タルコフスキー
1967
『刻印された時間』
エピグラフ:
ドストエフスキー
『悪霊』
より
スタヴローキン「〜黙示録のなかで天使は、時はもはや存在しないだろうと言っている。」キリーロフ「まったくその通りです。明確で正確だ。全人間が幸福を手に入れたとき、時はもはやなくなってしまいます。なぜなら、必要がないからです。実に正しい意見だ。」スタヴローギン「時はどこに隠されてしまうのだろうか。」キリーロフ「どこに隠されもしません。時は物ではなく、観念なんです。それが意識から変えてしまうんです。」
上記のエピグラフの立場のもと下記のように論じる。これはカントの
超越論的観念論
とも通ずる。そしてタルコフスキーはこの時間がアイデンティティ形成に深く関わるものとして「時間は、われわれの〈自我〉が存在するための条件である」と論ずるがそれはなぜか?
人間にとって時間が不可欠なのは、人間が受肉し、人格となるためである。〜時間と記憶は溶解しあっている。これらは、一枚のコインのふたつの面に似ている。時間がなければ、記憶もまた存在しないということは、まったく明らかである。記憶はきわめて複雑な概念であり、記憶からわれわれが受ける印象の総和全体を明確にしたいなら、記憶の無数の特徴のすべてを列挙するだけでは不十分にちがいない。記憶は精神的概念なのだ!たとえば、だれかが自分の少年時代の印象について話すとしよう。そのことで、その人についてのもっとも完全な印象を得るための素材をわれわれは手にすることができるのだと、確信を持って語ることができる。
記憶を欠くと人間は、虚妄の存在のなかに囚われてしまい、時間から脱落し、自分に固有な外部世界との関係を確立することができなくなる。つまり彼は狂気を運命づけられてしまうのだ
。
つまり「時間と記憶」のコインの表裏が「〈自我〉が存在するための条件」なのであり、そのコインがないと「外部世界との関係を確立することができなくなる」故「狂気を運命づけられてしまう」と論じるのである。