アイン・ランド
ランドは、『水源』の第一の主題は「政治ではなく個人の魂における、個人主義と集産主義の対立」("individualism versus collectivism, not in politics but within a man's soul")であると述べている。ロークが法廷でアメリカにおける個人の権利の概念を擁護する演説を行う以外は、政治問題を直接論じることは回避されている。歴史家ジェイムズ・ベイカー(James Baker)が述べるように、「1930年代の作品であるにも関わらず、『水源』では経済にも政治にもほとんど言及されていない。第二次世界大戦中に執筆されたにもかかわらず、世界情勢への言及もない。この作品のテーマは一個人と体制の対立であり、それ以外の問題は排除されている」。
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ロークは有罪だ。彼の設計によるビルであったとしても社会の共有財産だ。自らの欲望は抑え我々の要求に譲歩すべきだったのだ。社会とは何か。我々自身だ。人は奉仕を求められている。社会の歯車であらねばならない。自己犠牲こそ現代に求められている。それを拒んだ男、ロークのような輩は葬られなければならない。
人間に大切なものを我々は学んでこなかった。自己犠牲こそ至上のものと言うが考えてみよう。真心を曲げられるだろうか。権利・自由・信念は捨てなくてはならないのか。人間に欠かせないもののはず。自己犠牲は誰に捧げるのか。自分をなくすことがあって良いはずがない。人間の根幹に関わることだろう。自己を見失わぬ者こそ尊敬されねばならない。ハワード・ロークに我々はそれを見る。
最後に自らの意思のもとに死を選んだゲイル・ワイナンド
ハワード・ロークの最終弁論
太古の昔にひとりの男が火を発見した。彼が火を燃やし明かりを教えることで、思いがけず地球上から暗闇が消えた。時代は移り、先見の明を持ち新たな道に第一歩を踏み出す者がいた。発明家、思想家、科学者たちが時代に立ち向かった。新しい思想は退けられ、偉大な発明も糾弾されたが、独創的な考えを持つ者は前に進んだ。闘い、苦しみ、代価を払ったが勝利した。それに刺激を受けない者はなかったが受け入れられなかった。単なる思いつきを実行するのが目的だったから、利用する者に考えが及ばなかった。利益をもたらさなかったのだ。創造に真理は欠かせない。社会の反対が立ちはだかろうと惑わされず前進しなくてはならない。信念を抱き誠実に頼れるのは本人だけだ。自分のためでもある。そこで初めて、人類に貢献する偉業が成し遂げられる。そうでなくてはならない。人間は心の動物である。何もまとわず誕生する頭脳だけを携えて、個性という心は頭脳だけが引出してくれる。信念を抱き行動しなくてはならない。思考は強制されては働かない。他人の意向に左右されてもいけない。犠牲の産物ではないのだ。自分で判断できるのが創造者である。人に寄生する者がいる。創造者は考え彼らはマネをする。他人が生み出したものを奪い取る。創造者の関心は自然の征服だが彼らは人間を征服しようとする。創造者は独立し縛られることを嫌う。評価は任意の判断に委ねるが権力を求めて人々をまとめたがる者がいる。彼らは人間を道具と思いがちだ。同じ考えと行動を強いて自己をなくした奴隷のようにと追い込む。歴史を見るがいい。我々が享受してるものはすべて個性の産物である。恐怖と抑圧は人々の思考を停止させようとして生まれた。個人の権利や野心を奪った。意志や希望や尊厳さえも。かつてこの対立はいわば個人(individual)と集団(collective)の対立とも言える。人類史上最も気高い我が国の基本である個人主義は奪われてはならぬ権利である。この国で幸せを求めた時は獲得して維持するのは困難ではなかった。枯れることなく栄えた。奪われることなく達成できた。個人の価値は手厚く護られ、自尊心を満足させてくれた。今はどうだ。集産主義者の手により多くのものが破壊された。私は建築家であり仕事の本質は心得ている。自分の作品に住むことはできないのだ。設計図が財産であるのに契約で奪われてきた。懇願さえ許されない。他人がどう料理しようと勝手だと思われている。私の同意など必要とせず選択の自由も報酬も与えられなかった。これでわかってもらえたろう。コートランド・ビルは私が設計し破壊した。設計どおりに建てる約束で引き受けたのだ。そこに価値があるのに裏切られた。勝手に手直しして私の作品を台なしにした。今日ここに来たのは人生の一片のみならず私の努力や作品が冒されぬためである。自己犠牲は強いられ、世の中は息絶えようとしている。個の大切さが健在であることを聞かせて欲しい。他人の意見に左右される仕事や人生を私は選ばない。自分の信念を貫く権利は確保したいと思っている。 師であるヘンリー・キャメロンの「ハワード、新しい発想には必ず先駆者がいる。苦労も避けられん」
第一部 矛盾律
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現代のパラダイム
資本制帝国主義
現代社会とは大きく二つの層に分別できる。それは国家共同体と資本共同体だ。そしていまやそれは公と私のように、簡単に分別できるものではない。なぜなら我々が日常的に使うコミュニケーションや、属するコミュニティ、情報を取得するメディアでは、もはや国家共同体に比して、資本共同体こそが一つの公共空間を支えている。資本主義によるフリーミアムは、いまや社会におけるインフラストラクチャーを成しており、それは国家の域を超え、世界的なインフラストラクチャーを担う規模となっている。しかし、その統治体系は明らかに異なる。国家共同体には民主主義があるが、資本共同体にはない。すなわち、幾人かの資本家という「王」こそがこの世界における根幹なる選択を掌握しているのだ。このことはアイン・ランドによって予言されていた。
フランシスコは、タッガート家の子どもたちが自分の遊び友達に選ばれたことを自然なことと受けとめていた。ダンコニア銅金属の彼と同じく、かれらはタッガート大陸横断鉄道の帝位継承者だ。「僕らは世界に残された唯一の貴族−金の貴族だ」十四歳のとき、彼はダグニーに言ったことがある。「それだけが本物の貴族なんだ。みんなにもそれが理解できればね。どうもできないみたいだが」
フランシスコはタッガート家のジェイムズとダグニーは世襲経営者として、帝位継承者とし、また自らも含め、世界に残された唯一の貴族を金の貴族とする。そして後に恋仲となるフランシスコとダグニーであるが、フランシスコが多忙な中でダグニーは自らの身のうちを次のように明かす。
彼がいなくとも彼女は不幸ではなかった。自分もまた、将来の王国制覇にむけての第一歩を踏みだしていた。
さらにフランシスコは、王と自らが統治する国家を象徴する紋章を、商標と読み替え、資本制帝国主義のパースペクティヴを不動のものとするのだ。
「フランシスコ」エディーはタッガートの駅の線路脇に立ち、たずねたことがある。「きみは世界じゅうにいったことがあるんだよね。この世のなかで一番大切なものって何?」「これだ」フランシスコは機関車の前面に刻まれたタッガート大陸横断鉄道のTTの標章を指して答えた。そしてつけ足した。「ナット・タッガートに会ってみたかったぜ」。彼はダグニーが自分をみていることに気づいた。ほかに何もいわなかった。だが数分後、森の湿土とシダの茂みに日光がさす狭い小道を通りぬけるとき、彼はいった。「ダグニー、僕は紋章に敬礼しつづける。高貴さの象徴を崇拝しつづける。僕は貴族になるはずじゃなかったのか?ただ僕にとっちゃ虫食いの塔もすりきれたユニコーンもクソクラエなんだ。僕らの時代の紋章は、ビルボードや大衆雑誌の広告にある」「どういう意味?」エディーがたずねた。「商標だよ、エディー」彼は答えた。フランシスコはその夏、十五歳だった。
ダグニーは自らが資本家として邁進することを将来の王国制覇と呼び、資本主義を現代の帝国主義、或いは王権として論じるのだ。
資本主義という宗教
しかし、このことは単なる王権、或いは帝国主義の世俗化と捉えたり、資本主義の成立を条件づけたのが王権や、帝国主義だとというパースペクティブをもってはならない。資本主義は宗教によって条件づけられたのではなく、一つの宗教として現れたように、我々が参照すべきはウェーバーを超えたベンヤミンなのだ。つまり王権、封建主義とは宗教、神話、聖堂に密接であるように、資本制帝国主義もまた同じ道をゆく。ダグニーは本書で次のように考えている。 駅のコンコースは神殿に似ている、と彼女はいつも思う。見上げれば巨大な御影石の柱に支えられた円天井がみえ、大窓の上部は暗闇にかすんでいる。頭上はるかから忙しく行きかう人びとを見守る円天井には、大聖堂の荘厳な静けさがあった。コンコースの中心にあるのが鉄道の創始者、ナタニエル・タッガートの銅像だ。通行人は見慣れた風景に見むきもしないが、ダグニーだけは常に意識しており、慣れてしまうことができなかった。コンコースを通るたびに像を眺めるのが、彼女が唯一知っている祈りのかたちだ。
我々はこの前史的な負債によって、さらなる成長を強いられてきた。宗教は神に報いるように啓蒙を論じ、国家は歴史に報いるように繁栄を訴え、資本主義は制度化された現実的問題としてさらなる進歩を希求する。これは企業における精神或いは観念的次元にも存在し、それこそがフランシスコの以下のような「確信」なのである。
「何が目当てなんだ?」「お金」「もう十分じゃないのか?」「僕の祖先はみな生涯のうちに、ダンコニア銅金属の生産高を十パーセントずつ伸ばした。僕は百パーセント伸ばすつもりなんだ」
さらにベンヤミンは資本主義を一つの破壊的カルトだと論じたが、アイン・ランドはこの通念が世間一般にも共有されていることだということを暴いた。すなわち、我々人類はすでに宗教という資本主義を潜在的に知っているのであり、それは以下のようなリアーデンの家族関係において表象される。 仕事が汚れをしらない外の人間に強いてはならぬ秘密の恥ずべきカルトのようなものとみなされてきたことを彼は知っている。仕事は遂行しても口にしてはならない醜い必要悪と考えられ、職場の話を持ちだすことはより繊細な感性への非礼であり、帰宅前に機械油を手から洗い流すように、客間に入る前には頭から仕事の汚れを洗い落としておくことを期待されていると。それは彼自身の条ではないが、家族がそうじるのは無理からぬことだと彼は受けとめていた。無言で子供時代に感じとったまま、疑いもせず言明もしない感情のように、暗い宗教の殉教者さながら情熱的な愛の対象である信仰に身を捧げた自分は、そのために人からつまはじきにされ、同情を得られないのは当然と思っていた。
そしてベンヤミンは宗教としての資本主義における根幹構造として、或いは破壊的カルトの典型としての問題、救済の不在を論じるが、フランシスコが論じた以下の人間本性論とはまさに、ホモ・エコノミクスが陥る悲劇そのものである。それは終焉の不在、目標の絶えまない更新であり、連続起業家の実存論である。
「フランシスコ、もっとも堕落した人間ってどんな人間のこと?」「目的のない人間のことだ」(...)「君は自分ができる人間だと思っているんだろう?」彼はたずねた。「いつも思っていたわ」彼女は振り向かず、けんか腰で答えた。「ならば証明してみせてもらおう。きみがタッガート大陸横断鉄道でどこまで昇れるか。どんなに能力があったとしても、もてるすべてを出し尽くしてもっとよくなるんだ。目標に達するためにボロボロになっても、また別の目標を目指すんだ」
これらから、勿論否定の材料としてではなく、一つの肯定的なアナロジー或いは単に中立的な分析としてアイン・ランドは資本主義が本質的に宗教現象であることを知っていた。そしてこのことこそがアメリカイデオロギーに多大なる影響を与えるのである。
ロックフェラー・センターにアトラスの壁画があることはその全き証明である。まさに世襲経営者、すなわち帝位継承者として生まれたロックフェラー、そして「世界に残された唯一の貴族」たる「金の貴族」、すなわち財閥。ロックフェラーセンターに勤める者は、皆ビルディングという神殿に通い、偶像崇拝に明け暮れ、前史的負債を背負い、アトラスの神話を通して使命(Mission)を受肉し、己が果たすべき責務(Task)へと向かうのだ。
当為論
公益、集合、社会の魔力
