マルクス
1844『経済学・哲学草稿』
私的所有の止揚を感性的な諸器官の解放として論じる。
1845『フォイエルバッハに関するテーゼ』
第6テーゼ
フォイエルバッハは宗教的本質を人間的本質に解消する。しかし、人間的本質は個々の個人に内在する抽象物ではない。現実には、それは社会的な諸関係の総和である。フォイエルバッハは、この現実的な本質の批判に携わろうとはせず、それゆえ無理矢理に1.歴史的経過を捨象し、宗教的心情をそれ自身にたいして固定化し、抽象的な−孤立した−人間的個人を前提とし 2.本質を、単に「類」としてのみ、内的な、無言の、多くの個人をただ自然に結びつける普遍性としてのみとらえることができるのだ。
第11テーゼ
哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきただけである。しかし、重要なのは世界を変えることである。
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エンゲルス解釈
新しい世界観の天才的な萌芽が記録されている最初の文書
1845『ドイツ・イデオロギー』
われわれの以前の哲学的意識を清算することを決心した
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共産主義とは、われわれにとって成就されるべき何らかの状態、現実がそれへ向けて形成さるべき何らかの理想ではない。われわれは、現状を止揚する現実の運動を、共産主義と名づけている。この運動は現にある前提から生じる
現状を止揚する現実の運動という概念
1848『共産党宣言』
亡霊がヨーロッパを徘徊している─共産主義という亡霊が。古いヨーロッパのあらゆる権力がこの妖怪を狩り立てる神聖な事業のために同盟を結んでいる。ローマ教皇とツァーリ、メッテルニヒとギゾー、フランスの急進派とドイツの警察が。
1867『資本論』第一巻
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序文
ひょっとしたら誤解されるかもしれないから、一言しておこう。私は資本家や土地所有者の姿をけっしてバラ色に描いていない。そしてここで問題になっているのは、経済的カテゴリーの人格化であるかぎりでの、一定の階級関係と利害関係の担い手であるかぎりでの人間にすぎない。経済的社会構成の発展を「自然史的」過程としてとらえる私の立場は、他のどの立場にもまして、個人を諸関係に責任あるものとはしない。個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、 社会的にはやはり諸関係の所産なのである。
第一篇
物神性
商品物神
それで、労働生産物が、商品形態をとるや否や生ずる、その謎にみちた性質はどこから発生するのか? 明らかにこの形態自身からである。人間労働の等一性は、労働生産物の同一なる価値対象性の物的形態をとる。人間労働力支出のその継続時間によって示される大小は、労働生産物の価値の大いさの形態をとり、最後に生産者たちの労働のかの社会的諸規定が確認される、彼らの諸関係は、労働生産物の社会的関係という形態をとるのである。
物神性を論ずるまえに、我々は物を基礎づける諸原理を理解しなければならない。それは第一に「労働生産物が、商品形態をとるや否や生ずる」謎の性質を有することである-これこそが物神性に他ならない。
そして第二に、基礎となるは「労働の社会的性格」である。それは上記にて「人間労働の等一性は、労働生産物の同一なる価値対象性の物的形態をとる」と説明される。これは換言するならば、特定の商品を生産するに要する労働力の同一性が、労働生産物の価値における同一性を示すことである。たとえば、特定の全く同一なる商品を生産するのに、人間が要する労働力は同一であり、例外を除き比類はない。これこそが「人間労働の等一性」である。そして同様に、同一の労働力で生産された同一の商品の価値は、これもまた同一である。こうして商品の価値は一元化=画一化されるのだ。
それゆえに、商品形態の神秘に充ちたものは、単純に次のことの中にあるのである、すなわち、商品形態は、人間にたいして彼ら自身の労働の社会的性格を労働生産物自身の対象的性格として、これらの物の社会的自然属性として、反映するということ、したがってまた、総労働にたいする生産者の社会的関係をも、彼らの外に存する対象の社会的関係として、反映するということである。この Quidproquo〔とりちがえ〕によって、労働生産物は商品となり、感覚的にして超感覚的な、または社会的な物となるのである。(...)それは、労働生産物が商品として生産されるようになるとただちに、労働生産物に付着するものであって、したがって、商品生産から分離しえないものである。商品世界のこの物神的性格は、先に述べた分析がすでに示したように、商品を生産する労働の独特な社会的性格から生ずるのである。
