アリストファネス
紀元前388『プルートス』
一 プルートス礼賛
仕える主人を間違えてはならない。主奴の関係におけるこうした鉄則は古代ギリシャにおいても同様である。なぜならば愚かな主人の末路は、召使いにも共有されねばならず、如何に従者が有能であっても愚かな主人はそれを簡単に無に帰せるのだ。
ああ、 ゼウス様やその他の神さま方よ、 正気を失った主人に / 召使いとして仕えるのは、 何と辛いことでありましょう / と申しますのも、 たとえ、 召使いが最上の忠告をしたとしても、/ 召使いの所有者がその忠告に従わないと決めたなら、 その結果災いが起こった場合に、/ 召使いも一緒にその被害を身に受けなければならないからです / 召使いは自分自身の主人になることを許されていません / つまり、 自分の身体さえ / 意のままにすることができず、 買い取った人の手にゆだねられるのが定めなのです。
したがって、本来主人こそが有能でなくてはならず、従者は盲目であってもさほど問題はない。根幹において重要なるは主人に他ならず、仕える主人が最終的な審級をなすのだ。しかし、富の神プルートスは盲人である。それに付き従う自らが主人にカリオーンは懐疑の眼差しをよせる。
「黄金の三脚台から神託を下し 、 詠いたもう」/ ロクシアス様に対し、 非難したいことがあります。/ このことは十分正当な言い分だと思っています / つまりロクシアス様は痛みを癒す神であり、 予言の神でもあると言われていますのに、/ この賢い神のところに神託を伺いに行って来た私のご主人は、 気が狂ってしまったのです。/ と申しますのも、 ご主人は今、 盲人の後をついて歩いているのですが、/ これは本来あるべき姿とは全く逆のことです。/ 通常は眼の見える人が盲人の先導をするものですが、/ 私のご主人ぱ盲人の後に従っており、 私にもそうすることを強いるのです。
主人クレミュロスは神託に従い、プルートスに付き従う。しかし、彼はなぜ盲人であるのか。そして富はなぜ、プルートスはなぜ正しき者だけでなく、悪しき人間へをも恩恵を施すのか。
プルートス「ゼウスが私をこのような目にあわせたのだ、 人間たちへの妬みから / というのも私は若い頃には、 正しい人々、 賢い人々、 わきまえのある人々のところへだけ、/ 行こうと心に決めていた。 ところが、 ゼウスが私を盲目にしたのだ / このような人々を私が識別できなくなるようにと。/ これ程にもゼウスは立派な人々を妬ましく思っているのだ」(...)クレミュロス「それではどうでしょう。/ もし以前のようにもう一 度眼が見えるようになったら、/ あなたは悪人たちから遠ざかるようになるでしょうか」プルートス「そのつもりです」
したがって、プルートスにとってそれは本意ではないのだ。しかし、プルートスはその眼を回復しようとは試みない。それはなぜか。唯一神への畏敬であった。しかし、クレミュロスとカリオーンは寧ろその玉座へ座るべきはプルートスであるとする。あまねく存在をこの人間社会にて支え、織りなす根幹はプルートス、あなたに他ならないことを示さんとするのだ。
クレミュロス「もしもあなた様がほんの僅かの間だけでも眼が見えたなら、 / ゼウスの主権や雷など、オボロスほどの価値もなし、と思われませんか(...)あなた様の方がゼウスよりはるかに大きな力を持っているということを、/ 私が示して差し上げましょう」。プルー トス「私のほうが強いと、 あなたが示す?」 クレミュロス「そうですとも、 大空にかけて / それではこれらのことができるのも、 すべてこの人によっているのであり、もしこの人が望にさえすれば、 お供えなどたちまちになくなってしまうのではないか?」 プルートス「それは一 体なぜです?」クレミュロス「牛であれ麦菓子であれ、 何ひとつ、 誰ひとりとして、/ お供物を捧げることができないからです、 もしあなた様が望まないならね。」 プルートス「どういうわけで?」