本書は共にタッガート家の帝位継承者である兄ジェームズと妹ダグニーを中心として展開される。そして両者が代表する立場は、本書を通底する相反する二つの志向性であり、それぞれが社会と歴史において偉大なる影響力を有している。それはある時代は右派と左派と呼ばれ、ある時代は実用と倫理、成長と分配、個人主義と集合主義、自由主義と社会主義、資本主義と共産主義と呼ばれてきた。この対立は本書では第一に、ダグニーがリアーデン・メタルという市場を崩壊しかねないレベルの発明を自社のレールに起用しようとすることに始まる。いわば資本主義の利潤追求的な姿勢を拒み、ほどよい成長と市場の安定性を望むジェイムズはそれを拒むのだ。
「ヘンリー・リアーデンは好きじゃない」「私は好き。でもどちらでもかまわないわ。私たちにはレールが要るし、それを提供できるのはあの人だけなんですから」「人間的要素はとても大事だ。君には人間的要素についての感覚がかけらもない。」「ジム、線路をたてなおす話をしているのよ」「ああ、そうだとも。それにしても人間的要素の感覚がない」「そうね。ないわ(...)私も人にチャンスを与えるのが仕事じゃない。鉄道を経営しているの」「どうも極めてせまい了見に思えるね。なぜ国全体じゃなく一人の男を助けたいんだか」「人助けに興味は無いわ。お金が稼ぎたいの」「そんな態度はもう通用しないぜ。なりふりかまわず利潤を追求する時代じゃない。一般的に、いかなる事業においても社会全体としての利益が常に優先されるべきであり」
続けて、ダグニーは利潤の問題からメキシコへのリソース投下を縮減するが、これにもまたジェイムズは倫理をもって「私は許さないぞ。我々の援助を必要としている友好的な人びとにそんなけしからん手口など、絶対に許さん。物欲がすべてじゃない。君にはわからないだろうが、やはり、物質的なもののほかにも考えるべきことがあるんだ」。なぜならばジェイムズは以下のようにメキシコを憂いているからである。
「メキシコの人びとは機会に恵まれなかった」「開発に不利な条件におかれてきた国の発展に寄与するのは我々の責務だ。国家は、思うに、隣人の番人ではないだろうか」(...)「メキシコ人はどうやら非常に勤勉な国民のようだが、未熟な経済に虐げられているようだ。誰も手をさしのべなければどうして産業化を進められよう?」「私の意見では、投資を考慮する際には、純粋に物理的な要素以上に、人間に賭けるべきではないだろうか」(...)「物欲がすべてじゃない。非物質的な理想を考慮すべきです」「メキシコの人びとには一、二本のきちんとした鉄道もないのに、我々が巨大な鉄道網を保有していることを考えると、恥ずかしいと言わざるをえません」「経済的自給自足の古い理論はとうの昔に破綻しています。飢えた世界の真ん中で、一国が繁栄するのは不可能です」
それゆえに文学者ユーバンクはダグニーを「君の妹は今世紀の病の症状なんだ。機械時代の退廃的な産物。機械は人の人間性を破壊し、大地から引き離し、自然の芸術を奪い、魂を殺して無感動なロボットに変えてしまった。あそこにその例があるー機織りの美しい手芸と育児にいそしむ替わりに鉄道を経営する女性」と診断するのだ。だからこそ、私益より公益、個人主義ではなく集合主義、自由主義より社会主義を志向するジェイムズにとって、ダグニーは不調和と不均衡を齎す天災であり、倫理に仕える彼は、それゆえ倫理のためならば、犠牲を厭わないのだ。
「条件と状況だよ、ジム」オルレン・ボイルが言った。「人間的に考えてやむを得ない条件と状況。きみたちのレールの圧延まで万端整えていたんだが、防ぎようのない予期せぬ事態の進展があった。ジム、きみがチャンスをくれていたらなあ」「不調和だね」ジェイムズ・タッガートがおもむろに口を開いた。「不調和があらゆる社会問題の根原のようだ。私の妹は株主の一部に少しばかり影響力がある。やつらの破壊的な方策をおさえこめないときもある」「まったくだよ、ジム。不調和、それが問題なんだ。いまの複雑な産業社会にあっては、どんな企業も他社の問題の重荷を分担せずには成功できないと僕はかたく信じている」(...) 「僕の目的は」オルレン・ボイルが言った。「自由経済を守ることだ。自由経済はいま瀬戸際に立たされていると一般に考えられている。自由経済がおのれの社会的価値を証明し、それなりの社会的責任を負わないかぎり、人民は黙っちゃいないだろう。自由経済が公共心を持たなければ終わりだ。まちがっちゃいけない」(...)「私有財産が正当化できるのは公益にかなうときだけだ」オルレン・ボイルが言った。「それは思うに、疑う余地がない」ウェスリー・ムーチが同意した。(...) 。「全員が共通の目的のために団結できれば、誰も傷つかずにすむのに!」彼は突拍子なくせっぱつまった声をあげたが、タッガートが自分をみているのに気づくと請うようにつけ足した。「誰も傷つけずにすめばいいのに」「反社会的な態度だね」タッガートがおもおもしく言った。「誰かの犠牲をおそれる人間には共通の目的について語る資格はない」「だけど僕は歴史を学んだ」ラルキンは慌てて言った。「歴史の必然は認識している」(...)「僕一人で全世界の潮流に逆らえやしないだろう?」ラルキンは願するようだったが、特に誰に向けた懇願でもなかった。「そうだろう?」「ラルキンさん、おっしゃる通りです」ウェスリー・ムーチが言った。(...)タッガートはグラスに手を伸ばし、いきなりにやりとした。「歴史の必然への犠牲に乾杯しよう」ラルキンを見ながら、彼はいった。
したがって、これは歴史もが証明しているように、彼らは管理統御の実践へと加担してゆく。
「私はリアーデンとタッガートの仕掛けが崩壊すると主張しているわけではない」バートラム・スカダーが「未来」誌に書いた。「するかもしれないし、しないかもしれない。それは重要な問題ではない。重要な問題は、これまでの経歴からすると公共心に基づく行動が著しく失けている放逸な個人主義者二人の高慢と利己主義と強欲に対して社会にはどのような防策があるかということだ。見たところ、この二人は識者の圧倒的多数の意見に反し、自身の判断力について思い上がって、同胞の命を危険にさらすこともいとわない。社会はこれを許すべきだろうか?橋が崩壊すれば予防措置を講ずるには遅すぎはしないだろうか?馬が逃げてから厩に鍵をかけるようなものではないだろうか?このコラムの信条は、ある種の馬は常に一般社会原則に基づいて轡をかませ閉じこめておくべきということである」
そしてその結実、こうした公益、集合、社会への志向性は本書の世界にて「不気味な程さかんに議論されていた」「機会均等化法案」によって制度化される。ではこの「機会均等化法案」とは何か?
論説には国民生産が減少し、市場が縮小し、雇用機会がなくなりつつあるこの時期に、一個人に複数の事業を抱えこませてほかの者にひとつも持たせないのは公平ではないと書かれていた。ひと握りの者にすべての資源を買い占めさせ、他の人間に機会を与えないと破滅をまねく。競争は社会に不可であり、特定の業者が競合他社には太刀打ちできなくなるほど強大化することがないように見張るのは社会の義務だ。論説は、一個人または一企業が複数の事業を傘下におくことを禁じる法案はすでに議会に提出されており、まもなく通過するだろうと予測していた。
この法律はいかにも正義を振り翳し、ダグニーを、フランシスコを、リアーデンを、統御しようと試みるジェイムズらの喜びそうな代物である。リアーデンの妻のパーティ会場にいた当時の文学界における先導者ユーバンクはこの法体系を文学的ヴァージョンへと昇華させる。それによってアイン・ランドはこの法律の内在する普遍的な志向性を見事に描写するのだ。
「過去の文学は」バルフ・ユーバンクが言った。「浅薄な瞞でした。文学を保護した富豪連中の趣味にあわせて人生を漂白したのです。道徳、自由意志、成功、幸福な結末、英雄的な存在としての人間すべて我々には一笑に付すべきものでしょう。我々の時代になってさはじめて、文学は人生の本質をあらわにすることによって深まったのです」白のイヴニングドレスを着たうら若い娘がおずおずとたずねた。「ユーバンクさん、人生の本質って何ですか?」「苦難ですよ」バルフ・ユーバンクは答えた。「敗北と苦難」「でも・でもなぜ?人は幸福な時もありますし...ときどきはそうでしょう?」「それは感情に深みがない人間の錯覚にすぎませんよ」娘は顔を赤らめた。精油所を相続した裕福な婦人が後ろめたそうにたずねた。「ユーバンクさん、文学の嗜好をもっと高尚なものにするにはどうすればよいのでしょうか?」「それは実に深刻な社会問題ですね」バルフ・ユーバンクが答えた。彼は当世文学界の先導者といわれていたが、著書が三千部以上売れたことはなかった。「個人的には機会均等化法案を文学に適用することが解決策だと言じているんですがね」「まあ、出版業界のためにあの法案を支持なさいますの?どう考えればよいのかしら」「当然支持します。我々の文化は唯物主義の泥沼に陥ってしまった。人は物質的生産と技術的策略の追求のなかであらゆる精神的価値を失ってしまったようです。物質的に満たされすぎている。しカレ乏に耐えることを教えれば、人はふたたびもっと高尚な生活を送ることができるようになります。ですから人の物欲を制限しなければならないのです」「そんな風に考えたことはありませんでしたわ」恐縮して夫人は言った。「だがラルフ、機会均等化法案をどうやって文学に適用するんだい?」モート・リディーがきいた。「そりゃ初耳だな」「私の名前はバルフだ」ユーバンクは怒って言った。「それに私自身の着想だから君には初耳なんだ。(...)とても単純なことです」バルフ・ユーバンクが言った。「あらゆる本の販売を一万部以下に制限する法律を制定するのです。そうすれば文芸市場は新たな才能や、斬新な思想や、非商業的な著述に開放されるでしょう。人びとが同じ屑を百万部も買うことを禁じられれば、もっと良い本を買わざるをえなくなります」「なるほど一理あるな」モート・リディーが言った。「だが作家の財布に響かないかな?」「なおさらいい。書く動機が金儲けでない者だけが執筆を許されるべきなんだ」。(...) 「文化を守銭奴の手から奪い取るべきでしょう。文学には国家の補助金が必要です。芸術家が行商人のように扱われ、芸術作品が石鹸のように売られるのは恥ずべきことです」
さらにこの対立関係をアイン・ランドは個人的な次元においても明らかにする。それこそがリーンランドの家族における関係である。
「だがやつは鉄鋼の仕事について何ひとつ知っちゃいない!」「だからどうしたっていうんだい?あの子には仕事が必要なんだよ」「だがやつにはどうしたって仕事ができん」「あの子には自信をつけて自分は重要だと感じる必要があるんだ」(...)「だがまったく何の役にも立たん」「あの子は必要とされていると感じる必要があるんだ(...)あの子はおまえの弟だろ?」「それとこれとはどう関係があるんだ?」今度は彼女が衝撃をうけて黙りこみ、耳を疑って目をむく番だった。しばらく二人は、惑星間の距離を隔てているかのように、じっと見つめあっていた。「あの子はおまえの弟なんだ」自分に疑う余地を与えられない魔法の公式をレコードで繰り返すような声で、彼女はいった。「あの子には世間的な地位が必要なんだよ。施しじゃなくて、相応の報酬として自分が金を受け取っていると感じられる給料が必要なんだ」「相応の報酬?だがやつは俺にとって五セントの価値もない」「それが真っ先に考えることかい?おまえの利益!自分の弟を助けてくれと頼んでいるのに、おまえはあの子からどうやって五セントを取れるかを考えて、それがおまえの金にならなければ弟を助けないーそういうことかい?」彼女は彼の目つきをみて視線をそらしたが、慌てて声をはりあげながら話した。「ああ、そうだよ、おまえはあの子を援助している。そのへんの浮浪者を助けるようにね。物質的な援助!おまえに理解できるのはそれだけだ。あの子の精神的な必要や、あの子の立場がどんなにあの子の自尊心を損ねているかを考えたことがあるかい?あの子は物乞いみたいに暮らしたくはないんだ。おまえから独立したいんだよ」(...) 「それは詐欺かー詐欺じゃないのか?」「だからおまえとは話ができないんだーおまえは人間じゃないからね。おまえには憐れみも、弟への思いやりも、同情もないんだ」「詐欺じゃないのか?」「おまえには人への情けがないんだよ」「そんな詐欺が正しいと思うのか?」「おまえはこの世で一番不道徳な人間だ一正しいことしか考えない!これっぽっちも愛ってものを感じないんだ!(...)おまえは少しも人のことや自分の道徳的義務のことを考えないのかい?(…)それが残酷なんだ。そこがおまえの性悪で自分手なとこなんだよ。弟を愛していれば、あの子がそれに値しないからこそ仕事をやるものししそれこそ本当の愛と親切と兄弟の絆ってものだよ。そうじゃなきゃ何のための愛だね?人が仕事に値するなら仕事をやることには何の美徳もありゃしない。美徳というのは値しない者たちに与えることなんだよ」
