ルソー
人間を社会化(rendre sociable)するのはその弱さだ。わたしたちの共通の惨めさ(nos miseres communes)こそが、わたしたちの心に人類愛ユマニテをもたらす。したがって、わたしたちを同胞に結びつけるのは、彼らの喜びよりも彼らの苦しみ(leurs peines)だ。(...)わたしたちに共通の必要は利益のためにわたしたちを一つにする(unir)が、共通の惨めさは愛情によってわたしたちを一つにする。 仲島陽一
第三章 救済の実現
『ボーモンへの手紙』でルソーが「どのようにして人間は善良であるのに、人々は邪悪になるのか、彼等がそうなることを防ぐためにはどうしなければならないのかを探求するためにこそ、私は自分の本〔『エミール』〕を献げたいのである」とするように、人間の邪悪性を善良に変革せんとする試みこそ「治療」という語で示唆する意味なのだ。 人間の救済のためには社会制度を変えなければならない。「変えなければならないのは、私たちの欲望よりも、それを生み出す状況である」と言うように、ルソーは救済を観念論的にでなく、物質的諸条件の第一義性に基づいて把握する。社会ははじめは「できた」のであって「つくられた」のではなかった。
そこで提示する手法論が一般意志の「共同体の再建」理念なわけだが、これらを以て如何なる救済を完遂するのか。ひいてはどういった状況下で救済を遂げたと言えるのか。そこで挙げるは「幸福」である。仲島はロバート・モージ(Robert Mauzi)のL'idée du bonheur dans la littérature et pensée française au XVIIIe siècleから引用し、この転回の意義を説く。 モージが言うように、一般的には宗教的でない「十八世紀においては、人が世界を非難するのは、もはや救済の名においてではなく、幸福の名においてである」。
来世を失効したフィロゾーフは、現世における救済のシステムとして「幸福」を提唱し、それこそが目的化したのである。