2024/02
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2024/02/05
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サッカーまであと少し
柔軟
漢字わからなかった。ゲシュタルト崩壊
積読山脈、一歩手前
名古屋大学出版会は目が話せない
潘亮『日本の国連外交』
戦前から現代まで
時代やテーマによる分断をこえ、複雑多岐にわたる国連外交の軌跡を一貫した視座で把握。連盟以降の国際秩序をめぐる構想から、「東西の架け橋」役や紛争調停の実態、組織運営・予算・PKOへの貢献まで、冷戦や国内世論といった文脈も含めトータルに論じ尽くす、未到の通史。二国間外交だけでは見えてこない、もうひとつの日本の姿を浮き彫りにする。
高橋力也『国際法を編む』
国際連盟の法典化事業と日本
大国中心の法創造プロセスに風穴をあけ、初めて幅広い主体に国際法を開いた国際連盟の法典化事業。特に積極的な貢献をみせた日本を軸に、失敗とされたハーグ会議の意義を再評価、国益の追求にとどまらない法律家の実像を活写し、国際法の歴史を外交史的アプローチもふまえて描き直す。 理念と歴史
国際的な保健協力が目指す「健康」とは何か。その実現のために、どのような法や制度が創出されてきたのか。従来の国際法学を超えて、「社会医学」と「生物医学」の対抗関係を軸に、現在の世界保健機関(WHO)にいたるグローバルな「健康」体制のあり方を問い直す。パンデミックの時代に必読の書。
山形浩生の翻訳版が、フリー版から普通の本になってた
「20世紀初頭について、自分、一家言持ってるんすよ」
一家言
いっか‐げん【一家言】〘名〙 その人独自の意見、主張。また、ひとかどの見識のある意見、論説。
20世紀初頭についてはずっと掘ってきているので、掘り方がわかる。たぶん
第一次世界大戦と第二次世界大戦
大戦間の時代
文学、音楽、政治、とか全部をまるっと俯瞰すること。位置づけること
ウィトゲンシュタインは、たぶんモダニズムの中に位置づけることが出来る
文学では、ジェームズ・ジョイス、T・S・エリオットらの実験的な作品を指す(モダニズム文学)。
意識の流れ(いしきのながれ、英: Stream of consciousness)とは、米国の心理学者のウィリアム・ジェイムズが1890年代に最初に用いた心理学の概念で、「人間の意識は静的な部分の配列によって成り立つものではなく、動的なイメージや観念が流れるように連なったものである」とする考え方のことである 『ユリシーズ』(Ulysses)は、アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスの小説。当初アメリカの雑誌『リトル・レビュー』1918年3月号から1920年12月号にかけて一部が連載され、その後1922年2月2日にパリのシェイクスピア・アンド・カンパニー書店から完全な形で出版された。
『灯台へ(To the Lighthouse)』は、1927年にヴァージニア・ウルフによる長編小説である。この作品は、ラムゼー一家と、彼らが1910年から1920年までの間訪問した、スコットランドにあるスカイ島での出来事を中心に展開される。
『論理哲学論考』(ろんりてつがくろんこう、独: Logisch-Philosophische Abhandlung、英: Tractatus Logico-philosophicus)は、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの著作。ウィトゲンシュタインが生前に出版したただ一つの哲学書であり、かつ前期ウィトゲンシュタインを代表する著作である。 第一次世界大戦のさなかの1918年に執筆され、初版はドイツで1921年に出版された。
科学の時代、相対性理論、アインシュタイン、とか
科学哲学の始まりが20世紀初頭なのはこういうのと関係ありそう
じゃあ数学の哲学がこのタイミングで始まった理由は?
統計学かな?
統計的推測の理論は、チャールズ・サンダース・パースの『科学の論理の図解』(Illustrations of the Logic of Science、1877-1878)と『確率的推論の理論』(A Theory of Probable Inference、1883)によって開発された。 統計理論の起源は18世紀の確率の進歩にあるが、現代統計学が19世紀後半から20世紀前半にかけて、3つの段階により形作られる。
最初の波は、世紀の変わり目に起こり、フランシス・ゴルトン、カール・ピアソンの業績により導かれた。彼らは統計学を科学だけでなく、産業や政治に対しても同様に分析することのできる厳密な数学の体系に打ち立てた。
2番目の波は1910年代から20年代にかけて起こり、ウィリアム・ゴセットに始まり、ロナルド・フィッシャーの洞察により最高潮に達した。この流れで、実験計画法のモデルのさらなる発展や、小さな標本から仮説検定する技術が起こった。
最後の波は、1930年代にエゴン・ピアソンとイェジ・ネイマンの共同研究により誕生し、主に初期の開発で洗練と拡大を見た。
今日、統計学の手法は、意思決定を含むすべての分野で適用されている。データを照合することで正確な推論を行い、不確実性に直面した場面での意思決定を、統計学の手法に基づいて行う。
それか論理学かな?