他者のために、社会のために、公共のために、世界のために。あらゆる倫理的基盤をもって個人とは排他され、その権利放棄の当為論を展開するのだ。そして他にも鉄道連盟では共食い防止協定が制定され、フェニックス・デュランゴ鉄道が公共財がために、倒産へと追い込まれる。ジェイムズが仕掛けたこの事件に憤慨したダグニーは、すぐさま戦うことを訴えるがしかし、他者のために、社会のために、公共のために、世界のためにという志向性の魔力は凄まじく、ダグニーはこの強大な力を知ることとなる。
「ダン、闘わなきゃ。わたしが手伝う。全力であなたのために闘う」ダン・コンウェイは頭を振った。(...)「いや」彼はいった。「無駄だ」「連盟の合意に署名したからってこと?あんなもの無効よ。これは明らかな押収行為だわ。それを支持する法廷があるはずないでしょう。それにもしジムが『公共の利益』なんていうたかり屋のおきまりのスローガンの陰にかくれようとしたら、わたしが証言台にたってタッガート大陸横断鉄道一社じゃコロラドの輸送すべてをさばききれないと証言します。裁判所があなたに不利な判決をくだしたら控訴して、この先十年、控訴しつづければいいんだわ」「ああ」彼はいった。「できなくはない...勝つかどうかはともかく、やろうとおもえばあと何年か鉄道にしがみついていられるが...いや、どっちにしても、俺が考えているのは法的な部分じゃない。そうじゃないんだ」「じゃあ、何?」「ダグニー、俺は戦いたくないんだ」彼女は呆然と彼をみた。これまで彼がそんな言葉を口にしたことはないと彼女には確があった。こんな年齢になって、いまさら生き方を変えることなどできないはずだ。(...) 「なぜ戦いたくないの?」「やつらにはそうする権利があるからだよ」「ダン」彼女はきいた。「頭がおかしくなったの?」「俺はこれまで一度も自分の言葉に逆らったことはない」彼は抑揚のない声で話した。「法廷がどういう判決を下そうが関係ない。俺は多数決に従うと約束した。従うしかない」(...) 「ダグニー、いま世界中が大変な状態にある。何がおかしいのかはわからないが、何かがひどく間違っているんだ。人は団結していい方策を探らねばならない。だが多数決じゃないとするとどの方法をとるか誰が決めるね?俺にはそれが唯一、公正な決定方法に思えるし、ほかにいい方法を知らない。たぶん誰かが犠牲にならねばならんのだろう。それがたまたま自分だったからって文句を言う権利は俺にはないよ。やつらには権利がある。人は団結しなきゃならないんだ」冷静に話そうと、彼女は懸命だった。怒りで震えていたからだ。「それが団結の代償なら、ほかの人間と一緒に生きていたいもんですか!ほかの連中がわたしたちを破壊してしか生きていけないなら、そんな連中に生きていてほしいと思う理由がある?自己犠牲を正当化するものなんてない。他人を生贄にする権利は誰にもない。最高の能力を破壊することが道徳的なわけがない。才能があるから罰されるなんて!能力があるから罰されるなんて!それが正しいなら殺し合ったほうがまし。だって世界にはどんな権利も存在しないってことだから!」(...) 「ダン」怒りをかみ殺して、彼女はいった。「戦って」彼は顔を上げた。目はうつろだ。「いや、それは間違っている。俺は自分勝手なだけだ」(...) 「俺は嵐とも、洪水とも、土砂崩れやレールの亀裂とも戦ってきた...どうすればいいか知っていたし、それが好きでたまらなかった。でもこういう戦いは俺には戦えない」「なぜ?」「さあな。世界がなぜこうなっちまったかなんて誰にわかる?そう、ジョン・ゴールトって誰?」(...)このような男を敗北させたものは何だったのかと思いながら、彼の顔を彼女は見ていた。ジェイムズ・タッガートではないことは確かだ。
しかし、ダグニーはもといリアーデンは、たとえ国家という巨大組織からの圧力があろうと、その問題に困難が降り掛かろうと、膨大な経済的なインセンティヴを吊るされようと、闘うことを選んだ。ここにこそアイン・ランドの哲学、強く、自由で、英雄的なアメリカ・イデオロギーが現れるのだ。
リアーデンさん、あなたにご考慮いただきたいのは社会的側面なのです」男は穏やかにいった。「我々が生きている時代に注意を払われることをお勧めします。我々の経済はまだその準備ができていないのです」「何の準備だ?」「我々の経済は極めて不安定な均衡状態にあります。崩壊をくいとめるためには全員が力をあわせねばなりません」(...) 「単なる時間の問題ですよ、リアーデンさん」男がなだめるようにいった。「一時的な延期にすぎません。経済に安定する機会を与えるためだけなのです。ほんの二、三年お待ちいただければー」リアーデンは陽気に、嘲るようにくつくつと笑った。「つまり、それがめあてか? 私にリアーデン・メタルを市場に出さないでほしいということか?なぜだ?」「ほんの数年です、リアーデンさん。ほんのー」「いいか」リアーデンは言った。「ではこちらから質問させてもらおう。君らの科学者はリアーデン・メタルは私の主張通りのものじゃないという判断を下したのか?」「そうした立場を明らかにしたわけではありません」「役に立たないという判断を下したのか?」「考慮されるべきは一製品の社会的影響なのです。我々は国全体の立場から考えているわけで、公共の利益と現在の悲惨な危機について懸念し、それはー」「リアーデン・メタルは良いものなのか?そうじゃないのか?」「失業率の危惧すべき上昇から状況を眺めますと、現在ー」「リアーデン・メタルは良いものなのか?」「鋼鉄が著しく欠乏しているとき、生産過剰な鉄鋼企業の拡大を許可するわけにはまいりません。そのために生産が過小な企業は倒産し、経済の不均衡がうまれー」「君は私の質問に答える気があるのか?」男は肩をすくめた。「価値の問題は相対的です。リアーデン・メタルが良いものでなければ世間に物理的な危害を及ぼします。実際に良いものなら社会的に危険です」「リアーデン・メタルの物理的な危害について言うことがあるなら言いなさい。それ以外の話はやめろ。いますぐ。そういう言語はここでは通じない」「ですが社会的利益の問題は当然ー」「やめろ」男は足場を失くして当惑したかのように見えたが、やがてしかたなくたずねた。「しかし、そうすると、あなたの第一の関心事は何でしょうか?」「市場だ」「とおっしゃいますと?」「リアーデン・メタルには市場があり、私はそれを十二分に生かすつもりだ」。(...) 「いくらかかりましたか?」リアーデンは目を上げた。彼には不自然に質問がそれたわけが理解できなかったが、男の声にはあるまがいない目的があった。声は硬くなっていた。「百五十万ドルだ」リアーデンは言った。「それに対していくらお望みですか?」リアーデンは一瞬の間をおいた。信じられなかった。「何に対してだ?」彼は低い声でたずねた。「リアーデン・メタルに関するすべての権利に対してです」「出ていってくれ」リアーデンは言った。「そのような態度をとられる理由はどこにもありません。あなたはビジネスマンだ。私はビジネス上の提案をさしあげているのです。言い値でかまいません」「リアーデン・メタルへの権利は売りものじゃない」「私は巨額の金の話をできる立場にあります。政府の金です」(...) 「我々は、おわかりと思いますが、無制限の口座からの白地小切手を差し出しているのです。ほかに何を望まれるのですか?値段を決めてください」「リアーデン・メタルへの権利の売却について議論の余地はない。ほかに言うことがあれば、どうかそれだけ言って出ていってくれないか」男は背にもたれ、勘ぐるような目でリアーデンを見てたずねた。「あなたは何がめあてなのですか?」「私か?どういう意味だ?」「あなたは金儲けをするために仕事をされているのですね?」「そうだ」「可能な限りの利益をあげたいわけですね?」「そうだ」「ならなぜ何年も苦労して、ートン数セント単位で利益を絞りだしたいと思われるのですか?一権利を売って楽にひと財産を手に入れないで。なぜです?」「なぜならそれは私のものだからだ。君にその言葉の意味がわかるか?」(...)「社会は複雑な機構です。多くの問題が瀬戸際で決定を待っています。いつ何時その一つについて決定が下され、微妙な均衡のなかで何が決定的な要素になるかは誰にもわかりません。これでおわかりでしょうか?」「いいや」黄昏のなかを出鋼されたスチールの赤い炎が突き抜けた。深い金色をした橙の輝きが、リアーデンの机の後ろの壁に射した。その輝きが彼の額をゆっくりなぞった。彼の顔には不動の静謐さがあった。「リアーデンさん、国家科学研究所は政府の機関です。いつ通過するかもしれない議会の審議待ちの法案があります。この頃ビジネスマンは特に攻撃の対象になりやすい。もちろん、私の言うことはおわかりいただけると思いますが」(...)「教えてください」男はいった。「ここだけの話、これは単なる個人的な興味です。なぜそこまでやるのですか?」リアーデンは穏やかに答えた。「教えてやるよ。君にはわからんだろう。あのな、それはリアーデン・メタルが良いものだからだ」
ニヒリズムの治療、意味の回復としての資本主義
私益、個人、自由を謳うものが批判されるもう一つの代表的な論理は上記でも触れた通り、その唯物論的性格であり、それは多く一つのニヒリズムへと帰結する。そこで本書において中心に設置される存在こそ、プリチェットとアクストンの二つの志向性である。リアーデン妻のパーティで客に語るプリチェット博士は次のように語る。
「人間?人間とは何かですと?誇大妄想をもった化学物質の集合に過ぎませんよ」プリチェット博士が部屋の向こうに集まった客たちに語っていた。(...) 「人間の形而上学的自負は実にばかげておりますな」彼はいった。「くだらない醜悪な観念と下劣な感情が詰まった原形質のみみっちいかけらーそのくせおのれが重要だと思いこんでいる!実際ねえ、それが世界のあらゆる問題の根源なんですよ」「ですが教授、醜悪でも下劣でもない観念はないのですか?」自動車工場の経営者の生真面目な夫人がたずねた。「ありません」プリチェット博士は答えた。「人間の能力の範囲内には」一人の青年が躊躇しながらたずねた。「しかし良い観念がないとしたら、どうして今ある観念が醜悪だとわかるのでしょうか?つまり、どのような基準で?」「基準などありません」聴衆は静まりかえった。「昔の哲学者は上滑りだった」プリチェット博士は続けた。「我々の世紀に残された課題は哲学の目的を再定義することですな。哲学の目的は、人生の意味をみいだす手がかりを与えることではなく、人生は無意味だと証明することなんです」(...) 「奥様、思想家の義務は説明することではなく、何も説明することはできないと論証することなのです」「ええ、もちろん・ただ…」「哲学の目的は知の探求ではなく、人間に知ることは不可能だと証明することなんですよ」「でもそれを証明したとき」若い女性がきいた。「何が残るのでしょうか?」「本能ですよ」プリチェット博士がうやうやしく答えた。
ここにてアイン・ランドが対抗する志向性が完全に示された。すなわち、公益と社会集団を重んじ、倫理に仕える者にしてみれば、私益と自由、個人の権利や実用を重視するものは、合理的で冷徹、そして慈愛や友情を排他する唯物論的な人間に映るのであり、唯物論的世界の無情さ、無意味さ、すなわちニヒリズムをもって唯物論的な探求に明け暮れ、他者や社会、世界を排他する彼らへ批判を向けるのだ。したがって、このように考えるプリチェットもまた「機会均等化法案」に賛成しているのである。そして、ジェイムズもこの系譜にあり、彼はプリチェットの記す『宇宙の形而上学的矛盾』をひいて次のように論じる。