上記引用をもって物神性は説明可能となる。はじめに労働生産物が商品形態をとると同時に生じる「この物神的性格は、(...)商品を生産する労働の独特な社会的性格から生ずる」。それはさきに述べた第二の原理に他ならない。そして「人間労働の等一性」によって画一化された価値は、ある「Quidproquo〔とりちがえ〕」を起こすのだ。それこそが「労働の社会的性格を労働生産物自身の対象的性格として、これらの物の社会的自然属性として、反映するということ」である。労働生産物である商品とは、その商品自体に生来的に価値が内在されているのではなく、労働を通じて生産されることで、価値が生じたのである。しかし、我々はその商品自体に価値があると倒錯してしまう。たとえば林檎があるとき、それが生産される過程、すなわち労働によって価値が生じているのに対して、我々人間は林檎自体に生来的に内在する価値があるようにとりちがえてしまう。そしてその価値は「人間労働の等一性」によって画一化されているため、より確定的な価値を本来的に有していると倒錯してしまうのだ。これがいわば商品への信仰、すなわち物神性なのである。
簡易に概略ならば、商品は労働によって価値が生ずるのであり、生来的に内在するものではない。しかし、我々は商品が眼前にある場合、それ自体が価値を有していると倒錯してしまう。この現象こそが、物神性、商品への信仰なのだ。
貨幣物神
貨幣物神の謎は、商品物神の謎の、目に見えるようになった、眩惑的な謎にすぎない
第二篇
資本の一般定式
商品流通は資本の出発点である。商品生産と、発達した商品流通である商業は、資本の成立する歴史的前提をなしている。世界商業と世界市場は、一六世紀において、資本の近代的生活史を開始する。(...) 商品流通の直接の形態は W ─ G ─ W である、すなわち、商品の貨幣への転化および貨幣の商品への再転化であり、買うために売ることである。
これは非常にわかりやすい。なぜならこの定式とは貨幣の基本機能だからに他ならない。私たちは生活をする時、なにか商品をつくり、それを売ることで貨幣を得て、その貨幣でほかの者がつくった商品を買う。林檎を栽培し、売却。得たお金で、建築された住居を購入することでW ─ G ─ Wが成される。しかし、マルクスにしてみればもう一つ重要な形態がある。それがかの有名な資本の一般定式G-W-G'である。
われわれには、第二の特殊なちがった形態がある。すなわち G ─ W ─ G という形態であり、貨幣の商品への転化および商品の貨幣への再転化であって、売るために買うことである。この後の方の流通を描いて運動する貨幣は、資本に転化され、資本となる。そしてすでにその性質からいえば、資本である。流通 G ─ W ─ G をもっと詳しくみよう。この流通は、単純なる商品流通に等しく、二つの対立した段階を通過する。第一の段階 G ─ W すなわち買いにおいては、貨幣は商品に転化される。第二の段階 W ─ G すなわち売りにおいては、商品は貨幣に再転化される。そして、両段階の統一が、貨幣を商品にたいして、また同じ商品を再び貨幣にたいして交換する総運動であって、売るために商品を買うのである。言いかえれば、もし買いと売りとの形式的な差異を無視すれば、貨幣をもって商品を買い、商品をもって貨幣を買うのである。全過程が消えて残る結果は、貨幣の貨幣にたいする交換 G ─ G である。私が一〇〇ポンドで二〇〇〇封度の綿花を買い、二〇〇〇封度の綿花を、再び一一〇ポンドで売るとすれば、私はけっきょく、一〇〇ポンドを、一一〇ポンドにたいして、交換したことになる。すなわち、貨幣を貨幣にたいして交換したのである。(...) もし流通過程 G ─ W ─ G というり路をとおって、同一の貨幣価値を同一の貨幣価値と、したがって、例えば一〇〇ポンドを一〇〇ポンドと交換しようとするのであれば、この過程が、無意味であり、無内容なものになるだろうということは、もちろん明瞭なことである。(...) 貨幣は、特別の、そして独自の運動を描いたのであって、単純なる商品流通におけるとは、例えば穀物を売ってそれで得た貨幣で衣服を買う農民の手中におけるとは、全くちがった種類の運動をなしているのである。