もし人間が肉体をもたない、ただ知性だけの存在にすぎないのであれば、かれの目的は、一つの包括的な思想体系によって成就されもしよう。しかし、人間が精神と同時に身体をもった存在である限り、たんに思想においてのみではなく、その全生活の過程においても、そのさまざまの行動や感情においても、人は自らの存在の二分性に抗すべきである