「あの女は自分がとてもできる人間だと思っているからだ。何の権利があってそんなことを考えられるんだ?自分ができると考える権利が誰にある?できるやつなんかいない」「心にもないことですよね、タッガートさん」「私が言いたいのは、我々は所詮ただの人間だってことだ-人間とは何だ?生まれながらに骨の髄まで腐った、弱くて、醜くて、罪深い生き物だ-だから謙虚であることが第一の美徳だ。人はひざまづき、おのれの汚れた存在の許しを請いつつ生きていかねばならん。自分ができる人間だと思えばしそのとき人は堕落する。何をしたかはともかく、高慢が何よりも重い罪なんだ」「ですが、自分が本当によいことをしたと思ったら?」「そのときはそれについて謝罪しなきゃいかん」「誰にですか?」「それをしなかったものたちにだ」「わたし……わたしにはわかりません」「きみにはわかるわけがない。それは、何年も何年も高度な知的世界を追求してはじめてわかることだ。きみはサイモン・プリチェット博士の『宇宙の形而上学的矛盾』という本のことをきいたこがあるか?」彼女は住えて頭を振った。「いずれにせよ、何かよいものかどうしてわかる?離にわかる?いったい誰に知りうるんだ?絶対的なものなんかない-プリチェット博士が反駁不可能なまでに証明したとおりだ。何も絶対じゃない。すべては意見の問題だ。橋が崩壊しなかったとどうしてわかる?しなかったと思うだけだ。そもそも橋が存在したとどうしてわかる?哲学の理論-プリチェット博士の理論のようなものは単なる学術的な、別世界の、非実用的なものだと思っているだろ?だがそれは間違っている。そうとも、大間違いだ!」(...)「ああ、そもそも、あんな線路がなんだっていうんだ?ただの物質的業績にすぎん。何か重要な意味があるかね?物質的なものに大いなる意味があるかね?あんな橋をぼかんと眺めていられるのは低俗な動物だけだ!人生にはもっと高尚なことがたくさんあるっていうのに。だがいったい高尚なことが認められたことがあるか?あるもんか!人びとをみろ。物質の屑のいんちきな組み合わせに新聞の一面であれだけの大騒ぎだ。やつらが何かもっと崇高なことを気にするか?精神の現象が一面に載るか?繊細な感受性をもった人間に注目して価値を認めるか?それなのにきみは、この腐敗した世の中で偉大な人間が不幸になる運命にあるってのは本当かと思うと言うんだな!」彼は身を乗りだして彼女を凝視した。「教えてやろう……いいことを教えてやろう……不幸は美徳の証しなんだ。人が不幸なら、本当に、真実不幸なら、それはその人物がより高級な人間だってことなんだ」(...) 「私はあんな橋を超越したことへの飢えについて話しているんだ。物質的なものでは満たされない飢えの話をね」「何なんですか、タッガートさん?あなたが欲しいものって何ですか?」「ああ、まただ!『何ですか?』とたずねた瞬間に、何もかもに烙印を押して数字にしなきゃいけない無骨で物質的な世界に逆戻りするんだ。私は唯物論的な世界の言語では表現できないことについて話している(…)人には絶対に届かない精神の高尚な領域だ(…)そもそも人間の業績が何だっていうんだ?地球は宇宙をぐるぐるまわっている原子にすぎん-太陽系にとって、あの橋が何の重要性をもつというんだ?」
こうした立場に対置される存在こそが、ヒュー・アクストンである。本書の中でフランシスコがダグニーに見せた狂気は上記のようなニヒリズムからにみえるが、彼曰く、むしろその反対に自らの哲学的立場を置くのだ。
「プリチェット博士のことをあなたがよくご存じだったなんて意外ですわ、ダンコニア殿」彼女はそういってから、なぜ教授が不愉快な顔をしたのだろうとおもった。「僕は現在プリチェット博士が勤めておられる名門のパトリック・ヘンリー大学の卒業生ですから。師事したのは博士の前任者のひとり ヒュー・アクストンでしたが」「ヒュー・アクストン!」魅力的な若い女性が息をのんだ。「そんなはずありませんわ、ダンコニア殿!あなたはそんなお年じゃありませんもの。わたくしあの方は...前世紀の偉人だと思っておりました」「おそらく精神においてね、お嬢さん。事実は違います」(...) ひとりの青年が驚いていった。「ヒュー・アクストンは哲学史以外ではもう学習されない古典だと思っていました。彼を最後の理性の擁護者と呼ぶ論文を最近読みましたが」「ヒュー・アクストンは、結局何を教えたのですか?」真面目な夫人がたずねた。フランシスコは答えた。「すべてのものには何らかの意味がある、と教えたのです」「君の恩師への忠誠心は賞賛に値するがね、ダンコニア殿」プリチェット博士がそっけなくいった。「我々は君自身が彼の教えの実践例だと考えてよろしいかな?」「結構です」
ではニヒリズムの対極に位置する、全てに意味を見出す哲学とは何か?それこそが目的である。その最も典型的なテーゼが、ジョン・ゴールト鉄道の成功とともに、ダグニーとリアーデンが至った境地である。
人間はこの世界を自らの楽しみのために作り変えるのであり、人間の精神が生命のない物質に、それを自分が選んだ目標に役立つ形にすることによって意味を与えるのだという念によって行動してきた。
このテーゼの最も直接的な解説が以下であり、この意味で合理主義とはニヒリズムな唯物世界に意味を与える可能性そのものである。合理性によって織りなされる人間の生産物とは、そのすべてが目標や目的によって秩序化された意味を有しており、これこそが万物に意味を与えるという実践そのものを意味するのだ。
天井の細かい鉄網と、スチールの板同士を隅でつなぎとめている目釘の列ー誰がこれを作ったのか?人間の筋肉の乱暴な力?十六のモーターのとてつもない力がパット・ローガンの前の四つの計器と三本のレバーに従うように、それを一人の男の手が苦もなく操れるように誰がしたのか?これらのものと、これらを可能にした才能しそれを追求することが邪悪だと人はいうのだろうか?これが物理的世界への低俗な関心といわれるものなのだろうか?これがものへの隷属の状態なのだろうか?これが精神の肉体への服従なのだろうか?(...)機械をみるといつも心が踊り、自層が湧いてくるのはなぜだろう?-彼女はおもった。この巨大な物体のなかには、非人間的なものに属する二つの側面、理不尽さと無目的さがすがすがしいほど皆無だ。モーターのあらゆる部分は「なぜ?」「何のために?」という問いに対する答えを具現化したものだ-彼女が崇拝する精神が選ぶ生涯の歩みのように。モーターは鋼鉄で鋳造された道徳律なのだ。これらは生きている、と彼女はおもった。これらはすべて生きた力の-この複雑なものをすべて理解し、目的を定め、形を与える精神の働きの物理的な形なのだから。彼女は一瞬、モーターが透明になり、その神経組織の網がみえた気がした。電線と回路全体よりも入り組んでおり、それらよりも重要な接続網、これらの部品ひとつひとつを最初に造った人間の頭脳の理性の回路だ。これらは生きている、と彼女はおもった。だがその魂は遠隔操作でこれらの機械を動かしている。魂はこの偉業に匹敵する能力をもつ人間ひとりひとりのなかにある。地上からその魂がえてなくなれば、モーターは止まる。なぜならそれがすべてを動かすカーいずれ原始の泥になる床下の石油ではなく-寒さに震える野蛮人が住んでいた洞窟の壁の染みの色に錆びるスチールの筒でもなくし生きた精神の力-思考と選択と目的の力だから。 そしてこれは単に、我々の周りにある所与に意味を与えるだけではない。我々の人生、その実存自体を回復する手段となる。なぜならば、特定の目標や目的に対し、それが実現することは、その実現へと至る過去のすべてに一つの因果関係が、すなわち意味が結ばれる。あの知識が足りなければ、あの人が邪魔しなければ、あの集団が支えてくれなければ、あの物質が存在しなければ、この現代に生まれていなければ、この世界が始まらなければその結果は得られなかった。ゆえに我々は何かを実現した瞬間、世界が連続的であり続ける限りにおいて、その全てに意味が付与されるのであり、ここにニヒリズムを打開する方途が示されたのだ。
彼は微笑した。彼はレールを見下ろし、山腹から遠くのクレーン車まで線路を目で追った。彼女の目にはこの瞬間、二つのものが、視界にそれしかないかのように映った。彼の横顔と、空をぬう青碧の帯と。「俺たちはやりとげたんだな」彼はいった。あらゆる苦労、眠れない夜、絶望への静かな抵抗の報酬として、彼女が求めたすべてはこの瞬間にあった。「ええ、やりとげたわ」彼女は遠くへ目を移し、側線のクレーンをみて、ケーブルが古いから取り替えなければ、と思った。これが感情を超越した素晴らしい明快さ、人が感じることができるすべてを感じたあとの報酬だ。かれらが達成したもの、それを認める瞬間、それを共有すること-これ以上どのような親密さを共有できるというのだろう?いま、彼女はもっとも単純で、ありふれたこの瞬間の関心事に専念していいのだ。目に映るすべてに意味があるのだから。
ゆえに目標の実現とは、神なき世界における刹那の救済なのかもしれない。しかし、実現の高揚は長くは続かない。だからこそフランクルが言うように目標の永遠なる設置が、ニヒリズムに「堕落」しないために必要なのであり、ここに一種の破壊的カルト性が帯びるのである。よって必然と我々は進歩主義へと帰結される。目標と実現の永遠なる反復とは、まさに進歩主義的活動そのものの説明に他ならず、ここに正義の有無は関係がない。あくまで問題は実存なのだ。
したがって本部冒頭の次の引用へとリンクする。「精神的な目標も人間性もな」く、ある意味では善悪を超越した当為論がそこにあるのであり、目標の実現によって世界を動かし、牽引するというリアリティにこそ、世界の意味が回復されるのである。
二人はメタルとその尽きない可能性について話しあった。それは山頂に立ち、眼下の果てしない平原と、あらゆる方向に続く道を眺めているようだった。だがかれらは、重力、圧力、抵抗力、費用など、数理的なことを話しているだけなのだ。兄と鉄道連盟のことを彼女は忘れていた。過去のあらゆる問題を、人を、出来事を忘れていた。絶えず視界を曇らせるが駆け足で通り過ぎ、脇に追いやるだけのそれらのものは決定的にも現実的にもならなかった。これこそが現実なのだ。はっきりとした輪郭と目的と明るさと希望のこの感覚。いつもこんなふうに生きていたい。これ以下の意味しかもたない行動には一時間たりとも費やしたくない。(...)彼は一歩下がり無感動につぶやいた。「俺たちは悪党だな?」「なぜ?」「精神的な目標も人間性もない。物理的なものを追い求めて、それがすべてだ」(...)だが彼の声には感情も、訴えも、恥じらいもなかった。彼は事実を述べるように、淡々とそう言った。やがて、彼をみると、その危惧は消えた。窓の向こうの工場をみつめる彼の顔には、何の罪悪感も疑念もなく、揺るぎない自の静謐さだけがあった。「ダグニー」彼はいった。「俺たちが誰であれ、世界を動かすのも牽引するのも俺たちなんだ」
こうして我々はコンコースの片隅にある売店の店主の予言に立ち返る。
タッガート様、私には人びとによくないことがおこりつつある気がします」「どんな?」「よくわかりませんが、私はここで二十年間、ものごとの変化をみてきました。昔、人は走るようにここを駆け抜けていったもので、見ていて気持ちよかった。あれは目的をもって早くそこにたどり着きたがっている人間の忙しさだった。このごろは誰もが何かに性えて急いでいる。目的じゃなく不安に駆られて。ゆくあてもなく、逃げるように。しかも自分でも何から逃げたいのかわからないようなんです。互いを見ようともしない。人の肩がかすっただけでびくつく。やたら笑ってみせるが、愉快な笑顔じゃない、媚びる顔です。世界はどうなっちまったのか」老人は肩をすくめた。
いわばジェイムズ=プリチェット的当為とは、いつも何かに追われねばならず、ダグニー=アクストン当為とはいつも何かに向かわねばならないのだ。
第二部 二者択一
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お金の哲学
第一巻では、主にジェイムズ=プリチェット的当為論といういわば美徳のポピュリズムと、そのニヒリズムを癒す目的論を紹介した。しかし、この説明では少々不完全な点が残る。それこそがお金の肯定だ。第一巻では明らかに目的による実存の充足以上に「お金」そのものへの追求が語られる。ダグニーやリアーデン、ダンコニアを中心に「お金」や「稼ぐこと」こそが目的であり、至上原理であるという言葉が頻出し、その背景には、単なる目標達成、目的実現に向けた実存的動機を超えたフェティシズムがある。本部ではその説明がなされる。何も上の表現は執着としてではなく、英雄的行為として描かれている。すなわち、ここにこそアイン・ランドの哲学が存在するのだ。ダンコニアはそれを以下のように雄弁に語るが、その主張は大きく分けて四つに分割できるだろう。それは①客観的等価性、②プラスサム、③美徳の証明、④道具性である。
そこで第一に語られるのは、ダンコニアが語る不可侵な「お金の根源たる道徳律」、客観的等価性である。本書でよく政治側の人間を「たかり屋」と称するように、交換以前の支配的な経済原理である再分配とは、収奪が基礎であった。よってここで生じる経済活動は互いの利得が均衡である保証はない。たとえそれが不均衡なものであったにせよ、下層のものはその判断に付き従うしかなかった。しかし、お金は、或いはお金を通じた交換を望む者がいる限りは、いつもそれは客観的に等価な取引として行われる。だからこそ、交換とはその信徒において永遠に平等であり続けるのだ。したがって、ダンコニアは金本位制の廃止を批判する。トートロジー的な信仰の性質を抱く紙幣とは、お金の有する客観性の喪失における第一契機であり、崩壊のファンファーレであるからだ。