クレミュロス 「どういうわけで、 ですって? もしあなた様こ自身がそこにいて銀を与えるのでなければ、/ 誰だって物を買うことなど絶対にできないからですよ、だからもしゼウスがあなた様を苦しめているのなら、あなた様はゼウスの権力をたったおひとりで打ち崩すことができるでしょう。」 プルートス 「何を言っているのですか 人々は私の力でゼウスにお供物を捧げているのですか?」 クレミュロス「その通りです。/ しかも、 ゼウスにかけて申しますが、 もし何か人々にとって輝かしいもの、 美しいもの、憂雅なものがあるとすれば、 それはあなた様によって生じているのです。/ 富の力はあらゆるものに勝っているのですから。」カリオーン「この私はほんのわずかの金銭のために、奴隷になったのです。/ 以前は自由の身であったのに。」クレミュロス「人々の話ではコリントスの娼婦たちだって、/ 貧しい男が彼女たちを口説いても / 気にも留めないが、 もし金持ちなら / すぐさまその男に尻を向けるというではありませんか。」カリオーン「少年たちだって、 好きな男性への愛のためでぱなくて / 金銭のために、 同じような事をしているそうですよ。」 クレミュロス「品位のある少年たちはそんなことはすまい / 恋愛を商売にしている者たちだけだろう。/ 品位ある者たちは決して金銭を要求したりしないのだから」カリオーン「では 体何を要求するのですか?」クレミュロス「駿馬や、 また猟犬をほしかる者もいるだろう」カリオーン「そればきっと金銭を要求するのが恥ずかしいので、 自分たちの卑しさをそのような名目でつつみ隠してしているのですよ。」クレミュロス「(プルートスに向かって)人間世界のあらゆる技術や工芸は、/ あなた様のために発明されたのですっ 私たち人間の中には、/ 座って靴を作る者もいれば、 鋳物を造る者もいる。/ 大工もいるし、 あなた様にもらった黄金を細工する金細工師もいます。」カリオーン「ゼウスに誓っていいますが、 服を盗むやつもいるし、 盗みに入るために壁を壊すやつもいますぜ。」クレミュロス「布を晒す者もいれば」カリオーン「毛を洗う者もいる」クレミュロス「皮をなめす者もいれば、」カリオーン「たまねぎを売る者もいる。」クレミュロス 「(プルートスに向かって)不倫の現場を見つかって、 女の夫から毛を抜かれる者もいる。 それもあなた様のせいなのです。」プルートス「ああ何たること。そんなことは、 以前には考えてもみなかった」カリオーン「ペルシア大王は(プルートスを指して)この人のおかげで頭髪を伸ばし、身を飾りたてているのではありませんか? / 民会もこの人のために開かれるのではないでしょうか?」クレミュロス「それから、これはどうです? 段櫂船の漕手を集めるのもあなた様ではなし、ですか、 どうか答えてください。」カリオーン「コリントスに派遣した外国人の傭兵も、 この人が養っているのではないでしょうか / パンピロスもこの人のために泣くことになるのではないでしょうかね。」クレミュロス「あの針を売っている男も、 パンピロスと同様ではないだろうか」カリオーン 「アギュリオスはこの人のためにおならをするのではないでしょうか。」クレミュロス「ピレプシオスはあなた様のために作り話をするのではないだろうか。/ エジプト人との同盟もあなた様のためではないだろうか / ラーイスがピローニデースを愛しているのもあなた様のためではないだろうか。」カリオーン「それにティモテオスの塔も」 クレミュロス「 (カリオーンに) お前の上に倒れたらよいのに。/ (プルートスに)あらゆる事柄はあなた様のためになされるのではないてしょうか。/ 良いことも悪いことも、 あらゆることがらの原因になっているのは、ただあなた様だけなのですよ、 いいですか。」カリオーン「戦争の時だっていつも、 この人がどちらの側に座るか、/ このことだけで勝敗が決まるのさ。プルートス「この私か、 本当にただひとりでそれ程のことを成し遂げる力があるのですか。」クレミュロス「ゼウスにかけて、 もっとずつとたくさんのことがおできになるのですよ / だから未だかつて、 あ なたを満喫し尽して、 飽きたと言う人は誰もいません。/ 他のあらゆることには、 飽きるということがあるのですが。/ たとえば恋愛も」カリオーン「パンも」クレミュロス「文芸も」カリオーン「甘いお菓子も」クレミュロス「名誉も」カリオーン「平菓子も」クレミュロス「男らしい勇気も」カリオーン「干しイチジクも」クレミュロス「野望も」カリオーン「大麦菓子も」クレミュロス「将軍職も」カリオーン「レンズ豆のスープも」
