フロイト
1895『ヒステリー研究』
1899~1929『夢判断』(引用)
エピグラフ
天上の神々を動かしえずんば、冥界を動かさむ
夢判断は人間の心の営みの中にある無意識的なるものを知るための王道である
1905『魂の治療』
人は、病的なものを探究してはじめて、正常なものを理解することを学ぶものだ。
魂の治療としての言葉
プシューケーはギリシア語で、ドイツ語に訳せば魂ゼーレということになる。したがって、プシューケーの治療とは魂の治療を意味する。というと、精神生活における病的諸現象の治療のことであろうと早合点されそうである。ここでは、この言葉をそういう意味で使っているのではない。プシューケーの治療とはむしろ魂からの治療、つまり、心身の障害を治療するに当って、何はさておき、まず、しかもじかに人間の精神的なものに作用を及ぼすような手段を用いる治療を指して言っているのである。
そこでフロイトは魂の治療は如何にして可能と考えるか。
そういう手段としては、とりわけ言葉を用いる。言葉は、魂を治療するための本質的な工具でもあるのだ。しかし心身の病的な諸障害を、医師の「単なる」言葉によって除去しようとするとは言っても専門外の方にはなかなかわかっていただけそうにない。魔術をじろと言うのか、と言われるかもしれない。いや、そう言われても、あながち間違いとは言い切れないのだ。われわれが毎日話している言葉は、他褪せてはいるか魔法であることにかわりはないからだ。しかし言葉に昔の魔力のせめて一部だけでも取り返してやろうと、科学がどんなに尽力しているかを理解していただくためには、少々回り道をする必要があるだろう。
それはソクラテスに通ず。『カルデミス』にてソクラテスは次のように云う。「魂はある種の唱えごとによって手当てをされ、その唱えごととは美しい言葉であるという。そのような言葉から魂の内に思慮が生じるのであり、それがその内に生じそなわれば、頭にも身体の他の部分にも健康をもたらすことは、もう容易であると、彼はいった」。
科学的に訓練された医師たちにしても、魂の治療の価値を重んじることを学んだのは、ほんの最近のことである。これは、ここ半世紀の医学の発展を見れば、容易に推し測られる。医学はいわゆる自然哲学に隷属してほとんど不毛の時代が続いたあと、やがて自然科学の影響を幸運にも受けて、科学としても技術としても長足の進歩を遂げた。(...)しかしこれらの進歩や発見は、すべて人間の肉体的なものにかかわるものばかりであった。だから、正しくはないが理解し易い一定の判断傾向ができ上ってしまうと、いきおい医師たちが自分たちの関心を専ら身体的なものに限定してしまい、精神的なものにかかわる仕事は、ややもすると、自分たちが軽蔑する哲学者に譲り渡してしまうようになった。
さて、医師は昔から、古い時代には今日よりもずっと頻繁に魂の治療を行なってきた。今かりにこの魂の治療という言葉を、治療に最適な精神状態と諸条件とを患者に喚起してあげる努力の意味に理解するならば、この種の医療行為は歴史的には最古のものである。古代民族が操り得た治療行為は、ほとんど専ら心の治療であった。たとえ霊液を飲ませ外科的処置を施した場合でも、その効果を持続させるために徹底した精神療法を併用することを怠らなかった。古代人が呪文や斎戒汰浴を用いたり、神域内で眠ることによって神託夢を得ようとしたことなどはよく知られているが、これらは、その人の魂に働きかけたからこそ治療効果を持ったのかもしれない。医師の役割を果した人物はかつて大いなる声望を得たものであったが、医術がそのそもそもの初めにおいては神官の手に委ねられていたために、その声望は神的な能力に直接由来するものとされた。こうして当時医師の人格は、今日と同じように、治癒に都合のよい精神状態を患者につくり出すための主要条件のひとつであった。われわれは今、言葉の「魔法」をも理解しかけているのだ。言葉とは、一方の人間がもうひとりの人間に影響を及ぼそうとする時の、最も重要な媒介者ではないか。すると言葉は、それを向けられた人に精神的変化を惹き起こすための有効な手段ということになる。だから、言葉の魔力は病的諸現象、とくに精神状態そのものに原因のある病気を克服することができると主張しても、もはや何の不思議もない。
1908『詩人と空想すること』
子供の遊びと詩人の創作活動という対応関係
遊んでいる子供はどの子も、自分のために唯一の世界を創ること、あるいはもっと正確に言えば、世界の物事を新しく、自分にとって好ましい秩序に配置換えすることによって詩人のようにふるまっているのだ。(...)さて、詩人も遊んでいる子供と同じことをしている。詩人はある空想世界を創り、それを真剣にとって多量の情動を与える。
大人は遊びのオルタナティブとして空想をする