On Aristotle as a biologist with a prooemion on Herbert Spence
でまあ、そういう非アウトドアの人間だから思うのだろうが、環境保護を重視するクライマーというのは一方で矛盾を抱えていないかとも思う。彼らは山に向かうとき、全行程を歩いていくわけではあるまい。おそらく、近くまではクルマで行くはずだ。ガソリンをがんがん燃やして、CO2を排出しながら山まで行く。そうして、環境は大切だ、と主張する。パタゴニアの服を買って。だったら山なぞ登らず、クルマにも乗らずにいたほうが害は少ないのではないか。
親切の国から親切を広めにきたような人
古今亭志ん生がよく使うフレーズに、「〜の国から〜を広めにきたような人」というのがある。わたしの大好きなフレーズだ。
「本当にいい人でね、もう、親切の国から親切を広めにきたような人なのよ」
「この大家というのがまた強欲なジジイで、まるで強欲の国から強欲を広めにきたような野郎なんでさ」
本書が出来上がったときに、同僚の数理論理学(集合論)の先生に差し上げたところ、「親切の国から親切を広めに来たような教科書」と褒めてくださいました。
贈与
arXiv
と arxiv をよくと、試験的な html 表示モードついているじゃん!昨年末からの提供らしい。これならPDFにせずとも、そこそこのレイアウトで論文が読めるので捗るなぁ。
arXiv is a free distribution service and an open-access archive for nearly 2.4 million scholarly articles in the fields of physics, mathematics, computer science, quantitative biology, quantitative finance, statistics, electrical engineering and systems science, and economics. Materials on this site are not peer-reviewed by arXiv.
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時代の焦点で発火した思考——。相対性理論の核心にある「時計合わせ」のアイディアが、世界標準時や規約主義、電気時計や海底ケーブルなど、時代の政治・哲学・技術の焦点に位置していたことを明らかにし、「孤高の天才」とはほど遠い二人の立役者の活躍を浮き彫りにする傑作。
客観性とは何か。科学はいかにして「客観的なもの」と向き合うようになったのか ——。近世の博物学や解剖学から、写真の衝撃を経て、現代のナノテクノロジーまで、科学者の実践や「認識的徳」の展開をたどり、客観性の歴史を壮大なスケールで描き出した名著、待望の邦訳。カラー図版多数。
西洋中心でもなく、地域主義でもなく ——。科学的な「知」はどこで、いかにして生まれたのか。植物学や地理学から、法、教育の分野まで、近代的な学知の形成において植民地のアクターが果たした役割に注目し、帝国のネットワークにおける移動・循環の中で科学が共同的に構築される現場を描き出す画期的な書。
「好き」であるというのはすごいパワーだし、その力で継続できるのは素晴らしいと思いつつ、好きじゃなくもやらなくちゃいけないことや、好きなことになかなか辿りつかないこともあるよなーとも思う。
最近はそのような場合にどうやっていくかに関心があったのだけど、ヒントは翌日に行った平和記念資料館で見つかった。
ここには、1945年8月6日に投下された原爆が残した惨状の記録が多く収められている。
生々しいものも含めて様々な資料の展示があったが、中でも8月5日で終わっている日記が強く心に残ったので、これだけ撮影させてもらった。
総合的、分析的
synthetic, analytic
カントによる分析的/総合的な区分と数学の分析/総合
カントは『純粋理性批判』(1781年)において、数学的自然科学を基礎づけるとともに伝統的な形而上学の批判を展開したが、その際カントが戦略として用いたのが、総合判断と分析判断の区別であり、「いかにしてアプリオリな総合判断は可能か」という問題設定であった。
ライプニッツ(「理性の真理」と「事実の真理」)やヒューム(「観念の関係」と「事実」)による類似
数学では総合的は積分、分析的は微分として出てくる
フィリッパ・フットは、アメリカ合衆国のグラヴァー・クリーヴランド大統領の孫にあたる。オクスフォードのサマヴィル・コレッジを卒業した彼女は、同コレッジで長く哲学を教え、カリフォルニア大学をはじめとするアメリカの諸大学でも教鞭をとった。
ここでフィリッパが依拠しているのは、明示的には参照していないものの、後期ウィトゲンシュタインの観察である。彼女はオクスフォードで2年先輩にあたるエリザベス・アンスコムを通じて、ウィトゲンシュタインの哲学に触れた*14。
アンスコムがケンブリッジでウィトゲンシュタインの講筵(こうえん)に連なったのは、1945年のことである。当時のウィトゲンシュタインは、『論理哲学論考』に示された、「世界の意義は世界の外になければならない。世界の中ではすべてはあるようにあり、すべては起こるように起こる。世界の中には・・・価値は存在しない」*15という立場と訣別していた。 original
Der Sinn der Welt muss außerhalb ihrer liegen. In der Welt ist alles, wie es ist, und geschieht alles, wie es geschieht; es gibt in ihr keinen Wert – und wenn es ihn gäbe, so hätte er keinen Wert.
