は理念的なものであり知識のもしくは能力の階層秩序を明示し、別のは〔生徒の〕価値や成績のあの配列を学級や学校の空間のなかで具体的に表さなければならない。直線上に配置された間隔でもって順次明瞭に区分される空間のなかで、個々の生徒が順番に入れ替えられていく永久運動〜である
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一望監視の図式は、消え去りもせず自分のどんな性質をも失わずに、社会体のなかへ広がる性質をおびている。つまり、一望監視の資質はその社会体において一般化された機能となることにある。
パノプティコンにおいて重要なのは「社会の諸力を一段と強くすること ― 生産を増大し、経済を発展し、教育をひろげ、公衆道徳の水準を高める」こと。
すなわち、前者のペストのモデルにおいてディシプリンは、ある例外的な事態が生じたときにのみ人々を監視し管理し、種々の差異を発見しそれに基づき配分することで対処する。
それに対し後者のパノプティコンのモデルでは、例外的な事態に限らず社会体を覆うように機能する可能性を有している。一望監視においては、ペストに見られたように閉じ込めの内部のみで機能するのではなく、「ディシプリンを《閉じ込めの外に出して désenfermer》、それを社会体全体のなかで、広く多様に多価値的に機能させうるか」が問題なのであり、「ベンサムはこうした規律・訓練を、いたるところに常時目を光らせ社会全体に隙間も中断もなく及ぶ網目状の仕掛けにしようと夢想」したのであった。いまや求められるのは、規律・訓練を閉じ込めの内部に限定せず、社会体の全体を覆うように機能させることなのである。「一望監視の配置はこうした一般化の定式を示す」はずである。 /icons/hr.icon
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もし古典期以来、抑圧が権力と知と性現象との間の結びつきの根底的なあり方だとしたなら、そこから自由になるには相当な代償を払わねばなるまいと。だからこそ必要になるのではないか、法に対する侵犯も、禁忌の解除も、言葉の突然の侵入も、現実の中における快楽の復権も、つまり権力のメカニズムの内部で一つの新しい関係構造(エコノミー)がそっくりそのまま。けだし、いかに微かな真実のきらめきも、政治的条件の下にあるからだ。
※ここでいう古典期とは恐らく『言葉と物』での記述(デカルト〜カント)と同じと推測できる。そして関係構造(エコノミー)とは構造主義的な話ではなくバタイユ的なものとしてのエコノミーという認識である。 仲正昌樹読解:だから少なくとも、法に対する侵犯、禁忌の解除、言葉の突然の侵入も、現実の中における快楽の復権、そしてまた、権力メカニズムにおける一つの全く新しい関係構造(エコノミー)が必要になるだろう。
本書の目的 ①
目的は〜性についての真実を言うこと、現実内部における性の関係構造(エコノミー)を変更すること、性を支配している掟を顚覆させること、性の未来を変えることなのである。
本書の目的 ②
私が抑圧の仮説に対置させようと思う疑いの目的は、この仮説が誤っていることを示すというよりは、〜十七世紀以来の近代社会の内部における性に関する言説の全般的エコノミーの中に置き直してみることだ。何故人は性現象について語ったのか、それについて何を述べたのか。それについて人が述べていることによって誘導された権力作用とはどのような物だったか。これらの言説と、これらの権力作用と、そしてそれらによって取り込まれ用いられている快楽とのつながりはどういうものか。そこからどのような知が作り出されてきたのか。要するに問題は、人間の性現象についての言説を我々において支えているpouvoir-savoir-plaisirという体制を、その機能と存在理由において決定することである。 言説の全般的エコノミーというのは、言説同士における市場原理のようなものを表しており、則ち、恣意的な言説は需要がなければ市場での交換価値の体系の中で位置を占めることはできない。 そうして言説を捉え直すと権力者や聖職者、資本家が絶対的な言説を持つわけではなく、もっと複雑的でリゾームであることを想定できる。つまり、寧ろ言説のエコノミー自体が権力などのあり方を規定しているようにも思えてくるということ 考慮に入れるべきことは、人々が性について語るという事実であり、それについて語る人々であり、それについて語るところを集積しかつ流布させる諸制度であり、〜性についての相対的な言説事象〜なのである。そこからまた、重要な点は〜どのような形のもとに、どのような水路を辿り、どのような言説に沿って、権力というものが最も細かくかつ最も個人的な行動の水脈に忍び込んでくるものか、〜どのようにして権力が日常の快楽に浸透し、それを統制しているのか〜要するに権力の多形的な技術ということだ 本書の目的 ③
