アドルノ
1961/62『音楽社会学序説』
1963『不協和音』
ランボーより
奴隷たちよ、生を呪ってはならない
ベンヤミンのカフカ論を読んだアドルノは、オドラデクのうちに「有機的なものと無機的なものの境界を取り払い、 宥和させる」というモティーフ、あるいはさらに「超越する」というモティーフを見出すべきではないかと言ってい る。
&ホルクハイマー
『啓蒙の弁証法』『『啓蒙の弁証法』を読む』を参考に
序文
大まかに言えば、第一論文の批判的部分は次の二つのテーゼに要約されよう。(一)すでに神話が啓蒙である。(二)啓蒙は神話に退化する。
第一部
「脱呪術化」の弁証法
古来、進歩思想という、もっとも広い意味での啓蒙が追求してきた目標は、人間から恐怖を除き、人間を支配者の地位につけるということであった。しかるに、あます所なく啓蒙された地表は、今、勝ち誇った凶徴に輝いている。啓蒙のプログラムは、世界を呪術から解放する事であった。神話を解体し、知識によって空想の権威を失墜させることにこそ、啓蒙の意図したことであった。
言語・芸術・宗教の可能性
『オデュッセイア』のアレゴリー解釈
『否定弁証法』
弁証法は、非同一なものの、首尾一貫した意味である。