ドストエフスキー
ロシア正教会徒の立場から反カトリックを標榜していたドストエフスキーは、教皇庁に直結した活動的な修道会としてのイエズス会に対しても、警戒的な態度を隠さなかった。 /icons/白.icon
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第一夜
主人公の感性
パラノイアや統合失調症などの二重見当識??
周辺視野を用いたペテルブルクのランドスケープを知覚することによる独自の環世界的な?? ニュアンスで言ったら方法論的個人主義的な各人間関係資本をベースに社会全体を知覚するのがマジョリティ。主人公は方法論的集合主義的に全体の流動とか情景的な変容で物事を知覚してるみたいな あの子はきっと"ブリュネット"に違いない
19世紀半ばの著書を引用して考察
情熱的&謎めいた魅力
エミリー・ブロンテの「嵐が丘」の主人公であるキャサリン・アーンショウは、ブルネットであり、彼女の情熱的な性格や謎めいた魅力を象徴。同様に、フランスの小説家、ギュスターヴ・フロベールの小説「ボヴァリー夫人」の主人公であるエマは、ブルネットであり、彼女の情熱的な性格や退屈な現実からの逃避願望を表現するために用いられている。 不吉
シャーロット・ブロンテの小説「ジェイン・エア」の中で、ロチェスター氏が最初に恋した女性であるブランシュ・イングラムは、ブルネットであり、彼女が不快で自己中心的な性格であることを表現するために用いられている。 上記をベースに主人公の感情の抑揚を表現て感じかなー
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第二夜
彼が幼少期から見ていた幻想的な女性像であり、彼の創作の源泉。彼女は、彼の心の中に存在する理想の女性像であり、完璧な美しさ、知性、優雅さ、そして芸術的な才能を備えた存在である。
彼は詩、バレエ作品、作曲活動で彼女をモチーフとして多用した
彼は空想の女神を愛の女神とよび、愛の女神からインスピレーションを受けると信じていた。 自己超克するための学びではなく、夢想家としてのフィールドを拡張するための創造性なんだろうな、あゝなんて勿体無い /icons/白.icon
モスクワに行ってきっかり一年間向こうで暮らす事になります〜それでここへ戻ってきてもあなたの愛が冷めていなかったら、誓って言いますが二人はきっと幸福になれるでしょう。 - 間借人
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第三夜と朝
交錯にまみれ、矛盾を抱え、五里霧中に解を模索するナースチェンカと一心不乱に想い続けた主人公は、間借人とナースチェンカの当時の対比であり、人類規模のイタチごっこをしてる気分になった。
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穴を掘って埋める。を半日周期で繰り返すと精神的に異常を来たし死に至る。
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同時執筆件金のためにやってた環境下だからこそ、ノイズがなく夢解釈的な分析したら面白そう /icons/白.icon
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天才の完全犯罪におけるラストを、蝋燭の炎を離れることが出来ず周り続ける蛾と表現
つまり、その男は自然の法則によって、よしんば逃げる先はあっても、逃げられないのです。あなたはろうそくの火を慕ってくる蛾をごらんになったでしょう? ねえ、ちょうどあれと同じように、その男はわたしのまわりを始終ぐるぐる回るでしょう。ちょうど蛾がろうそくのまわりを回るようにね。自由もうれしくなくなり、考え込んだりうろたえたりしだす。そして、蜘蛛くもの巣へまきこまれたように、自分で自分をすっかり縛り上げてしまい、死ぬほど一人で苦しい目をするに決まっております!……そればかりか、二二が四といったような数学的に正確な証拠を、自分でこしらえてこっちへ提供してくれます――ただ少しばかり幕間を長くしてやりさえすればね……そして、絶えずひっきりなしにわたしのまわりで圏を描きながら、その直径をだんだん狭くして、最後にぱたっと引っかかる! 真っ直ぐにわたしの口へ飛び込むんです。すると、わたしがそれをがぶりと飲み込むという寸法でさあ。
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時代背景
ピョートルによる西欧化=近代化即ち脱宗教化の時代であり、それは孤立化と虚無と破滅への道でしかない。真の近代化は真実の宗教にかえり、それに根ざすことでしか達成できないとドストエフスキーは考える。
大審問官(モデル:ポビエノスチェフ)
アレクセイ(モデル:アレクセイ・ペトロヴィチ??)(引用) ピョートルの息子ながら西欧化政策に唯一反対しロシア正教会を信仰した。 フョードル:
まさにこれじゃね
スメルジャコーフ
カラマーゾフ=黒く塗りつぶすという意味
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イエスとアレクセイの接吻
文学的剽窃だぞ!と歓喜しながら叫ぶイヴァン
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ゾシマ長老の遺言
神が造ったものはすべて良しなのだ。ヨブは悪魔に誘惑されても、神を裏切らないことを、ここで再確認したと。そうして、辛い過去を過ぎると「昔の悲しみは人生の偉大な神秘によって、次第に静かな感激に満ちた喜びに変わっていく」とアリョーシャに言って聞かせる。苦しいこと、辛いこと、悲しいこと、恐ろしいこと、それらはすべて神の「良き創造物」なのだ。だから、どんなに苦しいことでも必ずそれを抜ければ栄光が待っている。ここにキリスト教が言うところの神の試練の考えがある。人は苦しみ抜いてこそ幸せを得ることが出来ると言っているのである。パンだけでは決して幸福にはなれないのである。
アレクセイが僧院からでるという死(弁証法のアンチテーゼ)という否定を通じて俗世間を救えということ /icons/白.icon
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餓鬼子の夢
馬車の御者に問いただす
教えてくれ、どうしてああやって焼け出された母親たちが立っていたのか、どうしてみんな貧しいのか、どうして餓鬼は哀れなのか、どうして草原は空っぽなのか、どうして女たちは抱き合って口づけをしないのか、どうして喜びの歌を歌わないのか、どうしてああして黒い不幸で、ああも黒くなっちまったのか、どうして餓鬼に乳を飲ませてやれないのか?〜〜〜カラマーゾフ式の無鉄砲さにまかせて、いますぐ、いますぐ、それができるように、全力で何かをしてあげたいと思っている。
本夢から「「すべての人間に罪がある」事に気づいたので、全ての人に代わって懲役に行き、懲役囚達と心を通わせ、彼らの為に尽くそうと思う」と、懲役 20 年の判決を受ける裁判の前日に、アリョーシャに胸の内を告白している。(引用) /icons/白.icon
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裁判
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イリューシャの埋葬
われわれは皆、 再び死からよみがえって、 またお互いが誰にでも、 イリューシャにでも会う ことが できると宗教では教えていますが、 あれは本当でしょうか?」 「きっと蘇ります、 そしてきっと再び相会うて、 喜び楽しみながら、 経てきたことを互いに語りあうのです!」 麦として死を選ぶ決心