「お金の根底にあるのが何かを考えたことがありますか?お金は生産された商品と生産する人間なくしては存在しえない交換の手段です。お金は、取引を望む人間は交換によって取引し、価値のあるものを受け取るには価値のあるものを与えなければならないという原則を形にしたものです。お金はあなたの商品を泣きながらねだるたかり屋や、力ずくで奪う横領者の道具ではありません。お金は生産する人間がいてはじめて機能するのです。これが、あなたがたが諸悪の根源と考えるもののことでしょうか?仕事の代償として金銭を受け取るとき、人はそのお金を他人の労力の産物と交換できるという確信があってはじめてそうするのです。お金に価値をもたせるのはたかり屋でも横領者でもない。涙で海を満たしても、世界の銃をかき集めても、財布の中の紙切れを明日をしのぐパンに変えることはできません。その紙切れは本来金であるべきだが、ある名誉の象徴−生産する人間の活力を求める権利なのです。あなたの財布は、世界のどこかにお金の根源たる道徳律をおかさない人間がいるという希望の証だ。これが、あなたがたが諸悪の根源と考えるもののことでしょうか?(...)この世界で人が共存しながら互いに取引する手段を必要とする限り−お金を放棄してしまえば、唯一それに代わるものは銃口だけだ。だがお金を稼ぎ、それを守りたいとおもう諸君には最高の美徳が要求されます。勇気も誇りも自信もない人間、自分のお金への権利について道徳観念がなく、命を守るようにそれを守る覚悟のない人間、裕福であることに恐縮する人間は、いつまでも豊かでいつづけることはできません。何世紀も岩陰に潜み、富める罪の許しを請う者をかぎつけた途端に這いでてきて群がるたかり屋の天然餌になるからです。たかり屋たちはまたたく間に罪の重荷から彼を解放するでしょう−そしていみじくも、命の重荷から。やがて二重基準の人間−武力によって生きながらも、かれらが横領する金の価値を創出する商人に依存する者たち-美徳の便乗者がのさばる日がくるでしょう。道義ある社会ならば、かれら人に依存する者たち-は犯罪者であり、法規があなたをかれらから守ってくれる。だが、社会が、権利による犯罪者と法律によるたかり屋−非武装の犠牲者の富を奪うために武力を行使する者たちの地位を確立させるとき、お金は創造者の仇となる。かようなたかり屋は、いったん人民の武装を解除する法律さえ通せば、無防備な民から強奪しても安全だと言じています。だが横領は横領を呼び、強奪されたものは別のたかり屋に同じやり方で奪われる。かくして競争は、最高の生産能力をもつ人びとではなく、もっとも容赦ない冷酷さをもつ者に有利になります。武力が基準であるとき、殺人鬼はすりに勝るからです。そして廃墟と殺数が広がってその社会は消滅するのです。その日が近いのかお知りになりたいですか?お金に注目なさい。お金は社会の美徳指標です。合意によらず規制によって貿易が行われるとき−生産するために、何ひとつ生産しない人びとからの認可が必要なときー商品ではなく恩を受け売りする人びとにお金が流れるとき−仕事ではなく賄賂とコネによって金持ちになる人びとが増え、法律が諸君をかれらから守らずに、かれらを諸君から守るとき−腐敗が報われ正直が自己犠牲になるとき−あなたがたの社会は滅亡の危機に瀕している。お金は高潔な媒体ですから、銃と競うことも蛮行と折りあいをつけることもしません。中途半端に財産が守られながらも略奪が横行しているといった国の存続を許さないのです。破壊者が現れるとき、かれらは真っ先にお金を破壊します。というのもお金は人間の護身手段であり、道徳的生存の基盤だからです。破壊者は金を押収し、その所有者にまがいものたる紙幣の山を残します。これがあらゆる客観的基準をそこない、任意に価値基準を定める独断的な権力に人びとを引き渡すのです。金には客観的な、生産された富と同等の価値がありました。紙幣は、富を生み出すことを求められた人間に向けた銃によって裏書きされた、存在しない富の抵当証書です。紙幣は法律にのっとって横領をおこなうたかり屋が、自分のものではない口座から、犠牲者の美徳につけこんで振り出した小切手なのです。それが不払いになって戻ってくる日に用心なさい。『残高不足』としるされて。 第二に論じられるは、第一で論じた「お金の根源たる道徳律」、すなわち、不可侵なる等価交換、平等の論理を基礎として我々が良い商品を作ることである。先ほど論じたように、「たかり屋」が得意とするは収奪であり、暴力によって不均衡な取引を成立させることである。本部のなかでもフェリス博士は「あらゆる政府の唯一の権力は犯罪者を取り締まる力です」、「美徳の便乗者」によって非暴力的収奪が今日の立憲国家に制度化されたことを強調している。しかしもし、このことが支配原理となるならば経済的な要請は相互的なものではなく、一過的なものとなる。彼らは時に暴力を振り翳し、時に弱みを握ることで、我々は損失や不幸を埋めるために如何なる要請も答えねばならず、したがって一方の充足しか生じ得ない取引が可能であるのだ。しかし、お金を通じた交換は互いのためにならなければならない。すなわち、他者への強制的な平伏ではなく、他者への自発的な善意が規範であるのだ。だから損失回避ではなく利益生成が、貧しさではなく豊かさが、愚かさではなく理性が、苦悩の交換ではなく歓喜の交換が、ゼロサムではなくプラスサムが基礎となるのだ。
正直者とは、みずから生産しただけしか消費できないと知っている人間のことです。お金を手段として交換することは善意の人間の規範です。人はそれぞれがおのれの精神と努力の成果の持ち主であるという原理によって、お金は支えられています。自分の努力の成果に換えて取引をしようという相手の自発的選択によらなければ、お金には、あなたの努力の成果の価値をさだめる力はありません。お金の存在によって、あなたは自分の商品や労働と引き換えに、それを買う人間にとって価値のある分のものを入手できるが、それ以上のものを手にすることはできないのです。お金は、商人同士が互いの利益になると自主的に判断したときにだけ取引を成立させます。お金の存在によってあなたは、人は自分を傷つけるためでなく豊かになるために、損失ではなく利益のために働くと認識せざるをえなくなります。それは、人は不幸の重荷を担ぐために生まれた動物ではなく、相手には傷ではなく価値を差しださねばならず、人間の絆は苦悩の交換ではなく良いもがの交換だという認識です。お金があなたに要求するのは、人の愚かさにつけこんでおのれの弱みを売ることではなく、理性に訴えて才能を売ること、人から差し出された粗悪品ではなく、お金の許すかぎり最上のものを購うことです。そして人が武力ではなく理性を最終的な仲裁者とする取引によって生きるときに勝つのは、最高の商品、最高のパフォーマンス、もっとも優れた判断力と能力をもつ人間であり−人は生産に応じた報酬を受け取るようになります。
そしてついに第三に論じられるのは、第一部で頻出したお金への当為論である。自らの努力と理性の結晶によって勝ち得た誰かの豊かさと喜びこそが利益であり、お金であるのであって、お金に執心することはお金にふさわしい人間になることであり、お金にふさわしい人間であることは、お金を沢山有することは誰かの豊かさと喜びに奉仕することに長けた美徳の証明なのである。だからこそダンコニアは「お金は社会の美徳指標です」と論じ、一部では「美徳が天国への入場料だ」と威張るジムに対し、「僕がいうのはそれだよ、ジェイムズ。何よりもすばらしい美徳があるといえるように−お金を稼いだ人間だったといえるように」と応答するのだ。
ものに執心することはその性質を知って愛するということだ。お金に執心することは、お金が自分の中の最高の力を使って創りだしたものであり、あなたの努力の成果を人間の最高の成果と交換するための合鍵でもあるという事実を知って愛するということなのです。 五セント玉におのれの魂を売り渡す人物が、お金への憎しみを誰よりも声高に宣言する−憎むに十分な理由があるのですから。お金に執心する人びとはそのために喜んで働きます。自分がお金にふさわしい人間でいられると知っていますから。
第四に論じられるのは、お金の道具性である。「銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ」という有名な一句に象徴されるように、道具とは善悪が主体に委任される中立的な存在なのだ。であるからして、特定の目的成就にのみ奉仕するのであって、根幹として目的を与えるものではないのだ。だからこそ「愚者に知恵を、臆病者に賞賛を、無能な者に尊敬を」といった無から有を生みだすものではなく、主体が織りなす選択を豊かにしてくれるものなのだ。よって、お金を悪く取引に用いることはお金による堕落によるではなく、主体の愚かさに起源を持つのであり、そうした取引とはお金が主体を堕落させたのではなく、むしろ主体がお金を堕落させたのである。だからこそダンコニアは「お金は根源を失えば死んでしまう生きた力」「生きる手段」とし、その泉が栄えるも枯れるも、活かすも殺すも、あなた次第なのである。ゆえに「お金は常に結果であり、あなたに代わって原因になることはありません」。
これがお金を道具と象徴とする存在の規範です。これをあなたがたは邪悪だと考えるのですか?だがお金は道具にすぎません。あなたを行きたいところへ連れて行ってはくれても、代わりに道筋を示してくれることはないからです。欲望を満たすための手段はくれても、欲望そのものをくれることはない。お金は、因果律をひっくり返そうとする人間−思考の産物を奪うことで思考の代わりにしようとする人間にはたたりとなります。自分の求めているものがわからない人間に、お金が幸福を買い与えることはありません。価値をみいだすべきものを知ろうとしない者に価値規範を与えはしないし、求めるべきものを選ぼうとしない者に目的を与えることもない。愚者に知恵を、臆病者に賞賛を、無能な者に尊敬を買い与えはしないのです。自分の判断に代えて、より優れた者の頭脳を金で買おうとする人間は、より劣った者の餌食になるのがおちだ。聡明な人間は彼を見捨てるが、彼が発見していない掟によって、いかさま師や許欺師が集まってくるからです。誰も自分の財産より小さいものではいられないという掟によって。これが、あなたがたがお金を邪悪と呼ぶ理由なのでしょうか?財産を必要としない者しいかなる状態から始めようが自力で財産を築く人間だけが、その相続にふさわしい。相続人が財産に匹敵するならばお金は役に立つが、匹敵しなければお金は彼を破壊します。だがあなたがたはそれを見て、金が彼を堕落させたという。そうでしょうか?それとも彼がお金を堕落させたのでしょうか?無能な相続人を加まないことです。彼の財産はそもそもあなたのものじゃないし、あなたが相続したところでもっとうまくやれるわけじゃない。その富があなたがたに分配されるべきだとも思わないことです。一人のかわりに五十人の寄生虫を世界が背負うことになっても、真の財産であった失われた美徳を取り戻せはしない。お金は根源を失えば死んでしまう生きた力だ。つりあわない精神に奉仕することはありません。これが、あなたがたがお金を邪悪と呼ぶ理由なのでしょうか?お金は生きる手段です。その命の泉にあなたが下す判決は、人生に下す判決なのです。泉を腐敗させれば、あなた自身の存在をののしることになる。あなたは詐欺で金を手に入れたのですか?人の悪癖や愚鈍さにつけこんで?おのれの能力が値する以上のものを欲しがり愚か者の求めに応じて?おのれの基準を下げて?馬鹿にしている客のためにさげすんでいる仕事をして?だとすればあなたのお金は、一瞬の、一セント分の喜びもくれはしないでしょう。そしてあなたが購うものはすべて、あなたへの賞賛ではなく非難に、業績ではなく恥の記憶となる。やがてあなたは、金は邪悪だと叫ぶようになる。それが自尊心の代わりにならないから邪悪だと?堕落を楽しませてくれないから邪悪だと?これが、あなたがたがお金を憎悪する原因ですか?お金は常に結果であり、あなたに代わって原因になることはありません。お金は美徳の産物ですが、美徳をくれはしないし、悪徳を贖ってもくれません。物質的にも精神的にも、稼いでいないものを与えない。これが、あなたがたがお金を憎悪なさる原因ですか?それとも諸悪の根源はお金への執心だと言われるのでしょうか?
