シュミット
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決断主義
例外状況
主権者とは、例外状況にかんして決定をくだす者をいう
この例外状況は超法規的措置を取らざる得ない状況である 例外とは、推定不可能なものである。それは、一般的把握の枠外にでる。しかし、同時にそれは、決定という純法律学的形態要素を、絶対の純粋さにおいて明示するものである。
法的決断
決断するという「形式=形相 Form」こそが重要
法形式を支配するものは法観念と、その具体的事象への適用の必要であり、最広義における法実現の問題である。法観念は自ら実現することはできず、現実化するためには特定の形式化が必要であり、そのことは一般的法観念の実定法への形式化にも一般的法規範の司法的・行政的適用にも妥当する
国家主権とは、正しくは、強制の独占、支配の独占ではなく、決断の独占と法的に定義さるべきものである
強制の内容的正当性や正当化の根拠を問う態度は、合理主義者の態度である。具体的共同体に関して、まず問わるべきは、強制の目的や内容ではなく、誰が強制するかである
法規範それ自体は例外状態を包摂しないから、規範的に考察すれば、例外状態をめぐる決断は無から生まれたものであるということになる。そのような規範的無からの決断は、もはや決断の内容的正当性に根拠をもつものではありえず、その価値は、決断権者によって行われる。
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政治神学
これは「全能なる神が万能の立法者に転化したように、諸概念が神学から国家理論に導入されたという歴史的展開によってばかりではな」いとして、単なる「王権神授説」以上の意義を示唆する。そこで「体系的構成」の類比性を論ずる。 例外状況は、法律学にとって、神学にとって、其蹟と類似の意味をもつ。このような類似関係を意識してはじめて、そこ数百年間における国家哲学上の諸理念の発展が認識されるのである。 歴史的背景
復讐劇とあらばオレステースのように母をも同罪として成敗するか、あるいはアムレートのように母と共同して復讐を成就するかの、二類型に大別されるが本作は曖昧である。これが作為的なことなのでは スコットランド女王メアリ・ステュアートの夫ダーンリー卿ヘンリーは、1567年2月,ボスウェル伯によって殺害された。メアリがこのボスウェル伯と再婚したのが,同年の5月である。メアリが夫の殺害にどこまで関与したのかについては諸説あり,彼女自身が主張する無罪を旧教徒は支持したものの,メアリの政敵,つまりイングランド王エリザベス1世のプロテスタント信奉者および新教勢は、メアリが夫殺害に大きく関与したと勘ぐった。この一件で,メアリはスコットランド王位を退きイングランドへ渡るも、エリザベス女王の保護を得られず終身禁固となる
シェイクスピアはというと、劇団ともどもサウンプトン伯およびエセックス伯の保護を受けていた。ところが、女王に対するエセックス伯の反乱計画が露顕し彼は1601年2月25日に処刑され、加担したサウサンプトン伯も執行はされなかったものの死刑判決を受ける。
シェイクスピアは,王位継承者として,メアリ・ステュアートの息子,スコットランド王ジェームズに期待をかけており,実際,1603年3月23日にエリザベス女王が崩御してジェームズ1世が即位すると、新王はサウサンプトン伯を赦免、シェイクスピアの劇団もロンドンに復帰、「国王一座」と改称し宮廷前での興行も許された。
本背景を考察するとシェイクスピアがメアリ・ステュアートの息子ジェームズに配慮して、明言することを伏せたという解釈もできる。他方で、イングランドの観衆に配慮するならば史実のメアリを連想させずにはおかない作中の王妃ガートルードの無罪を積極的に主張することは賢明でない。とすると曖昧にしたことに合点がいく。
Donoso Cortés in gesamteuropäischer Interpretation
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序文
本書で論じられるのは「無神論者・無政府主義者・実証主義的科学者」が評するような「あらゆる政治神学は、あらゆる政治的形而上学と同様、学問上とうの昔に一掃されている」という見解ではなく寧ろその逆である。
本書の検討の対象となるあらゆる政治神学の一掃の主張は、かかる無神論的・無政府主義的・実証主義的一層と何の関わりもない。あらゆる政治神学のポレミッシュな否定論者エリック・ペテルゾンは、オーギュス・コントの如き実証主義者でもなければ、プルードンやバクーニンの如き無政府主義者でも、また現代流の科学者でもなく、極めて敬虔なキリスト教神学者である。彼はその一掃にあたって、「聖アウグスティヌスに捧ぐ」という献呈の辞や、、この偉大な教父への祈りの言葉をもって前置きとしている。彼の一掃はあらゆる政治神学の神学的一掃である。 実際、この神学的一掃の効力を下記のように認めている。
ペテルゾンの最終テーゼは(...)今日でもなお、あたかもそれが最終的な既判力をもった既決事件であるかの如く援用されている。それを援用しさえすれば、それ以上の問答は無用で、拙著『政治神学』を読む必要がいないのはもとよりのこと、ペテルゾンの1935年の著作そのものの検討さえ不必要となるかの如くである。(...) 政治神学は一掃されたという十把一からげの否定的最終テーゼは、神学者も反神学者も、キリスト教も反キリスト教徒も援用しうるものとなっている。 そして「相反する立場がただ政治神学の一掃という否定的な点でのみ意見が一致しえた」からこそ、その「伝説に批判的検討を加えるべき時が至った」とするのだ。
最終テーゼに対する応答
さらに上記立場を、ペテルゾンの文脈で論ずるためにも彼の三つのテーゼを紹介し論ずる。
1 神的君主制論は三位一体の教義によって、アウグスティヌスの平和(Pax Augusta)の解釈はキリスト教の終末論によって、必然的に瓦解する。 2 それによって政治的問題としての一神教は神学的に一掃され、キリスト教はローマ帝国の軛から解放されたが、そればかりでなく、キリスト教の福音を何らかの政治状況の正当化に濫用しようとする一切の「政治神学」との原理的訣別が完成される。 3「政治神学」というようなものは、ユダヤ教や異教の基礎の上にのみ存立しうる。 そこで「重点は一神教が政治的問題として、神学的に一掃されたというところにある」として、その意味の二重性ついて整理する。
第一には、「一神教は神学的問題ではなく、政治的問題であるから、それ故神学者には関わりがない、それ故に一掃されたのだ」という解釈であり、第二には「一神教は政治的問題ではあるがそれはまた神学的判断にも服するもので、それゆえ神学の立場から、政治的問題として(も)一掃されたのだ」という解釈である。
つまり前者は「神学は神学者のもの」として、また政治学は政治学者のもの、として弁別する故に、政治神学は神学という学問の探求から一掃されたという意味である。逆説的には、「神学者が政治問題に神学的解答をなすということ」は許されない。それを次のようにいう。
断乎政治から訣別した神学が、いかにして何らかの政治勢力や政治的主張を神学的に一掃しうるというのか。かりに神学と政治がいわば天地ほど離れた別々の領域だとすれば、政治的問題はただ政治的にのみ一掃されうるはずである。