ティリッヒ
フランクフルト在籍中、ティリッヒは二人の助手(二人とも彼の指導の下で博士号を取得)を抱える。その一人はテオドール・アドルノであった
1936『境界線上に立って』
ほとんどあらゆる領域にわたって、あれかこれかという実存の可能性の間に立ち、そのいずれにも安住することなく、しかもそのいずれか一方を決定的に退けるような決断も下さないというのが、私の運命であった
1946『宗教と健康の関係』
宇宙的治療とその衰退
冒頭よりティリッヒはタイトルにも冠された「宗教」という語から離れることを選ぶ。なぜならキリスト教徒や、イスラム教徒。仏教徒からカルト宗教まで、その信者が自らの教義を宗教とみることはない。彼らにとってその体系は、世界のパースペクティヴなのであり、そのパースペクティヴの内側に属しているからして、外からその体系を観察することは真に叶わないのだ。
「宗教」という語は特に宗教的な概念ではなく、観察者の立場からみた人間行動の特殊領域をさす語である。この宗教という概念は現代の学問的取り扱いにおいて用いられるものであり、したがってそこでは宗教的領域の他の諸領域に対する関係が研究され論議されるのは当然のことである。これに対して、宗教自体は「宗教」について語らず、神・世界・霊魂について語るのである。私は観察者の観点そのものを軽視しようとは思わないが、それを警告として注意しつつも、何よりもまず宗教と健康との関係についての古来の諸思想に注目することからはじめたいと思う。そしてそのさい、われわれは外からの観察方法を捨てて、われわれ自身を事柄にうちから一致させなければならない。われわれは「宗教」についてではなく、「救済」について考え、救済思想との関連において「健康」とは何を意味するかを問わなければならない。
そこで説明されるは現代神学、特質してプロテスタント神学であり、それらは「救済」を個人的問題へと変えてしまい、その「本源的な力、すなわち自然・人間・社会の全体を含む救済思想の宇宙的意味をほぼ完全に喪失している」という。
この問いの追求にあたってわれわれは、現代神学の救済教理に答えを期待することはできない。それらの救済の教理は救済思想の本源的な力、すなわち自然・人間・社会の全体を含む救済思想の宇宙的意味をほぼ完全に喪失している。特に近代プロテスタント神学においては、救済およびそれに関連する新生・贖罪・永生などの諸概念は、個人の精神状態を示すものとして解釈され、個人の道徳的変革と個人的生の死後の存続が特別に強調される。しかし聖書のまた初期のキリスト教思想にあっては、救済は基本的に宇宙的な出来事である。〈世界〉が救われるのである。このことは初期キリスト教直前の、また当時の世界の祭儀と神話とにおける宗教思想一般についてもいえることである。その時代全体が同一の用語を使用し、そういった用語の宇宙的合意を初期キリスト教会の思想と感情のなかにもち込んだのである。しかしわれわれは視野をさらに広げなければならない。人類の高等宗教におけると同様に原始宗教においても、この救済思想の宇宙的含意が認められ、それがたとい常に同じように鮮明に認められることはないにしても、まったく欠如することはけっしてないからである。
続いて、ティリッヒは救済と治療の語源的隣接性をもって、両者の接続を試みる。
「救済」が宇宙的意義をもつならば、それは単に治療をうちに含むだけでなく、それはまた「宇宙的治療」行為でもあるといえる。このことは多くの言語における「救済サルヴェーション」という語の語源に示されている。すなわちギリシア語のソーテーリア(σωτηρία〔救済〕)はサオス(σάος)から、ラテン語のサルヴァチオ(salvatio〔救済〕)はサルヴス(salvus)から、ドイツ語のハイラント(Heiland〔救世主〕)はハイル(heil)から由来している。このハイルは英語のヒール(heal〔癒す〕)と同系の話である。サオス、サルヴス、ハイルという形容詞は「全体の(完全な)、分裂していない、破壊されていない、分解されていない」、したがって身体的精神的に「健康な」の意味である。マタイ九章二二節のイエスの治療行為に関する言葉、セソーケン セ(σέσωκεν σε〔汝を救った〕)の英語訳は「made thee whole」〔汝を全くした〕である。救済は原理的に、またその本質に従っていうと治療であり、分裂・分解・崩壊していた一つの全体の回復である。
英語ではまさに「救済」と「治療」とは同義語であって、その一致する意味がsalvation という語において合流しているのだ。救済という語の原理的な「分裂・分解・崩壊していた一つsの全体の回復」というのは何も語源的な見方に限った話ではない。それは神話・社会にも一致する。
さらに神話論的な見方もまた言語学の示すところと一致している。それによると単に人間(身体と霊魂)だけでなく、自然(正確には宇宙)もまた病んでおり、治療を必要とし、救済の出来事によって癒されなければならないのである。インドのマハーバーラタの特定の諸個所においてカリューがは宇宙的時代区分の最後の最も分裂した時期として記されている。それによると自然は病んでおり、植物・動物・人間などすべての生き物における出生と成長の生命力は退化している。その結果、不治の病と早期の死がはびこっている。これとまったく同様にイザヤ書二四章四節およびエスドラス第二書(両方とも後期黙示文学に属する)は、地の衰退とすべての自然の諸力の減退について語っている。同様にまたマルコの終末の幻〔第一三章)やヨハネの黙示は究極的救済に先立つ天体宇宙の崩壊と地にふりかかる災危とを描写している。宇宙的秩序の解体の前兆は自然のもろもろの生物のあいだの、また人間と自然とのあいだの敵意である。神と「野の獣」との「契約」(ホセアニの一八)と呼ばれている自然の秩序が破壊され、その結果が混沌と自壊である。多くの異教の資料の証言と同様に、詩備第九〇の最古の部分は、人生の労苦と人間の短命を嘆き悲しんでいる。この詩はそれを神と人間とのあいだの断絶によって説明し、堕罪による楽園喪失の古神話をそこに響かせている。地自体が病患にかかり、神の呪詛の下に雑草を生じ、その結果が人間と動物(蛇によって代表されている)とのあいだの敵意、出産分娩の陣痛、兄弟殺し、また何よりも楽園での人間の自然的可滅性を克服していた神々の食べ物(生命の木の実)の喪失となった。全くする、癒す、という意味における救済の観念が、宇宙的荒廃にと同様、人類の社会的分裂に関連していることを証明するのには多くの例を要しない。男の女に対する族長的支配、言語の混乱、遊牧民の生活形態と農耕民のそれとの分裂、世界的帝国と専制者の興隆、ますます破壊力を強めていく民族間の戦争など、これらすべては「治療者」と普遍的救済事件を必要とする社会状態である。しかし、治療と救済との関係(正確には両者の同一性)にとって最も興味深くまた最も重要であるのは、人間における、もしくは心霊的力が前提されている人間以外の生き物における、心霊的分裂状態についての神話論的解釈である。その分裂は霊魂に「とり憑いた」「魔的諸力」の結果なのである。精神病患者は憑かれた人間である。しかし単に精神病患者だけが憑かれているのではない。というのは多くの身体的な病患もこれと同じ原因(霊)から派生するからである。さらに社会的な諸悪、特に側像として崇拝されている専制者たち、偽預言者たち、(キリストたち、異教の諸帝国と諸宗教などはすべて悪霊の働きと見なされる。自然的な諸悪も多くはこれと同様である。悪霊が特に力をふるうのは世界が「古びて」活力を失い、偶像礼拝と犯罪、憎悪と自壊、心身の疾病などに対する抵抗力が減退するときである。自然、社会、霊魂はすべて同一の崩壊原理に従っている。それらはすべて悪霊、より適切な言い方をすれば、崩壊の心霊的諸力に憑かれているのである。(...)社会的領域においては社会の治療者たちはソーテレス(oetfpes)すなわち救世主と呼ばれる。アレキサンダー大王の後継者たち、平和の実現者アウグストゥス、イスラエルの王たち、特に待望のメシアなどが「救世主」である。イシスは、人間界の混乱と星界の狂いを癒すから、救済者と呼ばれる。ゾロアスターは悪霊たちによって混乱させられた生を癒す「生命の治療者」と自称する。ヨハネ黙示録の終末観的な幻想においては、将来の成就のときに再出現する命の木の葉は「諸国民の癒し」に使われる〔二二の二〕。
しかし、こうした宇宙的な病理は「自然的出来事」なのであろうか。たとえ事実がそうであることを示したとしても、それは博学な者にしか効力をなさない。そこでそれを説明し、釈明するのがパンドラの箱、原罪であり、すなわち病とは罪として表象される。
しかしこの悪の諸力に憑かれていることは自然的出来事ではない。それは神の呪詛の結果であり、神の呪詛は「罪」の結果、すなわち責任ある自己が関与し、したがって罪貴を含むところの分離行為ないし反逆行為の結果である。宇宙的な疾患は宇宙的な罪貴でおる。何ぴともこの罪責から除外されていない。罪貴は普遍的に理解されなければならない。それは常に、自然的、社会的、身体的、精神的疾患と結合している。他面、疾患と罪との普遍的性格は、特定の場合の特定の行為にその由来を求めることを不可能にする。疾患と罪費に関するこのような計算的道徳主義に対してはすべての高等宗教が闘ってきた。ヨプ記と第四福音書においてそれが特に明らかである。疾病と罪責は宇宙的性質のものであるからといって個人的責任を免除するものではないが、しかしそれはまさに宇宙的なものであり、個々の行為に先行するものであるがゆえに、比例的計算可能の事柄ではない。救済神話は宇宙的疾患の神話に厳密に対応する。このことは逐一指適することができる。自然の崩壊は救済すなわち宇宙的治癒行為によって克服される。新しい大地、永続的な春(すなわち衰えることなく生きつづける宇宙)、楽園の刷新などが描かれる。「エデンの園」は地をおおう呪詛が克服されている場所である。そこでは植物界は混沌と自壊を免れていて、「雑草」はもはや存在しない。この「神々の園」−すべての地上の園はそれの象徴であり先取りである−は自然の救済とともに再び現われる。自然界に平和が蘇る(イザャーーの六)。野の獣とのあいだに新しい契約が立てられる(ホセアーーの一八)。諸民族と個々人におけると同じく、野の獣における粗暴な自然がオルフォイス、ポイマンドレス、ダビデ、イエスなどのような牧者王によって克服される。聖徒たちは野の獣たちとともに暮らし、彼らに説教をする。というのも、野の獣たちもまた「神を知る知から締め出されていない」からである(アレキサンドリアのクレメンス『雑録』Clemens Alexandrinus, Stromateis, 五巻一三章)。(...) 宇宙的疾患は宇宙的罪責である。だから救済は罪責、およびその原因である自由意志による分離ないし罪の克服である。救済のこの面の決定的な現われは宥和(和解)、つまりひとたび失われて敵対関係と化した統一性の回復である。このゆえにたいていの宗教は、自己の罪責感に対応する神々の怒りを織めようと努める。その方法は神々の怒りを和らげて、罪責感を取り除く供犠礼拝である。いずれの供議にも含まれている自己断罪は、自己に対する神の判決を受容するとともにそれを克服する。これに対して多くの密儀宗教とキリスト教においては宥められるのは神々でなくて人間である。神が犠性として自身を差し出す。神が否定(有罪判決)を自身に負い、この犠性を受容することを人間に求める。この受容が仰、すなわち人間が神と自己自身とに和解する脱自的自己超越的行為である。和解以前の状態の罪貴意識は克服され、それとともに罪貴意識に含まれていた不安が超克される。同時に、永遠から不自然に締め出されている意味での死の不安が克服される。このように人間が関与している宇宙的病患の最も深刻な結果である罪責の不安と死の不安とが癒される。和解(宥和)は自己自身と抗争している人間を健全にする機能をもつ。これは人格の中枢にまで達し、単に人間をして彼の神と彼自身とに結びつけるのみならず、さらに他の人びとおよび自然と結びつける。人格の中心における和解は他のあらゆる領域における和解を結果し、和解されている人間は愛することができる。救済は、愛を妨害する宇宙的疾患の治癒である。
