アガンベン
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ホモ・サケル
アガンベンは「ホモ・サケル」という表象を用いて、ポスト国民国家、ポスト福祉国家段階における排除の構造を理論化しようとする。ここでホモ・サケルというのは、もともとは、古代ローマ法において登場する、殺害が処罰されず、同時に、犠牲も禁止され、それによって、刑法と宗教法の両方の適用の外におかれているような人のことである。
アガンベンはこのホモ・サケルの表象を、ナチズムの強制収容所で虐殺された人々から、さらにはポスト国民国家段階における排除一般へと拡大適用しようとする。
本書の主人公は剥き出しの生である。すなわち、ホモ・サケルの、殺害可能かつ犠牲化不可能な生である。我々は、この生が近代の政治において果たしている本質的な働きを求めようとした。人間の生がもっぱらその排除(つまりその生の端的な殺害可能性)という形でのみ秩序に包含される、ローマの古法のこの不明瞭な形象は、このように、主権に関する数々のテクストの秘法、いや、一般的に政治権力の諸規準自体の秘法をあばくための鍵を与えてくれる。 アガンベンは、人間の生を語る際、政治的な生(古代ギリシア語のビオス)と生物学的な生(古代ギリシア語のゾーエー)の区別に着目する。このように古代ギリシアの段階ではもともと区別されていた政治的な生と生物学的な生は、19世紀に国民国家が成立し、それが20世紀に福祉国家として発展するなかで、同一視されるようになっていく。 このようなアガンベンの議論の背景には、フーコーの「生権力」論がある。すなわち、政治的な生と生物学的な生が一体化した生権力において、人々を政治的に包含するために生かす権力が動員されるとすれば、逆に、人々を政治的に排除するためにはその人の政治的な生のみならず、生物学的な生をも否定しなければならなくなるはずだからである。このことが顕在化したのが、ナチスの収容所におけるユダヤ人虐殺であったと、アガンベンは見る。