読むことは歩くことに似ている
読むことは歩くことに似ている
今は、散歩するみたいに読んでいる。読み終わると、お気に入りの散歩場所が増えていく。その場所をくまなく散策したわけではない。見落としもいっぱいあるし、自分の好きなように歩き回っただけかもしれない。でも、そこは確実に「場所」としてわたしの中に新しく増えていて、わたしが現実の困難に直面したときに、その困難を考えるのにふさわしい場所に行って、ベンチに腰を下ろして、考えることができるようになった気がする。
読むことは歩くことに似ている
芭蕉の旅が古典(歌枕)のリンクをたどる旅だったように、インターネットでリンクをたどることは歩くことに似ていると思う。
人は一度に一つの道しか歩くことが出来ないのと同じように、人は一度に一つのリンクしかたどることが出来ない。
文章は言葉から言葉へのリンクをつないだもので、文章は最初から最後まで一つなぎにしか書くことが出来ない。
そういう意味では、こういう文章を書くのも歩くことに似ていると思う。