2019年3月のアイデアライン
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2019/3/18 1255 pages
2019/3/24 1279 pages
2019/3/30 1332 pages
2019/3/1
グローバル変数がボスキャラなゲーム
隣の芝生を刈るは見えない
だから青く見える
2019/3/2
2019/3/3
プロセス型アウトライナーを使うことでゆさぶられるもの
視点の固定、越境感覚の欠如
すべてが自主に回収されていく世界。その重みは無限に膨らんでいく
知らんけど、をつけることで言えること。
ワンチャンス
ルーチンをリファクタリングする
アップデートする
嫌なタスクは消す
ある切り分け方がダメだからといって、別の切り分け方にすればそこでも問題が生じる
だからといって何も切り分けない、というのは不都合が多い
そこで、切り分けるのだけれども、それが固定されない、というのが良い。
仮固定性。
2019/3/4
2019/3/5
醗酵、微生物、食物の変化、人間の腸内環境
本を持つ、ということ
昨日読んだ記事
著者として生きていく、ということ
パソコンではファイルを定位置に戻さない
2019/3/6
not for meな考え方は大切だと思うけど、その答えを引き出す手前にある「これは私向けなのか?」という問いこそがより重要である気がする。でないと、単なるラベル貼り(という断絶)になりかねない。
いろいろなものの分岐点にあるのだと思う。「すごい人」のやり方をそのまま真似したらうまくいく、的なものがもはや機能不全どころか幻想すら維持できなくなっている、というような。
横並び性が強い時代であれば、すごい人のやり方を皆が真似するというある種のトップダウンにもそれなりのメリットはあっただろうし、変化が少なければそのやり方の寿命も長かっただろうから、自分に合わなくても無理に合わせるメリットはあったかもしれないけど、それも昔の話になりつつある。
で、これは今日のHonkureで書いた話とも呼応する。
もちろん、過渡期を経るだろうから一気には変わらないだろうし、自分で自分の「方法」を作るというのは不安が伴うから、よりいっそう「私のやり方に従いなさい」というものが(ある種カルト的に)力を持つこともあるだろうけれども、それでも少しずつ変わっていくとは思う。
2019/3/7
何をもって読みたいと思うか
読みたいと思うことと買いたいと思うことの違い
コグレ「ブログは情報の投資信託。急がずにじっくりと続けていく
信頼の投資信託、なのかもしれない。
year-pageとmonthly-pageを作ってみる?
即座にメモするサイト
それを後からScrapboxに移動させる
買い物メモみたいなものは、そのまま遺しておく?
2019/3/8
メモをたくさん遺してきた
少なくともデジタルは「読める」
迅さんはかっこいい
ワートリ全体がかっこいい
えらく詳細な夢を見た
堀さんが自宅で居酒屋さんをやっている夢
本を売るための努力
2019/3/9
漫画は「頑張って」作ってはいけない その理由は… ニート漫画家志望のウチに漫画の家庭教師が来た話 その5
なぜ、若い人たちが必死に成長や結果を求めるのかというと、それより上の世代が、成長や結果という、わかりやすいもので評価されてきたからだ。実際、今の若い人たちより僕ら(40代)の方が目に見える結果と成長が感じられやすい世の中で生きてきたと思う。同じような経験をして、同じような音楽を聴いて、同じような番組を見てきた。今はどうだろうか?同じような経験やコンテンツもあるにはあるが、より細分化・ニッチ化して、いってみれば難しく、複雑で、わかりにくい世の中になっている。そこで求められる成長や結果も難しく、わかりにくくなっている。僕が最近の世の中に感じるのは、昔の価値観で若い世代へ結果を求めることへのギャップと、分かりにくくなった世の中でわかりにくい成長を求められている若い世代の生きにくさである。わからないから、わかりやすいものに飛びつくのだ。成長、成長、成長と。
青い鳥ではありませんが、いろいろ試してみて、自分のことがいくつかわかったら、それはそれで成果だと思います。少なくとも、そこから切れるスタートはあります。
「素晴らしい方法」が人を苦しめるのは何度も見てきてるので、やるおわは、そういう形にはなっておりません。
情報が断片的に流れてしまう環境では、「この発言をした人は、過去にこんな発言をしています」というのも一緒に可視化されるとよさそう。
ちなみに、Scrapboxでは大きいタグ(より包括的なタグ)は下に書いた方がいい、というのはこういうページでよくわかる。結城メルマガを頭におくと、すべてがそこに包括されてしまい、具体的なキーワードでつながっている(≒より関連性の高い)ページがどれなのかが見えなくなってしまう。 「読めない本」(読めていない本)は、在庫でもなければ、課題リストでもないし、罪の積み石でもない。
2019/3/10
先に思い切って書く、そして調整する
たいへんさはなくならない
まず「書ける」ことが重要。
書けて、苦労するならぜんぜん構わない。
一行のフレーズですから書いてから直す
文章を構成するものが二つあるようにアイデアも複数で構成される?