こうした語源的で、神話的で、社会的な「個々の行為に先行した」病める宇宙は起源を論ずるには正しいかもしれない。個人は病める宇宙の微小たる器官にすら当たらないのかもしれない。しかしそうであっては、ここまでの布教を成すことはできなかったであろう。そこで治療を必要とした一連の諸問題を個人化してくれるものこそ、死に他ならないだろう。
救済という意味における治療には死の克服が含まれている。多くの神話において死は一方では宇宙的な病患と罪責との結果であり、また他方では有限性の法則の実現である。あとのほうの意味では死は自然的なものである「ちりから出てちりへ」(創世記)、「無規定なもの」(ἄπειρον)から出て「無規定なものへ」(アナクシマンドロス)である。まえのほうの意味においては、死は全宇宙的病患と同様に不自然なものであり、救済において克服される。救済は永遠の生命の現前であり、人がそれに「入り」、それを「受け開ぎ」、それを「所有」している状態である。一方、病患と死との結合、他方、救済と永遠の生命(物質的不滅と混同されてはならない)との結合を最も明瞭にあらわしているのは、聖餐式の食べ物をファルマコン・アタナシアス 〔不死の妙薬〕、つまり死から解放し、永遠の領域から締め出された状態を克服する薬と呼ぶあの有名な表現である〔イグナティオス『エペソ人への手紙』二〇の二〕。
すなわち「救済ないし宇宙的治癒は、(...)苦しみと死を通して神との一体性を証明する個人の生の形をとって「地上に」現われる」のである。
救済ないし宇宙的治療は、個人が救済の力ないし普遍的治療過程に関与する人間的行為となって現実化する。これを効果的ならしめるために、人間にこの治癒の力の源泉を知らしめ、あるいはまた個々の個人的社会的状況のなかに治癒の力を流入させることが、祭儀の機能である。祭司は救済の容観的実在と、それの主観的獲得との仲介者である。神の救済活動によって回復される宇宙的健全性は、祭司(常にまた本質的に「呪医(medicine-man)」である祭司)を通して個人的また社会的な健全性を与える力となる。聖語、呪文、呪符、聖礼典的諸所作などはすべて、これを達成するための手段である。救済ないし治療は、個々の救済行為ないし治療行為に先行するある各観的なものへの関与を通して modo participationis (関与の仕方において)起こる。治癒力をもつ人は、それを彼自身に発してもつのではなく、普遍的な治癒力が彼に乗り移ることによるのである。治癒力は神的根拠に根差している。全宇宙を救済しうる力のみが個人的治癒をももたらすことができる。宇宙を担う力の代表者としての神的諸存在が救済者また根源的治療者である(たとえば響儀宗教の神々、また仲保の神々)。それらの神神との一致が(たといそれが呪術的影響によるにせよ、神秘的同一化によるにせよ、また道徳的服従によるにせよ、自己超越的信仰によるにせよ)、救済ないし治療にいたらせるのである。(...)神話が示しているような、個人的な救済行為・治療行為と宇宙的な行為との関係をどのように理解すればよいであろうか。その関係は、宇宙的全体(宇宙的健全)の断片的、両義的、予期的な実現であるといえばよいと思う。これらの話はそれぞれ特別の意味をもっている。「断片的」ということは、特定の健康また救済の状族は、それぞれ、全体の断片である一存在における宇宙的全体を代表しており、したがってその一存在の全体は常に制約され脅かされ不完全であって、自己以上の彼方をさし示すとの事実をさす。「両義的」ということは、全体の観点からすれば、すべての部分的治療はその究極的価値においてどこまでも疑わしいとの事実をさす。手足の一本の治療が全人格としての崩壊の原因となり、また道徳的「健やかさ」がパリサイ主義という病の原因となることもありうる。「予期的」というのは、治療また救済は、多くの宗教が希求する終末観的成就にくらべた場合に予備的な性格を有するものであることを意味する。予期は「すでに」と「いまだ」を統一しており、この形においてのみ古典的神話の世界の救済ないし治療が理解されうる。
では神的次元と個人的次元、宇宙的治療と個人的治療を架橋する「呪医」とは誰か。アウグスティヌスの言葉を借りるとしよう。「医者はだれか。わたしたちの主イエス・キリストである」。
救済者は治療者である。イエスは自分自身を医者と称した。救済者たちの力は彼らの宇宙的な意義、すなわち彼らは宇宙がひとたび失い、彼らが再び宇宙にもたらすべき健全性(全体性)を代表するという事実に基づく。したがって彼らは神的でも宇宙的でもある人物である。神的というのは、彼らが集中的統一を代表し、自己と事物とに対する不壊の支配力を有するからであり、宇宙的というのは、彼らがいっさい包括的な普遍性を有するからである。しかも救済者たちは同時にまた人間的存在でもある。というのは、人間において宇宙が統一され治癒されるからである。救済者は「上よりの人」「天的な人」「人の子」「神人」である。彼は一切の宇宙的諸力の総括であり、また小宇宙となって凝縮した大宇宙である。治療の歴史においてきわめて重要な役割を演じている小宇宙の観念は、人間と世界との理論的類比ではなく、救済者観念と堅く結びついている。人間は実在のさまざまな次元をすべて自己のなかに統一しているがゆえに、人間にはそれら諸次元に浸透する能力がある。彼はそれら諸次元を認識し変化させることができる。
まさにこうした神と個人、宇宙と個人を架橋する呪医として挙げられるもう一人の人物こそ、治療の神アポロンとラピテース族の王プレギュアースの娘コローニスの子。父の権能を受け継ぐ神人アスクレピオスである。ティリッヒ曰く「ギリシアおよび後期ヘレニズムにおいて神格化されていたかの大治療家アスクレピオスはテオイソーテーレス( θεοί σωτῆρες救済の神々)と呼ばれた最古の神々の一人である。彼はのちのヘルメス救済密儀教における最重要の神々の一人である。おそらくナザレのイエスを除けば、治療と救済の同一性がアスクレピオスにおけるほど明らかに認められるものはほかにないであろう。これがためにイエスとアスクレピオスのいずれがよりいっそう高度の医術的能力を有したかに関して、オリゲネスとその異教的論ケルススとのあいだに論戦があったのである」。また治療神人イエスについて、次のようにも叙述される。
>マルコ福音書によれば、神の国の到来は無制約的な治癒力の出現を含んでいるからこそ、イエスは何よりもまず治療者なのである。洗礼者ヨハネが獄中からイエスのもとへ弟子を遣わしてイエスがメシアであるかどうかを尋ねさせたとき、イエスは自己の治癒力を指適することによってそれに肯定的に答えた。「盲人は見え、足なえは歩き、癩病人はきよまり、耳しいは聞こえ、死人は生きかえり、貧しい人びとは福音を聞かされている」(マタイーーの五)。これが新しい時代のしるしである。身体的また社会的疾患は克服され、死は克服されている。これと同じ力が、救済の到来を告知する使徒たちに与えられる。「イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊を追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいを癒す権威をお授けになった」(マタイ一〇の一)。その数節後にイエスは彼らにいっているー「行って、「天国は近づいた」と宣べ伝えよ。病人を癒し、死人を蘇らせ、頬病人をきよめ、悪霊を追い出せ」。治療(身体的および精神的な治療)と救済との同一性をこれ以上に明らかに表現することはできない。救済を告知することと治療することとは同一の行為である。この同一行為の両面を実行することが弟子たちの任務であるしまさにこれであって他の何ものでもない。
しかしこうした宇宙的治療、その内に位置づけられる個人の治療という地平は歴史と共に失われた。冒頭に「特に近代プロテスタント神学においては、救済およびそれに関連する新生・贖罪・永生などの諸概念は、個人の精神状態を示すものとして解釈され、個人の道徳的変革と個人的生の死後の存続が特別に強調される。しかし聖書のまた初期のキリスト教思想にあっては、救済は基本的に宇宙的な出来事である」とあるように、それは科学においても、神学においても同様である。歴史と共に治療は個人化され、宇宙的次元は剥離される。
古典古代の神話論的遺産が復興され、それがしだいに近代科学へと発展していったルネサンス初期において、救済者としての、ないし治療者としての人間の機能が強力な表現をとげている。最初にそれはいまだ神話的な機念で述べられ、救済者者はキリスト、すなわち神人である。次にそれは一般化されて、救済者は理性を賦与された存在、小宇宙的人間である。最初、彼を宇宙的治療者たらしめたものはいまだ呪術的、占星術的、錬金術的操作であるが、のちには救済者に治癒力を与えるものは科学技術的、天文学的、化学的認識である。最初は心霊領域が決定的であるが、つぎには身体と精神がその心霊的根拠から分離して、両者が孤立してあい対する。この分離が成しとげられると、神話は自然科学にとって代わられ、救済と治癒の同一性が止場される。両者はともにその宇宙的性格を喪失する。すなわち救済は個人の霊魂に、治療は個人の身体にかかわることとなる。(...)たとえばヒルトナーなどにおけるように(『宗教と健康』〔Seward Hiltnet, Religion and Health, New York 1943.〕 二三ページ)、救済と治療の同一視に反対して、治療対象が身体、霊魂、精神のいずれである場合でも、治療は時間的な、しかし救済は永遠的な意味を有するという異論がとなえられてきた。しかしこのような論議は、両概念についての近代プロテスタント的な定義からくることである。それは宇宙の病患と普遍的な堕罪の観念、また宇宙の治癒と普遍的な救済の観念の、意識的・無意識的排斥を意味する。それは永遠の成就が時間空間のなかの断片的成就として実現していることを見ていない。治療も救済もともに、時間的であるとともにまた永遠的である。治療は永遠的なものの意義を得、また救済は時間的なものの現実化となる。このような見地に立てば、医者が救済を彼岸的なものの幻想的領域に押しやることも、また聖職者が医者の仕事(たとい宗教があらわな形で用いられていないにしても)に絶対的な尊厳を認めないことも、ともに不可能になる。
1950 エーリッヒ・フロム『精神分析と宗教』書評
『精神分析と宗教』の最初の章は、問いを発展させている部分であるが、心理学のかつての意味、すなわち「魂」の学という意味を復権させようと試みている。「魂」という語は、それが「愛、理性、良心、価値」といった意味合いをを持つため、学術的な心理学からは抜け落ちてきた。しかしながらそれらは、私たちの時代の不幸な意識が答えを求めている問題なのである。二つの職種が答えを与えようと試みている−聖職者と精神分析家である。両者の関係はいかなるものなのであろうか?
