2020/08
今月の貼るべき写真(仮)
マンガとの再会
https://gyazo.com/71805b076def1a479049d63bbc6a30fc
from 違国日記 (6) 2020/8/6 発売 西浦 博氏
(京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻 教授)
<聞き手>村山 泰章さん
(国際医療福祉大学医学部1年生)
超厳戒態勢 9/6 まで延長
2020/8/11
はい。今でも背筋がゾクゾクします。1枚の写真は1000の言葉に値しますが、あの写真は100万語に値するかもしれません。それだけの写真です。
超イイ話
「この国のほぼすべての人が、次の基本的なプロット構造を持つ映画を見たことがあります。人類は考えることができるマシンを発明します。マシンは考えます。マシンは人類を奴隷にするか破壊するかを決定します。人類は映画の残りの部分は、マシンの電源を切るために過ごしています。」
Tools and Weapons: The first book by Microsoft CLO Brad Smith, exploring the biggest questions facing humanity about tech (English Edition) 電子書籍: Smith, Brad, Browne, Carol Ann: Kindleストア https://www.amazon.co.jp/dp/B07Q1D6ZT7 「インターネットは万人のためにある」という概念は、世界中で共有されている関係者のオブジェクト・リソースの上に仮想情報ネットワークとして存在しているという現実に基づいています。これらの関係者全員、何を、誰に、どの基準で共有するのかを自律的に決定します。これらの行動はすべて法律の対象となりますが、世界中の関係者のために、優先順位を含めた共有の基準を指示する権利や能力を持っていません。それは究極のナルシスティックな傲慢さです。
去年の夏を探してた
全体的になにが言いたくなったかというと「間違っていても、拙くても、発信してもいいよ(You can write your experience or thought)」なんて生易しいものではなくて、「間違っていたとしても発信する義務がある(You should(or must))」ぐらいのレベルなんじゃないかということ。発信するということについて。 /yuta25/たとえ間違っているとしても考えていることを発信する義務がある 「集まる」ということの意味
「空間」をともにすること
「時間」をともにすること
時刻をともにしなくても、時間をともにすることはできるのでは?
「ノイズの反対はシグナルじゃないんですね」
ノイズとシグナルの区別がつかない話
世界は2つしかなく
It was a different culture in the ’60s and ’70s; the ARPA (Advanced Research Projects Agency) and PARC culture was basically a mathematical/scientific kind of culture and was interested in scaling, and of course, the Internet was an exercise in scaling. There are just two different worlds, and I don’t think it’s even that helpful for people from one world to complain about the other world—like people from a literary culture complaining about the majority of the world that doesn’t read for ideas. It’s futile.
60年代と70年代は異なる文化でした。 ARPA(Advanced Research Projects Agency)とPARCカルチャーは基本的に数学/科学的なカルチャーであり、スケーリングに関心があり、もちろんインターネットはスケーリングの練習でした。世界は2つしかなく、一方の世界の人々が他方の世界について文句を言うことは、文芸文化の人々が世界の大多数について文句を言わないように文句を言うように、それほど役立つとは思えません。それは無駄です。
「世界は2つしかなく」
60s and 70s とそれ以降の世界?
商業化をポップ・カルチャーと呼んでいる?
そういう風に世界を二分する考え方は「冷戦時代」の影響を強く受けている感じがする
アラン・ケイであっても時代からは逃れられないか
アラン・ケイとマクルーハン
オオ、すげー
インターネットもかつて ARPANET の頃は空っぽだった
侵襲的な行動情報
「でも屋根の上から叫んで人を驚かせることは感心したことじゃないんだよ」
プロローグ 「こうして傍観者が生まれた」
自分の目で見、自分の頭で考えることはよいことだ。でも屋根の上から叫んで人を驚かせることは感心したことじゃないんだよ」これは傍観者がよくいわれることである。 もうとっくの昔に、8月を終わらせたい気分になっている
夏、終わりかー(全然終わる気配ないけどー)