植え付けられた万能感
あなたは何でもできる。
何でもできないのは、あなたではない。
自己の喪失、強い否定
間違いや失敗を認められない。
甘い夢の跡にまっている苦い現実
決して苦難を与えないライトなノベル、安くて高濃度のアルコール飲料、無限の万能感を注入しつづける自己啓発書。憎悪に反転したときが怖い
困っている人をほっとけない妻と、解決されていない問題を放置できない夫
メンタルモデル抜きのノウハウ
七面鳥の未来予測
セグメント化とその限界
一つのパイの分割には、限界地点がある
セグメントを跨ぐ、などの打開策はある
フィリップ・コトラーのマーケティングを参照のこと
お店屋さんの籠の中
障壁を維持する力学が働く
明快で強いイデオロギーと対峙できるものはなんなのか、という問い。
明快で強いイデオロギーで対峙するならば状況はまったく変わっていない
玉座に座る人間が据え替えられただけ
攻略動画のパーティーなど組めない
ゴーイングコンサーン
でも、役割を終えた企業は退場すべきでは?
2019/3/11
Todoリストは作らないnot todoリストだ、という場合でも、not todoリストを作るというtodoは発生する
読まれるために「味付けを濃い目に」しているツイートとかブログとかって、大量に目に入れるとやっぱり胃もたれするんだよね。でもって、胃と違ってなかなかそうとは気がつかずに疲れてしまう。
マルクスは「人間は環境によって規定されるが、同時に環境を生み出す存在でもある」
階層について
階層とメッセージ
階層を作りたくなる気持ち
サイズと階層
思想に対する免疫
ニック・ランドの教え子たちは、ヒッピーたちの平和と愛の時代が終わり、代わりにサイバーパンク・ディストピアの洗礼を受けた世代で、一般に、ジェネレーションXと呼ばれる世代だった。ジェネレーションXの若者たちは、それまでの人生で、1960年代や1970年代のヒッピーたちのような急進的な主義・主張やLSDといったアンダーグラウンドな文化には触れてはおらず、無菌室のような過剰に清潔化された空間で育っていた。思想に対する免疫のない彼らは、大学で出会ったランドの影響を正面から受け、次々と怒れる保守派へと変貌していった。
小さなネットワークは弱いネットワーク
低コストだから、何度も結び直されることで、疑似的に永続性を得る
大きなネットワークは、強固であり、潰れにくい
役割を終えたとしても、退場しないような力学を発生させかねない
2019/3/12
もし〜であれば、○○を実行する
私たちが気になること
なぜそれが気になるのか?
情報処理の観点から。
望んでいる結果がはっきりしていない
次にとるべき物理的な行動が定義されていない
望んでいる結果や次にとるべき行動を適切なタイミングで思い出させてくれるリマインダーが設定されていない
なにを気にするのか?
マニュアルを使わないで行う、という行為のマニュアルは作れるのか?