したがって、クレミュロスはプルートス覚醒計画を企てる。プルートスが眼を覚まし、善悪の采配と恩恵の供給を握ることこそがこの汚れた人間社会を潤し、世界に調和と繁栄を齎す比類なきプロジェクトだと考えるのだ。
もし今、 かのプルートスの眼が見えるようになり、もはや盲目で歩き回るようなことがなくなるとすれば、/ 彼は人間たちの中でも善良な人々のもとへと歩み寄り、 そこを離れることはないでしょう。/ また他方、 邪悪で神を信じない人々に対してぱ、 これを避けようとするでしょう。 その結果プルートスは / 全ての人々を立派で、 そして勿論裕福で、 また神を敬う者にすることでしょう。/ 人間にとってこれ以上良いことを、 誰が見つけ出すことができましょうか? / さて私たち人間にとっては、 目下の生活を顧みますと / これを狂気、 あるいはそれ以上に、 不幸そのもの、 と考えない者がいるでしょうか / 裕福な人とは多くの場合悪人で、 不正なやり方で金銭を集めているのです。/ 他方、 善良な人々は多くの場合貧しい生活をしており、/ 空腹で、ほとんどいつもお前、つまり貧乏と共に生活しているのです / だからもしプルー トスの眼が見えるようになってこの貧しい状態を止めることができれば、/ 人間たちにこれ以上の恩恵をもたらす道はないだろう、 と私は主張するのです。
二 貧困の女神ペニアーによる警告
ああ分別もなく、 神を敬わず、 法にもそむく行為を / 敢えて行おうとしている不幸でちっぼけな二人の人間どもよ、/ どこへ、 一体どこへ行くのだ、 何故あなたたちは逃げようとするのだ。 二人とも、 待つがよい。
そういってプルートスの眼の回復を目指そうとするクレミュロス一行を貧困の女神ペニアーは呼び止める。そして彼女に対して「お前をギリシアから追い出す」善を成すのだといきまくクレミュロスに、「私をあらゆる地域から追い出そうとするなんて、/ この上なく恐ろしいことではありませんか」として「あなた方二人に説明をしてあげようしゃないか。/ この私だけがあなた方にとってあうゆる善きことの原因であり、/ 私のおかげであなた方か生きているのだ、 ということ、もしこのことを私が証明することができたなら−。もしそれができなければ、 その時は私に対してあなた方の好きなようにしたらよいでしょう」として、貧困の必要性を説くのである。そこで第一にクレミュロスは自らの試みを次のように概略する。
以下のことは全ての人々にとって等しく、 明確に認識されていると、 私は思います。/ すなわち、 優れた人々が裕福な生活を送る、 ということは正当な考えであります。/ 他方、 邪悪で神を信じない人々は、 これとは反対の生活をおくることは言うまでもありません。/ そこで我々はこのような状態の実現を願って、/ 立派で品位があり、あらゆることに役立つ企てが存在することをようやく発見したのであります。/ すなわち、 もし今、 かの プルートスの眼が見えるようになり、 もはや盲目で歩き回るようなことがなくなるとすれば、 彼は人間たちの中でも善良な人々のもとへと歩み寄り、 そこを離れることはないでしょう。 また他方、 邪悪で神を信じない人々に対してぱ、 これを避けようとするでしょう。 その結果プルートスは全ての人々を立派で、 そして勿論裕福で、 また神を敬う者にすることでしょう。人間にとってこれ以上良いことを、 誰が見つけ出すことができましょうか?(...)さて私たち人間にとっては、 目下の生活を顧みますと これを狂気、 あるいはそれ以上に、 不幸そのもの、 と考えない者がいるでしょうか。/ 裕福な人とは多くの場合悪人で、 不正なやり方で金銭を集めているのです。/ 他方、 善良な人々は多くの場合貧しい生活をしており、/ 空腹で、 ほとんどいつもお前、 つまり貧乏と共に生活しているのです / だからもしプルー トスの眼が見えるようになってこの貧しい状態を止めることができれば、/ 人間たちにこれ以上の恩恵をもたらす道はないだろう、 と私は主張するのです。
