ヴィム・ヴェンダース
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子どもが子どもだった頃、両腕をぶらぶらさせながら小川が川に、川が河に、水たまりが海になればいい、と思ってた。
ダミエルが願う有限の生を歩む実存のリアリティ
永劫の時に漂うよりも自分の重さを感じたい。僕を大地に縛りつける重さを。歩くごと、風が吹きつけるごとに〈今だ〉と。〈今だ、今だ〉と言いたくなる。〈永遠の昔から〉とか〈永久に〉ではなく。(...)長い一日の後、家に帰り、フィリップ・マーローの様に猫に餌をやる。体温を持ち、新聞で手が汚れる。(...)うなじに見とれ、耳に触れる。真っ赤な嘘をつく!歩くと骨の動くのを感じる。全知ではないから予感を味わえる。(...)きっと気持ちいい。靴を脱ぎ、足の指を伸ばす。裸足の感触を味わう。
老人ホメロスの嘆き
世界は黄昏れていくようだが、私は語り続ける。詩に支えられ、物語は現在の世の混沌に足をとられず未来に向かう。幾世紀をも往来するかつての大いなる物語は、もう終わった。今は、一日一日を思うのみ。勇壮な戦士や王が主人公の物語ではなく、平和なもののみが主人公の物語。乾燥玉ねぎでもいいし、沼地の渡り木でもいい。誰ひとり、平和の叙事詩を、まだうまく物語れないでいる。なぜ、平和だと誰も昂揚することがなく、物語は生まれにくいというのか。
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