RSSの読み方
Feedly→Pocket
→メモ
チェックボックスの自由、不自由
アナログのチェックボックスはかなり自由度が高い
偉くなると、誰も注意してくれなくなる
"ストーリーは一種の魔術である。繰り返しや首旬反復などの技法と同様、人々をそそのかして神話を生じさせ、真実を理解するのに必要な深い思索をさまたげる力を持つ。どんなストーリーでも、誤った目的に使われるものは危険である" 『ヒットの設計図』
2019/3/13
一握りの小さなアウトライン。一目ですべてを見ることができる、小さなアウトライン。
それを育てるためには、センテンスやパラグラフ、それらの集まりをひとつの「システム」として機能させるような、ひとつの項目に要約することが鍵になる。その要約された項目が、その瞬間から、それまでのセンテンスと同じ役割を担う可能性をもたせることも大切である。そして、ある期間、開かれなかったり書き換えられなかったりした項目を捨てることも..。
それはたとえば、何かを読んで心が動いたときのフリーライティング。
ある本や論文を読んで感動したとする。これはすごい、ぜひ自分の生活にも生かしたいと思ったとする。そんなとき、何がすごいと思ったか、なぜすごいと思ったかを、思ったとおりに書いておく。フリーライティングだから、テーマが逸れたりしても気にせず、書きつづける。だから、これは読書ノートとはちょっとちがう、もう少し自由なもの。
いわゆる読書ノートにもアウトライナーを使っているから、このフリーライティングは、その読書ノートの延長のときもあるし、まったく別項目にするときもある。それが許されるのも、アウトライナーのいいところ。
そして、そうしてできた文章をベースにしたアウトライン・プロセッシングを、これまた自由な感じで進める。アウトラインをつくったり、そこに文章を割り当てたり、それに合わせて本文を書き直したり、またアウトラインをつくり直したり。それを一気にやるときもあれば、隙間時間で少しずつやるときもある。
ただし、ひとつだけルールを決めていて、ひととおり文章を書き上げたあと、必ずタイトルになるようなセンテンスをつくるようにしている。『アウトライン・プロセッシング入門』で「テーマの明確化」と呼ばれる部分である。そのタイトルセンテンスは、文章の内容をひとつか2つのセンテンスに凝縮したもの。このタイトルセンテンスをつけるだけで、自分のフリーライティングのリストが俯瞰しやすくなる。そして、時間が経っても、読み返したり書き直したりする気持ちが湧きやすくなる。
HackHub
というハックをGithubのように集め、公開するサイト
必要な情報とリンク、それに簡単な手順が掲載されている。
レシピサイト
マインドフルネス的な流れ
クレジットカードを使ってまで買い物をする消費意欲
モノによる豊かさ
日本人も同種のものがあるが、手狭だから捨てたい、という方が強いのではないか?
つまり、ローソンに行けば、衝動買い、別段必要でもないものを買わされる可能性が高い、ということだ。
それってどうなんだろう?
同じことは、情報摂取にも言える。
現代は、とにかくコミットメントを要求する。アテンションを引きつける。そういうもので溢れている。
町中がパチンコ屋の中みたいなものだ。
やること過剰社会、コミットメント過剰社会なのだ。
プログラマは、変数や関数に名前を付けるのが日常だろうし、物書きも概念や現象に名前をつけることはしょっちゅうあるので、Scrapboxのリンク付けは結構慣れているというか、違和感は少ない気がする。
たとえスタージョンの第二法則が正しくても、読み切れないほどの素晴らしい本がこの世界には存在している。
僕は在野研究者ではないけれども、ブログが大人の自由研究であるならば、研究という言葉で繋がりは生まれる。
ブログで直接的なお金はほとんど発生していない
献本を頂いて書評を書くことはあるが、金銭的な利益は発生しない
こちらからブログを読んでいる人は見えない
2019/3/14
強盗を効率よく行う方法?
ビッグデータと強盗みたいなのはどうか?
長年の経験による観察眼がなくても、しかるべき家を見つけることができる
2019/3/15
正解幻想の何がまずいのか
楽観主義ではなく、悲観主義+天の邪鬼のコンボ
2019/3/16
怒りと認知資源とシッタカブッタ
自由度が徐々に解放されていく仕組み
逸脱者のいない世界 ショートショートネタ
あなたの想像力が猛々しいほど、文字は映像を越えていく
2019/3/17
タスク管理のScrapboxは盛り上がっているが、考えて、生み出す技術はそうでもない。
どうしてか?
