ゲーテ
自分の手を用いず見ることを学ぶのはなんと困難なことか
「素描(Zeichnung)」におけるディレッタンティズムの効用
見ることを学ぶこと(Sehen lernen)。われわれが見る際に従う法則を知ること(Die Gesetze kennenlernen, wornach wir sehen)。(...) あらゆる人々は全体印象(Totaleindruck)(区別のない)から始まる。区別(Unterscheidung)が続く、そして第三の段階は区別から全体の感情への回帰である。この感情は美的感情である。
見ることは「あらゆる人々は全体印象(Totaleindruck)(区別のない)から始まる」。そしてそこから区別(Unterscheidung)に至る。つまり〔第一段階〕見えること(受動的)から〔第二段階〕見ること(能動的)に移行する。続く〔第三段階〕は単なる回帰ではない。受動的な印象を超えた能動的な関与を持って初めて全体を獲得できる(この三段解説はシラーに由来する)。これを元にゲーテは下記のように論ずる。
芸術作品んは人間がそれを享受するように要求するが、〔そのために〕芸術作品はさらに〔人間が〕芸術作品にさまざまな仕方で関与すること(Teilnahme)を要求する。(...)芸術作品により緊密に関与する者こそが、芸術作品を十分に生き生きと享受するところの真の愛好家(Liebhaber)であろう。
そして通常の「非活動的観照者」に対して下記のように語る。
この利点〔見ることの三段階〕をディレッタントは、単なる非活動的観照者とは異なって、芸術家と共有する。
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「ディレッタンティズム」と「東洋的芸術」との連関を論ずる。
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→最新の素晴らしいゲーテ研究
1816~29『イタリア紀行』 1786年から88年のゲーテのイタリア旅行での自伝的作品 1787/2/17
美術家達は好んで私に教えてくれる。私の理解が早いからである。とはいえ、理解した事柄が直ちにうまくいくとは限らない。何かを素早く捉えることはたしかに精神の特質であるが、何かを正しく行うには、一生にわたる訓練が必要である。だが愛好家(Liebhaber)は、うまくいかないところがあっても、怯んではならない。私が紙の上へ引く少数の線は、しばしば性急で、正確なことは稀であるが、感覚的事物の表象を容易にしてくれる。というのも、対象をより精確により綿密に観察するとき、人はよりすみやかに普遍的なものへと高まるからである。
ここでいう「愛好家(Liebhaber)」とはディレッタントをドイツ語にした語。