「シグナルの話への返信」への返信の話
「シグナルの話への返信」への話
最良の情報を探そうとする行為が、むしろ実際に行動を起こすところから自分を遠ざけていないか。
問題設定を他人に委ねていないか。
結果として無関心のすすめになっているので、そこに居心地の悪さは感じる。
ルンルン集まりやがってケツクサッみたいな
まず独りの時間というものがきちんとあるべきだと思う。
自立(孤立)して生活している人
一方で、Twitter で怒ってリツイートしたり、Facebook のプロフィール画像をワンクリックで何かに変えてみたりすることに、何か意味があるのかなあ、 これに対する答えがたぶん全然違ってて、腐れリブロガーの持つ確信は、そういう些細な積み重ねしか世界を変えることが出来ない、というもの。これはヴォネガットのあのセリフに繋がっていく
「二つある」と彼は言った。
「まず、宇宙全体をきちんとするなんてことはできないと認めること」
「そうして二番目は、それでもほんの小さな領域を、まさにそうあるべき状態にするということ。粘土の塊とか、四角いキャンバスとか、紙切れとか、そうしたものを」
ここで、その些細な積み重ねの「質」を問わない、というのがリブロガーの精神です。そんなのはオレが決める
アクションをするしないも含めて、何時だって何処だって、それぞれがどういう態度を示すのかが問われてると思う
それはAll or Nothing、1か0の話じゃなくてもっと濃淡のある、自分ごとの話
そしてそれは古今東西を問わず、ずっーと変わらない価値観の問題
自分自身のインターネットに立ち向かう姿勢についての表明です
始まりの話。ハレルヤ
ということで、みんなを置き去りに、一足先に2020へ