フロム
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序文
序文を通じて本書の主題を次のように論ずる。
本書は近代人の性格構造についての、また心理的要因と社会的要因との交互作用という問題についての、広範囲な研究の一部である。(...)ところが現代の政治的発展が、近代文化のもっとも偉大な業績-個性と人格の独自性-にとって危険なものとなっているのをみて、私は大規模な研究の続行を中断し、現代の文化的社会的危機に対して決定的な意味をもつ一つの側面、すなわち近代人にとっての自由の意味ということに集中しようと決心した。(...)自由の意味は近代人の性格構造全体の分析をもって、はじめて十分に理解できる(....)心理学者は必要な完全性を犠牲にしても、現代の危機を理解するうえに役立つようなことがらを、すぐさま提供しなければならない
第一章
自由への闘争、そして自由からの逃走
近代ヨーロッパおよびアメリカの歴史は、ひとびとをしばりつけていた政治的・経済的・精神的な枷から、自由を獲得しようとする努力に集中されている。自由を求める戦いは、抑圧されたひとびとによって戦われた。かれらは守るべき特権をもっているものたちに対抗して、新しい自由を求めた。そしてある階級が支配からの自由を求めて自分自身のために戦ったとき、かれらは人間の自由そのもののために戦っているように信じこんでいた。(...)ある段階では抑圧に抗して戦った階級も、勝利を獲得し新しい特権を守らなければならないときがくると、自由の敵に味方した。いくたびか逆転しながらも、自由は勝利を重ねてきた。この戦いのうちに、多くのひとびとは死んだ。抑圧に抵抗する戦いに死ぬことは、自由なしに生きるよりもましだとかたく信じながら。このような死は、かれらの個性の最高の肯定であった。 だが第一次世界大戦期に勃興した「ファシズム国家」はそれを根底からつきくずした。「最初のうちは、多くのひとは、権威主義的組織の勝利の原因は少数者の狂気にあり、それゆえかれらの狂気は、やがて没落するにちがいないと考えて安心していた。また、なかにはおつにすまして、イタリア人やドイツ人たちはデモクラシーの訓練にまだ十分な年月を経ていないので、かれらが西欧のデモクラシーという政治的な成熟にまで到達するのを待ちさえすれば、それで大丈夫だと信ずるものもあった」のだ。だが現実は違った。
則「近代人の性格構造」が「ファシズム国家」と「自由からの逃走」を要請したのであり、だからこそデューイは「外国に全体主義国家が存在する」ことではなく、「われわれ自身の態度のなか」を重視するのだ。
性格構造の分析の基礎づけ
フロムは上記における性格構造を続けて分析するわけだが、その「分析は、フロイトのいくつかの基本的な発見-とくに、人間の性格のなかに働いている無意識的な力の働きと、それが外界の営業に依存しているということについての発見-にもとづいている」とする。「そこでわれわれの方法の一般的原理が、どんなものであるのか、また古典的なフロイトの概念とどのような点がおもにちがっているのかを、最初にのべたほうが、読書にとっては理解しやすいであろう」として次のように論ずる。
フロイトの理論における個人と社会との関係は本質的に性的である。個人は本来的に同一であり、社会が個人の自然的衝動に、より多くの圧力を加えたり(このばあい昇華がつよまる)、より多くの満足をあたえたり(このばあいは文化が犠牲にされる)するにつれて、個人は変化するだけである。
他方、フロムは社会を「たんに抑圧的な機能をもっているだけではなく-もちろんそれももっているが-創造的な機能ももっている」として、人類に「動的な適応」を及ぼすものとして扱う-この適応では「新しい衝動と新しい不安とが生まれる」。