ペニアーはこうした考えを「あなた方はあらゆる人間たちの中で、 最もたやすく気違いじみた考えになびいてしまう方々ですね」と一蹴し、次のように論ずる。第一にペニアーは貧困をギリシャ全土から追いだすことの愚かさを論じる。貧困ゆえに人間はなにかを創造し、万人が万人を支える礎となることを論じるのだ。
ペニアー「もしもあなた方が望んでいることがその通り起こったなら、 言っておきますが、 あなた方にとっては何の得にもなりませんよ。/ もしプルートスが再び見えるようになって、 自分自身、 つまり富を平等に分配するようになったなら、/ 人間たちの誰一人として、 技術や技芸に関心を払う人はいなくなるでしょう。/ もしこのような技に対する関心かあなたけの間から消え去ってしまったら、/ 誰が鍛冶の仕事をしたり、 船を建造したり 、 服を作ったり、 車輪を作ったり、/ 靴の皮を作ったり 、 レンガを作ったり、布の洗濯をしたり、 皮をなめしたりするでしょうか。/ あるいは誰が「大地をくわで掘り起こし、 デメテル様のもたらす実りを収穫する」でしょうか。もしもこれら全てを気にかけることなく、 労働もせずに生きてゆげるということになったなら」。クレミュロス「何と馬鹿げたことを馬鹿馬鹿しく言っているのだ。 今お前の数え上げたことは全て、/ 召使いが私たちのために、 やってくれますよ。」ペニアー「ではあなたはどこから召使いたちを手に入れるのですか?」クレミュロス「勿論銀貨で買うだろうね。」ペニアー「ではまず、 一体誰が召使いを売るでしょうか、/ その人もまた、 銀貨をもっているとしたら。(...) そもそもはじめに、 奴隷商人となる人なんていないでしょう、/ 勿論あなたの言うような話の筋道に従えばね。 つまり、 もし裕福なら、/ 誰が自分の命の危険を犯してまでそのような商売をするでしょうか。/ 奴隷がいなくなれば、 あなたは自分自身で耕したり土を掘ったり、 その他の辛い仕事をすることを余儀なくされ、/ 今よりもはるかに悲惨な生活を送ることになるのですよ。(...)その上あなたはもはや寝床で眠ることもできないでしょう、寝床がないのですからね。/ また、毛布にくるまって眠るということもできませんよ なぜって金銭に不自由していなければ、誰が布を織ろうという気持ちになるでしょうか。/ またあなた方お二人が花嫁を迎え入れようとする場合にぱ、香油の数滴を花嫁たちに塗ってあげることもできないし、/ 様々な色に染め上げた高価な衣装で花嫁を着飾らせることもできないのです。/ これらのことが全くできないのなら、 裕福であっても何の利点があるでしょうか。/ でもこの私からは、 あなた方が必要としているこれら全てを十分に得られるのです。/ なぜなら私は女主人として職人のそばに座り、 彼が貧しさと必要とに迫られて、/ 何らかの手段で生活の糧を得ようと努めることを、 彼に強要するのですから。
第二に論じられるは貧困と善、富裕と悪の不可分な性質である。クレミュロスはこの二項を反転させようと試みていることは、これまでにみてきた。善い者は貧しく、悪き者は富んでいる。この不条理をうち崩すべく立ち上がったのだ。しかしペニアーにしてみればこれこそが愚かな間違いなのである。それはつまり、善い者なのになぜか貧しいのではなく、貧しいからこそ善い者なのであり、悪き者なのに富んでいるのではなく、富んでいるから悪き者なのだ。