Pears/McGuinness translation
The sense of the world must lie outside the world. In the world everything is as it is, and everything happens as it does happen: in it no value exists—and if it did exist, it would have no value.
世界の意義は世界の外になければならない。世界の中ではすべてはあるようにあり、すべては起こるように起こる。世界の中には価値は存在しない。かりにあったとしても、それはいささかも価値の名に値するものではない。
アイリス・マードックは、フィリッパと同じ1942年、サマヴィルを卒業した。
アイリス・マードック
1947年10月、ケンブリッジのニューナム・コレッジで学生生活を再開したアイリスは、後期ウィトゲンシュタイン哲学に出会った。
「哲学の議論が何の役に立つ? それはピアノのレッスンのようなものだ」とウィトゲンシュタインは言う。「僕の庭のリンゴの木から誰もがリンゴを運び去って、そこら中で配っているようなものだ。なのに君は、僕のリンゴを下さいと言う」。アイリスは、「ええ、でも私のもらったリンゴが、本当にあなたの木のリンゴなのか分からないので」と答える。「なるほど。ただ、僕のリンゴはおいしくはないと言っておかなければ」*35。
彼女が1954年に刊行した最初の小説『網の中(Under the Net)』*37で、主人公ジェイク・ドナヒューの人生行路を節目節目で方向づけるヒューゴー・ベルファウンダーのモデルは、ウィトゲンシュタインが信頼した弟子、ヨリック・スマイジーズ*38だと言われる*39。
網(net)は、『論理哲学論考』6.341で言及される、細かい目の網を対象に覆い被せてそれぞれの目が黒か白かを記述することが世界記述の体系に対応するというアイディアに由来する
ヘアは戦地の捕虜収容所で、サルトルは占領下のフランスで、この世に与えられた意味はなく、すべての価値は本来無価値な世界に、孤独な主体が与えるものだと考えた。第一次世界大戦への従軍中に『論理哲学論考』をまとめたウィトゲンシュタインも、同様に考える。戦争を典型とする非常時の下では、すべての価値は剝奪される。あらゆる価値は主体が自ら選択し、無価値な世界に与えるしかない。 しかしそれは戦地での、より一般化すれば非常時での生き方である。通常時の生き方とは異なる。人は一人きりで生きてはいない。人々が共に棲まう日常世界では、人は所与の生活様式を当然の前提とする。価値を含むことばの使い方もそうである。
小説を読まないと、自分の中を流れる時間がどんどんスピードを増していく気がする。世間に追い立てられるように、足並みをそろえて、どんどん駆け足になっていく。だけど、小説を読むとリセットされる。毎日読むと、毎日リセットされる。あれ、別に走らなくてよくない?って気持ちになる。
だから書き終えるときに、とても寂しく、すっきりした気持ちになる。わたしを切り離すのだ。もちろんわたしの中から切り離された部分が消えたりはしないけれど、それは時間とともに薄れていく。小説の方にはくっきりといつまでも残り続ける。デビュー作のあのひりつく感じは、わたしの中にはもうほとんど残っていない。でも読むと蘇る。
言葉は究極のテクノロジーだ。質量も体積もない。だけど、世界を築くことができ、それを他の人と共有することができる。
わたしは毎日小説を読み、かつて誰かの一部であったものの中に入り、その意識を味わっている。わたしではない意識は、わたしを相対化し、わたしを思考させる。
ベルリン弦楽四重奏曲のベートーヴェン、ラズモフスキーセットを聴く。325円。カール・ズスケ率いるカルテットのためズスケ四重奏団なのかベルリン弦楽四重奏団なのか改名時期によって名称がハッキリしないが、ベルリンの壁によって分かたれた東ベルリンの音楽である。
キレがよく爽やか、ウィーンではなくベルリンだからなのかネットリとした感じがない。それでいてアメリカ的なカチッとした即物的な雰囲気でもない。コレはコレで好きかもしれない。愛聴しよう。
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慶弔
Kリーグを見る方法
掲載
時系列にどういう順番に出版されたのかの確認
The Logic of Statistical Inference (1965)
A Concise Introduction to Logic (1972) ISBN 039431008X
The Emergence of Probability (1975)
Why Does Language Matter to Philosophy? (1975)
Scientific Revolutions (1981) ISBN 019875051X
Representing and Intervening, Introductory Topics in the Philosophy of Natural Science, Cambridge University Press, Cambridge, UK, 1983.