あるいは、どうにかしたい。
知的生産系の話題を定期的に投下できていないことが問題
そういうのは、発想工房に書いてしまう、というのが問題なのだろう。
Googleが変えた3つの感覚
検索
コンテンツと広告の関係
ツールの無料感
一つひとつのツイートで「これでうまくいく」みたいなことが書かれていたら、認知的にめっちゃしんどいことになるのではないか。人間は、いろいろな「ここはこれでうまくいく」の組み合わせで出来ていて、その全体象を示さないと、本当の意味で助けにはならないのではないか。むしろ、混乱や困難を増やしているだけではないか。
大きな文字数をもって伝えることの大切は、この辺にもありそう。
メメックス
先達のカード・システム
梅棹
板坂
幸福論のアレン
PoIC
YouTubeの動画でも見かけた
2019/3/18
パズドラの2種類のパズル
ダンジョン中のパズルとどんなチームで臨むのかというパズル
紙のクーポンと携帯のクーポン
なぜ人を殺してはいけないのか?というのは雑な問い
答えを出したいならば、「なぜこの社会では、人を殺してはいけないがルールになっているか?」だろう。
あるいは同族同士が殺し合う生物の生存競争でのメリット、デメリットについて考察してもいい。
いろいろな価値観を認めよう、の弱さ
なぜそれを認める必要があるのか、という点
そーかる、哲学学問としての、思想として 対象と手つき
本を紹介する切り口が見つからず、なかなか記事が書けないでいても、それについて断続的に考えていると、ふと一週間とか二週間後に、突然その切り口を見つける(思いつくこと)がある。たいていは、なんの脈絡もないことを考えているときに。
だから諦めずに考え続けましょう、というのではなく、ある程度意識的に考えたらしばらく放置しましょう、というのがポイントだと思う。連続的というよりは、断続的、持続的のような感覚。
ここからスケジュールについていくつかのことがわかる。まず、定期的なアウトプットは基本的にはしんどい、というもの。切り口がいつ見つかるかはコントロール不能なので、アウトプットと定期的な生成は難しい。締切がない、あるいは余裕があるものはその点は楽。
また、定期的なアウトプットが必要ならストックが役に立つ。切り口を貯めておけば、締切に間に合わせられる。あるいは、締切に合わせて質を諦める、という選択もある。納得できる切り口がなくても、とりあえずはよしとしてしまう。と、いろいろ方法はある。
もちろん、日常的にいろいろ考えておくのが大切であることは前提である。
構築的な知と議論の作法
積み上げていく必要がある。そのためには同じ土俵に立つ必要がある
感情的な吐露や愚痴を言っても良いが、それは議論には参加できない、という切り分け
ハッシュタグ下手
R-styleはほとんど地味でいいが、一部の記事は広く読まれて欲しい問題
2019/3/19
承認欲求ダイエット
モノ・ダイエット(片付け)、体重ダイエット、情報ダイエット(デジタル・デトックス)、出費ダイエット
エトセトラ、エトセトラ
少し無理をするのは構わないが、それが当たり前になると、無限に展開していく
無理をしている、という感覚が持てることが一番
そのためには、この辺は無理ではない、というラインを把握しておきたい
メルマガの「はじめに」をどこかのScrapboxに入れておく
ただし、また細分化する恐れもある
発想工房でもいいか?
読者さんに編集権?
〜〜研という在り方
マスターはいるが、書き込みは自由に、というスタイル
Scrapboxの運営法
定期的にScrapboxに話題を投下していくようにする?
複数所属すると、それがしにくい
怪しい?などは問題ない
レジリエンス
アポトーシス:ネクローシス
2019/3/20
あまたを照らし、一つの影すら生まない光があるにしても、その力強い光の下では何も見えないだろう。
一つの物語、複数の物語
たぶん、ある種のロジックに(というかストーリーラインにに慣れすぎているのではないか。「ほらこれって問題でしょ→それを改めれば人生ハッピーになれます」というストーリーラインにおいては、何かしらによって悪いことが起こる、と書かれていると、すぐさま勧善懲悪の物語が完成する。
たとえば極端な話、みとこうもんばかり見ている人が、ある回で、悪代官には実は難病の娘がいてその薬代のために悪代官のフリをしてお金を稼いでいた、という事実がわかって、こうもんさまが判断に苦悩する、みたいな話になったら、きっと受け付けないと思う。たぶん、だけど。
本をたくさん読むこと、というか多様な物語に触れることの効用の一つは、そうした物語を(ある程度は)選べるようになることなのかもしれない。でもって、そういう視座もまた物語でしかない、という点を外さないこと。
ただ、どちらも物語であるにせよ、階層は違っているだろう。別に上の階層の方が偉い、というわけではないが、上である方が自由さの程度は広い、とは言えそうだ、という点で最近考えているアウトライナーの話とも通じてくる。
たとえ話が通じない人
ノウハウを売るためには、前提条件が同じであると仮定して、その上目的まで一緒であると「説得」することが必要になる。
人間の認識は経路依存である。
歴史がある、という言い方をしてもいい
ある種の個性の発露であり、ある種の共通性の担保でもある
人間の骨はいつ生まれるのか?