そして最後に論じられるのは、歴史は起源より金と銃の戦いであり、これまで交換とは大敗を期してきた。しかし、この資本主義において、ようやく「たかり屋」は補助的機能へと追いやられ、平等で善意が循環し、美徳で満たされる「金の国」、そしてそのランドマークであるアメリカが誕生したのだ。しかし、暴力的収奪は非暴力的収奪に、権威は法律に、血統は倫理に姿を変えることで、またもや歴史が繰り返されようとしている。アイン・ランドの描く地平はダンコニアがアメリカを「人民国家ばかりがふえる世界で、ここは人が生きのびるために木の根をあさるまでにおちぶれてない唯一の国-つまり地上に残された唯一の市場だ」と言うように、人民国家、すなわち社会主義、共産主義国家が世界を支配した世界である。したがって、次のように問うのだ。金が銃か「二者択一」であると!
悪事を生存の手段にしておきながら、人の善良さは変わらないとは思わないことです。人が道徳心を失わず、不道徳な者の飼葉になるために命を落とすと思ってはいけません。生産が罰され、横領が報われるときに、人がものを生産すると期待しないことです。「誰が世界を滅はしているのか?」などときかないことです。滅ぼしているのはあなただ。あなたがたは活力の源であるお金を呪いながら、もっとも生産的な文明の最高の業績の中心にいるのになぜ周りが崩壊していくのかと思っている。昔の野蛮人のようにお金を眺めながら、なぜ自分の住む都市の間際までジャングルが忍び寄ってきているのだろうと思っている。人間の歴史を通じて、お金は常に何らかの名を冠したたかり屋によって押さえられてきました。呼び名こそ変われ、やりかたは同じです。武力によって財産を押収し、生産者を縛り、品位と名を貶め、尊厳を奪う。かような正義感にあふれる無謀さをもってあなたがたが口にしているお金の邪悪さについてのその文句は、誰かが考案した動作を何世紀も改善しないまま反復した奴隷たちの労働によって富が生み出されていた時代のものです。生産が武力に支配され、富が征服によって獲得されていたあいだは、征服すべきものはほとんどありませんでした。にもかかわらず、停滞と窮乏の何世紀にもわたり、人はたかり屋を剣の貴族として、家柄の貴族として、役所の貴族としてあがめたてまつり、生産者を奴隷として、商人として、店主として-実業家として見下してきたのです。人類にとって幸いなことに、史上で唯一初めて、お金の国が出現したーこのことによって道理、正義、自由、生産、業績の国たるアメリカにこれ以上高く敬虔な賛辞を僕は捧げられない。はじめて人間の精神とお金は解放され、征服による財産がなくなって仕事による財産だけになり、剣客と奴隷の変わりに正真正銘の富の製造者であり、最高の労働者であり、もっとも高邁な種類の人間−独立独行の男(セルフメイド・マン)−アメリカの実業家が出現したのです。アメリカ人が何にもまして誇るべき特長をあげるとすれば、僕はしなぜといえばそれはほかのすべてを含むものだからししかれらが『お金を作る』という文句を創った民族だったという事実を選ぶことでしょう。それ以前、この言葉をかくのごとく使った言語や国家はありませんでした。人は常に富を一定量のものと考えてきた−押収し、請い、相続し、分配し、たかり、厚意として手に入れるものとして。アメリカ人は、富が創出されなければならないということを最初に理解したのです。『お金を作る』という言葉は人間道徳の本質をとらえている。だがこれは、腐敗したたかり屋の大陸の文化人がアメリカ人をけなすのに使われてきた言葉でした。いまやそのたかり屋の条によって、あなたがたはみずから誇るべき業績を恥の印として、繁栄を罪として、偉大なる実業家を悪党として、立派な工場をエジプトのピラミッドのように鞭で追われた奴隷の肉体労働の産物としてみなすようになってしまったのです。ドルの力と朝の力の間には何の違いもないとにたつくゴロツキは、自分の肌でその違いを学ぶべきだしけだし、そうなることでしょうが。お金があらゆるよきものの根源だと悟らない限り、あなたがたはみずから滅亡を招いているのです。金銭が相互取引の道具でなくなるとき、人間は人間の道具になる。血、朝、銃をとるか−ドルをとるか。選択なさい。ほかに選択肢はない。あなたがたに残された時間はあとわずかです」
肩をすくめろ
一部の最後エリス・ワイアットは丘のふもとのポストに釘でうちつけた「見つけたまま残していく。好きにしろ。おまえらのものだ」という言葉以外、何も残さず消えた。だからこそダグニーは、ダナガーがこの後を追って、また消失するのではないか、この「美徳の便乗者」によって腐敗し切った世界を諦め、巨悪と闘うことを放棄し、また同志同胞が消えいってしまうのではないか、そしてその流れは「制御を失くして沈んでいく貨物船みたいに産業から産業へ、人から人へ。一人いなくなると、別の人間が猛烈に必要とされるように」、雪崩れるように消失が加速し、それとともにこの世界の重圧と闘いは一人へ集中し、またその者もまた耐えきれず、この世界が崩壊してしまうのではないか、と彼の身を憂いていた。
リアーデンとダナガーは今朝起訴された(...)リアーデンは起訴を受け入れる強さがあるだろうけどダナガーにはないだろうって。彼が強くないわけじゃなくて、彼は受け入れるのを拒否するだろうって。彼女……彼女はケン・ダナガーが次に姿を消す人間だって確してるんだ。エリス・ワイアットやほかの人間のように。あきらめていなくなる……なぜ?えっとね、彼女はそれに関してなにか重心の移動みたいなものがあると考えている−経済的で個人的な重心の。重心が誰かの肩に移ったとたん−その男が消えるんだ。柱がなぎ倒されるように。一年前、エリス・ワイアットを失うほど最悪の事態はこの国に起こりえなかった。すると彼がいなくなった。それ以来、彼女が言うには、あたかも重心がメチャメチャに振れているようだって−制御を失くして沈んでいく貨物船みたいに産業から産業へ、人から人へ。一人いなくなると、別の人間が猛烈に必要とされるようになる-次にいなくなるのはその男だ。(...) 彼女には、あの火事のずっと前から、エリス・ワイアットはその段階に到達していて、何かが起こるとわかっていたんだって。今日はケン・ダナガーを法廷でみて、彼は破壊者を迎える準備ができたなんて言うんだ……そう、そういう言いかただった。彼は破壊者を迎える準備ができているって。
しかし、ダグニーの思い空しく、ダナガーにとって失踪の決意は固まってしまっていた。我々という存在がいらないのであれば、この立場を放棄してやろう。そして、生産者はいらず生産物だけが欲しいのならば、我々は去りただくれてやる、と。まさに「見つけたまま残していく。好きにしろ。おまえらのものだ」と宣言するのだ。我々がいらないとされているのに、我々は見返りを求めず、その生産を手助けし、努力し、そして残された者たちで、去った者たちの分まで必死に紡いだ成果が、この悪き秩序をただ再生産することになるなんて、去った者たちの力の恩恵を否定し、「たかり屋」に虚偽の確信を持たせ、生産者の意義を知らしめるどころか、否定する結果になるではないか。我々の血の滲む想いはどこへ向かうのか。だからこそ彼は最後にダグニーヘ予言を届ける。
「(...)私はたかり屋を手伝いたくないし、私有財産がいまも存在するなんてふりをしたくもない。やつらがうちたてた制度に従っているだけだ。私は必要ない、とやつらはいう。私の石炭が必要なだけだ、と。もたせてやろうじゃないか」(...) 「お別れは言わないよ」彼はいった。「そう遠くない将来、きみに会うだろうからね」「あら」彼女は机越しに彼の手をしっかりと握り、希望をもってたずねた。「お戻りになるのですね?」「いや。きみが仲間になるんだ
しかし、ダグニーやリアーデンはまさかそうした闘いの意志であるなんて、気づいていなかった。寧ろ彼らにしてみればそれが耐え難く、逃げ出したくなる秩序、同志同胞の痛烈な逃避行に見えたのだ。
「俺はケン・ダナガーをののしりはしない」リアーデンが言った。「そうなのですか?」その言葉は妙な重みを帯びていくようであり、慎重なほど穏やかに発されていた。フランシスコの顔から笑顔のあとは消えている。「ああ。一人の人間がどれくらいの重荷を背負うべきかについてとやかく言うつもりはない。やつが挫折したとしても、俺はやつを裁く立場にはないんだ」(...)「彼がいなくなれば、あなたはどんな影響を受けますか?」「すこし余分に働かなきゃならんだけだ」。フランシスコは窓の向こうの赤い流れを背景に黒々と描かれた鉄鋼の橋を見ると、それを指さして言った。「あの桁の一本一本にかけられる荷重にも限度があります。あなたの限度はどれだけですか?」「気にするな。俺は消えはしない。どいつもこいつも仕事を放り出して辞めればいい。俺は辞めない。自分の限度など知らないし知りたくもない。知っていなければならないのは、自分は誰にもとめられないってことだ」
そしてその世界を支える偉大なる闘争の結果リアーデンはなにをえたのか、とダンコニアは問う。金か、豊かさか、名声か。その意に反し、リアーデンはこの時、まさにそのどれもが、失われゆく段階であった。世界から一人、また一人とこの秩序を支える同志が減り、自らが担う領域が増える一方で、その対価は一つ、また一つと減っていく。これが不条理でなくて何か??
「あなたはジョン・ゴールト線のレールを誇らしく思われていますか?」「ああ」「なぜですか?」「それはこれまで作られたなかで最高のレールだからだ」「なぜそれを作ったのですか?」「金を稼ぐためだ」「金を稼ぐにはもっと楽な方法がたくさんあります。なぜもっとも困難な方法を選ばれたのですか?」「君自身がタッガートの結婚式で演説したじゃないか。自分の努力の最高の成果を他人の努力の最高の成果と交換するためだ」「それが目的だったのなら、達成されましたか?」一拍の時間が沈黙の重いしずくのなかに消えた。「いや」リアーデンは言った。「あなたはお金を稼ぎましたか?」「いや」「最高のものを作るために精一杯の力を尽くすとき、あなたは報酬を求めますか?それとも罰されることを期待なさいますか?」リアーデンは答えなかった。「ご存じである礼節と名誉と正義のあらゆる基準によって1自分が報いられるべきだったとあなたは肩じておられますか?」「ああ」リアーデンが低い声で言った。「ではそうでなく罰せられたとすればーあなたはいかなる規範を受け入れたのです?」リアーデンは答えなかった。「一般に」フランシスコが言った。「人間社会に住めば、人の生活は無人島の自然と一人で闘うよりも格段に容易で安全なものになるとされています。さて、いかなるかたちにせよ、メタルを必要とする、あるいは利用する人間がいる場所で・ーリアーデン・メタルはその人間の生活を楽にした。それであなたの生活は楽になりましたか?」「いや」リアーデンは低い声で答えた。「メタルの生産以前と同じ生活は維持されましたか?」「いやー」リアーデンが言い、それに続く思考が途中で断ち切られたかのように言葉が途切れた。フランシスコの声が急に命令として彼に打ちつけた。「言いなさい!」「もっと苦しくなった」リアーデンは生気のない声で言った。
美徳の便乗者は己が弱さ、無能さを棚に上げ、弱者への奉仕を強者と有能な者の義務とする。いわば倫理とは、弱者による強者の奴隷化、或いは無能な者による有能な者の奴隷化として機能しているのであり、しかし、そこにあるのはノブレスオブリージュのような主体性に基づく行為ではない。では本当の泥棒は、搾取者は誰なのか?