個人と社会との関係は、一方に自然的な衝動をもつ個人があり、他方にその個人とは別の社会があって、それが個人の内在的な傾向を満足させたり、絶望させたりするというようなものではない。たしかに人間がだれしももっている、飢えとか渇きとか性とかいう欲求は存在する。しかし人間の性格の個人差をつくる、愛と憎しみ、権力にたいする欲望と服従への憧れ、官能的な喜びの享楽とその恐怖、といった種類の衝動は、すべえ社会過程の産物である。人間のもっとも美しい傾向は、もっともみにくい傾向と同じように、固定した生物学的な人間性の一部分ではなく、人間を造りだす社会過程の産物である。
フロイト流精神分析論が、資本主義を絶対視し、社会それ自体の変容可能性に目を向けないこと
マルクスの下部構造が上部構造を規定する具体的な分析がされていないこと
フロイトにおける自我の発達過程の理論をマルクスのイデオロギー分析に援用して、アポリアを同時に解決しよう
現代社会におけるファシズム構造を支える基盤となる諸個人の、権威や画一性にひたすら同調するマゾヒスティックな性格心理の分析可能性を拡張する
魂なき心理学とその復興を試みるフロイト
人間がもっとも大切にしてきた希望の実現に、今日ほど近づいた時代はかってなかった。今日の科学的諸発見や技術的諸発明は、食物を求めるすべての人たちに食卓が設けられ、人類が統一的共同体をつくって、もはや、ばらばらに生活することはないというような時代を間近に想像させる。このような人間の知的能力の展開のためには、すなわち人間ののび行く能力が、社会を組織したり、人間のもっているエネルギーを有意義に集中したりすることができるようになるためには、数千年もの歳月が必要であった。人間は、それ自身の法則と運命とをもつ新しい世界を創造した。人間は、自分の創造したものを眺めながら、それは実にみごとなものだ、ということもできる。しかし自分自身を見つめるとき、人間は何といいうるであろうか?人間は、人類のもう一つの夢であるところの人間の完成ということの実現に、より近づいたであろうか?すなわち隣人を愛し、正義を行ない、真実を語り、そして人間が可能性としてもっている神の似姿を実現する、という夢に?(...)現代人は、自分たちは幸福なのだという信念にしがみついている。われわれは自分の子供たちに、過去のあらゆる時代より現代は進歩しているのだ、最後にはどんな希望でも満たされるであろうし、われわれの到達しえないものは何もないのだ、と教えこむ。われわれはたえずこのような信念をたたきこまれ、そして、さまざまの現象は、これを裏づけるかのようである。しかしわれわれの子供たちは、どこへゆくべきか、何のために生きるべきか、を告げてくれる声を聞くであろうか?ともかくかれらは、すべての人と同じように、人生は意味を持たねばならぬと感じはする-だがそれはどんな意味なのか!かれらは、ありとあらゆる機会に出くわす矛盾と二枚舌と冷笑的なあきらめとの中にそれを見出すのであろうか?かれらは、幸福、真実、正義および献身の対象を切に求めている。われわれはかれらの切ない求めを満たしうるであろうか?われわれはかれらと同様に頼りないのである。われわれはそうした問いそのものを忘れてしまっているのだから、われわれはそれに答えるすべを知らない。われわれは自分たちの生活が堅固な基礎の上に立っているふりをし、われわれに常につきまとう心配や不安や混乱の瞬に、眼を閉じているのである。 ではこうした回帰へは宗教にあるのか。
ある人々にとっては宗教へ立ち帰ることが答えになるが、それは仰という積極的な行為としてではなく、堪え難い懐疑から逃避するために外ならない。そのような人たちは倉仰からではなく、安心を求めるところからとの決意をする。教会には関心がないが、人間の魂への関心は持っている現代社会の研究家は、このような段階を神経障害のもう一つの徴候であると考える。伝統的な宗教へ立ちもどることによって解決を見出そうと試みる人々は、宗教家たちによってしばしば提起される、次のような見解の影響を受けている。すなわち、われわれは宗教か、あるいは、本能的要求や物質的快楽の満足のみを求める生活かの、いずれかを選ぶべきであり、さらに、もし神をじないとすれば、魂やその欲求を言ずる理由も-また権利も-われわれはもたない、という見解である。あたかも、僧侶や牧師は魂の問題を扱う唯一の職業的集団であって、愛、真実、および正義という理想の、唯一の代弁者であるかのようである。