個々の空想は、いずれも欲望成就であり、満足をもたらしてくれない現実を修正しようとするものである。(...)詩人は、変更や隠ぺいを通して利己的な白昼夢の性格をやわらげる。さらに、自らの空想を叙述するなかで純粋に形式的なすなわち美的な快をもたらすことによって我々を魅了する。
過度に肥大し優勢になった空想は神経症か精神病に罹患する条件になる。
1913『トーテムとタブー』
無意識の人類学への導入
『負量概念の哲学への導入』ならぬ〜
主題
人間はその文化的経験を一定の社会組織下で始める。その組織体とは一人の家父長が彼の姉妹と娘に独占的な性の特権を持っている形(原初的ホルド)。ある時性を奪われていた息子たちが父殺しを計画し殺し食べてしまった(オイディプス・コンプレックス)。が、彼らは罪の意識に敗け、それ以後彼らの母、姉妹、娘と性関係を持ちたいという欲望(インセスト禁忌)を抑えてしまう。そしてその女たちを別の集団(外婚制)にやってしまう。同時に殺人と食人の罪滅しに彼らは動物を父のシンボルとし(トーテム)、そのトーテムの神話をつくり、トーテム動物を食用とすることを、儀礼時を除いて禁じた(カニバリズム)。こうして原初の父殺しは”その集団の無意識”(ユングの集合的無意識??)の中に記憶として伝えられた。
彼らは父の代理であるトーテムの屠殺を許されざることとして、自らの行為が再びなされないようにし、自由になった女たちをあきらめることによって、果実を断念する。
一連を典型的事件と呼ぶ(ベンヤミンのいう無意志的追憶??)
クローバーは一回限りの事件という観点を否定する
今や彼らは食すという行為において原父と同一化を成し遂げ、彼の強さをわがものにした。
ある種のヘーゲル的弁証法(以降喰人の弁証法)
/icons/白.icon
/icons/hr.icon
/icons/白.icon
/icons/Bard.icon マリノフスキー解釈: 『未開社会における性と抑圧』にて
オイディプス・コンプレックス批判
トロブリアント島では母系社会である
父は本島において親族でも生物学的関係を持つものでもない
俗的な父の役割は母の兄妹が持つ
夫方居住婚であるからして家や土地に愛情を持たない
異形のコンプレックス
母と息子ではなく兄弟姉妹におけるインセスト禁忌が存在するため、広義のコンプレックスを肯定し、オイディプスを否定した。(グディ,フォックス,ミードも同様、広義を肯定した)
/icons/白.icon
/icons/hr.icon
/icons/白.icon
/icons/Bard.icon ラカン解釈: 後期オイディプス・コンプレックス
彼曰くこの著作を境にオイディプス・コンプレックス概念に変化が生じた
彼らは自分たちが兄弟であることに気づき、誰も分離されることを望むまいと思うでしょう。~彼らはみんなで一致団結して、誰も愛しい母親には接触をするまいと決意します。~このようにトーテムとタブーが今や、ソポクレスの出典と関係がなくなってしまっているのですが、いままで誰もこの奇妙さに驚いてはいないようです。
すべての幼児が心の内で父親を殺し、母親をめとりたいという願望を抱いているというものが、父親殺しのあとに、近親相姦の断念という従来の筋書きとは逆の展闇が記されていることを指している。
ラカン派の立木康介は上記より、「欲動の物語から罪責感の物語へ」(以降後期オイディプス・コンプレックス)に移動(アクセントをシフト)させているのであると考える。
『オイディプス王』においては単なる「アポロンの神託による運命」というメタファーからオイディプスが真理に直面し自らの眼球を抉り出すというメタファーのアクセントの移動であり、典型的事件においては「父への憎しみ」の対になるものが「母への愛」から「父への罪責感」へと移動したということである。
フロイトの晩年の著書『文化の中の居心地悪さ』/『モーセという男と一神教』においても父への罪責感が現れている(引用)
/icons/白.icon
/icons/hr.icon
/icons/白.icon
/icons/Bard.icon ペレルバーグ解釈: 『Murdered father, Dead father』より
基本主張:法の象徴化機能について
生ける原父は「お手本」と表現されていることからもわかるように、息子における自我理想の機能を備えている。
ただこれだけだとナルシシズムな存在に過ぎず、禁ずる法として作動しない
喰人の弁証法によって現父は兄弟たちに体内化されて、統治者として社会組織、道徳的禁制、そして宗教の端緒として機能するようになる。つまり超自我的
プラトンは肉体は魂の牢獄であるといったが、我々の文化の基礎には、原始時代の兄弟たちによって殺害されたいわば「不在の存在としての父」が潜んでいるということができるだろう。
後期オイディプス・コンプレックスとのシナジー
父への罪責感がトーテムという切り口から法の象徴化をなし得たともいえるのではないか??