そこから更に言えば、重要なのは、これらの言説的産物やこれら権力の作用が、性についての真実の表現へと導くのか、それとも反対に真実を隠蔽する虚偽の表現へと向かうのかを決定することにあるのではなく、これら言説的産物にとって支えでもあると同時に道具ともなっている知への意思をはっきりと取り出してみることなのだ。 権力の定義
権力という語によって私が表そうとするのは、特定の国家内部において市民の帰属・服従を保証する制度としての「大権力」のことではない〜また、暴力に対立して規則の形をとる隷属の仕方でもない。更に〜一つの構成分子あるいは集団によって他に及ぼされ、その作用が次々と分岐して社会体全体を貫く〜支配の体制でもない。〜権力が可能になる条件〜それは、己が不平等によって絶えず権力の状態を、但し常に局地的で不安定なものとして誘導する力関係というものの、揺れ動く台座なのである。〜権力の関係は他の形の関係(経済的プロセス、知識の関係、性的関係)に対して外在的な位置にあるものではなく、それらに内在するものだということ。そこに生じる分割、不平等、不均衡の直接的結果としての作用であり、また相互的に、これらの差異化構造の内的条件となる。権力の関係は〜上部構造の位置にはない。それが働く場所で、直接的に生産的役割を持っているのだ。 /icons/白.icon
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フーコー的性の歴史観
人は言う、長いこと私たちはヴィクトリア朝の体制に耐えてきたし、今日なおそれおを受け入れていると。女王様のあの淑女ぶった顔は、我らの控え目で押し黙った、偽善的な性現象の紋章の一部に他ならないと。 抑圧の仮説という”17世紀以降近代のキリスト教社会にて性は抑圧されており、性を語ることはタブーであった”とする一般的見解を否定する。 実際には16世紀以来人々はますます性について語るようになっており、とりわけキリスト教の「告白」という儀式において自己の性について隠さず告白することが求められており、性についての言説が逆に増大していると言う。
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この白日の光に続いて、たちまちに黄昏が訪れ、ついにはヴィクトリア朝ブルジョワジーの単調極まりない夜に到り着く。性現象はその時、用心深く閉じ込められる。〜夫婦を単位とする家族というものが性現象を応酬する。〜夫婦が、正当にしてかつ子孫生産係であるものとして君臨する。 ヴィクトリア朝時代になると、夫婦を単位とする家族が性現象を押収し、人々が性を口にすることを禁ずるようになる(上記写真は文化の表象として)。それを夫婦間の規則的なセックスだけが、唯一の「白日」の下に晒すことのできる公認のものとし、「単調の極まりない夜」に到ると表現する。 性に関する言説の空間において生権力が行使され、18世紀には性は公共のものとなり、行政の管理の対象となった。具体的には、人口増大に関心をもった国家が19世紀に一夫一婦制のもとでの家族制度を権力の維持基盤として活用するようになる。 さらに性を管理する性の科学が形成された。成人と子ども、未成年男女をそれぞれ分離し、オナニーの禁止指導がなされ、様々な国家の人口政策に基づく性的指導が行われた。それに伴って、同性愛や少年愛などは異常性愛として取り締まりの対象となってゆく。人々は、ソフトに権力に管理、保護され、「生命を管理する政治学」即ち生政治が機能する社会となった。 一方、中国/日本/インド/ローマ/回教圏アラブ社会などは性愛の術を備えた社会である。性愛の術における真理はある種の知覚の束にすぎず、自己目的化している実用的な実践ということ 自分こそモデルであると、主張し、規範を尊重させ、真理を独占し、語る権利を保有するが、それは秘密の原則を自分のためにとっておくことによってだ。〜性的に不毛な人間が自分のことにこだわったり、自分のことを人々に見せたりしようものなら、彼は異常者とされてしまう。
