言語と計算:構造と構成の再構築に向けて
言語と計算
世の中往々にして、メインの研究よりもサブのほうが、自分の中では真剣だったりしますよね?(笑)。アプローチとしては従来から、論理学などの形式的な方法を使って、自然言語やプログラミング言語の意味を明らかにしようという方法があり、こちらのほうがふつうです。しかし私はこれとは逆に、プログラム言語そのものを形式的な世界と見立て、これを使って、とても複雑なことになっている記号論を整理しようとした。そんな本が、第19回大川出版賞そして第32回サントリー学芸賞(思想・歴史部門)にも選ばれ、とっても驚いています。
というのも記号論はこれまで、まるで小説であるかのように、ソシュール、パースといった人々の本を全部読んで初めて何か茫洋と、記号論が扱っているものが見えてくるという世界しかなかったと思うんです。 しかし理論というのは、何か1ついい教科書があって基本を全部押さえていたらそれで一通り見通せる、というのが本来なんです。
一方、この本への感想を読みますと、形式性に関心のある文系の方や、30代前半ぐらいの哲学に興味のあるプログラマの方などが、読んでくださっている。この本がかつての私と同じように、記号論の全貌も本質も見えずに苦しんでいる若い人たちへ、もし記号論を使いやすくしたり、計算・プログラムの核心を伝授できたりしたのならば、たいへんうれしく思います。
もしあなたが言語について考えようと思うならば──まず自分だけの時間を作って、雑用など全部ないことにし、机に向かって『論理哲学論考』を開く。そして、ウィトゲンシュタインの言っていることをひとつひとつ、これは本当なのだろうかと考えながら、クリティカルに読む──これはひとつの出発点になり得ると私は思います。 実際、言語についてはすでにいろんなことを書いている人がたくさんいますが、ではどこから手をつけたらいいのか? というのは案外重要だと思うんです。というのも、もし出発点を間違えると、きっとひどいことになりますから(笑)。そんな中で、やはりウィトゲンシュタインは、私にとっては出発点の1つであり、1920年頃に書かれたものですが、今でも通用する何かを著したと思います。 ここで挙げたような問いは、言語の哲学の問いであると同時に、論理学や言語学をはじめとして、現在では言葉の意味や情報にかかわる幅広い領域で分野横断的に研究されています。実は、哲学者の仕事がこうした新しい研究の分野を確立するのに大きな役割を果たしたといっても間違いではありません。
現在研究されている論理学は、現代哲学の一つの流れを作ったフレーゲやラッセルの研究に始まるもので、それはやがてゲーデルやチューリングといった人たちの仕事を経て、現在の情報科学の成立に結びつきました。
また、言葉の意味やコミュニケーションにかかわる言語学の分野は意味論や語用論と呼ばれますが、そこで何をどのように論じるべきなのか、その主題と方法を確立するのに哲学と論理学の考え方は大きな役割を果たしてきました。
私の現在の研究は、論理学や言語学にまたがり、さらに情報科学、特に人工知能や自然言語処理の分野の人たちと協働して新しい問題に取り組んでいます。哲学の問いは、既存の分野とつながっていると同時に、そこにはおさまらない境界領域にある問いであるといえるでしょう。