(...) 買い手が貨幣を支出するのは、売り手として貨幣を収得するためである。彼は、商品の買いに際しては、貨幣を流通に投ずる。これを、再び同じ商品の売りによって流通から引出すためである。彼は、貨幣をただ、再び手に入れるという狡獪な意図をもってのみ、手放すのである。したがって、貨幣は、ただ前貸しされるだけである。(...) 最初に前貸しされた貨幣額プラス増加分である。この増加分、すなわち最初の価値をこえる剰余を、私は剰余価値(surplus value)と名づける。したがって、最初に前貸しされた価値は、流通において自己保存をするだけでなく、ここでその価値の大いさを変化させ、剰余価値を付加する。すなわち、価値増殖をなすのである。そしてこの運動が、この価値を資本に転化する。
ここに目的の反転が生じる。「買うために売ること」ではなく、「売るために買うこと」とは、商品の変換を目的とし、その媒介をなす存在としての貨幣から、貨幣の増殖を目的とし、その媒介をなす存在としての商品への転換である。すなわち「第一の形態では貨幣が、第二の形態では逆に商品が、全体の進行を媒介している』のだ。そして変換と増殖というそれぞれの目的も非常に重要である。「単純なる商品流通においては、両極は同一の経済形態をもっている。それらはともに商品である。それらは、また同一価値量の商品でもある。しかし、それらは、質的にちがった使用価値であって、たとえば穀物と衣服である。生産物交換、すなわち社会的労働の表わされているちがった素材の交替が、ここでは運動の内容をなしている。」そして他方で変換ではなく、増殖。これこそが資本運動の特徴である。ウォーラーステインは資本主義の定義として自己増殖という言葉を用い、同時に資本主義の成立条件として、円環の完成を論じる。まさにマルクスも同じように、この無限の円環を以下のように叙述する。
G ─ W ─ G なる形態において(...)貨幣の第一の出発点への還流をもたらす。(...) W ─ G ─ W なる循環は、一商品の売却が貨幣をもたらし、この貨幣を、他の商品の買いが、再び持ち去るや否や、完全に終わる。(...) W ─ G ─ W なる循環は、一つの商品の極から発出して、他の商品の極をもってとじられる。この商品は、流通から出て消費に帰着する。したがって、消費、すなわち欲望の充足、一言でいえば、使用価値が、その最終目的である。これに反して、G ─ W ─ G なる循環は、貨幣の極から発出して、結局同じ極に帰着する。したがって、その推進的動機と規定的の目的は、交換価値そのものである。(...) 貨幣は、運動の終わりには、再び運動の発端として出てくる。売りのための買いが行なわれる各個々の循環の終結は、したがって、おのずから新しい循環の発端をなしている。単純なる商品流通買いのための売りは、流通の外にある終局目的にとって、すなわち、使用価値の取得、欲望の充足ということにとって、手段としての用をなしている。これに反して、資本としての貨幣の流通は、自己目的である、なぜかというに、価値の増殖は、ただこのたえず更新される運動の内部においてのみ存するのであるからである。したがって、資本の運動は無制限である。
終局があり、いずれ閉ざされる円環を有す商品流通に対し、無制限にどこまでも連なる円環、「この運動の意識的な担い手として、貨幣所有者は資本家となる。彼の一身、またはむしろその懐は、貨幣の発出点であり、帰着点である。かの流通の客観的内容価値の増殖は、資本家の主観的な目的である」。こうして資本家の手を借りて価値は絶えず自己増殖していく。資本主義において人間とは主体ではなく、むしろ資本家と商品と貨幣の力を借りて、価値が主体として、自らを自己増殖していくのである。
価値は、たえず一つの形態から他の形態に移行して、この運動の中に失われることがなく、かくて自動的な主体に転化される。増殖する価値が、その生涯の循環において、かわるがわるとる特別の現象諸形態を固定すれば、人は、資本は貨幣であり、資本は商品である、という声明を受取ることになる。しかし、実際においては、価値はここでは一つの過程の主体となる。この過程で価値は、貨幣と商品という形態の不断の交代の下にあって、その量自身を変化させ、剰余価値として、原初の価値としての自分自身から、突き放し、自己増殖をとげる。なぜかというに、価値が剰余価値を付け加える運動は、彼自身の運動であり、彼の増殖であり、したがって、自己増殖である。