「ジョン・ゴールト線のレールを誇らしく思ったとき」たくみな声のリズムによって、言葉を容赦なく明確にして、フランシスコは言った。「どんな人たちのことを考えておられましたか?その路線があなたと同等の人びとーエリス・ワイアットのような、生産的な活力あふれる大物に使われて、かれら自身がいっそう高い業績をあげる力となるのを見たいと思われましたか?」「ああ」リアーデンは熱っぽく答えた。「それがあなたの頭脳には及ばないが、道徳的誠実さについて同等である人間ーエディー・ウィラーズのようなしあなたのメタルを開発したりすることはないが、最善をつくして、あなたと同じく精一杯働き、みずから努力して生き、そして-あなたのレールに乗ってしかれらが返せる以上のものを与えてくれた人間にひとときの静かな感謝を捧げる人びとに使われるのを見たいと思われましたか?」「ああ」リアーデンは優しく言った。「あなたはそれが、不平ばかりこぼすゴロツキに使われるのをみたいと思われましたか?自分では何ひとつ努力せず、ファイル整理をする事務員の能力もないくせに社長の収入を要求し、失敗に続く失敗のつけをあなたに支払わせ、自分の願望があなたの仕事と同等であり、あなたの努力よりも自分の必要がより崇高な権利だと主張し、あなたに仕えさせようとし、自分に仕えることがあなたの人生の目的だと主張し、あなたの強さがかれらの無能さの奴隷であり、それには声も権利も代償も報酬もないと主張し、自分たちは無能さの祝福によって支配するべく生まれついたが、あなたは天才だからという理由で奴隷に生まれついたのだと宣言し、あなたの使命は与えることだが、自分たちの使命は受け取ることであり、あなたの役割は生産することだが、自分たちの役割は消費することであり、あなたは物質的にも精神的にも、富によっても名声によっても尊敬や感謝によっても代価を受けとることはないと宣言ししゆえにあなたには何の借りもないからと、あなたが買ってあげた帽子をとって礼をする手間さえとらず、あなたのレールに乗ってあなたを嘲笑い、ののしるゴロツキに?これが、あなたの求めていたものですか?あなたはそれを誇らしく思われますか?」「まずそのレールをぶっ飛ばす」青ざめた唇をして、リアーデンは言った。「ではリアーデンさん、なぜそうなさらないのです?僕が描写した三種類の人びとのうち−誰が滅ぼされ、誰があなたの路線を今日使っているのです?」長い沈黙をぬってかすかな金属の鼓動が工場から聞こえた。「僕が最後に描写したのは」フランシスコが言った。「たとえーセントであっても他人の努力に対して自分の権利を主張する人間のことです」リアーデンは答えなかった。彼は遠くの暗い窓に反射するネオンサインの光を見ていた。「リアーデンさん、あなたはご自分の忍耐力に制限を設けないことを誇りとされている。それはあなたが正しいことをしていると思われているからです。もしそうでなければ?もしもあなたの美徳を悪に奉仕させ、あなたが愛し、尊敬し、賞賛するすべてのものを破壊する道具にしているとすれば?なぜあなたはご自身の価値規範を、鉄の溶炉の間で守られているように、人びとについて守らないのですか?合金には一パーセントの不純物も許容しないあなたがーあなたの道徳規範に何を許してしまったのです?」リアーデンはじっと座っていた。頭をめぐるその言葉は、捜しつづけていた道へのさらなる一歩のようだった。それは、犠牲者の承認という言葉だ。「自然の困難には決して屈することなく征服してかかり、おのれの快楽と快適に奉仕させるあなたが、人間の手の中にあって何に屈されたのです?仕事では過ちによってのみ罰されると知っているあなたは、いかなる理由でいかなるものに進んで耐えてこられたのです?父点によってではなく、最高の美徳のために、あなたは常に非難されてきた。過ちではなく、功績によって憎まれてきた。あなたの最高の誇りである人格のために蔑まれてきた。おのれの判断にもとづいて行動し、おのれの人生に単独で責任を負う勇気のために身勝手といわれてきた。独立した精神のために高慢といわれてきた。妥協しない高潔さのために残酷といわれてきた。未踏の道を開く先見の明のために反社会的といわれてきた。目的に突き進む強靭さと自制心のために冷酷といわれてきた。富を創造する素晴らしい力のために強欲とよばれてきた。考えられないほどのエネルギーを費やしたあなたが寄生虫とよばれてきた。荒廃地と無力で飢えた人びとしかみあたらない場所で富を創出したあなたが、泥棒とよばれてきた。かれらすべてを生かしてきたあなたが、搾取者とよばれてきた。人びとのなかでもっとも純粋で道徳的なあなたが、「粗野な唯物主義者」として冷笑されてきた。あなたはたずねるのをやめたのですか?何の権利で?−何の規範で?−何の基準で?−そう、あなたはすべてに耐え、口を閉ざしてこられた。かれらの規範に礼して、あなた自身の規範を弁護したことがない。あなたは金釘一本を生産するのにどれほど厳格な道徳が必要かは知っているが、あなたは不道徳だというレッテルをかれらに貼らせておく。あなたは自然に対処するにはもっとも厳格な価値規範が必要だと知っているが、人に対処するのにかような規範は必要ないと思っている。そして恐るべき武器、あなたは存在を疑ったことも理解したこともない武器を敵の手に残したのです。かれらの道徳規範がその武器だ。どれほど深く、どれだけ多くのみじめな形であなたがそれを受け入れてきたか、ご自分にたずねてごらんなさい。道徳価値の規範が人生にいかなる影響を及ぼし、人はなにゆえそれなくしては存在しえず、悪が善である間違った基準を受け入れれば人に何がおこるのかをお考えなさい。あなたが僕をののしらなければと思いながらも、なぜ僕に惹かれるのかお教えしましょうか?それは、全世界があなたに負い、あなたが相手にする前にすべての人間から要求するべきだったもの、道徳的承認を僕がさしあげたからです」リアーデンは彼のほうに駆け寄ったが、それから息をのむような静寂のなかでじっとしていた。フランシスコは、まるで危険な飛行の着陸が近いように身を乗り出して目を据えていたが、そのまなざしは徹しく展えているようだ。「リアーデンさん、あなたは重罪を犯しています。それはかれらが言うよりもずっと重い罪ですが、かれらが説く罪じゃない。最大の罪はいわれのない罪を負うこと』そしてそれが、あなたが生なさってきたことなのです。あなたは悪徳ではなく、美徳のためにゆすりに応じてこられた。あなたは不当な罰の重荷を喜んで背負う。そしておこなった美徳が大きいほど荷は重くなるのです。だがあなたの美徳は人を生かす美徳だ。あなた自身の−あなたがそれによって生きているが、明言したり、認めたり、守ったりしたことはない道徳規範は人間の存在を守る規範です。あなたがそのために罰されるなら、あなたを罰する者たちの本質は何でしょう?あなたの規範は命の規範だ。ならばかれらの規範は?その根源にはどのような価値基準が横たわっているのでしょう?その究極の目的は何でしょう?あなたが立ち向かっているのはたんにあなたの富を押収しようとする陰謀だと思われますか?富の源を知っているあなたこそ、その企みはもっと悪質なものだと知らねばならない。人間の原動力を明言してくれとおっしゃいましたか?人間の原動力は道徳規範です。かれらの規範があなたをどこに導き、あなたの最終目標として何をさしだすのかご自分にたずねてごらんなさい。人殺しよりも卑劣な邪悪は自殺が美徳行為だと人に思いこませることだ。生贄のかまどに人を投げ込むよりも卑劣な悪は、彼自身の意思によってそこに飛び込ませ、そのうえ彼にかまどを作らせることです。(...)」 だからこそ次のテーゼへと至る。
そしてこの問題はすぐさま家族において発露する。それはリアーデンの慈悲によって、その善意によって生活を支えられていた美徳の便乗者、フィリップである。フィリップは作中絶えず兄へ倫理の必要性を説き、時に叱ってきた。しかし、彼はいつでも肩をすくめることができるのだ。
「ねえ、みんなの態度はとても偏狭だと僕は思うよ」突如としてフィリップが言った。「誰もこの件のもっと幅広い社会的な側面に関心がないんだね。リリアン、僕はあなたに同意できない。なぜヘンリーが汚いわなにはめられていて、彼は正しいと言うのかわからない。どうしようもなく有罪だと思うな。母さん、僕がごく簡単に問題を説明してあげる。裁判所にはこんな判例はたくさんあるし、何も特別なことじゃないんだよ。ビジネスマンは金儲けのために国家的危機を利用している。そして公益を守る規制を破る私腹を肥やすためにね。逼迫した物資不足に乗じて間取引で不当な暴利をむさぼり、貧しい人びとの正当な分けまえをうばって金持ちになる。単なる身勝手な強欲だけで、冷酷で、食欲で、なりふりかまわない反社会的な手段を追求する。うそぶいても何にもならないよ。みんな知っていることだから−そして僕はそれが見下げはてた行為だと思う」大勢の青少年にわかりきったことを説明するかのように、ぞんざいに、思いつきで彼は話していた。それは自分の主張の道徳的基盤は疑う余地がないと確信している口ぶりだった。リアーデンは、はじめて見るものを観察するかのように、じっと弟を見ていた。リアーデンの心のどこか奥底で、穏やかで断固とした一律の脈を打っているのは、ある男の声だった。何の権利で?−何の規範で?−何の基準で?−「フィリップ」声をあげずに彼はいった。「いまいったことを一言でも繰り返してみろ。おまえをたったいま、いま着ているスーツとポケットの小銭だけで外に放りだす」(...)「だけど僕...」彼は言いかけて、口ごもった。その声は氷をそっと踏んでみる足音のように響いた。「だけど僕には言論の自由があるんじゃないの?」「おまえ自身の家でな。俺の家ではない」「僕には僕自身の考えに対する権利がないの?」「自分で金を出すときにはな。俺に出させるならない」「意見の相に寛容になれないの?」「俺が経費を払うときにはなれない」「お金以外に関係のあることは何もないの?」「あるぜ。それが俺の金だという事実だ」「何かもっと高...」−彼は「高尚な」というつもりだったが、考えを変えた−「もっとほかの側面を考えないの?」「ああ」「だけど僕は兄さんの奴隷じゃない」「俺はおまえの奴隷か?」「兄さんが何を言いたいのか−」彼は口をつぐんだ。何を言いたいのか理解したからだ。「ああ」リアーデンは言った。「おまえは俺の奴隷じゃない。好きなときに自由にここを出ていってかまわないんだぜ」(...)「誤解をまねいていたなら、おそらく説明する義務はあるだろう。おまえが俺の慈善で生きているということを俺は思い知らせようとしたことはなかった。それを心に留めておくべきはおまえだと思ったからだ。他人の援助を受ける人間は誰でも、善意が与える側の唯一の動機であり、見返りとして求められる支払いも善意であると知っていると思っていた。だが間違っていたようだ。おまえはみずから稼いでもいない食い扶持をえて、愛情も勝ち得る必要はないということにした。俺がおまえの喉首を握っているからこそ、唾を吐きかけるには世界じゅうで誰よりも安全な人物だということにした。俺はおまえにそれを思い知らせたくはないし、おまえの気持ちを傷つけるのを怖れて手がだせないだろうということにした。よろしい、はっきりさせよう。おまえは与倍残高をとうに使いはたした慈善対象だ。かつておまえに感じたかもしれない愛情はもうどこにもない。俺にはおまえにも、おまえの運命にも将来にもこれっぽっちも関心がない。食べさせてやりたいと思う理由はどこにもない。俺の家を出て飢えようが飢えまいが、なんの違いもない。さあそれがここでのおまえの立場だ。ここにいたければ、そのことをよく覚えておくことだ。それがいやなら出ていけ」 そして場面は変わり、裁判のとき、リアーデンは断固として「抗弁」を拒否した。罪を贖う罰、すなわち責任(Responsibility)とは、起源より呼びかけ(Call)に対する応答(Respons)である。したがって、本来無効な要請に、成立しない罪に、主体が応答する必要はない。ゆえにここでリアーデンは答弁自体を拒否することはまさに「自分の行為が犯罪であると認識していない」ことの意思表示であり、だからこそ自らを強制できるのは暴力だけだと訴えるのだ。