それと、コンテンツの骨子との関係性
『論文の教室』は珍しく眠たくならない面白い本。
ときめかないものを捨てる、というやり方も最初はうまくいかない
実際例として、コンサルティング中にアドバイスする旨が書かれている
仮のその人がひとりで実践していたら失敗してリバウンドしていただろう
2019/3/21
チェックしたら消えるリストと残るリストは、かなり感覚が異なる
テクニックとかコツとは便利なんだけど、一つ上の階層がないと、「神Excel」的なものに近づきかねない心配がある。
2019/3/22
昨日うちあわせCastで話していて思ったこと
脱線と発想と文章を書くことの関係性
苦労の値は一定値
逸脱が自然、リニアな一本道は不自然
でも、そうなっていた方が良いことはある。
語りはリニア、情報はネットワーク
歪さ
ゲームに慣れすぎた勇者とそうでない勇者
2019/3/23
価値の弁護人
文防具
2019/3/24
死者(遺影)と顔
死者のまなざしを、正に取り込む
あなたが死者の顔を見ているとき、あなたもまた死者に見られているのである。
変身は、儀式を経て起こる
認知・認識が変わる過程が必要
死んだ人を、死んだ人と認識するための儀式
それと同じことが、他者や自己認識にも生じる?
二回テストを受けただけの生徒が向上しないと嘆いていたら、どうするだろうか?
やるおわの関連本
藁商人
藁人形
トップダウンは本当にトップダウンか
テーマスタート?
組織の上部から命令が下ることと、テーマから生み出された目次案に従うことの共通性は何か?
上位概念
ある概念から、下位の概念を形成すること?
複数ではなく、単一
かならず先に存在するもの?
2019/3/25
WPのグーテンベルグなど、書くためのツールがどんどん難しくなっていく
Make a plan
Beware of distractions
Learn to say ‘no’
Give yourself a break
Don’t try to chase every great idea
A plan can help in a crisis
①計画を立てて優先順位をつける、②EメールやSNSに時間を割かない、③断ることを知る、④きちんと休む、⑤すべてに手を染めない、⑥行き詰まったら計画と優先順位を更新する。
二種類の天の邪鬼
タテと言われたら、ヨコを選ぶ
タテかヨコを選べと言われたら、ナナメを選ぶ(作る)
カフェの隣で交わされている会話
その異物感、余所者感が公共性につながる
「自分の言葉」でアウトプットすること
この世界には、人口と同じだけの内面世界が存在している。
僕がリーチできるのは、本当に限られた部分だけ
2019/3/26
ファクトフルネスとファスト&スロー
不合理性とどう付き合うか
魔法科高校の劣等生とノゲラ
評価と実力がずれている人
「」読み
千葉さんが解釈したメイヤスーの理論を自分が解釈するというような構図
軽いアドバイスはよく集まる
陳列だってタダではない
誰かのことを批判したい気持ちが湧いてきたときに、でも自分だってこういう面があるしな、と思えるかどうか。
そういう思考のステップを踏めるかどうか。
NewPicksおじさん
何度も考えること
「重要なこと」を先に決めるのではなく、何度も考えていることが「重要なこと」として扱われるようにすること。
答えは一つではないし、結論(主題)は後から変えていい。
「購入ボタン」が二回押せないように、送信ボタンも入力した直後には押せないようにすればいいのでは
これも「間」の話だな。
WorkFlowyでは、ときどき概念を巻き上げていきたくなる
WorkFlowyでは、別の階層に入っている複数の項目を貫く別の項目が出てきたとに扱いがややこしくなる
シンカリオンが進化したらシン・シンカリオンになるのか?
2019/3/27
物語は、虚構であるからこそ力を持つ
物語は虚構でなけれはいけない。
少しずらす視点がそこから生まれてくるから
現実を単に別の現実に移動させただけでは、自分と現実の向き合い方は変わらない
憎悪でロンと言われる
憎悪しか切る牌がないときもある
憎悪・自慢・愚痴、非難、言い訳のスーアンコウ
スケールを渡り歩くときに起きていること
渡り歩く、というのは英語でなんというか?