そしてこうした魂に対し、フロムはどうやら「権威主義的宗教」と「人道主義的宗教」という分類をもってその関係に対し応答する。フロム曰く聖職者とは「権威主義的宗教」に基づき、神を通して外在的に治療を施すのに対して、精神分析家とは「人道主義的宗教」に基づきひとを内在的に治療する。こうした魂の治療の転換に精神分析家の価値を訴えるのだ。
このことは、フロムの本において決定的である第三章「宗教体験のある種の型の分析」へと導く。ここで彼は徹底的に、また一貫して人道主義的な類型の宗教と権威主義的な類型の宗教の区別を貫いている。権威主義的な類型は、超越した力への服従を人間に求め、それは極要善への従順と極要悪への不従順を作り出す。人間は自分の独立と高潔さとを放棄し、軽蔑と憐みと貧しさとの関連で自分自身について考えなければならず、かくしてあらゆる積極的なものは神の側へと移される。このような態度はおおよそあらゆる宗教に見られるものであり、疑似宗教的な性格を持つ世俗の運動の中にさえ見られるものである。「これに反して、人道主義的な宗教は人間と人間の力とに集中する」。もしそれが真に有神論的であるなら、神は「人間自身の力の象徴」であり、人間を越えた力を持った何かではない。人道主義的な宗教もまた、ほとんどすべての大宗教と疑似宗教の中に見られる。仏陀やイザヤの中に、イエスやソクラテスの中に、スピノザやフランス革命の中などにそれは見られる。これらすべての事例において、問題なのは人間の態度であり、神話や祭儀が問題なのではない。このことに基づいて、フロムは伝統的なキリスト教、特にカルヴァン主義に対して極めて批判的である。カルヴァン主義は、人間が持っている最上のものを神に投影する。人間の力は人間から切り離される。「人間は神を通してのみ自分自身に並づく」が、これは人間を奴隷的にする態度であり、こが歪んだ状態の表れである。(...)人道主義的な宗教は人間をこれらすべてから解放し、人間が真の愛を持つことを可能にする。そして人間は、神と呼ばれる、自分以外に自分が愛する存在を自分の外側に持つ必要はなくなる。「魂の医者」(第四章の表題)としての分析家は、人間が愛する能力を手にいれる、あるいは回復することを援助するのである。
ユングは「わたしたち魂の医師は、厳密に言えば、本来、神学部に該当するはずの問題に関わらねばなりません」と言った。下記にてティリッヒが「フロムが戦うのは(...)純粋に神学的な関心事である」としたように、精神分析家の使命とは−有意味性を求めたフランクルも然り−神なき時代の神学的問題なのである。
人道主義はまた、二つのことを意味し得る。自分自身の究極である人間と、自分自身を含めすべてのものが根ざしている究極的なものに向かって自身を超越する人間とである。フロム自身は、宗教的経験の要素としての「生の意味に関わる究極的関心」および「宇宙との一体」という感覚を受け入れるに際し、第二の道を選び取る。そこにおいて人間は同時に超越されつつ再確立されるのである。それは「自己超越的人道主義」であり、宗教的次元に達する確一のものである。フロムが戦うのは、他律的で超自然的な有神論である。そして、この戦いは純粋に神学的な関心事である。それは、神学と精神療法が同盟を結んでいる、偶像崇拝に対する戦いである。この戦いで用いられる武器は、しばしば無神論のように聞こえる−特に、対象を誤った投影理論においてはそう聞こえる。しかしそのような無神論は側像崇拝的な有神論に対する答えなのである。宗教も精神分析も、存在と意味の根底である神を探し求め得るし、また探し求めなければならない。この神からの疎外は自己疎外であり、この神との再結合は自分自身との再結合なのである。この土台の上で、罪と救いに関する宗教的教理は新しい非権威主義的な意味を受け取る。罪は自身の本質的存在および自身の神的根底からの分離なのである。救いは癒しの力におけるこの分裂の癒しであり、それは人間を超越し、人間に自分自身を受け入れる勇気を与えてくれるのである。
1951『組織神学』第一巻
本書は出版と同時にベストセラーになり、その影響は大きかった。ティリッヒは世間一般で有名になり、精神的な悩みの中で多くの人々が彼を訪れるようになった。彼はいまや「癒しの神学者」となった。ヴィルヘルム・パウクの『ティリッヒ伝』によると、ある若い女性の芸術家は、薬とアルコールに溺れて自殺未遂をおこしたが、カウンセラーの薦めで本書を読み、一夜にして生まれかわったように感じたと言う。社会学者R・N・ベラーも本書の「壮大な最後の一節は、私に深い感銘を残した」と記している。カレン・ホルナイ、シウォード・ヒルトナー、ウェイン・オーツ、ロロ・メイといった精神医学者や精神分析学者とティリッヒとの対話は以前からのものであるが、本書によって一般に精神医学と神学の対話の可能性と必要性が広く認識されるようになった。
1952『生きる勇気』
https://scrapbox.io/files/67a109ed78e3d36fdb24e732.jpeg
第一章
本章の主題
〈勇気〉という概念のなかには、神学的、社会学的、哲学的内容が一つに結び合わされている。これほどまでに人間状況を理解するための鍵として適切な概念は、あまりない。勇気というのは、まず第一に、倫理的概念ではあるけれども、それは人間実存の全領域にかかわるものであり、また、その根は、存在自体の深層にまで到達している。それを倫理的に理解するためにも、それは存在論的に考察されねばならない。
上記のテーゼを理解するべくティリッヒはプラトンによる『ラケス』を導きの書とする。同書から援用されるは、将軍ニキアスに対するソクラテスの反駁である。
将軍ニキアスが、一つの定義を下そうとする。彼は軍事的指導者として、勇気とは何であるかについて知っているはずであり、そしてまたそれについて語ることができねばならない。ところが、彼の定義もそれまでの定義と同様に満足のいくものでないことが分かるのである。もし勇気とは、彼が主張するように、「何を恐れ、何を敢えてなすべきか」を知る知識であるとすれば、勇気の問いは、ある普遍的な問題に変わるのである。というのはそれに答えうるためには「いかなる状況にあっても変わることなく何が善であり何が悪であるかそのすべてについて知識をもって」いなければならないからである。だがそうするとこの定義は、勇気とは徳の一つの部分であるとする前提に矛盾してくる。「したがって」とソクラテスは結論する、「われわれは勇気とは本当に何であるかを定義することに失敗したのだ」と。
すなわちソクラテスの整理に準えば、我々は善悪の完全なる定義に基づいて、真の倫理的勇気を為すことが可能なのであり、「したがって(...)われわれは勇気とは本当に何であるかを定義することに失敗したのだ」。ティリッヒは「このことは、ソクラテス的思惟の枠内ではきわめて重大な断念である」としたうえで、さらに「このソクラテスの失敗は、見かけでは成功しているかのような多くの定義──プラトンやアリストテレスのものをも含めて──よりも、もっと重要な意味がある」などと、その失敗に特権的な地位を与える。それはなぜか。
そのことは、勇気を理解するためには、その前提として人間および人間世界の理解、それらの構造や価値の理解が先行せねばならないことを示しているのである。これらの前提的理解をもっている者のみが、肯定すべきものは何か、否定すべきものは何かを悟るのである。勇気とは何かという倫理的問いが、存在とは何かという存在論的問いになっていくことは不可避的なことである。
ゆえにソクラテスの失敗はつぎのことを意味する。それ即ち存在論的次元の成立によって、倫理的次元を語ることが許されるということであり、その順序によって善悪の是非が問われるべきなのだ。ニキアスの失敗とは、存在論的議論を欠いた倫理的テーゼを謳うことに求められるのであり、「勇気とは何かという倫理的問いが、存在とは何かという存在論的問いになっていく」のだ。よって下記へと帰結される。
本書の題「生きる勇気」〔゠「存在への勇気」〕とは、そのなかに勇気という概念のもつ二重の意味、つまり倫理的意味と存在論的意味を、一つに結合している。勇気は、人間の行為として、また価値づけの表現として、一つの倫理的概念である。勇気は、普遍的本質的な自己肯定として、一つの存在論的概念である。生きる勇気とは、それによって人間が、彼の実存のなかにあるその本質的な自己肯定に反逆するような諸要素に抗して、彼自身の固有な存在を肯定するところの倫理的行為である。
よって本章の主題について、つぎのことが結論づけられる。
したがって本書の第一章は、「存在と勇気」をとり扱う。ソクラテスがうまくいかなかったところで私がうまくいくかどうかわからないが、それにもかかわらず、およそ失敗は避けがたいとしてもそれをひき受ける勇気は、ソクラテス的問題が今も生きているのだということを示すぐらいの役には立つかもしれない。
古代-ギリシャ哲学とその系譜
第一に検討されるは「プラトンからトマス・アクィナスにいたる哲学的伝統のなかで勇気がいかに理解されてきたか」である。
プラトンの『国家』においては、勇気は、テュモス(気慨、大胆さ)と呼ばれる霊魂の要素と結びつけられ、この両者は、フュラケー(守備隊)という社会層に帰されている。テュモスとは、人間の知的なものと感覚的なものの中間に位置する。それは高貴なものへの直接的衝迫であり、そのようなものとしてそれは霊魂の構造の中心的位置を占める。すなわちそれは理性と情動とのあいだの裂け目を架橋するものである。少なくともそれは、架橋する可能性をもっている。(...)プラトンのいうフュラケー(守備隊)は、武装貴族階級であり、高貴なるもの美しいものを代表する人びとであるが、こういう階層から知恵の担い手があらわれ、彼らにおいて知恵と勇気とが結びつけられる。
ファラケーという社会階層のみが有する、理性と情動を架橋する霊魂の構成素。それがプラトンのいう勇気なのであり、これは伝統的なプラトン解釈及び西洋哲学史に反する。
実際にはプラトン的思惟およびプラトン的伝統の主流は二元論的であって、それは理性的なものと感覚的なものとのあいだの対立を強調した。この架橋が生かされなかったのである。この人間存在における〈中間〉の要素であるテュモエイデス(心情)の排除は、デカルトやカントにいたるまでずっと西欧の倫理学や存在論に影響をおよぼしている。カントの倫理的厳格主義の根底に横たわっているのはそのことであり、デカルトにおいて存在を〈思惟〉と〈延長〉とに二分することの根底に横たわっているのも、そのことである。このような発展の背後に、社会的諸変化があることは、十分よく知られていることである。(...)プラトン自身は、テュモエイデスをば人間の本質的な機能とみており、またある倫理的価値でもあり、一つの社会的資格でもあるとみなしたのであった。
すなわち両者を架橋する勇気は忘れ去られ、霊肉二元論(プラトン)から物心二元論(デカルト)-一応補足をすると物体=延長、精神=思惟である-、そして感性界と叡智界(カント)、などと西洋形而上学史は二分方の道を歩むのだ。そうした通史に反し、プラトンが提唱する中間項(=テュモエイデス)としての勇気、そして「倫理的価値でもあり、一つの社会的資格でもある」という性質はアリストテレスが正統にその血を受け継ぐ。
勇気の教説におけるこの貴族階級的要素は、アリストテレスによって保持されているが、それだけでなく、制限も受けている。彼によれば、苦痛や死に、勇気をもって耐えることは、そうすることが高貴であり、そうしないことがいやしむべきことだからである(『ニコマコス倫理学』Ⅲ・9)。人間は、「高貴さのため」勇気をもって行動する。「なぜなら高貴さが徳の目的だからである」(『ニコマコス倫理学』Ⅲ・7)。ここに出てくる、また他のところにも出てくる「高貴さ」とは、〝カロス〟の訳語であり、「いやしい」は〝アイスクロス〟の訳語である。これらの語は、普通「美しい」とか「みにくい」とか訳されているものである。美しい行為あるいは高貴なる行為とは、称賛にあたいする行為である。勇気とは、称賛にあたいすることをなすことであり、いやしむべきことを排斥することである。称賛にあたいすることとは、ある存在がそれに潜在するものを成就すること、あるいはその完全性を実現することである。勇気とは、それに固有な本性を肯定すること、それに固有に内在する目的を肯定すること、つまり、エンテレケイア(円現)することである。しかしそれは、「それにもかかわらず」の性格をもつ肯定である。この肯定は、たといそれがわれわれ自身の一部であるにせよ、それを犠牲にすることなしにはわれわれ自身の現実的成就に到達できないようなあるもの、を犠牲にする可能性あるいはその不可避性を、そのなかに含んでいるのである。この犠牲は、快楽や幸福の放棄を、いや自分の生命をさえも捧げることすら意味しうる。こういう勇気ある行為が称賛にあたいするのは、常に、それにおいてわれわれ自身のより本質的な部分が、より非本質的部分に対して、それ自身を貫徹するからである。勇気とは美しくかつ善である。それはそれにおいて美や善が実現されるからである。それが勇気を高貴なものにするのである。完全性とは、アリストテレスによれば(プラトンにおいても同様であるが)、段階的な仕方で達成される。つまり自然的段階、個人的段階、社会的段階である。それ自身の固有な本質的存在の肯定としての勇気は、これらの諸段階においてはそれ以前の段階よりもより明白になってくる。勇気についての最大の証明は、最大の犠牲を払う覚悟、つまり自分の生命を犠牲にする覚悟であるゆえ、そして軍人という職業は、この犠牲を払う覚悟が絶えずできていなければならないゆえに、昔から軍人の勇気が、勇気の顕著な実例とみなされてきたのである。ギリシア語の勇気〝アンドレイア〟(─男らしさ)、ラテン語の勇気〝フォルティトゥドー〟(fortitudo─勇敢)などは、軍人的な勇気の側面を示している。貴族階級が武装階層であった限りにおいて、勇気における貴族階級的な側面と軍人的な側面とは相互に結び合っていた。