フーコーによると、正常性や普通を意味するフラ語のnomaliteの元となった形容詞normalはnorme(規範)から派生したものとする。 つまり真理であり、規範であり、「普通」を是として、それ以外を阻害。統治権力として俗世の真理観と国家の重んずる規範を完全に一致させるべくするのが真理政治である。 /icons/白.icon
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古代オリエント・ヘブライ的司牧
古代オリエント諸文明には、王、神、首長は人々に対する羊飼いであるというテーマが存在し、エジプトではパラオの戴冠式で王が羊飼いの紋章と杖を受け取る。これは儀式的・徴的なものであるが、この儀式で象徴されるのは、王と人々の関係、神と人々の関係である。司牧とは、神と人々との関係の根本的な類型であり、王はこの関係に参加する。 古代オリエント・ヘブライ的司牧はこの司牧のテーマがさらに発展し強化され、司牧関係(羊飼いと群れの関係)が根本的関係である上に、もっぱら宗教的関係である。 ダビデを除いてヘブライのどんな王も羊飼いとは呼ばれない。羊飼いは神にのみ許される名称である。寧ろ悪い王を言い表すものとして悪しき羊飼いと呼ばれる。肯定的な意味での羊飼いは神にしか使わない。 ①
羊飼いの権力は、場所(領土、ポリス、都市、城)に対して行使する権力ではなく、群れに対して、しかも移動する群れに対して行使する権力である。
ギリシアの神は本質的に領土的な神であるが、ヘブライの神は移動する神、放浪する神である。
②
司牧権力は根本的に福祉的な権力である。これは、福祉が政治的権力の一効果や一属性であるということではなくて、福祉が権力の唯一の存在理由であるという意味である。旧約聖書に書かれているモーセのエピソードはこのことを良く示している。 ③
司牧権力は、養育の義務、献身、配慮、苦労、奉仕を特徴とするのであって、優越性、誇示、名誉、威光、力、恐怖、暴力を特徴としない。
④
司牧権力は個別化する権力。群れに対する権力である司牧権力は、逆説的にも、個々の羊に対する権力である。羊飼いは一匹の羊のためにあらゆることをする。これは名高い羊飼いの逆説や迷える仔羊である。 一匹の羊を救う必要があるとき、羊飼いは他の群れ全体を放置して一匹の迷える羊を探しにいかなければならないという危機的な状況に置かれる。―匹の羊が大切か、多数の羊が大切か。旧約聖書上のモーセは実際に、群れを放置して一匹の羊を探しに行った。そして見つかった羊を腕に抱えて戻ってみると、犠牲にする覚悟であった群れは無事だった。個の救済が全体の救済につながるという聖書の記述は、象徴的な救済として理解することができる。だが、ともかくこの羊飼いの道徳的・宗教的な逆説は、司牧の中心問題になる。
これが西洋に移植されたのはキリスト教によってである。
すべての文明のうち、キリスト教西欧の文明はおそらく、最も創造的で、最も征服的で、最も傲慢であると同時に、おそらく最も血腥い文明の一つでした。ともかくキリスト教西欧の文明が、最も大きな暴力の数々を繰り広げてきたのは間違いありません。しかし〜西欧人は、ギリシア人の誰もがおそらくは認めることを許さなかったものを、何千年間にわたって、学んできました。西欧人は、何千年間にわたって、自分を羊たちの中の一匹の羊だと考えることを学んだのです。西欧人は、何千年間にわたって、己の救済を、彼のために犠牲になってくれる羊飼いに求めることを学びました。〜西洋のこの権力形態、それは、羊たちの方から、羊たちにまつわる仕事として考えられた政治の方から生まれ、少なくともそれをモデルにしたのです
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古代ギリシア的司牧
政治的な関係を表す肯定的な司牧のテーマが存在するが、それは非常に限定的なものである。オリエント文明の影響を受けたと考えられるピタゴラス的な伝統の中にそれは存在する。しかしこの伝統は、ピタゴラス派の持つ共同体的・宗教的な限定的性格ゆえに、社会一般へと広がることはなかった。 ①
