ミード
実在論者とプラズマティストの対立
こうしたラッセルとホワイトヘッドに意を共にする点を紹介しつつ、ただ「知覚の定義となると、残念ながら、これまで両者の間には対立があった」とする。 ある実在論の場合、分析という方法を用いる。この立場は、実在のうちに、諸々の究極の要素と、諸要素の構成によって限界づけられる諸々の関係とをみる。実在を、関係項と関係項からなる関係とに分解した上で、判断の真理性如何は、関係項と関係、そして、精神の中で、これらに対応する認識、この両者間の一つの相関のうちにみられるという。この組み合わせが、事物と精神の意識との間にあるとする。
本論文に「実在論では,知識とは精神と対象との間の関係だと想定する。そして,分析的方法を用いて,対象をすべてその要素に分解し,次に精神とそれらの要素及び要素間の関係との間に認知関係を措定し,最後にそれらを総じて一緒に結びつける」と紹介され、本文に「実在」とそれに「対応する認識」の「両者間の〜相関」と述べられるように語彙の差異はあれどカント的な相関主義を指しているといえよう。こうした実在論に対して下記のように批判する もし経験が、経験を超えた実在と一致しなければならないというのであれば、真理の検証は実験構造と経験外部の実在の構造との対応ということになる。
なぜ経験外部の実在になるかというと、「経験それ自体は、あくまで、認識論のうち」にあるため「認識上、経験を超えた何ものかと本来的に関連している」必要性があるのである。そこでミードは自身の立場を「我々の実在理論は行動主義的である。これは、心理学的意味においてだけではない」として、下記のように結論づける。
真理の基準は経験を超越するものではない。真理基準が考慮するのは、ただ、今なお進行中の経験の諸条件のみであり、しかも、ここで経験といっているのは、人間の自然的過程が阻止されることを通して問題〔状況〕と化してしまった経験のことである。このような問題〔状況〕の解決は、すべて、経験の内部にあり、阻止された状況を解決することのうちに見出される。さらにいえば、発生した問題〔状況〕の理にかなった解決は、社会進化の中で生じた精神の持ち主を通じて行われる。
「未来というものは、実在的にみるなら、未来において起こるものである」というように、経験を超えた場所ではなく「過去を解釈する」ことに真理の次元を求めるのだ。
本論文から引用するなら「ミードにおいては「真理」も「本質」と同様に、個別的状況に結びついたものである。したがって、現実においては多くの真理が存在することになる。先に述べたとおり、ミードにおいて真理は問題解決と同義である。問題状況において状況が再構成され、新しい仮説が採用されたとき、その仮説が真理となる。真理はリアリティの中にあり、常に変革を迫られているのである」。 https://scrapbox.io/files/653a5c8fba0753001bbbdf69.png
社会心理学は、一般に,社会的経験のさまざまな局面を,個人的経験にかんする心理学の立場からあつかってきた。わたしがあきらかにしようとするアプローチの要点は,社会という立場から,すくなくとも社会的秩序にとって欠くことのできないコミュニケーションという立場から,経験をあつかうものである
さて,このように,ミードが,「コミュニケーション」に注目したのは,ミードが「コミュニ
ケーション」現象の全般に関心があったからではなく,近代的人間の自覚である"自我""自我意識”がまさにコミュニケーション過程から生じると捉えたからにほかならないのである。ミードの社会心理学の中心問題は,"自我"に関してであった。ミードの最大の目論見は、自我(反省的人間)を,自然科学的環境のなかに位置づけることではなくて,自我を社会過程,コミュニケーション過程の内に動的に発生させ,存在させることであった。
それゆえ,ミードの社会心理学理論において,重要なことは,彼のコミュニケーション論と自我論とを分離させることではなく,コミュニケーション論と自我論が,まさに彼の社会心理学理論の一卵性双生児であることを理解することであると思われる。ミードは,そのことを次のように述べている。
わたしが,「コミュニケーション」とよぶ活動が重要なのは,生物体もしくは、個人がそれ自身にとっての対象となるような行動〔自我〕を,コミュニケーションが提供するからにほかならない。ただしわたしが論じているコミュニケーションとは~他者たちにたいしてばかりてなく話者自身にもむけられたコミュニケーションである。こういうコミュニケーションが行動の一部になっているかぎり,かならずや自我も導入されてくる。
このことから,ミードの自我(概念)は,実体としての自我ではなく,過程としての自我として捉えられなければならないだろう。