アリストテレスとは幸福こそ人類の達成すべき最高善であるとし、人は徳を身につけてこそはじめて幸福を実現できると考えた。そしてその徳の目的こそ「高貴さ」であり、「高貴さのため」には「苦痛や死に、勇気をもって耐えること」が必要であり、よって「勇気についての最大の証明は、最大の犠牲を払う覚悟、つまり自分の生命を犠牲にする覚悟であるゆえ、そして軍人という職業は、この犠牲を払う覚悟が絶えずできていなければならないゆえに、昔から軍人の勇気が、勇気の顕著な実例とみなされてきたのである」。ゆえにアリストテレスもプラトンと同様、「自然的段階、個人的段階、社会的段階」によりわけ勇気とは「倫理的価値でもあり、一つの社会的資格でもある」としたのだ。しかしアリストテレス以後それは失われてしまった。それはなぜか。「貴族階級的な側面と軍人的な側面とは相互に結び合」うことでその基盤をなしていた勇気は、貴族階級の伝統の崩壊とともに、倫理的次元と社会的次元がひき剥がされ「て勇気が、何が善で何が悪かについての普遍的知として規定されうるようになったとき、知恵と勇気とは結合され、真の勇気は、軍人の勇気から区別されるようになった」。つまり「倫理的」「社会的」なプラトン=アリストテレス的勇気は失墜し、「理性的」「一般人間的デモクラティック」なソクラテス的勇気へと変貌したのだ。しかし、それは再び中世にて蘇る。思想的にはアリストテレスがプラトンより受け継いだ「倫理的」「社会的」勇気は、信仰と結びあわせられるかたちでキリスト教的アリストテレス主義者トマスへと受け継がれ、華々しき復興を遂げ、社会的にも軍人と貴族は再び統一され「騎士は、軍人としてまた貴族として、勇気を体現している」。
トマスは、勇気の二重の意味を認めており、それを論じている。勇気とは、最高善の達成を妨げる一切のものを克服するところの精神的力(strength ofmind, Geistesstarke)である。知恵と節制と正義とともに勇気は、四つの枢要徳に属している。(...)トマスは(...)勇気が論じられる場合いつもなされるように、彼は、その典型的な事例として軍人のもつ勇気を引用している。このことは、トマスにおける中世社会の貴族主義的構造とキリスト教やヒューマニズムのもつ普遍的要素とを結び合わせようとするその一般的傾向と合致するものである。(...)完全な勇気とは、トマスによれば、神の霊の賜物である。神の霊に助けられて、自然的精神力は、超自然的完成の高みにひき上げられる。それは次のことを意味する。すなわち勇気とは特にキリスト教的徳である信仰と希望と愛とに結び合わされているということである。ここに一つの発展が起こってくる。すなわち勇気の概念における存在論的側面が信仰(希望をそのなかに含んで)のなかにとり込まれ、他方勇気の倫理的側面が愛のなかに、つまり倫理的原理としての愛のなかにとり込まれていくという発展がはじまるのである
この地点にて勇気は信仰を媒介することで、再び「倫理的」「社会的」なものとして思想史的にも社会構造的にも息を吹き返したのであった。しかし以下は補論として、トマスは勇気を最も上位に置くわけでないことには留意したい。「四徳は、厳密に分析すれば、それぞれが同等の地位をもつものではない」のである。
これら四徳は、厳密に分析すれば、それぞれが同等の地位をもつものではない。知恵と結合された勇気は、個人のなかでは節制を、他者との関係においては正義をそのなかに包括する。そこで問題が出てくる。一体勇気と知恵とではどちらがより包括的な徳であるか。これに対する答えは、そもそも人間の本質においては、したがってまた人間的人格性においては、知性と意志のどちらが優位するか、という有名な論争がいかに結着するかによってきまる。トマスは、知性の優位をはっきり断定したゆえに、必然的に勇気を知恵の下位に従属させざるをえない。もし意志の優位を決定するならば、たとい完全にとはいわないまでもより大きな独立性を勇気は知性に対してもつという結論が出てくるであろう。この二つの思想系譜の相違は、宗教的には「信仰の冒険」といわれるところの「決断的勇気」の評価において決定的に示される。もし知恵が優位するならば、勇気とは本質的には理性(もしくは啓示)の諸要請に服従することを可能ならしめる精神的力ということになる。これに対し〔もし勇気が優位するならば〕決断的勇気は、知恵をばつくり出す役割をはたすのである。第一の見方のもつ明白な危険性は、カトリックや合理主義的思想のなかにしばしば見出されるような創造性を失った沈滞であり、同じく第二の見方の危険は、ある種のプロテスタント的傾向のなかにあり、またほとんどすべての実存主義思想のなかにあるところの方向性をもたない恣意性である。
この議論は大変興味深いと言える。実存主義へ大きく影響を与えたフッサールは、まさに「第二の見方」を明確に意識していた。デューラーの《騎士と死と悪魔》をこよなく愛していた彼がことあるごとに「いやしくも学に志すものは、長槍を携え、冑を目深にかぶり、脇目もふらず死と悪魔との境をまっすぐに騎り進んでゆくあの勇敢な騎士のようでなくてはならない」とするのは、それに示唆的であろう。わたしはこうした考え方に同意である。失楽園より知恵と悲劇は両輪をなしていた。すなわち「悲しみと虚無しかないのだとしたら、ぼくは悲しみのほうを取ろう」という意志のもとに、はじめて知恵が獲得されなくてはならない。知恵の獲得を多くに急がせてはならない。そうでなくては無垢に楽園で生活をおくるアダムとイヴにレッドピルを与えてしまうこととなるのだから。その意味でフッサールは反トマス主義者である。
中世-ストア主義
倫理的要素と存在論的要素をともに包括するより広い勇気の概念は、古代末期においてはストア主義において、近代初頭においては新ストア主義において、特にきわだった意味をおびてくる。ストア主義も新ストア主義も哲学の学派ではあるが、同時にそれ以上のものでもある。すなわちそれは、古代末期の高潔な人間や近代のその後継者たちが、実存の問題に解決を与え、運命と死の不安を克服してきた生き方である。この意味においてストア主義は、たといそれが有神論的、無神論的、あるいは神問題を越えた形をとったにせよ、一個の宗教的態度である。こういう理由からして、ストア主義は、西欧世界におけるキリスト教の唯一の現実的な競争相手なのである。こういうことは、次の事実を思い起こすならば、意外な主張であろう。つまり、宗教哲学的領域においてキリスト教が対抗しなければならなかったのは、グノーシスや新プラトン主義ではなかったか。また、宗教的政治的領域においてキリスト教がたたかわねばならなかったのは、ローマ帝国ではなかったか。高い教養をもった個人主義的なストア主義者たちは、ただ単にキリスト者にとって危険な存在でなかっただけでなく、それどころか逆にストア主義はキリスト教的有神論の諸要素を摂取しようとしていたのではなかったか。
一般的に救済宗教として一神を謳う体系の対として扱われるは多神教であるが、それに対してはティリッヒ曰くストア主義と異なり、ある種の超克を成したという。
キリスト教と古代のシンクレティック(混成的)な宗教とのあいだには、ある共通な基盤があるのであって、それは神的存在が救済のため天からこの世に降臨したという見方である。このような見方をもつ宗教運動においては、運命に対する不安や死に対する不安は、運命や死を自分自身にひき受けた神的存在に人間が参与することによって克服されるのである。キリスト教もそれと類似した信仰をもってはいたが、ともかく救済者イエス・キリストが一個の個的存在であり旧約聖書に具体的歴史的根拠をもちえたということにおいて、キリスト教はシンクレティズムをのり越えるものであった。そういうわけで、キリスト教は、それ自身の歴史的基盤を失うことなしに、古代シンクレティズムの宗教的哲学的諸要素を多くとり入れることができた。ところが、キリスト教は、ストア主義独特の生き方を同化することはできなかったのである。このことは特に注意しておかねばならない。というのは、ストアのロゴス説や道徳的自然法がキリスト教の教義学や倫理学には巨大な影響をおよぼしたという事実も他方考え合わせねばならないからである。このように多くのストア的理念を受けいれはしたが、それにもかかわらず、けっしてストアにおけるコスモス的諦念の生き方とキリスト教におけるコスモスの救済への信仰とのあいだにある深淵を橋渡しすることはできなかったのである。キリスト教会が勝利することによって、ストア主義は背後に押しやられ、そしてそこからそれが再び前面に出てくるのは、ようやく近代初頭においてであった。ローマ帝国もキリスト教の競争相手ではなかったのだが、ここでまた注目すべきことがある。ローマ皇帝のなかでキリスト教にとって真に危険であったのは、ネロのような気まぐれな暴君でもなく、またユリアヌスのような狂信的反動主義者でもなくて、マルクス・アウレリウスのような有徳なストア主義者であったということである。その理由は、ストア主義者が、キリスト教的勇気にとって代わりうるような個人的・社会的勇気をもった真の競争相手であるからである。
では、救済宗教に対してストア主義が掲げるは、「諦念」という勇気あるいは克服はなにを起源とし、如何に発展を遂げたのか。その変遷をみてゆきたい。
ストア的勇気は、けっしてストア哲学者の発見ではない。彼らがしたことは、この勇気に理性的概念をもって古典的表現を与えるということであった。しかしその根は古くさかのぼって神話や英雄伝説や古代的箴言や詩や悲劇にあるのであり、ストア主義出現以前の数世紀にわたる古代哲学の伝統のなかにある。ストア的勇気に永続的力を与えた特別な出来事は、ソクラテスの死であった。この死は、古代世界全体にとってただ単に一つの出来事であっただけでなく、それは運命と死とに直面する人間の状況をあらわに示すようなシンボルでもあった。そのなかに勇気が示されている。それは死を受けいれることができたゆえに、生をも受けいれることができるところの勇気である。ソクラテスの死は、勇気についての伝統的な意味に深甚な変化をひきおこした。ソクラテスにおいて、それまでの英雄的勇気は、理性的かつ普遍的な勇気に変わった。貴族主義的な勇気の理念は、一般人間的なものに置き換えられた。軍人の勇敢は、知恵の勇気によって超克された。こういった形において、彼は、破局と激動の時代における人間に対して、「哲学的慰め」をもたらしたのである。
すなわちソクラテスの死は、哲人政治に象徴されるようなプラトン=アリスとテスト的な閉じられた勇気から、一般の人類誰にも開かれた勇気へと新たな生の地平をさし示す。そして、ティリッヒがその実例として挙げるはセネカやエピクテトスである。
ストア的勇気とは、セネカのような人の叙述するところによれば、生への勇気と死への勇気とが相互依存的であるように、生への恐怖と死への恐怖とも相互依存的であることを明らかにしている。セネカは、「生きたいとも思わず、また死に方も知らない」人間に目を向けている。彼は、「死の衝動」(libido moriendi)について述べている。これは、フロイトのいわゆる「死の衝動」(Todestrieb)と厳密に同じことをいいあらわすラテン語である。(...)セネカは(フロイトもそうだが)、生を肯定できないことは、死を肯定するようになることを意味しないということを知っていた。運命と死とに対する不安は、生への意志を喪失した人間の生を支配するのである。こういうわけで、ストアの自殺のすすめとは、生の主となることができないでいる人びとに向けられたものでなく、むしろ生きることも死ぬことも知っておりかつ自由にその両者をえらびとることができるほどに自己の生の主となっている人びとに向けられたものなのである。恐れのゆえの逃避としての自殺は、ストア的な〈存在への勇気〉〔゠生きる勇気〕とは合致しないものである。(...)知恵の勇気に対して、それと対立しているものは、われわれのなかにある欲望や恐れである。ストア主義者たちは、最近の心理学的洞察を思わせるような不安についての分析を与えている。彼らは、恐れの対象とは恐れそれ自体である、ということを発見した。セネカはこういう、「物ごとのなかで恐るべきものとは、恐れのほかには何も存しない」。またエピクテトスもこういう、「死とか窮乏が恐るべきものではないのであって、恐るべきものとは死や窮乏に対する恐れ〔そのもの〕なのである」。われわれにおける不安が、すべての事物や人間のうえに恐れをひき起こすような仮面をかぶせるのである。もしわれわれがその仮面をはぎとるならば、それ本来の素顔があらわれ、そしてそれがひき起こした恐れも消え失せる。このことは死についてもいいうることである。われわれにおける一小部分が一日一日ととり去られていくのだから──つまりわれわれは日ごとに死につつあるのだから──、われわれの生が終わる最後の瞬間が死をもたらすのではなくて、ただそれは死につつある過程がそこで完了するということなのである。死にまつわりつく恐怖は想像のしからしむるところであって、それはもし死からあの仮面がとりのぞかれるならば、消え失せるものなのである。
この地点においてストア主義は救済宗教に勝る。
コスモス的諦念の思想が、有神論的なコスモス(世界)の救済の思想と違うその区別が出てくる。セネカは次のようにいっている。真のストア主義者は苦悩を克服して立つ、しかし神は苦悩から隔絶して立っている、と。この意味は、苦しむことは神の本性に反するということである。神は苦しむことができないのである。神は苦しみの彼岸に立っている。しかしストア主義者は人間であるゆえ、苦しむ可能性がある。それにもかかわらず彼の理性的本性の中核は、苦悩によって冒されることはない。苦悩は彼の本質的本性に属するものではなく、彼における偶然的なもののもたらす帰結であるゆえ、彼は自らを苦悩を越えて高く保つことができるのである。この「隔絶して」と「克服して」との区別は、一つの価値判断を含んでいる。欲望や苦悩や不安に打ち勝つところの賢者は、「神自身をも凌駕する」のである。神はそれ自身の本性的な完全と至福とにおいて、欲望や苦悩や不安の彼方に、あるいはそれらの外方に、存在している。そのような神よりも賢者のほうが優越するのである。このような価値判断に基づく限り、知恵と諦念の勇気は、救済を信じる信仰の勇気、つまり神が逆説的な仕方で人間の苦悩をひき受けることを信じる信仰の勇気によって、置換されうる可能性がある。
しかし完全かにみえるストア主義は救済宗教に敗北を期すこととなる。それはなぜか。さきほどティリッヒはギリシャ哲学的勇気の類推に比して、ストア主義的勇気はあらゆる人間に与えられているとし「英雄的勇気は、理性的かつ普遍的な勇気に変わった」と告げた。そしてわたしはそれを誰にも道が開かれているとしたが、留意しなければならないのは、道は開かれているだけであって見つけだすことは困難を極め、その道を登ることは更なる厳しさを誇ることである。そしてそれがストア主義的限界を示す。