②
現世における政治家を言い表すものである。しかし羊飼いとしての政治家は、ポリスの建設者でも、立法家でもなく、服従する者、主人と家畜の媒介者としての番犬のよう者である。したがって、政治機能の本質ではなく、補助的な機能である―『国家』。 ③
ピタゴラス的伝統におけるようテーマを反復するもの。つまり良き執政官は良き羊飼いであるというテーマである。これは『国家』のなかで、トラシュマコスとソクラテスとの議論の前提として登場する。 ところでこれらのテクストのうち『政治家』は、羊飼いのテーマと直接的に議論をするテクストである。政治家、執政官、政治権力の本性が羊飼いのモデルと適合するかというのがこのテクストの中心問題である。
結果的にはそれは否定的である。この否定はピタゴラス哲学(ポリスの首長は羊飼いでなければならない)の正式の拒絶である。プラトンにとって政治家の役割、機能のモデルになるのは羊飼いではなく、織工である。羊飼いは、人で数多くの技術を駆使するが、織工は補助的な諸技術に支えられて仕事をする。政治の次元には織工のモデルが適用されるが、羊飼いは医者や農民や体育教師など、政治より下位の、政治を補助する技術のレベルに位置付けられる。従って、羊飼いを権力のポジティヴな分析の出発点とするような考えは、政治的思考の中には存在しない。
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キリスト的司牧
統治(gouvernment)という語の語源がギリシア語であるとしても、西洋の統治の起源はオリエントであり、それをさらに洗練化させたのはキリスト教である。したがって本来的に司牧の歴史を18世紀までと見る。しかし18世紀に司権力が終わるというのは誤りで、司牧は未だに権力として働いており、「未だにそこから我々は自由になっていない」。 キリスト教をめぐる戦争は根本的には司牧をめぐる戦いであったと言う。司牧をめぐる戦いとは、即ち、誰が司牧になるのか、どのようになるのか、どんな権利においてなるのか、何のためになるのかをめぐる戦いだということである。
人々を統治する権利を誰が持つか、〜この権力をどのように行使するか、各人の自律の余地はどれくらいか、この権力を行使する者の資格は何か、彼らの権限の限界は何か、何に依拠して彼らに反抗しうるか、彼らはどのように互いに統制し合うのか、これら全体が、13世紀から18世紀までの西欧を貫いた司牧性(pastoralte) の大いなる闘いである
重要なのは「司牧は結局清算されなかった」ことである。宗教革命によって両分されたキリスト教世界は「どちらも司牧なき世界ではなかった」。むしろ司牧は異なる二つの類型のもとで強化された。
封建型の政治権力は、おそらく、いくつかの革命を知っており、ともかく、いくつかの痕跡を差し置けば、西洋史からそれを清算し追い出した一連の過程にぶつかってきた。反封建の革命はいくつか存在した、しかし反司牧の革命は一度もなかった。司はいまだに、司牧を歴史から徹底的に葬り去るような抜本的な革命の過程を経験したことがない
①
司牧の制度化。ヘブライに反してキリスト教教会は、上にはキリストから、下には司祭に至るまで、権威関係が完全に構築される。教会組織はキリストから修道院長や司祭に至るまで司牧の組織である。
したがって、教会権力は司牧権力である。それは群れに対する羊飼いの権力として正当化される。秘蹟の権力、洗礼の権力とは、群れの中で羊たちの点呼をすることである。聖体拝領の権力とは、霊的な糧を与えることである。改悛の権力とは、群れを離れた羊を再び群れに連れ戻す権力である。法制化の権力もまた羊飼いの権力である。法制化の権力とは、病気や物議によって群れ全体に悪影響を及ぼしかねない羊を群れから追い出すことを司祭に許す権力である。したがって、教会権力は司牧権力である。
②
キリスト教の司牧権力は、非常に逆説的な仕方で、政教分離されていた。これは宗教的な権力がもっぱら魂の配慮だけを任務としたという意味でなく、反対に、逆説的にも、司牧権力は現世的な権力である。