クレミュロス「公衆浴場でやけどの水ぶくれができること、 お腹をすかせた子どもたちや、/ 老婆たちの騒がしい喚き声、 それ以外に何か良いものをお前が与えてくれるのかい?/ 数え切れないほどのしらみや、 蚊や、 のみが / 頭の上を飛び回って眠りをさまさせ、 きっとこう言うだろう、/ 「飢え死にするぞ、 さあ起きろ」とね、それに加えて、 / お前は上着の代わりにぼろ布を、 寝台の代わりに南京虫がうようよとたかった / イグサのマットレスを与えてくれるのだろう こんなものでは眠れるどころではない、/ 絨巳の代わりに擦り切れたむしろ、 頭には枕の代わりに大きな石、/ パンの代わりに葵の新芽、/ 麦菓子の代わりに萎びたカプの葉 、 椅子の代わりに壊れた壺の頭、/ 桶の代わりに貯蔵がめのふくらんだところ、しかもこれも壊れているのだ。/ あらゆる人間たちにとってお前がこんなに沢山の結構なことの原因であることを、/ これで明らかにしてやっただろう?ペニアー「あなたが今話したのは私の生活ではありません。 あなたが非難しているのは乞食の暮らしです。」レミュロス「だから、 明らかに貧乏は乞食の姉妹だと言っているのだ。」ペニアー「そうも言えるでしょうね、 ディオニュシオスがトラシュブーロスと同じだ、 などと言っているあなた方のことですから。/ でも、 私の生活は、 ゼウスにかけて、 断じてそのようなものではありませんし、 また将来そのようなものになる、 ということもないのです。/ なぜなら、 あなたの言っている乞食の暮らしは、 何ひとつ所有するものがないという生活です。/ でも貧しい者の生活は、 節約をして仕事に励み、/ 余るものは何もないけれども、 必要なものにこと欠くということもないのです。(...)プルートスよりも私のほうが、精神においても姿形においてもずっと優れた人間を作り出すということを、/ 認識しようともしないで、彼のもとでは足は通風、腹は太鼓腹、 腔は太って、 ひどい肥満体となってしまうのです。/ (...)私と共にあるのは慎み深さ、 プルートスと共にあるのは傲渇なふるまいです。(...)様々なポリスの政治家たちを、 見て御覧なさい。/ 彼らは貧しい間は市民や国家に対して正直に生きていますが、/ 公共の財源によって金持ちになると、 たちまち不正な人間となって、/ 大衆に対して策謀をめぐらし、 市民に対して敵対するようになるのです。
しかしクレミュロスの一行は聞く耳を全く持たなかった。したがって、ペニアーは「貧乏のおかげで、 あらゆる良き物があなた方のものとなる、 ということを、/ あなた方が認めようとしないとは...。(...)あなた方ふたりぱきっといつか、/ 私がここに戻って来るようにと、 使いをよこすでしょうよ」と感嘆し、退場する。
三 アスクレピオスによるプルートス覚醒
そしてクレミュロス一行は、プルートスの覚醒を実現した。遂に富は眼を覚まし、采配の権を獲得せしめたのだ。
私はひれ伏して崇め敬います、 まず太陽の神を、/ それから崇高なパラス・ アテーネー が治める、 名高いこの地アテーナイを、/ そして私を受け入れて下さったケクロプスの全上を。/ 私はこれまでの私自身の状況を恥ずかしく思います。/ それと知らずに何という人々と共に過ごしてきたか、/ そしてまた他方、 私の仲間としてふさわしい、人々をわけもわからぬまま どれほど避けてきたか、 ということを。 ああ何と情けないことをした私、/ あれも、これも私のやって来たことは間違いでした。/ だが私はすべてを逆転させて、今後はあらゆる人々に示してゆこう、/ 悪しき人々に私自身(富)を与えたことは私の本意ではなかったということを。
四 一神教化と富の偏在による混乱
こうして眼を覚ましたプルートスは神界にも多大なる影響をもたらした。それはヘルメスによってカリオーンに伝えられる。