創設的暴力に酷似している
/icons/白.icon
1916『悲哀とメランコリー』
悲哀=喪
メランコリー論(引用)
悲哀は愛する人、または祖国、自由、理想等々といった、愛する人が抽象化された概念の喪失の際にいつも起こる反応である。似たような作用の下で、病的な気質が疑われる多くの人々においてはメランコリーが起こる。ーの心的に目立つ特徴は、深刻な苦痛に貫かれた不機嫌、外界への関心の破棄、愛する能力の喪失、あらゆる仕事の抑制、そして自己感情の低下であり、これは自責や自己罵倒の形をとって現われ、妄想的に処罰を求めるまでになるほどである。我々が、悲哀が自己感情の低下を除いて同じ一連の症状を示すことを確認すると、イメージがつかみやすくなる
つまり悲哀とメランコリーは愛する対象の喪失という同一の契機に発生する
悲哀とメランコリーの差異
table:マトリクス
悲哀 メランコリー
自責や自己罵倒 ✕ ◯
喪失意識 ◯ ✕
患者は誰、を失ったかはわかっていても、それについて何、を失ったかは知らないのである。~~このようにメランコリーは意識から逃れた対象喪失と何らかの方法で関連付けられているが、何を失ったかについて意識的な悲哀とは区別されるということがわかるだろう。
自責や自己罵倒のロジック
メランコリー患者の様々な自己告訴を辛抱強く聞いていると、その中でも最も強いものが、患者自身に当てはまることはほとんどなく、些細な変更はあるにしても、その告訴は患者が愛している、あるいは愛していた、愛していたはずの他者に合致するという印象がぬぐえない。~~メランコリー患者には対象選択とある特定の人物へのリビドーの固着が存在した。その愛する人から実際に侮辱を受けたり、失望させられたりすると対象との関係に揺らぎが生じる。その結果は、リビードを対象から取り去り、新たな対象に移動させるという普通のものではなく、成立により多くの条件を必要とするように思える別のものである。対象備給はあまり困難なく放棄されることがわかっているが、自由になったリビードは別の対象に向かうのではなく、自我に引き戻されるのである。そこにおいてリビードは自由に使われるのではなく、断念された対象と自我との同一化を創り出すことに従事する。対象の影が自我に落ちて、ある特別な審級が自我を見捨てられた対象そのものと判断する。このような方法で対象喪失は自我の喪失となり、自我と愛する人との葛藤は、自己批判と同一化によって変貌した自我との間の内部分裂へと陥るのである。
/icons/白.icon
対象喪失による悲哀が続く限り、その人の外界への関心は失われ〜知的には愛する対象がもはや存在しないことはわかっているのに、それでそのリビドー向きを変えようとしない。〜対象に固執する〜みたさえれぬフラストレーションの苦痛である喪の仕事が完了した後では、自我は再び自由になって現実に戻る。
/icons/白.icon
/icons/hr.icon
/icons/白.icon
/icons/Bard.icon アガンベン解釈:『スタンツェ』にて
アガンベン的メランコリー
メランコリーとはそもそも所有できない対象を、その喪失の予感から、喪失した対象として所有する空想力である(病跡学的解釈)
メランコリーは対象喪失に先立つが、その喪失の予感ゆえに悲哀を味わうというパラドクスをはらんでいるといわなければならないだろう。~メランコリーとは、愛の対象の喪失に対する退行的な反動というよりも所有できない対象を喪失した対象として示そうとする想像的な能力のことである
/icons/白.icon
『詩人と空想すること』との照合
メランコリー者は、そもそも対象を所有できる可能性などなかったのに、そこで詩人のごとく想像力を働かせて、所有できない対象を喪失した対象であるという風に自分にとって好ましいように考えて世界の秩序を配置換えしているということが言える。
そしてそれ自体が、同一化するが現実と乖離しているため過度に肥大し優勢になった空想は神経症か精神病に罹患する条件になる。という結末を迎えるのでは
1920『快感原則の彼岸』(引用)