渡り歩く人、は?
ぼけーっと散歩しながら企画案について考えているときは、可能性世界を散歩している
「やるべきこと」の射程はいくらでも拡がる
批判家マインド
批判するのではなく分析する
批判家になる練習をしている場合だろうか?
愚痴を言っているだけでは世界は変わらない
神様が舞い降りて「ふむふむ、じゃあ、君の人生をこうしてあげよう」とは言ってくれない
変えるためには、何かを変えるしかない
2019/3/28
じっくり考えたいことをどう管理するか?
先にテーマを決めるか、それとも何度も出てくるものをピックアップできるようにするか
Scrapboxのテーブル機能
松岡正剛的な年表が作れるようになった
月間カレンダーや週間カレンダーも。
逆カキフライ理論
少しの空き時間にタイムラインではなく自分のアイデアノートを眺めたい
そのためのWebツールを作る?
2019/3/29
pagesの新バージョン
体が硬くなる頭が固くなる
体がかたくなる、みたいなのと同じで、学ばないと徐々に無知が自覚できなくなるようになるのかもしれない。
「当たり前」が侵食するというか、自意識は世界を領土化するというか。
学べばいろんなことがわからなくなり、無知を自覚できるようになる。
購入:『凡人の星になる: 月間10万PVの雑記ブロガーが「凡人」を武器にするまでの七転八倒 』
過剰なインプット
消化できる限界以上の物を食えば、吐くか気持ち悪くなる。理解できる限界以上のことを学べば、知を憎むか忘れるようになる。
textile
talkであり、weaveであり、throwであるもの。
コントロール感
きのうNHK-BS「クールジャパン」という番組で、日本の若者はなぜ野心がないのか、なぜ政治の話をしないのか等を同年代の外国の若者が語るという企画をやっていた。この二つは恐らく根っこが同じで、自分を取り巻く環境を自分で作ったり、自分でコントロールしたいという考え方そのものが相対的に薄い。
@mas__yamazaki
「低い最低賃金が人手不足を助長している」。静岡県立大学の中澤秀一准教授はそう主張する。生産性を高めるための企業努力よりも、安い人件費の労働者を活用する方が利益を得やすいため、多くの人材を浪費する非効率な仕事が減らないのだという。
情報が安価になっていくのと同じ。
低コストで大量生産
生産費を抑える
人件費を減らす
そのアイデアのままだと、国民の収入は増えない
やる気が起きない時、気が進まない時に、やるべき事をつい先延ばしにしてしまった経験は誰にでもあるはず。しかし、先延ばししてしまう傾向があまりにも強い場合は「PCN症候群」とも呼ばれ、社会生活に大きな影響を及ぼすことになります。そんな「先延ばし」の原因はこれまで本人の性格にあると思われてきましたが、実験により個人の資質ではなく睡眠不足が原因となっている可能性が高いことが明らかになりました。
"「就寝の先送り」とは、疲れている時ほど眠りに就くのを先延ばしにしてしまいがちになるという現象で、この現象のせいで翌日にはさらに疲れてしまい、その結果眠りに就くのがさらに遅くなってしまうという悪循環が発生してしまいます。"
なんか、体重が増えつつあることに恐怖を感じている人が、「体重計なんて無くなればいい!」と体重計をぶちこわして、それで満足した気になっている様子というのが、(体重計以外の分野で)わりとよく見られる気がする。
体重計を破壊すれば、自分が太っていることに気がつかなくても済む
でも、体重を減らすためには体重計に乗ることが必要
本当に必要なことと、まったく逆のことが、目隠しとして機能する
嫌な自分から目を背ける、自分から目を背ける、自信のもととなる情報から目を背ける、自分が嫌という状況はかわらない。
「〜〜で自分を変える方法」というのは本当にそれが可能かどうかは別として、変わったかどうかを評価する軸も変わっているわけで、どのように変化を測定するのだろうかというのはいつも気になる。体重計みたいに、自我測定装置みたいなのがあるのだろうか。
二者択一で何かを迫ってくるものを忌避する。穏やかなやり方で
手続き的記憶と宣言的記憶
知識は宣言的知識と手続き的知識に分けられる。宣言的知識は、言葉で説明できるような知識であり、情報は意識的に利用可能な形で保持され、「AはBである」「AならばBである」などの形で表現される。手続き的知識は、行為に関する知識であり、自転車の乗り方やキーボード入力など、反復練習によって意識せずに秩序だった行動が可能になる知識である。ノウハウとも呼ばれる。
知覚したイメージが、再び心の中で表現される情報やその表現形式を、心理学では表象と呼ばれることが多い。また、知識の基本単位は概念であり、概念を分類したものがカテゴリーとなる。
プログラミングパラダイム
生きた情報は柔らかい
概念のクラスタとタイムラインとScrapboxの手動リンク
僕たちはヒーローではなかった
いろいろな情報に触れることで、ものすごい大きな理想が生まれる
群盲象
就職氷河期とは実際どのような時代だったのか?