ストア主義がその限界につき当たるのは、いかにして知恵の勇気は可能となるかという問題の前に立たせられるときである。ストア主義者たちは、すべての人間が普遍的ロゴスに参与している限りにおいて平等であるということを強調したにもかかわらず、知恵を与えられるのは、きわめて少数のエリートだけであるということを否定できなかった。彼らは、大衆とは欲望と不安とにとらわれた「愚者たち」である、と認めていた。(...)ストア主義者たちは、人間がその理性的本質(essential rationality, die essentielle Vernünftigkeit)から愚かなる実存(existential foolishness, die existentielle Torheit)への普遍的頽落を、責任の問題とか罪責の問題とはみないのである。彼にとって存在への勇気とは、運命と死とに抗して自己を肯定する勇気であるが、それは罪や罪責に抗して自己を肯定する勇気ではない。そうであることはできなかったのである。なぜなら、自己の罪責に直面するところの勇気は、諦念(Resignation)にいたるのではなく、救済(Erlösung)の問題に至らしめるからである。
これは現代の進歩主義、資本主義、実存主義にも言えることだろう。クローチェは神を失ったロマン主義が患う世紀病と、それが近現代へと転移する症候を「この病いは、伝統的な信仰から逸れたということよりも、現実的に自らを新しい信仰に適合させて生きてゆくことの難しさによるものである。この信仰を生き、行動に移してゆくには、勇気と雄々しい態度を要するからである」とした。それは諦念すなわち絶望を肯うことから始めることに対する限界なのだろう。この意味で真に開かれた救済宗教とは神の死以降誰も超克できていないと言える。我々に急務と呼べるものがイデオロギー的領野にあるとすれば、それすなわち現代の救済イデオロギーをつくることにあるだろう。
近世-ルネサンス
コスモス的諦念の勇気に代わって、コスモスの救済の信仰が登場したとき、ストア主義は舞台から消えていった。しかし、救済の理念に支えられてきた中世的体制が崩壊しはじめたとき、ストア主義は再び前面に出てきた。ストア主義は、またもや知的エリートにとって意味をもってきたが、この知的エリートは、救済の道を放棄したにもかかわらず、それをストア的諦念の道でもって置換することはしなかった。近代初頭の西欧における古代哲学の復興は単なる復興ではなくて、その変形をも意味するものであったが、それはキリスト教の影響が強かったからである。このことは、プラトン主義の再興についても、懐疑主義やストア主義などの再興についても妥当することである。また芸術・文学・国家論・宗教哲学などについても妥当することである。これらすべての場合において、古代末期の人生観における否定性は、キリスト教的な肯定的態度によってとって代わられた。このキリスト教的肯定性は、創造や受肉の理念において表白されたものであり、そしてたといこれらの理念が無視されあるいは否定されたとしても、けっしてなくならなかったのである。ルネサンス・ヒューマニズムの精神的内実は、古代ヒューマニズムのそれが異教的であったことと違って、キリスト教的なものであった。近代ヒューマニズムは、キリスト教を批判したにもかかわらず、キリスト教的なのである。
こうしてティリッヒはルネサンス・ヒューマニズムとはキリスト教的なヒューマニズムであり、その点で古代ヒューマニズムと異なるとした。そこで彼が重要な契機としてみるのは「古代末期の人生観における否定性は、キリスト教的な肯定的態度によってとって代わられた」ことに他ならない。「古代においては悲劇的実存理解が生や思想を支配していたのに対し」、「キリスト教的教説は、「存在そのものは善である」(esse qua esse bonum est)」と心得る。ゆえにキリスト教化されたヒューマニズムにおいて、換言するならば「古代ヒューマニズムとルネサンス・ヒューマニズムの決定的相違は、存在が本質的には善かどうかという問いに対する答えにおいて明らかである」。こうした善としての存在という生への肯定的態度から生まれたのが「自己肯定」である。
その存在論的基礎の根本的相違から、古代ヒューマニズムにおける個人の地位と近代におけるそれとのあいだに評価の違いが出てきた。古代は個人そのものに何の価値も帰さない。むしろ個人はある普遍的なもの、たとえば徳のようなものを代表する限り評価されるのである。ところが、ルネサンスにおいては個人としての個人のなかに、他とくらべられない、他と代えられない、無限に価値をもつところの、一回限りの宇宙の表現をみたのである。 こういった相違があきらかに勇気の解釈に重大な差をもたらさないではおかなかった。ここで私のいわんとすることは、諦念と救済との対立のことではない。というのは近代ヒューマニズムもヒューマニズムであって、それは救済の思想を拒否するからである。しかし、近代のヒューマニズムは、諦念の思想をも拒否するのである。それは、諦念の代わりに、一種独特な自己肯定を置くのである。この自己肯定は、物質的・歴史的・個人的実存をそのなかに含むことにおいて、ストア主義者たちのそれを越えている。それにもかかわらず近代ヒューマニズムと古代ストア主義とは、幾多の点で一致しており、したがってそれは〈新ストア主義〉と呼ばれうるものなのである。
古代ヒューマニズム=ストア主義における諦念とは一種のペシミズムを下敷きとせねばならない。その点、キリスト教の影響をうけたルネサンス・ヒューマニズム=新ストア主義にはある種のオプティミズムを基礎づけとする。しかし同時に「近代ヒューマニズムもヒューマニズムであって、それは救済の思想を拒否するからである」からして、ニーチェへと紡がれる自己肯定の哲学がたちあがるのだ。
その主たる代表者がスピノザである。彼は他のいかなる哲学者にもまさって、勇気の存在論を展開した。彼はその存在論的な主著を『エティカ』(倫理学)と名づけたが、それによって──この標題がその目的を示しているように──〈存在への勇気〉〔生きる勇気〕をも包含する人間の倫理的実存の存在論的根拠を示そうとしているのである。しかし、スピノザにとって──ストア主義者の場合と同じく──〈存在への勇気〉〔生きる勇気〕とは、他のものと並ぶ任意の一つではないのであって、それは存在にあずかるすべてのものにとっての本質的な行為であり、つまり自己肯定を示すのである。自己肯定の教説は、スピノザ哲学にとって中心的意義をもつものであり、それは次のような表現において表白されている。「いかなるものでも自己の存在に固執しようとする努力は、もの本来の生きた本質にほかならない」。この「努力」に当たるラテン語は"conatus"であって、それはある物を求める努力である。このような努力は、ある物における偶然的側面でもなければ、またその物の存在に属する諸要素のなかの一つでもなくて、その存在の「現実的本質」(essentia actualis)なのである。すなわちその努力(conatus)がある物をして真にその物たらしめるのであって、「それが除去されると、そのものが必然的に消滅するようなもの」(『エティカ』第二部定義第二)なのである。自己保存や自己肯定への努力が、ある物をしてその物たらしめる。スピノザは、ある物の本質をなすところのこの努力を、その物のもつ力と名づけ、そして精神についてこういっている。精神は、「それ自身の活動力(ipsius agendi potentiam)を肯定するか、あるいは基礎づける(affirmat sive ponit)」(『エティカ』第三部定理五四の証明)。(...) 徳とはもっぱら自らの本質的本性に従って行為する力なのである。そして徳の程度は、人間が彼自身の本質を肯定する程度に応じてきまるのである。「どのような徳も、このこと(すなわち自分自身を保持しようとする努力)より優先して考えることはできない」(『エティカ』第四部定理二二)。自己肯定とはいわば徳そのもののことである。しかし自己肯定とは、自己の本質的本性の肯定であり、そして自己の本質的本性の認識は、理性つまり正しい観念を形づくる精神の力によって媒介されるのである。したがって徳行とは、理性の導きに従って行為すること以外の何ものでもなく、それはすなわち、彼の本質的存在もしくは彼の真の本性を肯定することである(『エティカ』第四部定理二四)。
ここにストア主義的当為論がみてとれる。すなわち「自己の存在に固執しようとする努力」、この「努力(conatus)がある物をして真にその物たらしめる」のであり、この努力に自己肯定の力学が実を潜めている。そしてそれをスピノザは「徳」に求めるのであり、徳行こそ自らを確立し、肯定する術なのだ。
しかしながら、スピノザにおいても、それはストア主義者たちのもとでもそうだったが、なお答えられないまま残っている一つの問題があるのである。それは、スピノザ自身が彼の『エティカ』の最後で提起した問題である。彼は次のように問う。何ゆえ彼がさし示した救い(salus)の道が多くの人びとによって受けいれられないか。そしてその理由について彼は彼の書いた最後のメランコリックな一節でこう答えているのである。それは一つのより困難な道であり、他のすべての崇高なものと同様にまれにしか見出されないものだからである、と。ストア主義者も同じように答えた。しかしその答えは、救済による答えではなく、諦念による答えなのである。
ルネサンス・ヒューマニズムにおいても古代ヒューマニズムにおいても基礎とされるのは精神的修練なのであり、その点でスピノザが救済を超えることは叶わなかった。
近代-実存主義
そして来るは「「生の哲学」と呼ばれうる哲学のなかで最も印象的かつ有力な代表的哲学者」ニーチェである。ティリッヒ曰く、「ニーチェはダイナミックな仕方でスピノザを復興させている」。それは如何にして実現されるか、明らかにしていきたい。
ニーチェの「力への意志」は「意志」でもなければ「力」でもない、と。つまりそれは心理学的な意味における意志でもないし、社会学的意味における力でもないということである。それが示しているものは、生の生としての自己肯定であり、そしてそのなかには自己保存と成長とが含まれているのである。したがってその「意志」とは、生がもっていない何かを求めるのではなく、またそれ自身の外部にある対象物を求めるのでもなく、そうではなくて、自己自身を意志するのであり、それ自身を保持することとそれ自身を超越することという二重の意味において自己自身を意志するのである。それが生の力であり、それ自身を超越するその力なのである。力への意志とは、究極的現実としての「意志」の自己肯定なのである。(...)徳とは、ニーチェにとってはスピノザにとってと同様に、自己肯定のことである。「有徳者たち」の章においてニーチェはこう書いている。「君たちの最愛の「本来のおのれ」〔Selbst──本訳では自己もしくは人格的自己と訳してある〕、これが君たちの徳の目標である。円環の渇きが、君たちの内部にある。あらゆる円環は自分自身にふたたび到達しようとして、環をなし、めぐるのである」(第二部第五章有徳者たち)。この類比は、いかなる定義にもまさって、生の哲学における自己肯定の意味をあらわしている。つまり、自己は自己自身をもっている、しかし同時に自らは自己自身へ到達しようとする、ということである。(...) 徳の真理とは、徳のなかに自己が在るということ、徳とは何か外的なものではないということ、「異物ではない、……外套ではない」(第二部第五章有徳者たち)ということである。「子の内部に母があるように、君たちの「本来のおのれ」が行為の内部にあること、これが徳についての君たちのことばであってくれ」。勇気はその人の自己の肯定である限り、それは端的に徳である。
上述した解釈はスピノザの系譜であることを示しながらも、まだその域をでていない。ではどこに差異をみることができるか。ティリッヒ曰く「スピノザの"conatus"(努力)の概念はもっとダイナミックなものとなる」。それは「超越」において内在肯定の哲学としての頂を獲得し、ある種の極致を成すのだ。
その自己肯定が徳であり勇気であるような自己とは、己れ自身をのり越えていくところの自己である。「そして、次の秘密は、生そのものがわたしに語ったことなのだ。「見よ」と生は語った。「わたしはつねに自分自身を超克し、乗り超えざるをえないものなのだ」」(第二部第一二章自己超克)。この最後の傍点の部分を強調することによって、ニーチェは生の本質的性質を定義しようとしていることを示している。彼は続けてこうしるす。「……そのとき生はおのれを犠牲にしてささげているのだ──力のために」(同上)と。これは、彼の意味する自己肯定は自己否定を含んでいること、しかもそれは否定のためではなく、最大限の肯定のためであり、彼のいわゆる「力」のための自己否定であることを示しているのである。生は創造し、そして創造したものを愛する、そしてやがてそれは生に対して敵対するようになる。しかし「わたしの意志がそのことを欲するのだ」(同上)。したがって「実存への意志」とかあるいはさらに「生への意志」とかさえ語ることは誤りであって、人は「力への意志」つまり「より多大なる生への意志」ということを語らねばならないのである。自分自身を超克することを意志する生が善い生であり、そして善い生とは勇気ある生なのである。それは「力強い魂」(die mächtige Seele)と「勝ち誇った肉体」(der sieghafte Leib)の生であり、その肉体と魂が自ら味わう歓喜が徳なのである。(...) 「あなたがたは勇気をもっているか、おお、わたしの兄弟たちよ。……目撃者があるところの勇気ではなく、もはや見ている神もない孤独者の勇気、鷲の勇気をもっているか。……勇気があるのは、恐怖を知りながら、恐怖を征服する者だ。深淵を見てはいるが、たじろぐことなく、誇りをもってそれを見ている者だ。深淵を見てはいるが、鷲の目をもってそれを見ている者、──鷲の爪で深淵をつかむ者、それが勇気をもつ者だ」。この言葉は、ニーチェのもう一つの面、つまり彼を実存主義者たらしめている面──「神は死んだ」という告知を受け容れる彼の完全な孤独のなかで無の深淵をのぞき込むところの勇気の側面──を示しているのである。