快感原則がはばまれるまず第一の場合は、通常の場合として、われわれになじみ深いものである。われわれの知るところでは、快感原則は心的装置の一次的な働き方にふさわしいものであるが、外界の重圧のもとにおかれた有機体が自己をまもるさいには、最初から無用であり、そのうえはなはだ危険である。自我の保存本能の影響をうけて、現実原則がそれに交代する。現実原則は、最後まで快感を獲得する意図を放棄することはないけれども、満足を延期し、満足のさまざまな可能性を断念し、長い迂路をへて快感に達する途中の不快を一時感受することを、うながし強いるのである。快感原則は、そのときにもなお、長期にわたって、ひとしお「教育しにくい」性的衝動の働き方になっている。そして、快感原則は、これらの性的衝動によって働くにせよ、再三再四、実原則を圧倒して有機体全体に損害をおよぼすことになるのである。
1923『自我とエス』
1924『ナルシシズム入門』
自我理想: 自我理想とは、人が幼児期にナルシシズム的な完全性を夢見ている段階で主体を支配する心的審級
フロイト的良心:
自我理想の見地から、ナルシシズム的な満足の充足を監視し、この立場から現実の自己をたゆまず観察し、理想に合わせるような役割を果たす特別な心的な審級が発見されたとしても、意外なことではない。しかしこうした審級が存在するとしても、それを発見するのは不可能であろう。われわれに可能なのは、そのように審級の存在を認識することだけである。そして良心と呼ばれるものは、このような特性を満たすものだということができよう。
良心の生成過程
良心が番人の役割を果たすこの自我理想は、両親の批判の影響によって形成されたものであり、この批判が声として伝えられるのである。そしてその後の時期には、教育者、教師の影響と、周因にいる漠然とした無数の人々の影響が加わって形成される(同胞や世論など)。
1927『幻想の未来』
宗教的要請の起源
これまでもきわめて信憑性に欠けた宗教的なイメージが、人々に多大な影響を与えつづけてきたのである。これは一つの新しい心理学的な問題と言ってもよいほどだ。わたしは問わざるをえない─宗教的な教義のこのような内的な力はどこから生まれるのだろうか、理性の承認なしで、宗教がこれほど大きな力を獲得してきたのは、どうしてなのだろうか。
それはフロイトによれば、第一に自らへ降りかかる苦難を耐えうるが為の安らぎであり、第二に混沌なる人間世界に正義という秩序化を施す社会的調和であり、第三に時空間的な延伸による欲望成就にあると云う。
慈悲深い神の摂理が人間を見守っていると信じればこそ、人生の危険への懸念も和らげられるというものである。さらに宗教によって道徳的な世界の秩序が確立されると想定することで、人間の文化の内部ではごく稀にしか満たされない正義への要求も保証されるようになる。またこの世の生存を彼岸にまで延長することで、現世の時間的および空間的な枠組みを広げて、彼岸で人間の願望が充足できるようになったのである。
ゆえにフロイトは「伝統とか、人々のあいだの調和とか、慰めになる内容とか、じつに豊かなものが、宗教には含まれている」としたうえで次のことこそが本質的であるとする。それすなわち人間存在の悲劇とそれに応ず救済である。
批評家たちはときに、宇宙と比較すると人間がいかに小さく、無力な存在であるかを実感した感情をあらわにする人々を「深く宗教的な人」と呼ぶことがある。しかし実はこうした無力さの感情は、宗教性の本質ではない。宗教性の本質となるのはこの感情の次の段階、すなわちこの感情に反応し、これに抗って救いを求める気持ちなのである。
こうしてフロイトは宗教の有用性を認めたうえで、真実として誤用することを徹底的に拒む。