ヴァレンティアヌス帝が聖アンブロシウスをミラノに派遣するときの言葉「執政官としてではなく、牧人として」は、特徴的な定式化であり、この定式化は歴史全体を通じて根本法則のままにとどまる。どんなに宗教的な媒介メカニズムが存在するとしても、王は王、司牧は司牧である。主権者(カエサル)/司牧(キリスト)のこの二元構造、この代替不可能性・相互不可侵性は西洋文明の特徴である。 ③
キリスト教司牧は完全に組織化、制度化されたうえに、一連の技術全体を編み出した。それは、人々を導き、掌握し、操作する技術、人々に目を配り、一歩一歩進ませる技術、個人的かつ集団的に、生きる間ずっと、生の各瞬間において人々の責任を負う技術である。
これが最も決定的な現象であり、フーコーは下記のように言う
どんな文明もどんな社会も、古代世界の終わりから近代世界の誕生までのキリスト教諸社会ほど司牧的ではなかった
しかし司牧権力の技術は、主権者の技術とは異なる。それは子供や少年を教育する技術とも異なる。それはまた、人を彼の意に反して丸め込む技術とも異なる。司牧は政治でも教育でも修辞学でもない。それは人々を統治する技術である。
この統治性は、16世紀末、17,18世紀に政治の中に入り込み、近代国家の敷居を示す。近代国家は統治性が実際に計算され・反省された政治実践になったときに生まれる。フーコーは、近代国家の起源はここに求めるべきであるとする。
フランス哲学協会での講演
〈批判的な態度〉を下記のような〈統治されないための技術〉と定義している。
統治の技術を警戒し、これを拒否し、これを制限し、その適切な大きさを決定し、これを変革し、この統治の技術の適用を免れる方法として生まれたのでしょう
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訳者あとがき
このような分析によってフーコーは、主体を「法」や「掟」に従属させて考える思考から脱却しようとしている。デリダが指摘するように、カントの道徳論、アルチュセールのイデオロギー論、ラカンの精神分析などにおいて、主体はつねに「掟」や「法」の前の存在として考えられてきた。普遍的な法や掟の呼びかけこそが、主体を形成すると同時にそれを分割し、無限の自己規制や自己解読を強いてくるのだ。 それにたいしてヘレニズム・ローマの哲学者において、主体は超越的で普遍的な法や掟との関係で考えられるのではなく、いわば徹底的に「内在主義」的に考えられている。主体は、たんに自己に沈潜するのではなく、さまざまな実践や訓練を内的な媒体として、自己との関係を変容させ、真理との関係を打ち立てるのである。主体とは、法や掟によって分割されるような反省的な二重体ではない。それはむしろ、みずからのうちにある自己との内的な緊張関係そのもののことであり、この内的な緊張関係の強度をさまざまな実践によって段階的に変容させることこそが、ロゴスとの関係を創設するのだ。自己が「動作主」でも「対象」でも「道具」でも「目的」でもあるような自己との関係、このような現代の私たちにはほとんど不可能に思えるような関係のことを、フーコーは「自己主体化」と呼んでいるのだ。 https://scrapbox.io/files/656840bf6461ba002310e90b.jpeg
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自己の陶冶
自己への配慮の黄金期
「《個人主義》の、ヘレニズムならびにローマの世界における増大」が巻き起こった同時代的なテクストには下記のような事柄が表れているという。
最初の数世紀のテクストのなかに表れている事柄はといえば、-性行為にかんする新たな禁忌であるよりも-自分自身に向けるべき注意の強化である。それは要求されるこの気配りについての方式や豊かさや永続性や正確さである。〜それは快楽の禁断を耐え忍ぶなり、結婚生活や生殖にかかわってその快楽の用い方を制限するなりすることで、単に自分の地位においてだけでなく理性的存在として自分自身を尊重することの重要性である。要するに―しかもまずは大ぎっぱに言うと―、道徳的省察における性的厳格さのこの強化は、禁止される行為を規定する規範の引締めという形式をとるのではなくて、自己を自己の行為の主体として構成するさいの手がかりとしての自己への関係の強化という形式をとるのである。しかも、こうした形式を考慮にいれることによってこそ、以前にくらべて厳しいこの道徳をもたらした原因を検討しなければならない。