こうしてニーチェの特異性は示された。そしてダイナミックなスピノザとはとても素晴らしい形容だとわかる。ニーチェ自身、自らの言説を否定する人生であった。ロマン主義者としてショーペンハウアーやワーグナーへ傾倒し、救済としての芸術。すなわち前期ニーチェは「外部」に自己肯定を求めたのであり、それはまるで「目撃者があるところの」勇気であり、すくなくも後期のような絶対的孤独の勇気ではなかったといえる。なぜならばニーチェは『曙光』にてショーペンハウアーを「魂の医者」と呼んだのであり、それは自覚的であったから定かでないが神のオルタナティヴをさす言葉であった。古代から中世まで、罪を病とし、救済を治療のメタファーで表現したキリスト教は、神をその苦しみを回復させる「魂の医者」と表現した。ゆえに前期のそれは「外部」に存在する「目撃者があるところの」勇気に他ならず、上述したニーチェ観の逆をいくものである。なぜならニーチェは後期に前期のすべてに対し、全き態度で否定の限りを尽くしたのである。
ゆえにニーチェの自己肯定は否定を基礎とするものとして現れた。それはその生を通じて自己肯定を求め、ひたすらに内側へと遡行し、否定という勇気をもって超人の道を歩んだ彼にこそ、構想しえた勇気なのである。そしてそうして獲得された勇気の結晶に、ニーチェは自己肯定の在り方をみるのであった。
第二章
無の存在論的地平
そこで次にとりかかるは非存在の解剖である。なぜなら存在としての「生」を考えるには、その対極に位置する非存在、すなわち無を考慮しなければならず、「存在論はまさにその根底において無の問題を考察しなければならなくなるということを意味する」という。そして非存在とは「存在を否定するもの」であり、その概念からして否定という形式と密接に結びつき、その意味で「無とは(...)すべての概念の否定である」。そしてそれは下記のような歴史にてその重要性が示される。
無とは、最も困難なまた最も議論の的となった概念の一つである。パルメニデスは、これを概念として認めることをせず、これを排除しようとした。しかしそのためには、生を犠牲とせねばならなかった。デモクリトスは、運動ということを思惟可能とするために、この概念をとり戻し、そしてそれを空虚な空間と同一化した。プラトンは無の概念を用いている。それはそれなしには実存と純粋本質との対立を理解することが不可能となるからである。アリストテレスの質料と形相との区別のなかにも、無の概念は含蓄されている。プロティノスはこれによって人間の魂における自己喪失を説明し、またアウグスティヌスはこれによって人間の罪の存在論的解釈を与えることが可能となった。ディオニシオス・アレオパギタにとって無は彼の神秘主義的神論の原理となっている。プロテスタントの神秘主義者であり生の哲学者でもあったヤーコブ・ベーメは、万物は「然り」と「否」とに根差すという古典的命題を残している。ライプニッツの有限性と悪に関する教説のなかにも、カントの範疇諸形式の有限性に関する分析のなかにも、無の概念は前提されている。ヘーゲルの弁証法は、否定性を、自然と歴史の動力たらしめている。シェリングやショーペンハウアー以後の生の哲学者たちは「意志」を存在論的な基本カテゴリーとして用いたのであるが、それは「意志」がそれ自身を失うことなしにそれ自身を否定する力をもっているからである。ベルクソンやホワイトヘッドのような哲学者における「過程」とか「生成」とかいう概念には、存在だけでなく無の概念も含蓄されている。最近の実存哲学者たち特にハイデガーやサルトルは、彼らの存在論的思索の中心に無(Das Nichts, le néant)を置いており、ディオニシオスやベーメの後継者であるニコライ・ベルジャーエフは、神と人間との「非存在的」(me-ontic)な自由を説明するため、非存在〔゠無〕の存在論を展開している。こういうさまざまな仕方で用いられる哲学における無の概念は、すべての被造物のもつはかなさや人間の魂や歴史のなかにある「悪魔的」な力などに関する宗教的体験を背景としているとみることができるのである。聖書的宗教においては、その創造の教理にもかかわらず、このような否定的なものが決定的な位置を占めている。そして悪魔的な、神にそむくような原理は、その否定性にもかかわらず神的な力にかかわりをもって、聖書的歴史のドラマの中心に登場してくるのである。
ではティリッヒ的存在論において無は如何なる場所に位置するのか。ティリッヒ曰く「存在は、〈存在それ自体〉と〈無〉との両者を「包摂する」」。すなわち前存在的な次元としての無でもなく、存在に対置される存在としてでもなく、存在に含まれる対象として無を位置づける。
存在は、それ自体の「内部」に、無をば、それが神的生命の過程のなかに永遠に現存しつつしかも永遠に克服されているようなものとして、もっているのである。万物の根底は、生ける創造性であって、運動や生成をもたない死んだ同一性ではない。その根底は、それ自体のなかにある無を永遠に征服しつつ、創造的にそれ自体を肯定するのである。そのようなものとして存在の根底は、あらゆる有限な存在における自己肯定の原型(pattern, Urbild)であり、〈存在への勇気〉の源泉なのである。(...)不安とは存在が非存在〔゠無〕でありうる可能性を自覚している状態である、ということである。もっと短くいえば、不安とは無を実存的に自覚することである、ということであると思う。ここで「実存的」(existential)というのは、不安を生ぜしめるのは、無についての抽象的認識ではなく、無が人間の存在の一部であるという自覚であるということを意味するのである。不安を生ぜしめるのは、万物のはかなさを認めることによるのでも、あるいは他者の死を見ることによるのでもなく、それらの出来事がわれわれ自身死すべき者であるという絶えず人間に潜在する意識に対し影響を与える、そのことによるのである。不安とは、それが自らのものとして経験されたところの有限性なのである。これは人間が人間である限り、またあらゆる生ける存在が何らかの意味で感じているところの自然的な不安である。それは無の不安であり、有限なる存在が自己の有限性を自覚することなのである。
すなわち有限存在はそのうちに無を孕む。そしてその実存的経験こそ不安なのであり、有限性の象徴こそ死であることに他ならない。そして「存在(...)自体のなかにある無を永遠に征服しつつ、創造的にそれ自体を肯定する」ことは我々の日常と換言でき、なぜならばショーペンハウアー曰く「われわれの歩行とは、身体が倒れることがたえず阻止されていることにすぎないが、これと同様にわれわれの身体が生きているということは、じつはそれは死ぬことのたえざる阻止、つまり死ぬことがそのたびごとに先へと延期されていることにほかならないのである。(...)一呼吸一呼吸がたえず押し寄せてくる死を防いでいる。われわれはこういう仕方で、刻一刻、死と闘っている。そしてさらに、これをもっと間隔を大きくしてみるなら、われわれは食事のたびごとに、睡眠のたびごとに、暖をとるたびごとに、等々によってまたしても死と闘っているのである。そうしているうち挙句の果てには、死が勝利をおさめるに違いない」。すなわちわれわれは有限の象徴たる死すなわち無への移行を、絶えず征服しているのであり、わたしもそこにこそ「〈存在への勇気〉の源泉」が秘められているようにおもう。
第三章
実存的不安と病的不安
医学と神学
このような問いは、それを癒す方法──それをめぐって神学と医学という二つの学問が相剋し合っているのであるが──について考察を加えることを促すのである。医学、特に精神療法や精神分析は、しばしば次のように主張する。すなわち、すべて不安とは病的なものだから、その不安を癒すことが医学の任務である。その癒しとは不安を完全に除去することである。というのは、不安とはだいたいにおいて精神身体的意味における、あるいは単に心理学的意味における病気にすぎないからである。だからすべてこの形における不安は治癒されうるのである。不安の存在論的根拠などは存在しないのであるから、実存的不安なるものは存在しない。したがってこう結論されてくる。医学的認識と医学的治療とが〈存在への勇気〉〔生きる勇気〕をもたらす方法であり、医療こそ唯一の癒しの方法である、と。──こういう極端な立場をとる医者や精神治療家の数は最近少なくなりつつあるが、理論的にいえばこの立場は依然重要なものである。
しかしこうした立場は重要な問題意識に欠けている。それは人間本性に潜在する病理、すなわち誕生を原初とする病理である。その神学的治療の典型は「原罪」に他ならない。シオランが原罪なくしてこの悲惨な人間的実存を受けいれることはできまいとしたように、不条理の意味を説明してくれる原罪とは、医学的方途には到達しえない治癒の能力が秘めている。
不安が本質的に病的なものであると主張する精神医学者も、人間本性のなかに病気の潜在可能性があることを否定することはできないのであって、彼といえどもすべての人間存在における有限性とか懐疑とか罪責とかの事実に対して説明を与えねばならないのである。彼は、さきに述べたような前提から、この不安の普遍性を説明せねばならないのである。人間本性に関する問いを避けることはできないのである。なぜなら、彼はその医学的職務の遂行において、どうしても病気と健康との区別を与えることを避けることはできないのであり、また実存的不安と病的不安との区別を与えることを避けることができないからである。(...)神学者や牧師たちは(...)病的不安を肉体的病気のように見ることを好まない。つまりそれを医学的治療の対象として見ることを好まないのである。
そしてこの神学、そして哲学と医学の総合とティリッヒがするのこそ、「カウンセリング」なのである。
この必然性が、一般的にいって医学における指導的学者たちをして、特に精神治療家たちをして、ますます哲学者や神学者たちとの協力を求めるに至らしめた理由なのである。このような協力によって、いわゆる「カウンセリング」なるものが発達してきた。これは両者の総合である。すべて総合なるものは、それが企てられる場合、危険をともなうものであるが、しかもなお将来にとって有意義なものなのである。医学は、その理論的課題の遂行のために、人間論を必要としている。そしてその人間論とは、人間をその中心的対象とする諸学との不断の協力なしには確立しえないものなのである。医療の目的は、人間の実存的な諸問題のうちのあるもの、つまりふつう病気と呼ばれているものに関して、人間を援助することである。しかしそのことは、人間としての人間を助けることをその目的としたところの他のあらゆる職務との不断の協力なしには達成できないものなのである。人間をどう捉えるかということも、人間をどう助けるかということも、あらゆる観点からの協力によってなされる事柄なのである。こういった方法においてのみ、人間の存在の力、その本質的な自己肯定、その〈存在への勇気〉〔生きる勇気〕を理解し、また実現することが可能となるのである。
1955 エーリッヒ・フロム『正気の社会』書評
フロムは、人間の教理を私たちに提示する。そこには、新旧の実存主義者たちの思想と同じく古典的なキリスト教教理も含まれている。「自分の実存を、解決が必要な問題としてうけとる動物は、人間だけである」。...「人間の祝福である理性は、同時に呪詛でもある」。...「人間は、自然からこぼれ落ち、しかも自然の中に存在しているのだ。人間は半ば神であり半ば動物であり、半ば無限であり、半ば有限である」。「規範的人間主義」に基づいた「人間主義的な精神分析」は、このような人間の状況の理解を主要な鍵として用いる。人間のすべての必要、衝突、病気、成就の可能性はこうした人間実存の状況に根差している。宗教は、人間の置かれている状況の問題に答えを与える試みである。この定義の意味において、すべての文化は宗教的である。この点について、神学者として、また存在論者として、私はフロムの人間論に賛意を表せざるを得ない。
1957『組織神学』第二巻
宇宙的治療、全的治療
実存への服従の諸象徴と実存に対する勝利の諸象徴とによって表現されるキリストとしてのイエスの普遍的意義は、また、「救済」の話によって表現されることもできる。かれ自身は教済者、仲保者、救世主などと呼ばれる。これらの語は、それぞれ、意味論的な、また神学的な明瞭化を必要とする。
「救済」の語には、救済を必要とする否定的状態の数と同じだけ多くの合意がある。しかし究極的な否定性からの数済と、究極的な否定性に至らせるものからの救済とを区別することができる。究極的な否定性は、呪詛ないし永遠の死、自己存在の内的テロスの喪失、神の国の普遍的一体性からの締め出し、永遠の生命からの排床などと呼ばれる。「救済」とか「数われる」などの語が用いられる大多数の場合には、この究極的否定性からの救済が意味される。救済の問題の恐るべき重みは、救済概念のこの意味における理解から来る。それは「あるべきか、あるべきでないか」〔「存在か非存在か」〕の問題となる。究極的目的−永遠の生−が得られ・また失われるさまざまの仕方が、狭義の「救済」の意味を規定する。初期ギリシア教会においては、人の求めたものは死と過誤からの救済であった。ローマ・カトリック教会においては、救済は、この生と次の生(煉獄と地獄)における罪過とその諸結果からの救済である。古典的プロテスタント主義においては、救済は、律法と、それの不安を駆りたてる呪いの力からの救済である。敬虔派と信仰復興運動においては、救済は、回心と回心者の生の変化とによる不信仰状態の克服である。禁欲的・自由主義的プロテスタント主義においては、救済は、個々の罪の克服と道徳的完全性への進歩である。究極的意味における〔永遠の]生か死かの問題は、前記の諸集団においては(いわゆる神学的人本主義のある種の形態においてのほかは)消滅してはいないが、背後に退いている。
救済(Salvus [健康な、癒された])の本来の意味から言っても、またわれわれの現状から言っても、教済を「治療」と解することが適切である。これは実存の主要性格としての疎外状態に対応する。この意味で、治療は疎外したものを再結合すること、分裂したものに中心を与えること、神と人、人と世界、人と人自身、の分裂を克服することを意味する。この救済の解釈から「新しき存在」の概念が生じたのである。救済は旧い存在からの回復であり、新しき存在への変化である。この救済の理解は前の諸時代に強調された救済の諸要素を含み、特に自己の実存の究極的意味の充実を含むが、しかしそれを salyus(健康)にする、「癒す」、という特別の角度から見るのである。