宗教的な教義は全体として幻想であり、証明できないものである。だからいかなる人も、こうした教義を真理とみなすことを求められたり、これを信じることを強制されたりすべきではないのである。こうした教義のうちにはあまりに真理とかけ離れていて、わたしたちが現実の世界で苦労しながら経験するものときわめて矛盾するので、心理学的な差異を適切な形で考慮するならば、妄想と呼んでもよいものがある。これらの多くが幻想として、現実にどのような価値があるかは、判断できない。こうした幻想は証明できないものであると同時に、反駁することも困難である。この種の幻想を批判的な観点から詳細に検討するには、まだ十分な知識がえられていないのである。 現代の科学的な研究によって、宇宙の謎はそのヴェールを脱ぎ始めたが、解明されるまでにはまだ長い時間が必要である。科学はまだ多くの問いに、答えを示すことができないでいる。それでも外部の現実についての知識を獲得するための唯一の方法は、科学的な研究を進めることなのだ。直観や瞑想などに期待するのは、一つの幻想にすぎない。直観や瞑想は、わたしたちの精神生活を解明するためのきわめて難解な〈鍵〉を与えてくれるだけなのだ。この作業は、宗教なら簡単に答えを示すことができるさまざまな問いにたいしては、いかなる回答も示してくれないのである。 しかし問いに答えられないからといって、そこに恣意的な解釈を紛れ込ませ、宗教の体系のさまざまな部分について、個人的な憶測に基づいて説明しようとするのは、冒瀆というものだろう。そのようなことで解決するには、この問題はあまりに重要なのだ。あまりに聖なるものだと言いたいくらいである。ここで次のような異議に直面するかもしれない。どんな頑固な懐疑論者でも、理性によっては宗教の教義に反論できないのだとしたら、そもそもそれを信じてはならないという理由があるのだろうか。伝統とか、人々のあいだの調和とか、慰めになる内容とか、じつに豊かなものが、宗教には含まれているではないか。これを信じておけばよいではないかというわけだ。 たしかに誰も宗教を信じることを強制されるべきでないのと同じように、誰も宗教を信じないように強制されるべきではない。しかしこのような理屈をつけて、自分が正しい思考の道を歩んでいると思い込むのは、自己欺瞞というものである。この理屈にはまさに「怠惰な理由」という批判があてはまるのだ。
1928/11/25 フィスターへの手紙
„Ich weiß nicht, ob Sie das geheime Band zwischen der ,Laienanalyse‘ und der ,Illusion‘ erraten haben. In der ersten will ich die Analyse vor den Ärzten, in der anderen vor den Priestern schützen. Ich möchte sie einem Stand übergeben, der noch nicht existiert, einem Stand von weltlichen Seelsorgern, die Ärzte nicht zu sein brauchen und Priester nicht sein dürfen.“
私訳
『素人分析の問題』と『幻想の未来』の間の秘密の絆を、あなたは察知したでしょうか。前者では、私は分析を医師から、後者では司祭から守りたいのです。私は、まだ存在しない、医師である必要も司祭である必要もない、weltlichen Seelsorgern 〔≒世俗司祭或いは世俗的な魂の治療者〕という立場に、それを引き継ぎたいのです。」
1930『文化の中の居心地悪さ』
文明の始原(引用)
人類の共同生活は、外部からの苦難によって生まれた労働への強制と、愛の力-男性の側からいえば性欲の対象である女性を、そして、女性の側からいえば自分の分身である子供を、手許にとどめておこうとする愛の力-という二重の楔によって生まれたのだ。すなわち、エロスとアナンケは、人間文化の生みの親ともなったのだ。
/icons/白.icon
正義について
