規範と現実の間にある深淵を架橋し媒介するものだけが国家と呼ばれうる
規範と現実の間にある深淵を架橋し媒介するものだけが国家と呼ばれうる
この本では、「ヘルスという規範的理念を、現にある世界において実現することを目的とする制度」としてグローバル・ヘルス法を定義している。とくに手の込んだ定義ではないが、無意味な同義反復というわけでもない。すくなくともこれによって、二つのものからグローバル・ヘルス法が区別される。それは、一方において、グローバル・ヘルスに関わる国際法規範群を列挙する作業ではなく、他方において、普遍的に妥当すべき保健規範に関する正義論的考察でもない。このような簡単な定義の下で、果たしてグローバル・ヘルス法の体系を描ききれるのかは、私自身もいまだ確信が持てないでいる。しかし、これを手掛かりにその歴史的な動態を把握してみようとすることは無意味ではあるまい。
ヘルスという規範的理念を、現にある世界において実現することを目的とする制度
グローバル・ヘルスに関わる国際法規範群を列挙する作業ではない
普遍的に妥当すべき保健規範に関する正義論的考察でもない
最後に、自著を語るせっかくの機会なので、本には書かなかった秘密を告白しておこう。この定義の由来は20世紀の公法学者カール・シュミットにある。『国家の価値と個人の意義』の中でシュミットは、現実世界において規範を媒介するものとして国家を位置づけている。一般性を持った規範に裏づけられていない、単なる実力組織は国家ではない(山賊は国家ではない)。逆に、現実世界における実現のための仕組みを伴わない、単なる規範体系もまた国家ではない。規範と現実の間にある深淵を架橋し、媒介するものだけが国家と呼ばれうる。
現実世界において規範を媒介するものとして国家を位置づける
一般性を持った規範に裏づけられていない、単なる実力組織は国家ではない
山賊、海賊、ギャングとか
現実世界における実現のための仕組みを伴わない、単なる規範体系もまた国家ではない
宗教とか
規範と現実の間にある深淵を架橋し媒介するもの*だけ*が国家と呼ばれうる
このことは、グローバル・ガバナンスにも当てはまる。それは、グローバルに妥当すべき規範を、互いに対抗する利害と実力の渦巻く現実世界において媒介するものであり、その実現を目的とする制度がグローバル法なのである。このグローバル法は、国家法のように一般的な体系としては存在せず、(例えば保健協力のような)機能的領域ごとに発展してきた。したがって、その法体系は(例えばグローバル・ヘルス法のように)機能的領域ごとに記述されるのが適切だろう。