修辞学に由来する音楽特有の話法
修辞学に由来する音楽特有の話法
ところで、聖母マリアの純潔を示すのが百合であるように、絵画を鑑賞する際に、描かれているアトリビュートの表意を読み解くことができれば、美しさや華やかさとともにその絵画から受ける感動は倍増する。とりわけ古典派以前の絵画の理解においては、それがただ単に美しいだけの美術なのか、誘惑や欲望、あるいは宗教的感動や教訓までをも含んだ奥行きに満ちた芸術なのかという差が、受けとめる側の知識や素養によって生じてしまう。アトリビュートは近代に至ってもその命脈を保っているが、1800年以前の音楽には、19世紀以降次第に忘れられてしまうことになる、修辞学から応用された音楽特有の話法があったのだ。 その代表的なものは、「フィグーレン “figuren”」と呼ばれる、それぞれ固有の意味を持つ特定の音型だ。「ため息」や「十字架」、「嘆き」など、数多くの共通認識を持つ音型が存在し、バロック音楽はそれらによって構築されていた。だから、歌詞がない純粋な器楽であっても、当時の聴衆にはその音楽が語ろうとする内容が明白であった。その発生初期においては、音型と歌詞とは分かち難く結びついていたが、後には違う音型をあてはめることで同じ言葉の表す意味に幅をもたせることも可能となった。そのような発展の中で、音型そのものが独立した“言葉”として駆使されるに至った。
また同様に、バロック時代の人々には、ある音型がどのようなアーティキュレーション(音のつなげ方や切り方、またその一つ一つの強弱についての節回しやイントネーションのつけ方)で奏されるかということは、かなりな確率で自明の理であった。例外的に、そうではないアーティキュレーションが望まれるときに限って、作曲家はその方法を楽譜に示した。このことは、何も指定が書いていない場所の音符は均質に等価で演奏せねばならない、とした20世紀以降のバロック解釈とは真逆であった。何も書いていないのは、書く必要がなかったからなのだ。その一例を挙げるとすれば、音符の上に点をふる‘スタッカート’があげられるだろう。近世において、‘音を短く切って’に統一されたこの符号の指示は、もともとは‘均等な長さで’に近かった。あるいは、アーノンクール氏の言葉によれば、それはそこで当然なされるべきことを打ち消すように働く。つまり、もともと何も指定のない場所は、バロック時代には「均等に」は演奏されてはいなかった。だから、点がつけば「均等に」弾くことを要求したのである。