最後に重要な文化の特性として我々が尊重しなければならないものは、どのような方法で人間相互の関係つまり社会的関係が、隣人、援助者、性的な対象、家族や国家の構成員として規定されているかということである。~人間が共同で生活することは、多数者がまとまり、それがどの個人よりも強くなり、しかもどの個人に対しても団結して、初めて可能になる。「むき出しの暴力」と非難される個人の力に対して共同体の力は「法」として対立するのである。~つまり喫緊の文化的な要求は正義である。正義とは、一度確立された法の秩序が、個人の利益のために二度と脅かされないことを保証することである。~文化が発展すると個人の自由は制限を受け、正義はすべての者にその制限を課すのである。
『リヴァイアサン』
/icons/白.icon
しかし、人間はあくまで個人としての自山を求め続けるものだとフロイトは指摘する。そして人類の争いの多くはこの個人的な要求(自我)と文化的な集団の要求(超自我)、つまり「法」との対立によって生まれる。
私たちは人間の罪責感はオイディプスコンプレックスから生じ、兄弟同盟によって父が殺害されたことを通して獲得されたものだという仮説を捨てることができない。~しかし、人間の罪責感を原父殺害に求めるとすると、これは「後海」の事例だ。そのとき、行為の前に良心や罪責感の前提を見つけられるだろうか。この場合、後海はどこから来たのか。~この後海は父に対する原初的な感情のアンビヴァレンツの結果だ。息子たちは父を憎むと同時に愛してもいたのだ。攻撃によってこの憎しみが満足されると、行為に対する後悔の中に愛が出現し、父との同一化によって超自我が確立される。
厳しい超自我の要求と、個人の利益を代表する自我の間の惹藤である。フロイトにとって、この無意識の葛藤から生じる無意識の罪責感が「文化の中の居心地悪さ」の原因である。総じていえば、我々が文化の中で感じる居心地悪さの背後には後期オイディプス・コンプレックスに基づく超自我と自我の葛藤があるのだ。
1938『モーセという男と一神教』
(1)トーテミズムとして宗教的な現象が出現~多神教が登場するまでの時期
典型的事件の次の段階に至って、動物に代わって人間の顔をした神が誕生することになる。フロイトは父親を殺害した後に力を握るのは女性だと考え、ここに母権制の社会が生まれると主張している。そのため強力な母性神の時代が訪れると想定する。その後、家父長制の時代が訪れるとともに神々は男性となるが、この段階ではまだ諸神が併存している。
男性の神々は、最初は偉大な母親の傍らに控える息子たちとして登場し、のちになってからやっと、父親としての姿を明確に示すようになるのである。多神教のこれらの男性の神々は、家父長時代の影響を映し出したものである。多数の男性の神々が存在し、互いにほかの神々に制約を加え合いながら、ときには上位にある優位の神に服従するのである。ところで次の一歩を進めると、私が取り上げてきた主題、すなわち一人で、唯一で、絶対的に支配する父となる神が再来するのである。
/icons/白.icon
(2) ユダヤ教において一神教が登場し、これを継承したキリスト教が登場した時期
フロイトはモーセという男を紀元前 世紀ごろに生きたファラオであるイクナートンの時代のエジプト人と断定し、その時代においてのみエジプトで栄えた一神教であるアートン教の理念をユダヤの民に授けたとしている。
聖書の記述が放置してしまった、あるいは聖書の記述が作り出してしまったこの暗闇の中から、今日の歴史研究は二つの事実を取り出すことができた。一つは、 ゼリンによって見出されたものだが、聖書そのものがはっきりと記述しているように立法者として指噂者たるモーセに対して頑迷で反抗的であったユダヤ人たちが、ある日謀反を起こしてモーセを打ち殺し、まさしくかつてエジプト人がしたように、強制的に与えられたアートン教を捨て去ってしまったという事実である。もう一つは、 マイヤーによって示されたもので、エジプトから帰還してきたユダヤ人たちが後年になってパレスチナとシナイ半島とアラビアの間にある地域で別の近縁の諸部族と合流し、豊かな水に恵まれたカデシュの地で、アラビアのミディアン人の影響のもと、新たな宗教、火の神ヤハウェ崇拝を受け入れたことである。
/icons/白.icon
(3) 中世から現代にかけてユダヤ人の迫害が続き、反ユダヤ主義が猛威を振るう時期