価値は、自分が価値であるから、価値を付け加えるという神秘的な性質を得る。価値は生ける赤児を生む、あるいは少なくとも金の卵を生む。価値は、あるときは貨幣形態や商品形態を採り、あるときはこれを脱ぎすてるのであるが、とにかくこの交替の間に自己を保持し、自己を拡大してゆく。このような過程の積極的な主体として、価値は、とくに一つの独立した形態を要求する。これによって、彼の自分自身との同一性が、確証される。そしてこの形態を、彼はただ貨幣においてのみもつ。したがって、貨幣は、すべての価値増殖過程の出発点をなし、またその終局点をなしている。(...)こうして、価値は自己過程的の価値となり、自己過程的の貨幣となる。そしてこのようなものとして、資本となる。価値は流通から出てくる。再びそこにはいる。その中に自己を保持し、殖える。ここから増大して帰ってくる。そして同一の循環を、つねにまた新たに始める。
第七篇
資本主義史観
プロレタリアートの誕生
資本主義とは「一方には、その有する価値額を他人の労働力の購入によって増殖することを必要とする貨幣、生産手段、生活手段の所有者、他方には、自分の労働力の販売者であり、したがって労働の販売者である自由な労働者」、プロレタリアート、すなわち賃金労働者が位置づけられる。ではプロレタリアートとはそもそもなんと定義できようか。マルクスは資本家と対比させつつ、次のように論ずる。
自由な労働者というのは、奴隷、農奴等のように彼ら自身が直接に生産手段の一部であるのでもなく、自営農民等におけるように生産手段が彼らに属するのでもないという、二重の意味においてであって、彼らは、むしろ生産手段から自由であり、離れ、解かれているのである。(...)直接生産者、労働者は、彼が土地に縛りつけられていて他人の農奴または隷農となっていることをやめた後に、初めてその一身を、自由に処理することができた。彼の商品が市場を見出すところへはどこへでもそれを持って行くという、労働力の自由な売り手となるためには、彼はさらに同職組合の支配、その徒弟および職人の制度や、阻害的な労働規定から解放されていなければならなかった。
本来、生産者と生産手段とは密接であった。たとえば封建社会において、農民は共同地や借地農場をもつ。したがって農民は土地に縛られ、すなわち生産者は生産手段に縛られる生活を余儀なくされていたのだ。その意味で近代化とは「生産者と生産手段との歴史的分離過程にほかならない」。ゆえに、封建主義から資本主義へと移行する第一段階こそが、根幹たる生産手段、すなわち土地からの解脱である。したがってマルクスは次のように云う。
農業生産者からの、農民からの土地収奪は、全過程の基礎をなす
まさに農民からの土地収奪とは、生産者から生産手段を剥奪されることであり、生産者と生産手段の分離そのものを意味する。よって土地収奪こそが、封建社会から資本主義への移行を齎したのだ。しかし、それは生産手段からの解放といえば聞こえはいいが、そんななまやさしいものではない。農民にしてみればそれは「突如暴力的にその生計手段から引き離され」ることに他ならず、「旧来の封建的諸制度によって与えられていたすべての生存保証とを奪われた後に、初めて彼ら自身の売り手となる。そして、かような彼らの収奪の歴史は、血と火の文字をもって、人類の記録に書きこまれているのである」。では具体的にどのようにしてその収奪、「暴力的収奪」が起きたのか。そうした事件は各国に共通しながらも、それぞれがそれぞれの経緯を辿る。よってその典型としてマルクスはイギリスにおける収奪過程を紹介する。
彼らは、本来の農民とともに共同地の用益権を与えられていて、そこには、彼らの家畜が放牧されるとともに、彼らの燃料となる薪や泥炭等を産した。ヨーロッパのすべての国において、封建的生産は、能うかぎり多数の封臣のあいだに土地を分割することを、特徴としている。(...)資本主義的生産様式の基礎を創出した変革の序曲は、一五世紀の最後の三分の一期と一六世紀の最初の数十年間に起こった。(...)大封建領主が、彼自身と同様に農民も同じ封建的権利を有していた土地から、農民を暴力的に駆逐することによって、また農民の共同地を横領することによって、比較にならないほど大きなプロレタリアートをつくり出したのである。これに直接の原動力を与えたものは、イギリスでは、とくにフランドルの羊毛工場手工業の勃興と、それに対応する羊毛価格の騰貴とだった。古い封建貴族は大きな封建戦争に食い尽くされていたし、新たなそれは、貨幣をもって、権力中の権力とするその時代の子だった。