象徴が真の象徴となることができるのは、ただそれが、意味において、汲み尽くすことも、限定することもできないときであり、その秘められた(神官書体の、魔術的な)暗示と示唆の言語で、外部としての言語に対応することも言説化することもできない、なにものかを語っているときなのである