ストアの自殺のすすめとは、生の主となることができないでいる人びとに向けられたものでなく、むしろ生きることも死ぬことも知っておりかつ自由にその両者をえらびとることができるほどに自己の生の主となっている人びとに向けられたものなのである。恐れのゆえの逃避としての自殺は、ストア的な〈存在への勇気〉〔゠生きる勇気〕とは合致しないものである