コンラート・フィードラー
1877
『芸術活動の根源について』
純粋視覚性「可視性」を可能にするのは手によってである。
手は目がすでに行ってしまったことを行うのではない。むしろ、〔手の動きによって〕そこには何か新しいものが成立する、すなわち、手は、まさに目がその活動の終局にいたったところにおいて、目が行ったことのさらなる展開に取りかかり、この展開をさらに推し進める。
芸術においての「精神的出来事を身体的出来事から区別する」ことを誤りとするフィードラーの芸術論は下記にも現れている。
芸術家の精神的・芸術的生のより高次な展開が始まるのは、芸術家の表象衝動が自らの身体の外的諸器官を動かす瞬間において、目と脳の活動に手の活動が付け加わる瞬間においてのことである
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