救済は全的であるか、あるいは全く存在しないかのどちらかであるとの見解である。この見解によれば、全的救済とは究極的祝福状態に入れられることと同一であり、恒常的苦痛・永遠的死に至らせる全的呪証の反対である。それでもしこの意味での永遠の生命への救済がキリストとしてのイエスとの出会いおよびその救済力の受容からくるのであるならば、人類の極めて少数のもののほかは救済に達することができないことになる。それ以外の大多数のものは、神の定めによるか、アダムの堕落のために負わされた運命によるか、あるいは、かれら自身の罪過によって、呪詛されて永遠の生命から締め出されることになる。神学的普遍主義は常にこのような不条理な魔的観念を回避しようとしたが、しかし、ひとたび救済か呪詛かの絶対的二者択一が前提されると、その回避はすこぶる困難である。救済が歴史全体における新しき存在の治癒力・救済力と解される場合にのみ、問題は別個の水準に移される。ある程度は万人が新しき存在の治癒力に関与している。そうでなければ、かれらは存在性を持たないであろう。また疎外の自己破壊的諸結果がかれらを被壊し去るであろう。しかし、また、いかなる人も、キリストとしてのイエスに現われた治癒力に出会った人々でさえも、全的に治癒されてはいない。ここで救済概念はわれわれを終末観的象徴とその解釈へと追いやる。それはわれわれを宇宙的治癒の象徴へと導き、未来的観点よりする時間的なものの永遠的なものへの関係の問題へと追いる。
では、〔歴史のどこにでも現われている救済力に比して]キリストとしてのイエスにおける新しき存在による治癒〔救済〕の特殊的性格は何であるか。かれが救済者として受容される場合、かれによる救済は何を意味するか。答えは、かれを離れてはいかなる救済力もないということではなく、かれがあらゆる治癒過程・救済過程の究極的基準であるということである。われわれは前に、かれに出会った人々でさえただ断片的に癒されているのみであると言った。しかし今われわれは、かれにおける治癒の性質[治癒力]は完全で無制限であると言わなければならない。キリスト者は救済に関してどこまでも相対性の状態にあるが、キリストにおける新しき存在は、その性質と治癒力においてすべての相対性を越えている。かれをしてキリストたらしめるものは、まさにこれである。したがって、人類のいかなるところにある救済力も、キリストとしてのイエスの救済力によって判定されなければならない。
1958『精神分析、実存主義、神学』
本書の主題
私は、拡大してしまった溝を埋めたいと思う。それは、精神分析との関連における実存主義の扱いである。私は、この国で第二次世界大戦後の数年間に受け取られたのよりも、もっと広い意味で実存主義を受け取る。当時、実存主義はサルトルの哲学と同一のものとされていた。しかし実存主義はもっと大きな思想運動であり、多くの先達者がいるのである。それは早くも一七世紀初頭と一九世紀に決定的な形で現れ、二〇世紀には生の全ての領域の偉大な創造物のほとんど全てに組み入れられている。もしあなた方が実存主義をこのような広い意味で理解するなら、それは実存主義と精神分析との間の関係を極めて明確に指し示している。私が神学と精神療法の関係について主張したいことの根本は精神療法は根本的には二十世紀の実存主義の全運動に属するものであり、その運動の一部として、精神療法の神学に対する関係は、実存主義一般が神学に対して持つ関係と同じように理解されなければならない、という事である。(...)私は、この偉大な思想運動が二○世紀を性格づけていると私が信じているということを示したいのである。
反主意主義的人間本性論としての実存主義と精神分析
そこで「実存主義という一般と、精神分析という特殊との共通の根についての歴史的見解」を示す。そのうえで挙げられるは、その人間本性論における反主意主義的系譜である。
その共通の根は近代の産業社会における意志の哲学の増大する力に対する抗議である、と言い得るであろう。意志の哲学と、それに対する抗議との間の衝突は、無論現代の工業社会よりも古くからあるものである。それは、知性の優位を主張するトマス・アクィナスと、非合理的な意志の優位を主張するドゥンス・スコトゥスとの間の、一三世紀における有名な論争においてすでに現れている。両者とも神学者であったのであり、私が彼らに言及するのは、主として、神学から哲学的問題と心理学的問題を排除しようとする神学的立場がいかに擁護出来ないものであるかを示すためである。人間の本性だけでなく神と世界の本性に対しても向けられている、これら二つの基本的な態度の間の闘争はそれ以来ずっと続いているのである。ルネサンス期には、例えばロッテルダムのエラスムスのようなタイプのヒューマニストあるいはガリレオのようなタイプの科学者のような意識の哲学者たちがいたが、しかし彼らに対して、例えばパラケルススのような、医療哲学の領域において、医学の解剖学的機械化と、肉体と心の分離に反対して戦ったような人がおり、あるいはヤコブ・ベーメのような、特に神的生それ自体の根底における、そしてそれゆえすべての生の根底における無意識の要素に関する神話的な記述によって、後代に大きな影響を与えた人がいる。私たちは同様の衝突を宗教改革においても見ることが出来る。一方にはメランヒトンやツヴィングリやカルヴァンのような宗教改革者における意識の勝利がある。彼らはみんな、エラスムスのようなタイプのヒューマニストに依存している。しかし他方、非合理的な意志はルターによって強調されたのであり、ヤコブ・ベーメは多くを彼に依存していたのである。産業社会の歴史は、その終わりを私たちは経験しつつあるのであるが、無意識あるいは非合理的意志の哲学に対する意識の哲学の勝利を表している。意識の哲学の完全な勝利を表す象徴的な名前は、ルネ・デカルトである。そしてこの勝利は、宗教においてさえ完全なものとなったが、それは、プロテスタント神学が、一方において純粋意識、他方において肉体と呼ばれる機械的プロセスとしての人間という、デカルト的な強調の同調者となった時であった。ルター主義において、初期のルターの非合理的意志に関する理解を凌駕したのは、特に人間の意識の認識的な面であった。カルヴァンにおいて支配的であったのは道徳的意識、つまり意識の道徳的な自己コントロールの中心であった。この国には、カルヴァン主義およびそれに類した見解に主として基づいている、道徳主義的で抑圧的なタイプのプロテスタンティズムがあるが、それは近代プロテスタンティズムにおける意識の哲学の完全な勝利の結果である。しかしこの豚利にも拘わらず、抗議は沈黙させられることはなかったのである。
ここでまず重要なのは、こうした系譜をティリッヒが主意主義対主知主義の二元論的構図で論じていないことにある。すなわちこれはフロイトによって完成された「抗議」以上でも以下でもない。彼が論じる共通の根とはまさに、反主意主義的系譜なのである。
一七世紀におけるパスカルは、デカルトに意識的に対立した。彼の哲学は最初の実存主義的な人間状況の分析であり、後の実存主義者あるいは非実存主義者たちに非常に似た仕方で人間状況を記述した。すなわち、不安、有限性、疑い、、無意味性、ニュートン的な原子と天体が機械的な法則に則って動いている世界、などの言葉で記述したのである。私たちが多くの発言から知るように、人間は中心から外され、中心としての地球を奪われ、この機械化された宇宙で完全に迷子になり、不安と無意味性の中に置かれたのである。一八世紀には例えばハーマンのような別の人々がいる。彼はドイツ以外ではほとんど知られていないが、多くの実存主義的な考えを予見した、一種の預言者的精神の持ち主であった。しかし、最もラディカルな抗議は、ヘーゲルの哲学において意識の哲学が頂点に達した時にやって来た。この、勝利を収めた意識の哲学に対してシェリングが現れ、キルケゴールを初め多くの人たちに実存主義の基本概念を提供したのである。そして、ショーペンハウアーの非合理的意志、ハルトマンの無意識の哲学、後の深層心理学的探求の結果のほとんどを予兆していたニーチェの分析が後に続いた。抗議は、キルケゴールとマルクスの、有限性と疎外と主体性の喪失の中にある人間の境に関する記述にも表れた。そして、ドストエフスキーの中に、私たちは人間の中にあるデーモン的な潜在意識の記述を見出す。私たちはそれを、ランボーやボードレールのようなタイプのフランスの詩人たちの中にも見出す。これは、二○世紀において後続するものの根底を備えたのである。これらの人たちの中において存在論的直観あるいは神学的分析であったものの全ては、今やフロイトを通して方法論的、科学的説明がされるようになった。フロイトは、無意識の発見によって、ずっと以前から知られており、何十年もの間、否、何世紀もの間、勝利を得た意識の哲学と戦うために用いられてきたものを再発見したのである。フロイトがなしたことは、これら全ての抗議に科学的、方法論的土台を提供したことである。彼の中に、意識の哲学に対する古くからの抗議があることを私たちは見なければならない。特にハイデッガーやサルトルといった人たちにおいて、また二〇世紀のすべての文学や芸術の中で、実存主義的な視点は自覚されるようになった。今やそれは抗議の抑圧された要素としてだけではなく、意識的に、また直接的に表現されるようになったのである。
そしてここで重要なる契機が再び示された。それは共通の根に対する歴史が、人間本性論に位置づけられることに他ならない。すなわち実存の有す反主意主義的性格こそ、実存主義と精神分析が共通の根を有する歴史的領野なのである。換言するならば「実存主義や、特に精神分析、そしてすべての無意識の哲学は、人格の全体性を再発見した」のである。それは神学的には「意識と決断とを決定するデーモン的な構造」であり、まさに「天上の神々を動かしえずんば、冥界を動かさむ」である。まさにその意味で「深層心理学を哲学から切り離すことが不可能である」とし、「究極的に心理学的表象としてのキリストの問題へと導かれていった」と謳ったユングが如く「両方とも神学から切り離すことが出来ない」と論ずるのである。
この短い概観は、深層心理学を哲学から切り離すことが不可能であることを示し、またこれらの両方とも神学から切り離すことが出来ないことを示している。(...)根本的な点は、実存主義と深層心理学の両方とも、人間の実存的窮境-時間と空間の中にある、そして有限性と疎外の中にある-の記述に関心を払っているということである。それは人間の本質的本性と対照的なものである。なぜなら、もし人間の本質的本性に対して人間の実存的窮境を語るなら、何らかの仕方で人間の本質的本性という理念を前提する必要があるからである。しかしそれは、すべての実存主義文学が目指している目的ではない。そうではなく、実存主義と深層心理学との両者の焦点は、人間の疎外された実存、そしてこの疎外の特徴と兆候、時間と空間の中における実存の状態なのである。「療法的心理学」という用語は明白に、そこに規範とは矛盾し癒される必要がある何かが存在しているということを示している。それは、病気-精神的、肉体的、そして心身の-と人間の窮境との間には関係があるということを示しているのである。すべての実存主義的な主張は健康と病気との境界線を扱っており、一つの問いを問うている、ということもまた明らかである-それをこのようにまとめることが出来るであろう-存在は、いかにして、心身的な病気を生み出すような構造を持つことが可能なのであろうか?実存主義は、こうした問いに答えるために、無意味性のあり得る経験、絶えることのない孤独の経験、広く広がっている空虚感の感覚などを指し示す。実存主義はそれらを有限性から、そして有限性の自覚である不安から引き出すのであり、それらのものを自分自身からの疎外、世界からの疎外から引き出す。それは、自由の可能性と危険性とを、また、あらゆる面における非存在の脅威を指し示す。これら全ては人間の実存的境の特徴であり、そこにおいて深層心理学と実存主義は一致する。
ただし、勿論それは以下に表現されるように「両者の間には根本的な違いが存在する」。実存主義は主として「人間の普遍的な実存的状況」、すなわち生一般を分析するのであり、深層心理学は主として「道を指し示す」、すなわち治療の開発が目的なのである。
哲学としての実存主義は、健康な人であれ病気の人であれ、すべての人に普遍的な人間状況について語る。深層心理学は、人々が神経症に逃げ込んだり精神病へと陥ることによって状況から逃れようとする道を指し示す。一方に有限性と疎外に基づく人間の普遍的な実存的状況があり、他方に、心の砦に逃げ込むことによってその状況と不安から逃避しようとする試みであると考えられる、人間の心身的な病気があるのであり、この両者をはっきりと区別することは、実存主義文学においては、小説や詩や劇だけでなく哲学においてさえ、困難である。今や私たちはよりよく、またより豊かな土台をもって、神学の深層心理学に対する関係、また実存主義に対する関係へとアプローチすることが出来る。
神学的フロイト像:実存の探究者
ティリッヒは「実存主義と深層心理学の両方とも、人間の実存的窮境-時間と空間の中にある、そして有限性と疎外の中にある-の記述に関心を払っているということである。(...)実存主義と深層心理学との両者の焦点は、人間の疎外された実存、そしてこの疎外の特徴と兆候、時間と空間の中における実存の状態なのである」としたが、果たして本当にそうであるのか。確かにキルケゴール、ニーチェ、ハイデガー、サルトルと継承された実存主義が実存的窮境を扱っていることはわかるがしかし、フロイトも同一の対象を研究していたと、真に言えるのだろうか。それを明らかにするために、ティリッヒはある構造を採用する。なぜならキリスト教において「実存的窮境」とは幾千年と議論され続けた主題そのものであり、したがって、こうした実存主義と精神分析が探求した「実存的窮境」を貫く普遍の三段階構造があるからだ。それは第一に本質的善性、第二に普遍的堕罪、第三に救済可能性である。