ヘルメース 「さあすぐ走って行ってご主人を外に呼んで来てくれたまえ、/ それから奥さんや子供たち、 それから召し使いたち、 それに犬と、/ それから君自身、 それに豚もだ。」カリオーン「一体どういうことですか、話して下さい。」ヘルメース 「ああ、 悪党め、 君たち全員をゼウスが / 一つの鉢に入れてごちゃごちゃに混ぜ合わせ、/ 全部一緒に岩の深いさけ目に放りこもうとしておられるのだぞ。」 カリオーン 「こんなことを伝える伝令使なら、 あなた様の舌は切られますな。/ ですが一体なぜゼウスは私たちに対して、 そんなことをしようとしておられるのですか?」ヘルメース 「君たちがあらゆることの中で最も恐ろしいことをしでかしたからだよ。 プルートスの眼が再び見えるようになって以来、/ 君たちは誰も乳香、 月桂樹、/ 麦菓子、 犠牲獣、 その他何ひとつ、/ 我々神々に対して捧ようとしないではないか。」カリオーン「ゼウスにかけて、 もう何一つ / 捧げることはないでしょうね。/ あなた方はこれまで、 私どものことを全然気にかけて下さらなかったのですから。」ヘルメース「他の神々はどうなろうと構わないが、/ この私はもう身も心もすり減って駄目になってしまったよ」(...)ヘルメース「(...)神々にかけて、 どうか私を君の家の同居人として受け入れてもらえまいか?」カリオーン「では、 他の神々を見捨てて、 ここにとどまるおつもりですか?」ヘルメース「君たちのところの方が、 はるかに良さそうだからね。」
覚醒したプルートスは采配の権能を有した。それは偶然性から善悪へと天秤が傾くことを意味し、富の偏在性を織りなす。そしてゼウスが予言したように、覚醒はある種の混乱をもたらした。それはギリシャ神界の一神教化である。ヘルメスが伝えたように、プルートスによって他の神への信仰心は薄れ、捧げ物は絶たれる。富の偶然性が多様な人間模様を創造したように、富の偏在性は人間を一元化する。神の多様性は、富の偶然性によって、すなわちプルートスの盲目によって支えられ、多神教としてあり続けたのだ。そして、それはかの最高神ゼウスまでをも屈服させる。
神官「最悪の事態だ。/ あのプルートスの眼が見えるようになって以来 / 私は飢え死にしそうだ。 食べる物が何もないのだから。/ こともあろうに 「救いの神ゼウス」の神官であるこの私が。」クレミュロス「神々にかけてお尋ねしますが、 それは一体なぜですか?」神官「誰も犠牲を捧げようと思わないからだ」 クレミュロス「なぜそうなるのです?」神官「すべての人々が裕福だからだ。/ 以前に人々が何も持っていなかった頃は、 たとえば旅に出た商人が無事に家に辿り着けば、/ 何か犠牲の品を神に捧げたものであった。/ また裁判で刑罰を免れた者も、 あるいは秘儀で吉兆を得た者も、/ 神官たる私を食事に招待したものであった。ところが今は誰ひとり、何ひとつ犠牲を捧げようとしないし、 神殿に足を踏み入れようともしない。(...)だから私もまた、 「 救いの神ゼウス」に別れを告げ、ここにこのままとどまっていたいと思うのだ。」クレミュロス「ご心配には及びません 。神の御心にかなえばうまくゆくのですから。/ と申しますのも、 実は「救いの神ゼウス」がここにおられるのですよ。/ 自らのご意思で来られましてね。」
最後の一節には二通りの解釈がある。一つはゼウスが文字どおりクレミュロスの家に来ているというもの、もう一つはプルートスが今や真の意味の「救いの神」になったので、このゼウスは実はプルートスを指す、というもの。前者はいつゼウスがやって来たのか、それまで全く言及されなかったことに難があり、後者は、プルートスをゼウスに言い替えることを観客が理解し、納得し得なかったろう、という難がある。しかしどちらにせよ、それはゼウスの玉座を己がものにしたことを示す。前者でいえばゼウスはプルートスに仕えること選んだことを意味し、後者でいえば最高神の名を我ものとしたことに他ならないのである。
こうしてかつての最高神をも自らの配下に秩序づけるプルートスは、最高神の名を我がものとする。それはかつてのゼウスの意味ではない。なぜならば確かにそこに位階はあったものの、ゼウスの治めるは多神教であった。しかし、プルートスは神を偏在化させ、自らの下にすべてを秩序づける。それは多神教的ギリシャ世界=最高神ゼウスの時代から、一神教的ギリシャ世界=最高神プルートスの統治への移行であり、全き意味でエポックを画する他ないのだ。