たとえ間違っているとしても考えていることを発信する義務がある
10 月には 日本人ITエンジニアの90%に記事を書いてほしくない という記事が話題になりました。言わんとしていることはわかるけれど、ぼく個人は「書くな」「書くべきではない」という主張には明確に反対です。「プロリーグで活躍できる実力がある人だけサッカーをやるべき」みたいなお話として捉えました。それだと後進が育たないので、サッカー少年たちも楽しくプレイできる場があった方がいいとぼくは考えます。技術記事のライティングも同じ。書きながら読まれながら上達していくのが効率的なので、安心してそれができる環境があった方が結果的に質の高い記事がたくさん生まれることになると思います。
このパラグラフには非対称性(ミスリーディング?)があって、日本人ITエンジニアの90%に記事を書いてほしくないをサッカーに当てはめると「プロの監督しか戦術論をネットに書くな」「プロのプレイヤーしかプレイの方法をネットに書くな」「プロのコーチしかトレーニング論をネットに書くな」になるので、プロリーグで活躍できる実力がある人だけサッカーをやるべき」みたいなお話とはちょっと対象性が取れてないんじゃないかと思った。 対して、プロリーグで活躍できる実力がある人だけサッカーをやるべき」みたいなお話をプログラミングに当てはめるなら、Linuxカーネルのコミッタ以外はプログラミングをやめろ、とかそういう命題になる。一方、日本人ITエンジニアの90%に記事を書いてほしくないを書いた人は、そこまで過激な考えでは無いと思う。 それはそれとして、日本人ITエンジニアの90%に記事を書いてほしくないを一般化すると「一流以外はなんらかの持論をネットで発信すべきではない」となる。
この命題に対して(も)、明確にノーが言える。
一流(プロ)の権威付けは極めて恣意的な判断によるものが多い。
権威的な人に本物の権威を与えてはいけない
一流(プロ)が間違えたことを発信しているときに、訂正する力が必要
サッカーに当てはめると、「週に3回の試合でパフォーマンスが落ちるような選手はクソだ、怪我するまでフルパワーでサッカーをすべき」「今の日本みたいにアツいときはぶっ倒れるまでグラウンドを何周も走れ」みたいなことをグアルディオラが発言したとき、「それは違うやろ!」と訂正しないとダメ。 「日本は圧倒的に(完全に)不利な情勢だけど、神風によって必ず挽回して有利に立ちます」みたいなことを言う一流の為政者へノーと言う必要がある。
誰でも発言できないとだめ。
かなり飛躍するが、たとえ間違っている情報であったとしても、その情報の正誤、発信者の立場や身分に関係なく自分が考えていることを発信する義務があると言える。
(僕がこの義務を果たせているわけではないけれども) (エクスキューズ)
(3聞もそうなんだけど、考えてはいるけど自分ができているわけではないというのは言っておきたい、保身のために) (自分はできていないけど、できないとな!がんばらんとな!という気持ちで書いてます。)
全体的になにが言いたくなったかというと「間違っていても、拙くても、発信してもいいよ(You can write your experience or thought)」なんて生易しいものではなくて、「間違っていたとしても発信する義務がある(You should(or must))」ぐらいのレベルなんじゃないかということ。発信するということについて。