人口と雇用状況と景気
肥大化した自我のデメリット
ごときがマインド
セルフハンディ
できないで落ち込む
難しい
復讐として生きる
働きすぎが当たり前になる時
やりがい
フラット
時間の厚みが見えない
頑張りなさいというコンテンツ
自分がやってきたことを確認すること
自分のメガネ(フィルター)が存在する
フラットさと比較
フラットであればあるほど、比較対象が増える
無限の隣の芝生
猿は最初にランク付けして喧嘩を回避する
極端な考え方
の何が悪いのか
精神のモルヒネはいくらでもある
明けない夜はない。
どれだけこの夜が続くことを願ってもそんな意思とは無関係に朝はやってきてしまう。
ある時に気がつくのだ。僕たちが門でしかないことに。
「しょぼい」とか「凡人のための」みたいなタイトルの本をいくつか見かけたから、「できるビジネスパーソン疲れ」みたいなのが少しずつ起きてるんじゃないかな。まあ、ざんざん脅迫まがい煽ってきたんだから、反動はあるだろう。
なんというか、「ちょっとご機嫌に生きていく」とか「少しよく生きる」とか、そういうのでいいんですよ。ジャンプ漫画的パワーインフレは、どこかで限界がやってくる。
もちろん、社会で生きる中で「やるべきこと」をこなさなければならない場面は出てくる。そのときに、それを一種のゲーム的にこなせればいいだけど、そのゲームを自己に取り込んでしまい(≒世界化してしまい)、相対化できなくなったら、「やること地獄」からは逃れられなくなる。
だから、自分が認識している「やるべきこと」って、本当のところはどうなのだろうか、ということについて考えてみる必要がある。一つ上の階層にのぼる必要がある。目先の効率化はそれはそれでいいのだけれども、そういう問いに取り組むことの回避としても機能するからちょっと危ない。
あるいは、既存の価値観を否定するカリスマが「それってやるべきことじゃないですよね」って言ってくれるのはいいのだが、代わりにそのカリスマが考える「やるべきこと」にすげ替えられて終わり、というのでも結局出口はない。
あと、「自分」を、というよりも主体化を持ち上げすぎない方がいい、ということもある。それは人間にはあまりにも重すぎるものだから。シグナルで100%満たそうとするのではなく、ノイズを受け入れること。ちなみに、ノイズの完全な遮断というのは、カルトがよくやる手法でもあろう。
愚かさ、醜さ、偶然性(非コントロール性)、不完全さ、不条理さというものを許容できないと、つらさは深まる。許容というか、それをスタートラインにする、というのが近いかもしれない。
現実よりもはるかに高いラインを設定し、それを「当たり前」とすることで、落差を感じさせ、そこから生まれる心理的なエネルギーを行動に(というよりも消費に)変換させるというやり方は、たしかに効果的なのかもしれないが、ソウルジェムの濁りに思いを馳せる必要はあるだろう。
どうすれば達成したと言えるのかを考える
GTDの大切な一つの要素
「それは何か?」とプランニング
日常的な情報摂取環境は、確実に自分に変化を与える
自分が変化していても、その変化に気がつけない
2019/3/30
新しい発見は、既存の分類系を刷新してしまう
場違いにしゃべりまくっている人を見ると、自分に関心を向けて話を聞いてもらえる機会が少ないのだろうな、というのは感じる。
2019/3/31