歴史的には必ずしもそうではない。エジプトのようなある文化の中では、僧侶は「魂の医者」であったが、一方ギリシャなどのような他の文化においては、そのような役目は、少なくとも部分的には哲学者がひきうけていた。ソクラテース、プラトーン、アリストテレースは、いささかなりとも啓示の名において語ろうとはせず、理性の権威によって、また人間の幸福と魂の展開の配慮とから語るべきことを主張した。かれらはもっとも重要な研究対象として人間を問題にしたと同時に、自分自身が目的であるような人間を問題にしたのである。哲学や倫理学に関するかれらの著作は、同時に心理学の研究でもあった。古代のこのような伝統は文芸復興までひきつがれた。「心理学」(Psychologia)という語を標題として用いた最初の書物が『人間の完成について』(Hoc est Perfectione Hominis)という副題をもっていたことは注目に値する。
しかしそうした心理学の根源的系譜、すなわち実存を与える「人間の完成」という主題は啓蒙期に忘れ去られたという。それこそ現代の自然科学的心理学、フランクルが批判する魂を欠いた心理学の成立である。
啓蒙期の合理主義は(...)新しい物質的繁栄と自然征服の成功とに酔って、人はもはや自分自身を人生における、また理論的探究における第一義的な問題であるとは考えなくなった。真理を発見したり、現象面を突き破って本質を探ったりするための手段である理性は放棄され、物と人間とを巧みに扱うための、たんなる道具としての知性がそれにとって代わった。理性の力が行為の規範と観念の妥当性とを築きうるのだということを、人は信じなくなってしまった。知的情緒的状況のこのような変化は、科学としての心理学の発展にとって大きな刺激となった。ニーチェやキェルケゴールのような例外的な人々がいるにはいたが、心理学が、人間の徳や幸福を問題とする魂の学であったという伝統は捨て去られた。アカデミックな心理学は、自然科学的方法および計量計数の実験室的方法にならって、あらゆる問題を扱ったが、魂の問題だけは除外した。それは、実験室で検査されうるような人間のある側面だけを理解しようと努め、良心、価値判断、善悪の認識といったことは、形而上学的概念であって心理学の問題とするところではない、と主張した。さらに、それは勝手にきめられた科学的方法なるものにうまく合うような、とるにたらない事柄を問題とし、人間にとって重要な問題の研究のための、新しい方法を考え出そうとはしなかった。心理学はかくして、その重要な対象である、魂を欠いた科学となった。それは機制(メカニズム)、反動形成、本能などを問題とし、とくにもっとも人間的な現象であるところの愛、理性、良心、価値というようなことがらを問題とはしなかった。魂(SouI)という語はそうした、より高い人間のさまざまの力をも連想させるので、わたしはことで、またとの書物を通じて、「プシュケー」(psyche)とか「ことろ」(mind)とかいう語ではなく、それを用いることとする。 こうして魂を失った心理学であるがしかし、これに治療を施し再び魂を再興させた心理学者がいる。それこそ彼が根ざす二十世紀心理学の権威、フロイトに他ならない。