そしてこうした「道徳をもたらした原因」の通俗的な解釈を下記のように述べる。
この峻厳な道徳の展開を説明してくれるのは、したがって、公的権威の強化ではなくて、むしろ、個々人の生活が過去においてくり拡げられていた政治的で社会的な枠組の弱体化であるにちがいない。つまり、個々の人間は国家のなかに組込まれる程度が以前にくらべて弱まり、相互にますます切離され、いっそう自分に依存するようになったので、哲学のなかに、いっそう個人本位の行動指針を探し求めたにちがいない、というのである。
「こうした図式が、ことごとく誤っているわけではないい」が「個人主義のこの高揚の現実、しかも個々人をその伝統的な帰属関係から切離した社会的で政治的な過程の現実、について考察してみてもよい」として「帝政期に表明された姓にかんする厳格な態度の要請は、増大していく個人主義の表われであったとは思われない」と批判する。そしてフーコーは下記と述べる。
その要請の脈絡は、むしろ、かなり長期にわたる歴史的影響力をもった、だがこの時期に頂点に達したある現象によって特徴づけられている。すなわち、《自己の陶冶》とでも名つけてよい事態の進展であって、その陶冶においてこそ、自己の自己への関係は強化され、高い評価が与えられたのである。
つまり「自己の陶冶にかんする一種の黄金時代」としてフーコーは解釈するのだ。それを次のように述べる
この《自己の陶治》について手短に特色をあげるならば、生活術―さまざまな形式をもった生活技術―がそこでは「自分自身に気をくばる」べしとの原則によって圧倒的につらぬかれている点であろう。自己への配慮のこの原則こそが、生活術の必要性に根拠をあたえて、その展開を支配し、その実践を組立てるのであるが、詳しく述べなければならない。人が自分自身に専念し自分自身に配慮し(heautou epimeleistha)なければならないという観念は、実際、ギリシャ文化のなかではきわめて古い主題である。この主題は広く普及した要請として非常に早く現われた。クセノフォンによって理想的肖像が記されているキュロスは、征服を完了するが、だからといって自分の生活が完全なものになっているとは考えない。彼は自分自身に配慮しなければならない―しかもこのことが最も貴重なのである。「神々がわれわれの願いをすべて実現してくれなかったからといって神々をわれわれは非難することはできない」と彼は過去の数々の戦勝に思いをはせながら述べている、「ところが、大事業をなしとげたために、人がもはや自分自身のことに配慮したり友人と歓楽をともにしたりすることができないとすれば、それは進んで幸福をあきらめることである」。プルタルコスの伝えているスパルタ人の警句の主張によれば、所有地の世話が奴隷たちにまかされてきた理由は、スパルタの市民たちが「自分自身のことに専念し」たいためであった。それが意味していたのは、多分、戦士としての教練であっただろう。しかし、この表現は『アルキビアデス』では全然別の意味で用いられていて、この著作では、その訓練が対話の本質的な主題を構成する。すなわちソクラテスは、この若き野心家〔アルキビアデス〕に次のように明言するのである。統治するためには何を知る必要があるかを学ばずにおいて、国家の世話をしたいと思ったり、国家に勧告を行なったり、スパルタの王たちやペルシャの君主たちと競ったりすることは、この男としてはとても傲慢であると。つまり、この男がまずしなければならないのは、自分自身への専念であって―しかも若い者である以上、ただちにそうしなければならないのである、というのは「五十歳になると、おそすぎる」のだから。しかも『ソクラテスの弁明』では、ソクラテスは自分の裁判官たちにたいしては、まさしく、自己への配慮にかんする達人として自分を紹介しているのである。神によって委託されたのでソクラテスは人々に、配慮すべきは自分の富でも自分の名誉でもなく、自己自身について、自分の魂についてであることを思い起こさせる、というわけである。さて、ソクラテスの確証する、自己への配慮というこの主題こそは、後世の哲学がふたたび採りあげたもの、自らがそうでありたいと望むあの《生活術》の中心についには位置づけたものである。この主題こそは、当初の自らの枠組を越え、自らの最初の哲学上の意味あいから離れて、徐々に、真の《自己の陶治》の広がりと形式とを獲得するようになったものである。