かくて耕地の牧羊場化は、彼の合言葉となった。ハリスンはその『イギリス記。ホリンシェッドの年代記に題す』で、小農民の収奪が、いかに国を荒廃させているかを叙述している。What care our great incroachers!(われわれの大横領者が何を顧慮しようか?)農民の住居と労働者の小屋とは、暴力的に取り壊され、あるいは腐朽にまかされた。ハリスンは言う、「各騎士領の古い財産目録を比較してみるならば、無数の家屋と小農民経営とが消滅していること、農村は以前よりもはるかにかな人々を養っていること、二、三の新しい都市が興ったとはいえ多くの都市は衰微していること、を見出すであろう。牧羊場にするために破壊されて、ただ領主の家しか残っていない町や村についても、語ることができないことはない」
概略するならば、一五世紀では多くの農民が共同地や借地農場で自らの生産活動を行っていた。しかし、次第に封建領主は共同地を取りあげることとなる。そして、それを第一に推進させるは-ハリスンが論じるように-羊毛価格の高騰であり、それは封建領主を共同地の牧羊場化することに駆りたてた。また、それは借用地においても同様であり、こうした動きはヘンリー七世によって更に促進される。
『ヘンリー七世の治世』の中で、ベーコンは次のように言っている。「当時」(一四八九年)「少数の牧夫によって容易に管理される牧場」(牧羊場等)「に、耕地が転化されることについて、苦情が増した。そして有期、終身、年契約の借地農場(自由農民の一大部分がこれによって生活していた)が、領主直営地に転化された。このことは人民の衰頽を生ぜしめ、その結果として都市、教会、十分の一税の衰微をもたらした。この弊の救治にあたって、当時の王と議会の賢明さは、驚嘆に値するものがあった。彼らは、この人口を減らすような共同地横領(depopulating inclosures)と、それにつづく人口を減らすような牧場経営(depopulating pasture)を阻止する方策をとった」。一四八九年のヘンリー七世の一条例の第一九章は、最低二〇エーカーの土地が付属しているすべての農民家屋の破壊を禁止した。ヘンリー八世第二五年の一条例では、同じ法律が更新される。なかんずくこう述べている、「多くの借地農場と家畜の大群、とくに羊が、少数の手に集積され、それによって地代は甚だしく増大して、耕作(tillage)は甚だしく衰退し、教会や家屋は取り払われ、驚くべき多数の人民が自己および家族を養うことを不可能にされる」と。
こうして共同地や借地農場は、封建領主の直営地となり、「人間の大群が突如暴力的にその生計手段から引き離されて、無保護のプロレタリアとして労働市場に投げ出され」た。こうした事態こそ生産者から生産手段をひき剥がす「暴力的収奪」に他ならない。イギリスにおいては、かくして生産者は生産手段を失い、労働者へと転ずるのである。またこうした「民衆の暴力的収奪過程は、一六世紀には、宗教改革とそれにともなう教会所領の大規模な盗掠とによって、新たな怖ろしい原動力を与えられた」などとして、更なる加速の一途をゆく。
こうした暴力的な収奪によって土地を追われた農民たち。しかし悲劇的なことよ。その果てに待ちうけるは封建的搾取の資本主義的搾取への転化、すなわち領主-農民に次ぐ、奴隷関係、資本家-労働者の時代である。
資本家の誕生
無保護なプロレタリアの暴力的創出、彼らを賃金労働者に転化する血の訓練、労働の搾取度とともに資本の蓄積を警察力によって高める元首や国家の卑劣な行為、これらを考察した後に、次に問題となるのは、資本家は最初はどこから来たのか?ということである。なぜならば、農村民の収奪は、直接には大土地所有者をつくり出すだけだからである。
1885『資本論』第二巻
第一篇
第一章 貨幣資本の循環
本章で論じられるは言わずと知られた資本の一般定式G-W-G'である。はじめにマルクスはそれを概略してくれる。
資本の循環過程は三つの段階をなして進むものであり、これらの段階は、第一巻の叙述にしたがえば、次のような順序をなしている。第一段階。資本家は商品市場と労働市場に買い手として現われる。彼の貨幣は、商品に換えられる、すなわち流通行為 G ─ W を通過する。 第二段階。資本家による購入商品の生産的消費。彼は資本家的商品生産者として活動する。彼の資本は生産過程を通過する。結果は、その生産諸要素の価値以上の価値をもつ商品、である。第三段階。資本家は売り手となって市場に帰る。彼の商品は貨幣に換えられる、すなわち流通行為 W ─ G を通過する。