The Taming of Chance (1990)
Rewriting the Soul: Multiple Personality and the Sciences of Memory (1995)
Mad Travelers: Reflections on the Reality of Transient Mental Illnesses (1998)
The Social Construction of What? (1999)
An Introduction to Probability and Inductive Logic (2001)
Historical Ontology (2002) ISBN 9780674016071
Why Is There Philosophy of Mathematics at All? (2014) ISBN 9781107050174
Logic of Statistical Inference, (Cambridge University Press, 1965).
A Concise Introduction to Logic, (Random House, 1972).
Why Does Language Matter to Philosophy?, (Cambridge University Press, 1975).
The Emergence of Probability: A Philosophical Study of Early Ideas about Probability, Induction and Statistical Inference, (Cambridge University Press, 1975, 2nd ed., 2006).
『確率の出現』広田すみれ・森元良太訳、慶応義塾大学出版会、2013年 Representing and Intervening: Introductory Topics in the Philosophy of Natural Science, (Cambridge University Press, 1983).
『表現と介入――ボルヘス的幻想と新ベーコン主義』渡邊博訳、産業図書、1986年
The Taming of Chance, (Cambridge University Press, 1990).
『偶然を飼いならす――統計学と第二次科学革命』石原英樹;重田園江訳、木鐸社、1999年 Rewriting the Soul: Multiple Personality and the Sciences of Memory, (Princeton University Press, 1995).
『記憶を書きかえる――多重人格と心のメカニズム』北沢格訳、早川書房, 1998年
Mad Travelers: Reflections on the Reality of Transient Mental Illnesses, (University Press of Virginia, 1998).
『マッド・トラベラーズ――ある精神疾患の誕生と消滅』江口重幸;大前晋;下地明友;三脇康生;ヤニス・ガイタニディス訳、岩波書店、2017年
The Social Construction of What?, (Harvard University Press, 1999).
『何が社会的に構成されるのか』出口康夫;久米暁訳、岩波書店、2006年
An Introduction to Probability and Inductive Logic, (Cambridge University Press, 2001).
Historical Ontology, (Harvard University Press, 2002).
『知の歴史学』出口康夫・大西琢朗;渡辺一弘訳、岩波書店、2012年
Why Is There Philosophy of Mathematics at All? (Cambridge University Press, 2014).
https://gyazo.com/0c7a5a2ebc8eff50c5390597aafd35d5
あの2試合以外にアドバンテージの要素はなかったと思います。ウチの方がシンプルに体が動いていた。でも、相手のコンディションが同じくらいよければどうなっていたかわからないと思います。結果は5-1で勝ちましたけれど5-1ほどの差がつくゲームではなかったと思います。追いつかれる可能性もあった。
旅の終わりと、はじまり。【2 /21 ACL ノックアウトステージ HOME vs蔚山現代】
https://www.youtube.com/watch?v=hLkVocVZi20
デカルト以降の意識・観念・認識等をキー・タームとする近世哲学から、言語・論理・意味等を鍵概念とする準拠枠への転換によって、古代・中世哲学と現代哲学との共有する問題群が明瞭になり、相互交流が可能になったこと、並びにこうした転回点は紛れもなく フレーゲに求められてよい、という判断がある。哲学の三人 : アリストテレス・トマス・フレーゲ 松坂和夫
数学読本シリーズ
数学入門シリーズ
『集合・位相入門』『線型代数入門』『代数系入門』『解析入門』『代数への出発』
end