また,それゆえ,ミードの自我の社会心理学は,個人の自我から社会過程をひき出す型の社会心理学(自我についての個人説)ではなくて,個人の自我を,社会過程からひき出す型の社会心理学(自我についての社会説)である。ミードは次のように述べている。
自我にたどりつくとは,ある種の行為にたどりつくこと,つまりさまざまな個人たちの相互作用をふくみ,ある種の協同活動に従事している個人たちをふくんでいるような社会過程にたどりつくことである。こういう過程のなかで~自我は発生する。
或いは下記のように考える。
自我は,生理学的な生体そのものとはちがう性質をもっている。自我は,発達していくものである。自我は,〔人間が〕誕生したとたんにすでにあるものではく,社会的経験や活動の過程で生じるもの,すなわちその過程の全体およびその過程にくまれている他の個人たちとの関係形成の結果としてある個人のなかで発達するものである。
ミードの基本的な思想は,次のようなことである。
われわれは,個人の内的経験を,さまざまな個人が相互に影響をおよぼしあっている社会的な文脈のなかでの諸個人の経験をふくんている社会的行動という立場からとらえねばならない。
以上のことから,ミードの自我は,進行中の社会過程・社会的行動・コミュニケーション過程の内においてのみ捉えられるものである。
Iとmeの差異
ミードの自我論で最も注目されているのは「I」と「me」である。
社会的な「me」を知っている「I」の本性は何かという問題を,正面切って提起することにしよう。といっても,どうして人間は「I」でありつつ「me」であるかといった形而上学的問題を提出するつもりはなくて,行為そのものという見地からこの〔Iとme という〕別の意義をたずねるだけにとどめる。行為のなかのどの点で,「me」から区別されたものとしての「I」があらわれるのか?
ミードは,上のような問題から,「I」と「me」の議論を始めている。そして次のように答えている。これは主我(I)と客我(Me)と読み替えて良い
「I」とは,他者の構え〔me〕にたいする生物体の反応であり,「me」とは,〔自分自身の行為に影響しているとある個人自身が想定して,取得した〕他者の構えの組織化されたセットでおる。他者の構えが組織化された「me」を構成し,人はその「me」にたいして「I」として反応する。
「I」は.ある個人自身の行動にくまれている社会的状況に対して,彼がなしつつある行為であり,かれが行為を遂行してしまった後ではじめてかれの経験のなかに「I」が出現してくる。そこでかれもそれ「I」に気がつく。
記憶のなかにあるおかげで「I」はいつも経験のなかに現存する。~所与としては「me」しかない。
両者(「I」と「me」)は,過程のなかては分離されるけれども,しかもある全体の部分であるという意味では同じものに属している。両者は,分離されているけれども,共属している。「I」と「me」の分離は虚構ではない。両者は同一ではない。なぜなら「I」は,~全く予測できないものだからである。「me」は,われわれが行為そのもののなかであたえられる義務に応じるかぎり,ある種の「I」を要求する。しかし「I」は,その状況が要求するところとはどこいつもちがっている。そこで,そういってよければ「I」と「me」のあいだにはいつも区別がある。「I」は,「me」を引き出しもするし,「me」に反応もする。両者をまとめると,社会的経験のなかであらわれるところのパーソナリティが構成される。自我は,本質的に,こういうふたつの識別できる側面をともないながら進行してゆく社会過程である。もしも自我がこういうつの側面をもっていなかったら,自覚的な責任というものはありえないし,経験のなかに新しいものが発生することもあるまい。
自我が「I」として意識のなかに現われることはできず,それはいつも客体つまり「me」であることを認めて,わたしは,客体である自我に含まれているのは何か?という質問にたいする答えを示唆したい。最初の答えは,客体が主体を含むということ,いいかえると,「me」は「I」なしには考えられないということであろう。このことにたいして,次のように答えるかもしれない。そのような「I」は意議経験の表象ではなく,仮定である。なぜならば,それは表象されるやいなや,客体的状態となってしまう,よろしかったら,観察する「I」を仮定してだが,からである。だが,「I」は,客体としての「me」がそれにとって存在できる主体であることをやめることによってのみ,自己表出できるのである。