この《自己の陶治》という言葉から理解すべきは、自己への配慮の原則はかなり一般的な実効範囲を獲得するようになった点である。つまり、自分自身のことに専念しなければならないとの掟は、ともかくも、多数の異なる教義のあいだに広まる一つの要請なのである。しかもとの掟は、一つの態度、一つの行動様式の形式をとったのであり、生き方のなかに入りこんだのである。また、人々が考察し展開し完成させ教えていた、手続とか慣行とか手段とかとなって発展したのである。こうして、この掟は一つの社会的慣行を構成して、個人と個人とのあいだの関係や交換と意思伝達や、ときにはさらに制度をも生み出した。ついには、ある認識様式とか知の琢磨とかをもたらしたのである。自己への配慮を主題とした生活術のゆるやかな展開のなかで、帝政期の最初の二つの世紀は、一つの大いなる曲線の頂点、つまり、自己の陶治にかんする一種の黄金時代、と見なしていいのである。 フーコーはあらゆる人物をあげて自己への配慮という同時代性を論じるが、ここでは「この主題についての最高の哲学的琢磨」と彼が評するエピクテトスを引用する。 この主題についての最高の哲学的琢磨が表われるのは、多分エピクテトスにおいてであろう。その『語録』のなかで、人間存在は、自己への配慮を託された存在だと規定される。そとに、他の生き物との根本的な相違が存する。たとえば、動物は自分の生存に必要なものを、「すっかり用意されたものとして」見出す、というのは自然は、動物が自分のことに専念する必要がないままに、しかもわれわれとして彼らの面倒を見なくても、動物がわれわれに役立ちうるように取りはからってきたからである。反対に人間は自分自身に気を配らなければならない。だがそのことは、人間がある欠如の状態に置かれていて、その点では動物より劣っているような何らかの欠点にもとづくからではない。人間が自由に自分自身を活用できるように神が熱望したからである。しかも、そのために神は人間に分別の力を授けたのであるが、その力は、欠如せる自然能力を補うものとして理解されるべきではなく、反対に、必要に応じて、しかるべき仕方で、他の種々の能力の使用を可能にしてくれる能力である。しかもその力は自らを使用しうる性能をもつ、まったく独自な能力でさえある。というのは、「それ自体をも他のすべてをも研究反省の対象とする」性能をもつからである。自然によってすでにわれわれに与えられているすべてを、この分別の力でもって完璧なものに仕上げることによって、ゼウスはわれわれが自分自身に専念する可能性をも義務をもわれわれに与え給うた。人間は自由で分別をもつ-しかも自由な立場で分別をもつ-からには、自然のなかで人間は、自分自身への配慮をゆだねられた存在なのである。フィディアスが大理石のアテナ像を制作したようには神はわれわれを作り給わなかった。そのアテナ像は、不動の勝利が翼をひろげて身構えた手を永遠にさしのべているからである。ゼウスは「汝を創造し給うただけでなく、さらに、汝を信じて、もっぱら汝自身に汝をゆだね給らたのである」。エピクテトスにとって、自己への配慮とは、一つの特権=義務、一つの賜物=責務なのであって、それはわれわれに、自分自身を自分のすべての専念の対象と見なすよう強制しつつ、われわれに自由を確保してくれるのである。 陶冶の当為
まずこうした「自己への没頭には年齢は存在しない」とする。
「自分の心のことに没頭するのに遅過ぎるとか早過ぎるとかはない」とエピクロスはすでに述べていた。「哲学をする時はまだ来ていないとか、もう過ぎたとか言う者は、幸福の時がまだ来ていないとか、もう存在しないとか言う者と同然である。したがって、若者も老人も哲学をしなければならない、老人は老いてはいるが、過去存在したものへの感謝の念によって善行の面で若々しくあるために、若者は若くはあるが、将来にたいする心配がないがために同時に年老いた者であるために」。生きることを生涯にわたって学ぶことは、生活を一種の永遠の鍛練へと変えるべしとする、セネカの挙げる格言である。 つぎに自己の陶冶は「独居にあって行われる営みではなくて、真の社会的実践である」こと。
