メーテルリンク
1896『貧者の宝』
美、魂、飢
この世に魂ほど美を渇望するものはなく、魂ほど容易に美しくなるものはない。魂ほど自然に高 みに達し、瞬く間に高費になるものはなく、これほど清らかで高い要求に忠実に応えるものもない。 また、より高次の知の力をこれほど素直に受け入れるものも他にない。だから、美に向かうこの本 来の性向に逆行するような魂など、この世には存在しないのだ。 実際、美は魂の唯一の食物にたとえられよう。魂は至る所に美を探し求める。最も乏しい生活に ても、魂が餓死するようなことはない。
「ぼくは情熱の人間だ」と弟に記したゴッホの話。プロテスタントの家庭に生まれた彼は第一に牧師になることを試みた。そして、道半ば文学へ想いを馳せながらも、彼の終着するは絵画であった。では牧師、文学者、芸術家。それを貫く彼の「情熱」とはどこに発芽するのだろうか??
それはまさに彼の父の如く、絶望に対する救済を届けること、メランコリーに対する魂の治療を成すことにあったのだ。ゴッホ曰く「魂と呼ばれるあの何かしらは持っている。人の言うところでは、この何かしらは、けっして死ぬことはなく、つねに生き続ける。そして、つねに追い求め続ける、つねに、つねに。(...)活動力を持つ限り、絶望に陥ったりしないで、能動的なメランコリーの道を選ぶことにした。言い換えれば、活気なく、停滞し、絶望するメランコリーよりも、期待し、渇望し、追い求めるメランコリーの方を選んだということさ」。また妹には「われわれ文明人を最も苦しめている病はメランコリーとぺシミズムだ」と残し、文明人、すなわち神なきことを理する存在が、その病理に苦しんでいる、と説いた。
そして、それを治療するものとして、彼は絵画へと帰結する。ゴッホは次のように言った。「絵画のなかで、ほくは、音楽のように人を慰める何かを語りたい。男たちや女たちを、永遠なる何かとともに描きたい。かつては後光の光輪がその永遠なるものの象徴だった。ぼくらは、陽光それ自体によって、色彩の振動によって、永遠なるものを追い求めている」。「かつては後光の光輪がその永遠なるものの象徴だった」と上述されたように彼はメランコリーを癒すものとして、神学に替わる芸術という地平を打ちたてたのである。
さらに驚くことは「貧しいひとたちに平和を与え、かれらがこの世の生活を安らかに受け入れられるようにする仕事にたずさわりたいと思っている人間」と自らを評していることである。それは有限な救済ではなく、無限かつ普遍なる魂の救済、万人救済の技法を探したことに求められるだろう。そしてこれは冒頭に引用したメーテルリンク、そしてショーペンハウアーに呼応するように思えるのだ。
メーテルリンクは「美は魂の唯一の食物にたとえられよう。魂は至る所に美を探し求める。最も乏しい生活に ても、魂が餓死するようなことはない。」とし、ショーペンハウアーは「美しいものに寄せる審美的な喜悦の大部分は、(...)その瞬間にいっさいの意欲、すなわちいっさいの願望や心配を絶して、いわば自分自身から脱却し、われわれはもはやたえまない意欲のために認識する個体―個体とは個々の事物と対応するものである―ではなしに、意志を離れた永遠の認識主観―これは イデアと対応するものである―になっているということにいつにかかっているのであるわれわれは知っている。われわれが残忍な意志の衝迫から解脱して、いわば重苦しい地上の空気から抜け出して浮かび上がっているこのような瞬間こそは、まことにわれわれの知りうるもっとも祝福された瞬間であることを」としたように、三者は貧しきものにも平等に献身する〈美の普遍的救済性〉に言及しているのです。
であるからしてゴッホ、ショーペンハウアー、メーテルリンクとは、この意味で魂の治療を芸術と位置づけることになくてはならないような存在に思う。
それは芸術が資する美こそ、その治療に必要であると示した芸術家、哲学者、詩人であるから、このことに他ならない。