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(引用) Meadの「社会的行動主義」は「主体(subject)−客体(object) 」を二元論的に切断するのではなく、互いに他を含みながら進行する「過程」 (process)とみなしているところにユニークさを有している。そうした理解は、カナダの社会学者であるTom W. Goffもその著『マルクスとミード』 (Marx and Mead- Contributions to Sociology of Knowledge, 1980)のなかで、 「ミードは、マルクスと同じく、決定論的視座と観念論的視座との統合をはかろうともくろんでいた」 と指摘しているように、従来の実在論と観念論とを共に否定し、いわゆる両者の統合を目指す、つまり、今日の社会科学論の脈絡に置き換えれば、「方法論的客観主義」と「方法論的主観主義」の双方を統合しようと企図したものである https://scrapbox.io/files/65895dbef4549200234d48a4.png
実在論とプラグマティズム
彼はまず「現代の哲学思想にも新しい観念論があるが、それは重要な役割をはたしていない」として、実在論「のうごきとプラグマティズムのうごきが、現代を特徴づける二つの動向」といってみたり「実在論的な哲学とならんで、一九世紀の科学のうごきをことなった側面から発展させた―プラグマティズムという―もうひとつの哲学がある」と述べたりする。つまり彼はプラグマティズムと実論論を現代思想の二代潮流として論じるのだ。
実在論について
まずミードは「実在論の哲学は、ある意味で、めざましい成果をあげた数学的方法の一般化であった」と結論づける。彼からすると「ルネサンス以降の科学の歴史は、実のところ探求過程の歴史」なのであり、その中心となる「検証もしくは実験といった探求方法は、ある意味で、論証や演繹によって処理されるようにみえる数学的方法にとってかわるものであった」という。
なぜなら「数学的方法の前提は、事物の究極要素のすべてを把握すれば、それらの数学的関係から、世界の構造がどのようなものであるかを演繹できる」といった前提に依拠したものであり、「これは、本質的にデカルトの立場」、すなわち合理論者の立場ゆえなのである。それゆえ「実在論のうごきは、ある意味で、認識対象の論理構造をかえりみた十八世紀の合理論の継続である」と文脈づける。ちなみに経験論と合理論の「両方の要素をみとめた」ことで知られる「カント」も合理論者よりだとする。 カントには、経験論よりも合理論の立場にむかう傾向があった。彼は、心が対象に形式をあたえるが、対象の構造は、心の形式にすぎず、物自体の形式ではない、と考えたのである。〜経験論の学派は、さまざまな経験相互の連合にすぎないものから、いかにして原因と結果、実体と属性といった諸概念がでてくるのか、ということをしめそうとした。しかしカントは、これらは対象に論理的に先行する、と考えた。実体や原因という視点なしには対象はありえない、としたのである。 ここで本題に戻るが先ほど引用した「事物の究極要素のすべてを把握」するという視点こそ実在論の真髄である。「実在論者の関心は〜認識対象をさまざまな要素に解体する過程にある」。またそうした「もっとも偉大な実在論者」として「ラッセル」と「ホワイトヘッド」を挙げる(そしてその功績として『プリンキピア・マテマティカ』を称揚する)。 それによって科学者は、たとえば、空気やあらゆる種類の液体の変化にかんする分野、物理学や化学があつかう変化にかんする分野、熱変化にかんする分野といったあらゆる種類の分野にかかわることができる。それは、分析によって究極の―少なくともいまのところの究極の―要素にさかのぼり、関係が変化しているときでさえ、こうした要素間に存在する関係を把握することができた。それゆえ認識は、究極要素とそれらのあいだの関係を把握し、また、すでにのべたように、関係の関係、変化の変化を研究することであるとされた。認識は、究極要素や関係項やそれらのあいだの関係を把握することであるとされたのである。それが、実在論的な思考の目標であった。
プラグマティズムについて
この理論には代表的な人物がいる。ひとりは、ウィリアム・ジェイムズであり、もうひとりはジョン・デューイである。二人のそれぞれの立場から公式化されたプラグマティズムにはちがいがある。ジェイムズの立場は『プラグマティズム』という彼の著作のなかにみることができる。デューイの立場については、初期の主張は『実験的論理学論文集』に、またより手をくわえた主張は最近の著作『経験と自然』にみられる。二人の著作の背景となっているのは、観念や仮説が真理であることは、その実際のはたらきによって検証されるという共通の前提である。 この「観念や仮説が真理であること」を「実際のはたらきによって検証する」最たる例として「動物」を挙げる。
