アイン・ランド
ランドは、『水源』の第一の主題は「政治ではなく個人の魂における、個人主義と集産主義の対立」("individualism versus collectivism, not in politics but within a man's soul")であると述べている。ロークが法廷でアメリカにおける個人の権利の概念を擁護する演説を行う以外は、政治問題を直接論じることは回避されている。歴史家ジェイムズ・ベイカー(James Baker)が述べるように、「1930年代の作品であるにも関わらず、『水源』では経済にも政治にもほとんど言及されていない。第二次世界大戦中に執筆されたにもかかわらず、世界情勢への言及もない。この作品のテーマは一個人と体制の対立であり、それ以外の問題は排除されている」。
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ロークは有罪だ。彼の設計によるビルであったとしても社会の共有財産だ。自らの欲望は抑え我々の要求に譲歩すべきだったのだ。社会とは何か。我々自身だ。人は奉仕を求められている。社会の歯車であらねばならない。自己犠牲こそ現代に求められている。それを拒んだ男、ロークのような輩は葬られなければならない。
人間に大切なものを我々は学んでこなかった。自己犠牲こそ至上のものと言うが考えてみよう。真心を曲げられるだろうか。権利・自由・信念は捨てなくてはならないのか。人間に欠かせないもののはず。自己犠牲は誰に捧げるのか。自分をなくすことがあって良いはずがない。人間の根幹に関わることだろう。自己を見失わぬ者こそ尊敬されねばならない。ハワード・ロークに我々はそれを見る。
最後に自らの意思のもとに死を選んだゲイル・ワイナンド
ハワード・ロークの最終弁論
太古の昔にひとりの男が火を発見した。彼が火を燃やし明かりを教えることで、思いがけず地球上から暗闇が消えた。時代は移り、先見の明を持ち新たな道に第一歩を踏み出す者がいた。発明家、思想家、科学者たちが時代に立ち向かった。新しい思想は退けられ、偉大な発明も糾弾されたが、独創的な考えを持つ者は前に進んだ。闘い、苦しみ、代価を払ったが勝利した。それに刺激を受けない者はなかったが受け入れられなかった。単なる思いつきを実行するのが目的だったから、利用する者に考えが及ばなかった。利益をもたらさなかったのだ。創造に真理は欠かせない。社会の反対が立ちはだかろうと惑わされず前進しなくてはならない。信念を抱き誠実に頼れるのは本人だけだ。自分のためでもある。そこで初めて、人類に貢献する偉業が成し遂げられる。そうでなくてはならない。人間は心の動物である。何もまとわず誕生する頭脳だけを携えて、個性という心は頭脳だけが引出してくれる。信念を抱き行動しなくてはならない。思考は強制されては働かない。他人の意向に左右されてもいけない。犠牲の産物ではないのだ。自分で判断できるのが創造者である。人に寄生する者がいる。創造者は考え彼らはマネをする。他人が生み出したものを奪い取る。創造者の関心は自然の征服だが彼らは人間を征服しようとする。創造者は独立し縛られることを嫌う。評価は任意の判断に委ねるが権力を求めて人々をまとめたがる者がいる。彼らは人間を道具と思いがちだ。同じ考えと行動を強いて自己をなくした奴隷のようにと追い込む。歴史を見るがいい。我々が享受してるものはすべて個性の産物である。恐怖と抑圧は人々の思考を停止させようとして生まれた。個人の権利や野心を奪った。意志や希望や尊厳さえも。かつてこの対立はいわば個人(individual)と集団(collective)の対立とも言える。人類史上最も気高い我が国の基本である個人主義は奪われてはならぬ権利である。この国で幸せを求めた時は獲得して維持するのは困難ではなかった。枯れることなく栄えた。奪われることなく達成できた。個人の価値は手厚く護られ、自尊心を満足させてくれた。今はどうだ。集産主義者の手により多くのものが破壊された。私は建築家であり仕事の本質は心得ている。自分の作品に住むことはできないのだ。設計図が財産であるのに契約で奪われてきた。懇願さえ許されない。他人がどう料理しようと勝手だと思われている。私の同意など必要とせず選択の自由も報酬も与えられなかった。これでわかってもらえたろう。コートランド・ビルは私が設計し破壊した。設計どおりに建てる約束で引き受けたのだ。そこに価値があるのに裏切られた。勝手に手直しして私の作品を台なしにした。今日ここに来たのは人生の一片のみならず私の努力や作品が冒されぬためである。自己犠牲は強いられ、世の中は息絶えようとしている。個の大切さが健在であることを聞かせて欲しい。他人の意見に左右される仕事や人生を私は選ばない。自分の信念を貫く権利は確保したいと思っている。 師であるヘンリー・キャメロンの「ハワード、新しい発想には必ず先駆者がいる。苦労も避けられん」