キリスト教の伝統には、三つの根本的な概念がある。第一は、Esse qua esse bomim estである。このラテン語の慣用句は、キリスト教の基礎的な教義である。それは「存在としての存在は善である」という意味であり、あるいは聖書の神話的形式で言うならこうである−神はお造りになったすべてのものを御覧になった、見よ、それは極めて良かった。第二の主張は、普遍的堕罪である−堕罪は、この本質的善性から、実存的疎外への自身からの移行を意味する。それは、すべての生ける存在において、いつでも起こっていることである。そして第三は、救いの可能性である。この点に関して、私はあなた方に思い起こしていただきたいことがある。救い(salvation)はギリシャ語の saluos あるいは sals から来た言葉であり、それは分裂に対する「癒された」あるいは「完全である」を意味する。人間本性に関するこれら三つの考察は、すべての真正の神学的思索の中に現れている。本質的善、実存的疎外、そして本質と実存を越えた「第三のもの」の可能性である。それを通して裂け目は克服され、癒しが起こるのである。さて、哲学的な用語では、このことは、人間の本質的本性と実存的本性は人間の目的論的(teleological)本性を指し示していることを意味する(この語はtelos すなわち目標を意味する言葉から来たものであり、人間の生はそれのために、またそれに向かって動かされていくのである)。
しかし、これが果たして如何にフロイトに関係するのか。それを指摘するべくティリッヒはフロイトのリビドー理論を概略する。その結論を先に示すならばフロイトが分析したリビドーとは普遍的堕罪、すなわち神学的第二段階、疎外された実存に限る現象と力学なのである。
彼によると、人間は無限のリビドーを持っており、それは決して満たされ得ず、それゆえ自分自身を抹殺しようとする欲望を生み出すのである。その欲望を彼は死の本能と呼んだ。そして、これは個人についてのみ真実なのではなく、文化全体に対する人間の関係についても真実なのである。文化に対する彼の失望は、実存的に歪められた存在としての人間に対して、極めて首尾一貫した否定的な判断をしていたことを示している。もし、実存の観点からだけ人間を見て本質の観点から見ないならば、また、疎外の観点からだけ見て本質的善性の観点から見ないならば、この結論は避けられない。そしてそれは、この点についてはフロイトについて真実であるこのことを、極めて古くからある、古典的な概念である食欲という神学的概念によって明らかにさせて欲しい。この概念はキリスト教神学において、フロイトによってリビドーが用いられているのとまったく同じ仕方で用いられているが、しかしそれは実存の状況下にある人間に用いられているのである。それは、いかなる所与の満足をも越えて際限なく努力することであり、与えられている満足を越えた満足を引き出そうとすることである。しかし、神学的教理によれば、本質的善性における人間は食欲あるいは無限のリビドーの状態にあるのではなく、はっきりした特定の主題や内容、あるいは誰かに対して向けられている。それが何であろうと、人間はそれに愛、エロース、あるいはアガペーで結びつけられているのである。もしそうであるなら、状況はまったく異なる。リビドーを持つことがあるとしても、満たされたリビドーは真の成就であり、それを越えて際限なく駆り立てられることはないのである。このことは、フロイトによるリビドーの記述は、神学的には、実存的な自己疎外にある人間の記述として見られるべきであることを意味している。
第一段階を知るもの、また第一段階への回帰としての第三段階。楽園、失楽園、楽園回帰の普遍性を知るものはフロイトのリビドーは失楽園における現象に過ぎないことがわかるだろう。堕罪以前のアダムとイヴを満たす「愛、エロース、あるいはアガペー」、また「本質的善、実存的疎外、そして本質と実存を越えた「第三のもの」」すなわち救済、「それを通して裂け目は克服され、癒しが起こる」ならば、裂け目から噴出するリビドーも効力を失くす。しかし、それは不完全あったにせよ、堕罪としての失楽園という人類の現在におけるフロイトの分析は素晴らしいものであった。その意味で「神学的に言うと、フロイトは人間の本性をすべての彼の追従者よりもよく見ていたと私は考えるのである」。そして「追従者たちは、フロイトの実存主義的要素を失う(...)見方へと向かっていったのである」。よって「現代の深層心理学の代表者において、フロイトの深さが失われているのは残念である」。
こうして神学的に忘れられていたこと、すなわち罪或いは失楽園が、本来的に満たされない実存のリビドー的疎外を意味していることをフロイトらは再発見したのである。
「罪」という言葉の意味の再発見(...)それは、単数形の罪(sin)と諸々の罪(sins)との同一視によって完全に理解不可能なものとなってしまっている。さらに、諸々の罪を慣習に反したり是認されなかったりするいくつかの行為と同一視し、それを単数形の罪と呼ぶことによっても、理解不可能なものとなってしまっている。罪は、それとはまったく異なるものである。それは普遍的で悲劇的な疎外であり、すべての人間における自由と運命に基づくものであり、決して複数形で用いられてはならないものなのである。罪は自身の本質的存在からの分離であり疎外である。これがその意味することであり、もしこのことが深層心理学の働きの成果であるなら、それが深層心理学と実存主義が神学に提供した贈り物であることは言うまでもない。
また、であるからして彼らは第三段階に至ることが叶わない、その不完全性も理解せねばならない。それは同時に神なき現代で、キリスト教が負うべき使命とも呼べるものなのである。
その他の精神分析家たちは、人間の状況を、矯正したり改善したりすることが可能なもの、ただの弱さとして描写してきた。(...)彼らは自身の方法を用いて、実存的否定性、不安、疎外、無意味性、罪を克服しょうと試みる。彼らは、それらが普遍的であり、その意味で実存的なものであることを否定する。彼らは、すべての不安、すべての罪費、すべての空虚感を、病気と呼び、病気が克服され得るのと同じく克服できるものと考え、それらを取り除こうとする。しかしそれは不可能である。実存的構造は、最も洗練された技術によっても癒され得ない。それらは救いの対象なのである。分析家は、すべての友人、親、子供が救いの道具となることが出来るのと同じように、救いの道具となることが出来る。しかし、分析家としては、彼はその医療的手段を用いて救いをもたらすことは出来ない。なぜなら、救いは人格の中心を癒すことが必要だからである。
1960『神学に対する心理療法の影響』
1961『健康の意味』
われわれの時代の言葉を用いていえば、健康と病気とは実存主義的概念であるといえる。この二概念は、たといそれが人間の本質的性質とそれについての知識を前提にしているにしても、何が人間の本質的性質を成しているかを把握するものではなく、むしろわれわれの思考のなかに一つの新しい要素、すなわち人間の本質的性質の可能的・現実的ひずみを導入する。医学は神学と同様、その学問において本質論的思考と実存論的思考とを統一している。したがってこの五十年間において、精神療法(特にその精神分析的仕事において)と実存主義とは互いに影響しあって豊かな実りを結んでいる。この緊密な関係は今日実存主義的精神療法において確証され、またその体系的表現を得ている。
人間イエスを象徴的に救い主(治癒者)としていいあらわすことができたという事実は、宗教的治癒と医学上の治感とが根本では一つであることを示す。救済を治癒として理解するならば、医学と神学とのあいだに衝突はなく、内的結びつきがある。ただこの結びつきを忘れてしまい、救済を人間が天上のある場所へ場されることだとみなす神学だけが医学と矛盾しうる。また生理学的次完にとっての非生理学的次元の意味を否定する医学のみが、神学との矛盾に陥りうる。しかし諸次元の区別もその相互的費通も理解されるならば、神学と医学(治療の教説と治療の知識)とのあいだの矛盾は止場され、治療を職務とするあらゆる人びとの共働が可能になる。健康は何であるかは、これをその反対の、病気と対照させるときにのみ認識されうる。しかしこれは単に認識方法だけの事柄ではない。健康は、病気の原理的可能性と実存的現実性がなければ、現実的ではない。健康は克服された病気である。これは肯定的なものがすべて否定的なものの克服を通してのみ肯定的であるのと同様である。この点に医学の深い神学的意味が存するのである。
1963『組織神学』第三巻
多元的生と霊的治療の関係式
すべての次元における生の過程は自己同一性と自己変革とを結合している。もしこれら二つの極の一方が生の平衡を破るほどに優勢であるときは、崩壊が起こる。この均衡の破れを病気と言い、その究極の結果は死である。有機的過程における癒しの諸力は、それが有機体の内部にあろうと外部で起ころうと、これら両極の一方の優勢を破り、他の極の影響力を回復しようと試みる。それらの諸勢力は中心性をもった生の自己統一のために、すなわち、健康のために働く。病気は生のあらゆる領域における中心性の破壊であるゆえに、健康のため、癒しのための衝動もまたあらゆる次元において起こらなければならない。病に至る崩壊の過程は多くあり、癒し、すなわち、再統一の仕方は多くあるゆえに、崩壊の過程と癒しの仕方に従って、多くの種類の治療者がある。(...)生の多次元的統一は健康、病気、癒しの領域においてもっとも顕著である。これらの現象のひとつひとつは、多次元的統一の概念において記述されなければならない。生のすべての次元はそのひとつひとつに含蓄されている。健康も病気も全人格の状態である。それらは、今日の専門用語が不十分ながら示しているように、「心身的」(psychosomatic)である。治療は全人格へと向けられなければならない。しかし、このような命題は、現実の本当の姿を示すためには、思い切った限定づけを必要とする。人間存在を構成する諸種の次元は、結合されているのみならず、個別なものであって、相対的な独立を保ちながら、影響を受けたり、反応したりすることができる。確かに諸種の次元の動態においては、絶対的な独立もなければ、絶対的な依存もない。からだの小さな部分の傷(たとえば傷ついた指)は、常に全体としての人格の生物学的・心理学的動態に或る種の衝迫を与えるが、それは全人格を病気にはしないし、治療もまた限られている(たとえば手術のように)。統一と独立が優勢である程度に従って、もっとも適切な治療の種類が決定される。それはなかんずくどれだけ多くの種類の治療法が同時に用いらるべきか、また、人格全体の健康のためには、限定された病気を全く治療しようとしない方がよくはないかどうか(たとえば或る種の強迫観念のような場合)を決定する。
「生の多元的」性質を訴えるティリッヒは「人間存在を構成する諸種の次元は、結合されているのみならず、個別なものであって、相対的な独立を保ちながら、影響を受けたり、反応したりすることができる」という。そしてそれら次元はそれぞれ病み、癒される。たとえば「からだの小さな部分の傷(たとえば傷ついた指)は、常に全体としての人格の生物学的・心理学的動態に或る種の衝迫を与えるが、それは全人格を病気にはしないし、治療もまた限られている(たとえば手術のように)」。ゆえに各次元毎に「病に至る崩壊の過程は多くあり、癒し、すなわち、再統一の仕方は多くある」。したがって各次元に対して「多くの種類の治療者がある」というのだ。そうしたなかで本節でティリッヒがフォーカスを当てるのは「霊的癒し」である。
われわれの文脈における問いは、霊的癒しというものが存在するかどうか。もし存在するとするならば、それは他の癒しの仕方とどう関わっているのか。更には、それは宗教的用語において「救い」(salvation)と呼ばれている種類の癒しとどう関わり合っているのかということである。
そこで霊的癒しの機能を以下のように論述する。第二巻から引用するならば霊的「治療は疎外したものを再結合すること、分裂したものに中心を与えること、神と人、人と世界、人と人自身、の分裂を克服することを意味する」。したがってそれは宇宙的治療であり、全にして一となる。
人格的中心の統一はそれを象徴的に神的中心と呼ばれ得るものにまで高めることによってのみ可能であり、そのことは神の能力、すなわち、霊的現臨の衝迫によってのみ可能であるということである。この点においては健康と救いは同一である。両者共に人間を神的生の超越的一致にまで高めることである。この経験における人間の受容する機能が信仰であり、実現する機能が愛である。言葉の究極的意味における健康は救いと同一であり、信仰と愛における生である。
ただ重要であるのは、それは宇宙的治療であるが、生の多元的統一のすべてを治療可能な存在ではない。たとえばそれは自然科学的医学に替わるものではないし、逆に自然科学的医学は霊的治療を代替しえない。したがって一方が他方を排除してはならない。
しかし、明確ではあるけれども、それは全体的ではなく、断片的である。(...)今や問題は霊によって創造された、断片的ではあるけれども、明確な健康がいかにしてもろもろの次元における癒しの働きに関係づけられているかということである。最初の答えは両面から否定的である。霊的現臨の衝迫は生の諸次元の療法に取って替わるものではないということである。反対に、これらの療法も霊的現臨の癒しの衝迫に取って替わることはできない。(...)病気が起こる諸種の次元はそれぞれに、また人格に対する霊の衝迫からも、相対的な独立を保っていて、比較的独立した治療法を要求する。われわれの問いに対する他の答えもまた同様に重要であって、それは他の療法は霊の治癒能力に取って替わることはできないということである。医療の機能と祭司的機能とが完全に分離していた時代には、これは重要な問題ではなかった。特に医学的治療が絶対的妥当性を主張し、心理療法の独立への努力さえも認めなかった時代には、そうであった。この状況では、救いは癒しとは何の関係もなかった。それは来世における地獄からの救いであって、医療職は喜んでそれを祭司に任せた。しかし、精神病が魔神的憑依からくるものではなくなり、またそれとは対照的に、生理的に観察し得る原因からくるものでもなくなった時、状況は変化した。心理療法が独立した療法として発達すると共に、医療と宗教の二つの方向に問題が起こった。今日では、心理療法は(心理学的療法のすべての学派を含めて)しばしば医学的療法と霊的現臨の治癒的機能とを共に排除しようと努める。(...)生の多次元的統一は治療の多次元的統一と相関している。誰も独りですべての療法を権威をもって実施することはできない。或る人々は一つ以上の療法を用いることができるかも知れないが。しかし、異なった機能の結合、たとえば、一人の人における祭司的機能と医療的機能の結合ということはあり得ても、それぞれの機能は区別されなければならないし、他と混同されたり、他によって排除されてはならない。