仮説を検証するのは、進行中の行動をつづけることができる、ということである。それは、動物がみいだすのと同じような検証である。動物は、困難な状況にあって逃げ道をみつければ、その方向に走ってにげる。それは、動物にとって、私たちのいう仮説を正当に検証するものである。それは、動物にたいして有意味なシンボルとして観念を提示するものではないが、立派な作業仮説である。動物は、そうした仕方で生命活動をつづけることができたのであり、ほかの仕方では不可能であった。〜以上が、プラグマティズムの理論の意義である。それは、仮説がいわゆる「真である」ことの検証を、こうした仮説のはたらきのなかにみいだす。そして「仮説のはたらき」の意味はなにかといえば、それは、ある問題によって進行をとめられてきた過程が、この仮説の見地からすれば、ふたたび開始され進行をつづけるようになる、ということである。
こうした「仮説を検証する」こと、仮説が「真である」ことを検証すること、こうした動物の行動を「低次のものであれ、知性をみいだすことができる」とする。なぜなら「動物がある問題に直面する。その動物は新しい状況に適応しなければならない。いま実行しつつあるやりかたでは、危険が生じるか、それとも思いがけず食物にありつけるか、いずれかである。動物は、このやりかたで行動し、新しい対象を獲得する。新しい対象にたいする反応がうまくいけば、その対象は、刺激にみあった正しい対象である、といえよう。その刺激も、動物の行動がもとめている結果をもたらしたという意味で正しいのである」といった「問題にたいする連続的な遭遇と解決」こそ思考(仮説)と実在?(真理)の整合性を修正し、真理に近づくプラグマティックな行為といえるからである。そしてこれは「「科学的な方法」とよばれるものの一例」であるとして、「動物は、科学者がするのと同じことをしているのである」という。そこで「世界の歴史にかんする理論」の対立或いはその止揚について論じる。 科学者たちは世界の歴史にかんする理論を形成するのであるが、地質学者は、ある時間尺度で歴史を書き、天体物理学者は別の時間尺度で歴史を書く。ここに対立が生じる。一方は、数億年という時代を必要とし、他方は、二千万年以上の時期を一切みとめない。ここに、科学的問題の典型がある。〜地質学者、動物考古学者、植物学者が、別のデータにもとづいて記述する歴史がある。そして双方が、たがいに相手を制止する。双方の理論がたがいに矛盾するゆえに、地球の歴史を書く過程を、継続できない。
ただここで「文句のつけようのない別のエネルギー源泉説」が提唱されることによって「科学者が、自分が生きている世界の歴史について説明する過程をつづけることができる」、換言すると「新しい仮説によって世界を解釈し、科学的な説明を考案するという過程をつづけること」が可能となるのだ。
まず彼は、巨大な星や微小な星、白い星、青い星、赤い星について、さまざまな進化の段階にあるそれらがみえるままに、星の歴史を書くことからはじめる。彼は、こうしたもろもろの恒星が原子構造のなかにふくまれているエネルギーを、放射のかたちでたえず放出してきた、という仮説にもとづいて、星の歴史を書きはじめるのである。もちろんそれは、地球の地質学的な歴史や生物学的な歴史と関連する。星の歴史と地球表面の歴史がたがいに矛盾することのないように、歴史を書きつづけることができるであろうか。現在みとめられている太陽エネルギーの放出形態から、二千万年か、それとも約一億年かといった多大な時間が考えられることがわかった。そこで、新しい仮説によって世界を解釈し、科学的な説明を考案するという過程をつづけることができたのである。
つまり「科学者は、一般にみとめられたわずか二千万年の歴史や、二、三億年の歴史のまえに、たちすくむ必要はないのである。彼は、以前はみとめられていなかったエネルギーの源泉説をとりいれることによって、世界の歴史を書く過程をつづけることができる」とする。これこそまさに「ちょうど動物が、同じところにとどまることなく、敵をさけるためにあちらこちらと身をかわし、走りぬけて危険からのがれるのと同じよう」な行為なのだ。
科学者は、同じような仕方で、論理的な観点から世界の過去の歴史をのべることに従事し、時間の問題というのりこえがたい壁につきあたる。そのとき科学者は、地球表面の歴史と太陽のエネルギー放射の歴史をつきあわせて、困難からの脱出を可能とする鍵―いわばぬけ穴ーを手にいれる。そうしたことが、科学者の仮説が真理であることの検証となる。仮説が真であるとは、科学者が、自分が生きている世界の歴史について説明する過程をつづけることができる、ということを意味している。そして世界や過去について説明する過程が、世界をコントロールし、未来の行動のために世界の意味を把握する過程であることはいうまでもない。