検察役を務める判事の一人が起訴状を読みあげた。「それでは被告は抗弁をおこなってよろしい」彼は宜言した。木の壇に向かい、単調で不思議と明瞭な声で、ハンク・リアーデンは答えた。「抗弁はありません」「あなたは−」判事は口ごもった。これほどすんなりと終わるとは予想していなかったからだ。「あなたはこの法廷の決定に身をゆだねるというのですか?」「この法廷が私を裁く権利を認めない」「何ですと?」「この法廷が私を裁く権利を認めない」「しかしリアーデンさん、ここはまさにこうした種類の犯罪を審理するために法律で定められた法廷です」「自分の行為が犯罪であると認識していない」「しかしあなたはメタルの売却を制限する規制を破ったと認めています」「きみたちが私のメタルの売却を制限する権利を認めない」「あなたの承認は求められていないと指摘しなければならないのですか?」「いや。私は十分にそれを意識しているし、それに従って行動している」いつのまにか部屋は静まりかえっていた。ここにいる人びとが体裁を整える複雑なならわしに従えば、かれらは彼の主張を理解しがたい愚行とみなすはずだった。驚きと嘲りでどよめくはずだった。だが驚きもどよめきもなく、かれらはじっと座っていた。理解していたのだ。「あなたは法律に従うことを拒否しているという意味ですか?」判事がたずねた。「いや。私は法律に従っている−文字どおり。きみたちの法律は私の人生、仕事、財産が私の同意なく処分されてよいと定めている。よかろう。きみたちはいまその件について私の参加なく私を処分してよろしい。私は自分を弁護しようがないところで自分を弁護する役を演じるつもりはないし、正義の法廷を相手にしているといった幻想を作るつもりもない」「しかし、リアーデンさん、法律でははっきりと、あなたはこの件についてあなたの側の立場を表明し、あなた自身を弁護する機会を与えられると定めているのです」「被告人は裁判において、判事によって認識された客観的な正義の原則、不可侵であり、発動可能な彼の権利を尊重する原則が存在するときのみ、自分自身を弁護することができる。きみたちがいま私を裁こうとしている法律は、原則など存在せず、私には権利がなく、そちらの意のままに私を処分してもよいと定めている。よかろう。やりなさい」「リアーデンさん、あなたが非難されている法律はもっとも崇高な原則−公共善の原則にもとづいているのです」「公共とは誰のことか?それが掲げる善とは何なのか?かつて「善」が道徳的価値の規範によって定義される概念であり、他人の権利を侵害してみずからの益を求める権利は誰にもないと考えられていた時代があった。いま私の同胞がかれら自身の益だとみなすことのためなら何でも、好きなように私を犠牲にしてもよいと考えられているなら、私の財産をたんに必要だからという理由でかれらが押収してもよいと考えられているなら−さて、盗人もそうだ。違いはただひとつ。盗人は自分の行為を認めてくれと私に頼みはしない」法廷の横の席はニューヨークから裁判を傍聴にきた著名人に確保されていた。ダグニーは真剣な顔で目を凝らして身じろぎもしなかった。耳を澄まし、彼の言葉が彼女の生涯の進路を決めると知って。エディー・ウィラーズが隣に座っている。ジェイムズ・タッガートはみあたらない。ポール・ラルキンは背中を丸めて座り、供えのために口輪をかけた動物のように顔を突きだしていた。いまその顔は、悪意に満ちた憎しみの色を帯びつつある。その隣のモーウェン氏は彼より無邪気で理解も浅かった。彼の怖れはもっと単純であり、話をきいて困惑して憤慨しつつ、ラルキンにいた。「やれやれ、あの男ときたらとうとうやっちまった!いまや国全体に、すべてのビジネスマンは公益の敵だと思いこませてしまったんだ!」「我々はあなたが」判事がたずねた。「あなた自身の利益を公共の利益の上においていると理解してよろしいのかな?」「私はそうした問いはおこりえないと考えている人食いの社会にいるのでなければ」「ど....どういう意味かな?」「自分の手で稼いでもいないものを要求せず、人身御供を行わない人びとの間で利益の衝突はおこらないと私は考えている」「公があなたの利益を削ることが必要だとみなしたとしても、あなたはその権利を認めないということですか?」「おや、いいえ、認めます。世間はいつでも望むときに私の利益を削る1私の製品を購入しないことで」「我々が話しているのは...別の方法のことです」「それ以外に利益を削るのはたかり屋の方法であり−私はそう認識している」「リアーデンさん、これはとても抗弁とは言えません」「抗弁はしないと言った」「だがこれは前代見聞だ。あなたは自分に問われている罪の重大さを理解していますか?」「それについて考慮するつもりはない」「あなたの主張が招きうる結果を理解されていますか?」「完全に」「検察によって提示された事実によれば寛想の余地なしというのが判事団の意見です。この判事団があなたに課すことのできる罰は極めて厳しいものです」「ならそうすることだ」「は?」「罪を課しなさい」三人の判事は顔を見合わせた。そのうちの一人がリアーデンの方を向いた。「これは前例のないことです」彼はいった。「完全に規定外です」二人目の判事がいった。「法律はあなたに抗弁申し立ての提出を要求しているのです。唯一の選択肢はあなたが法廷の決定にゆだねると公式に宜言することです」「そのつもりはない」「だがしなければなりません」「私の任意の供述が求められていると?」「そうです」「任意の申し立てをするつもりはない」「だが法律では被告側の公式な申し立てが必要なのです」「つまりこの手続きを合法的にするのに私の手助けが必要だということかな?」「ええっと、いいえ...はい...つまりその、形式を整えるには」「きみたちに手を貸すつもりはない」三人目の最年少の判事は検察役を務めていたが、いらだたしそうに言い放った。「ばかばかしい!不公平だ!あなたは、あなたのような著名人が一方的に判決を言い渡されたと見せかけ−」はっとして彼は口をつぐんだ。法廷の後ろの方から誰かがひゅうっと口笛をふいた。「私は」リアーデンが重々しく言った。「この手続きの本質があるがままに公表されることを望んでいる。それをごまかすのに私の力が要ったとしても、私は手を貸すつもりはない」「しかし我々は抗弁の機会を提供しているのです。それを拒んでいるのはあなたですよ」「私は自分に機会があるといったまやかしのためにきみたちを助けはしない。権利が認められていない場所で、みせかけの公正さを保つためにきみたちを助けはしない。最終的には銃が解決する議論を始めておきながら、うわべの合理性を保つためにきみたちを助けはしない。きみたちが正義を司るふりをする手助けはしない」「だが法律はあなたの自主的な抗弁を強制している!」法廷の後方で笑い声があがった。「諸君、それがきみたちの理論の久陥だ」リアーデンが真顔で言った。「私はきみたちをそこから救い出すつもりはない。強制によって人間を処分したければすればいい。だがきみたちはいずれ、いま理解しているよりも様々な場面で犠牲者の任意の協力が必要だと気づくだろう。そして犠牲者はきみたちのような存在を可能にするのか自分のしきみたちには強制できない自由意志だと気づくだろう。私は一貫していたいから、きみたちの要求するかたちにそのまま従おう。銃を突きつけられれば、きみたちが私に要求することは何でもやる。実刑判決を下すなら、私を連行するために武装した男たちをよこしなさい−私が自主的に動くことはない。罰金を科すなら財産を押収することだ−私から自主的に払うことはない。私に強制する権利があると思うなら−堂々と銃を使いなさい。きみたちの行為の本質をごまかす手伝いをするつもりはない」最年長の判事がテーブル越しに身を乗り出し、感動にあざ笑うような声で言った。
そしてまさに「自由の闘士」と判事が評したが如く、リアーデンは自由のために立ち上がる。封建主義では王は民を搾取し、資本主義では資本家が労働者を搾取した。だからこそルソーは君主制から共和制を目指し、マルクスは資本主義から共産主義を目指した。これと同じようにリアーデンは、いやアイン・ランドは倫理社会において無能が、弱者が、有能であり、強者であるものを奴隷化し、搾取する世界に抗い、自由を再び獲得するために、一つの共同前線を宣言するのだ!
「リアーデンさん、あなたはなにか原則のために戦っているような口のききかたをされているが、実際に戦っているのはご自分の財産のためだけでしょう?」「ええ勿論。私は自分の財産のために戦っている。それが象徴する原則をご存じかな?」「自由の闘士を気取っておられるが、あなたが求めているのは金を稼ぐ自由だけだ」「ええ勿論。私がほしいのは金を稼ぐ自由だけだ。その自由が含意するものをご存じかな?」「よもや、リアーデンさん、あなたはご自分の態度を誤解されたくはないでしょう。あなたはご自分が、同胞の福祉には何の関心もなく自分の利益のためだけに働く社会的良心の欠落した人間だという一般的な見解に裏づけを与えたくはないでしょう」「私は自分の利益のためだけに働く。私はそれを稼いでいる」彼の背後の聴衆は憤りではなく驚きに息をのみ、正面の向かいの判事団は沈黙した。彼は静かに続けた。「いや、自分の立場を誤解されたくはない。それについて喜んで公式に発言しよう。新聞で私について書かれたすべての事実に−評価ではなく事実に、私は全面的に同意する。私は自分の利益のためだけに働く。それは私の製品を必要とし、それを好んで購入する人びと、購入できる顧客に売って得る利益だ。私が顧客に得をさせるために損失を覚悟で生産することはないし、顧客が私に儲けさせようと損をしてまで購入することもない。私は顧客のために自分の利益を犠牲にはしないし、私のために顧客が自分の利益を犠牲にすることもない。われわれは対等な立場で、合意によって、相互利益のために取引をする。こうして稼いだーセントーセントを私は誇りに思う。私は金持ちであり、全財産を誇りに思う。私は汗を流して、自由な交換のなかで、取引に関わる全員との自主的な合意を通じて金を稼いだ。それは働き始めたときには私の雇用主との、いまは私の下で働く者たちと、私の製品を買う人びととの自主的な合意だった。きみたちが堂々とたずねようとしない質問すべてに答えよう。私は従業員の仕事の価値以上の給料を払いたいと思っているだろうか?思っていない。願客が喜んで支払う金額を下回る代金で製品を売りたいと思っているだろうか?思っていない。損失を出して売ったりただで与えたりしたいと思っているだろうか?思っていない。これが悪いことだというなら、きみたちの基準に従って、私を好きなように始末しなさい。これは私の基準だ。私は、すべて正直な人間がそうあるべく自分で生計をたてている。自分が生きているという事実と、自分の生活を支えるために働かなければならないという事実を罪として受け入れることを私は拒否する。そうして働くことができる、人よりうまくできるという事実を罪として受け入れることを、私は拒否する。自分がたいていの人間よりもそれをうまくできるという事実−私の仕事に隣人の仕事よりも高い価値があり、より大勢の人間が私にすすんで代金を払おうとするという事実を罪として受け入れることを私は拒否する。おのれの能力と、成功と、財産について詫びることを私は拒否する。これが悪だというなら、せいぜいそうとして利用したまえ。公益に有害だと社会が言うなら社会に私を破壊させたまえ。これは私の規範であり−別の規範を受け入れるつもりはない。きみたちが望むべくもないほどの善を私は同胞にもたらしたということもできる。だが言うまい。私は他人にもたらした利益によって自分が生きていく権利の承認を求めはしないし、他人への利益をかれらが私の財産を押収したり私の人生を破壊したりする正当な理由としても認めないからだ。他人への利益が自分の仕事の目的だとは言わないでおこう。私自身の利益が私の目的だったし、自分の利益を放棄する人間を私は軽蔑するからだ。きみたちが公益に役立っておらず、人間を生贄として誰かが利益を得ることはなく、きみたちが一人の権利を侵害するときはすべての人間の権利を侵害し、権利のない生き物の集団である公は破滅の道をたどる運命にあるということもできる。餌食の尽きたすべてのたかり屋と同じく、きみたちには普遍的な荒廃の結末しかありえないということもできる。そう断言することもできるが、しないでおこう。私が挑戦しているのは特定の政策ではなく、きみたちの道徳的前提なのだ。かりに人間が人間を犠牲にすることによって善を成しとげられるというのが真実であり、それで私の血を代償として生きのびようとする生きもののためにおのれを生費にすることを求められたならば、もしも自分の利益とは関係のない、それ以上の、それに反する社会の利益に仕えることを求められたならば−私はそれを拒否する。もっとも軽蔑すべき悪として私はそれを拒否し、全力でそれと戦う。たとえ一分とたたずに殺されることがわかっていても、全人類を相手に戦う。私の戦いと人間が生きる権利の正当性について完全な自倍をもって。誤解のないようにしておこう。いま、公の善が犠牲者を必要とするというのがみずから公共と名乗る同胞たちの倍条ならば、聞くがいい。公共の善なんかないほうがましだ!そなものに肩入れするのはまっぴらごめんだ!」聴楽はわれるような拍手喝さいをあびせた。リアーデンは判事団よりも驚いて振りかえった。そこには激しい興奮で笑いさざめく顔や、救いを求めるいくつもの顔があった。沈黙した絶望が解き放たれ、彼自身と同じ憤怒が喝采による荒々しい挑戦にはけ口をみいだしていた。彼が見たのは賞賛と希望の表情だった。いっぽうで、口もとの緩んだ若者、身なりもかまわぬ意地の悪そうな女、ニュース映画のスクリーンにビジネスマンがあらわれると率先してブーイングする者たちの顔があった。かれらはやりかえすでもなく沈黙していた。