次にフロイトがくる。かれは啓蒙期合理主義の最後の偉大なる代表者であり、その限界を示した最初の人である。かれは勇敢にも、単なる知性の凱歌を阻止しようとした。かれは、理性こそ人間のもっとも尊い、とくに人間らしい力であるが、しかもそれは情熱によって歪められること、そして、人間の情熱を理解することのみが理性を解放して、それを正しくはたらかしうることを示した。かれは人間理性の強さと弱さとを同時に示し、「真理は汝らに自由を得さすべし」をもって新しい治療法の指導原理としたのである。はじめフロイトは、自分がただある種の病気とその治療だけを問題にしているのだ、と考えていた。次第にかれは、自分が遥かに医学の領域を超えて、人間の魂の学としての心理学が、処世と幸福達成のための理論的基礎である、という伝統を取りもどしたことに気づいてきた。フロイトの方法すなわち精神分析は、もっとも細密で身近な、魂の研究を可能にした。分析家の「実験室」にはなんらこみ入った装置がない。かれは研究結果の計量計数をすることはできないが、夢や空想や連想によって、患者のもっている隠された願望や不安を洞察するのである。観察、推理および人間としての自己自身の経験だけを頼りとするかれの「実験室」において、彼は精神の疾患が道徳的問題と分離しては理解されえないことを、すなわち、患者の病気は魂の欲求をおろそかにしたためであることを見出す。分析家は神学者でも哲学者でもなく、したがって、そういう領域に対する権限を主張しもしないけれども、魂の医者として、かれは哲学や神学とまったく同じ問題に、すなわち人間の魂とその治療とに関心をもつのである。
神学と心理学が根ざす人間存在
そこではじめにフロムは宗教とはなにか、その諸相を暴くために宗教の立脚する人間の分析をはじめる。そしてフロムは序論にて「本書の内容は、倫理に関する心理学を問題にした、『人間における自由』(Man for Himself)に展開された思想につづくものであると了解されたい。倫理と宗教とは緊密に関連しあっており、したがって重複する部分もでてくる。しかし、『人間における自由』においては、重点はまったく倫理におかれたのに対して、本書では、宗教の問題に焦点をおこうとした」と論じたように、実存分析はすでに前傾書にして成したとし、引用から本章を始める。そしてそれは人間本性の二分性と、それを克服=調和しようと試みる運動である。
理性とは呪詛であった。自然との調和を瓦解させ、不均衡をつくりだす。そして理性を与えられてしまった「人間は、自然との調和を保っている人間以前の状態に帰ることはできない」(ルソー的)。こうして「楽園を、すなわち自然との和合を失ったので、人間は永遠のさすらい人になってしまった」(絶対的異邦性)。しかし、理性とは祝福でもある。なぜならばそうした人間の歴史とは「絶えまない、避けがたい、不均衡の状態」を「その種族の生活様式をただ繰り返すととによって「過ごされて行く」ものではない」。むしろ、「理性は終始人間を強いて、解決不可能の二分性を解決しようとする課題に向かわせる」。まさに「人間固有の世界を形成させる理性の存在にこそ、人間歴史の動力は存在する」のに他ならない。我々は禁断の果実によって与えられた理性でもって楽園から追われ、その理性に力をもってして楽園へ回帰しようと試みるのである。 まったく奇妙なことに、熱心な宗教人の関心と心理学者の関心とは、この点において同じである。(...)神経症を研究しながら、かれは自分が宗教を研究しているのだということを発見する。神経症と宗教との連関を見出したのはフロイトであった。かれは宗教を、人類の集合的小児期神経症(Collective childhood neurosis)と解釈したのであるが、しかしその解釈はまた裏返すとともできる。われわれは神経症を個人的な宗教形態であると解釈することができる。もっとはっきりいえば、神経症とは公に認められた宗教様式と抵触する、原始的宗教形態への退行であるということができるのである。
したがってフロイト的にいえば、エデンの園、還元するならば無垢の黄金期とは全人類に内在する。それはひとえに世界とその残酷さに対する、無垢なる小児期に他ならない。ゆえにあまねく人類はエデンの園にノスタルジーを抱く。それは失われ、戻ることのできない小児期へ馳せる想いそのものなのだ。この夢想こそ埋まることのない神経症の源泉なのであり、父〔=神〕の庇護下にありたいと縋る小児期的な心情に別れを告げ、ニーチェ的局面を個人的事件とすることを唱えることこそがフロイト的立場の根幹である。