たとえば、新ピタゴラス派の共同体とか、さらには、フィロデモスを介して若干の情報が入手されるエピクロス派の実践集団とか、である。この場合には、ある位階制が承認されていたので、一番の先輩たちは他の者を指導する(個人的にであれ、より集団的にであれ)責務が与えられていた。ところがまた、共同の実践も存在していて、そのおかけで自分のことに専念するさいに他の人々の助力をあおぐことができた。すなわち〔相互に助けあうべし〕として規定される責務がそれである。〜心の苦しみの治療にかんするガレノスのテクストは、この視点から見ると意義深い。すなわち彼は、自分自身に気を配りたいと欲する者に、他の人の助けを求めるよう助言するものの、能力と知見の面で名高い専門家を推奨しているわけではなくて、一徹な率直さの持主だとわかる場合のある、世評の高い人をただ単に推奨しているのである。ところがまた、自己への気配りと他者からの援助とのあいだの作用が既存の関係のなかに組込まれて、それらの関係に、新しい色合いと以前にもまして激しい熱気を与える場合も起こる。自己への配慮-ないしは、他の人々が自分自身にかんして抱くべき配慮について、こちらの寄せる気配り-は、そうなると、社会的関係の一つの強化のように感じられる。〜自己への気配りは、他者との交流の作用および相互的な義務の体系をもたらす可能性を含む《心の奉仕》と本質的に結びついていると思われる。
次に過去と自己への帰着を論じる。
自己にかんするこうした実践は、さまざまの差異を示してはいるが、それらを通じて現れるこの実践の共通目標は、自己への帰着という完全に一般的な原則によって特徴づけてよい。この定式はプラトン的な外観をもってはいるが、しかし、ほとんどいつも、明らかに異なる意味あいを含んでいる。第一にそれは、活動の一つの変化として理解されるべきである。すなわち、完全かつ排他的に自己に没頭するために他のいかなる形式の専念をも止めなければならないからではないが、しかし、自分に定めるべき主要な目標は自分自身のうちに、自己の自己への関連のうちに求めるべしということを、必要な種々の活動のなかにあって念頭に置かなければならないのである。〔次に〕自己へのこの帰着は、視線の移動を含んでいる。すなわち、視線というものは、無益な好奇心のなかへ分散してはならないのである〜〔自己くの回帰〕はまた、一つの道程でもある。その道程のおかげで人は、すべての依存関係とすべての隷属関係を脱して、ついには自分自身に復帰するのである、暴風雨を避ける港のように、あるいは城壁に守られている城塞のように。〜自己への帰着の終局、そしてすべての自己実践の最終目標を構成する、この自己との関係は、さらに、統御の倫理にも属している。〜人は自分自身にしか属さないし、人は sui juris〔自己に支配権を〕もち、何ごとによっても制限されず、おびやかされない力を自分に行使し、potestas sui〔自分の権力〕を有するのである。ところが、むしろ政治的かつ法律的なこの形式を通じて、自己との関係はまた、具体的な関連としても規定される。というのは、この関連によって自己を、自分が所有してもいるし同時に眼前にもってもいる一つの物のように、享受することができるからである。自己へ帰着することが、外界への関心や野心への気遣いや将来にたいする不安から自己をそらせることであるならば、そうなると、自分自身の過去へ向かっていき、その思いにふけり、意のままに自分の過去を眼前にくりひろげ、そして、何ごとによっても乱されない関係を自分の過去にたいしてもつことができる。つまり「過去は、われわれの人生のうちで神聖にして不可侵の唯一特別の部分であって、人間のあらゆる偶然を脱して運命の支配のそとに逃れた部分である。貧困も恐怖も病気の侵入も、これをひっくり返すことはできない。かき乱されもせず、奪い取られもしなき。過去の所有は永遠にして安泰である」 結論
つまりフーコーは「実際には、禁止事項の新しい締めつけであると解釈されるべきではない」として、「人々は以前にもまして権威主義的な、いっそう有効な禁止体系を組立てようと努めなかったのである」と解釈するのだ。そしてむしろフーコーによれば「その変化は、個人が道徳的主体として自らを構成しなければならない」という方法論として照らされたのである。
明確に規定された一連の訓練のなかで、自己を試す、自己を検討する、自己を統制する、その責務は真理-自分は何であるか、何を行うか、何を行なう能力をもつか、にかんする真理-の問題を、道徳的主体の構成の核心に位置づける。