傍観者についての断片集
原題: adventures of a bystander
直訳すると「傍観者の冒険」(こっちの方が1000倍イイ)
プロローグ 「こうして傍観者が生まれた」
傍観者自身に取りたてての歴史はない。舞台にはいるが演じてはいない。観客でもない。少なくとも観客は芝居の命運を左右する。傍観者は何も変えない。しかし、役者や観客とは違うものを見る。違う角度で見る。反射する。鏡ではなくプリズムのように反射する。屈折させる。
自分の目で見、自分の頭で考えることはよいことだ。でも屋根の上から叫んで人を驚かせることは感心したことじゃないんだよ」これは傍観者がよくいわれることである。
傍観者の憂鬱
書いているだけでうらやましくなってくるような、やりたいほうだいの勝手気ままな人生である。いっさい責任をとることなく、その時々で傍観者的におもしろいものをつまみ食いするというこの根性。土地にも家族にも、なんらかの運動にも積極的にコミットすることのない生き様。すでにあちこちで書いたけれど、かれはビートジェネレーションの代表格とされてはいるが、年代的にもかなり上であり、またその後のビート詩人たちのヒッピー運動への傾倒などに対しても冷ややかだった点で、いまいちビート「運動」の中ではおさまりが悪い。作品的にも、ケルアックも含めてビートが一様に示している東洋仏教思想への言及もいっさい見られない。そもそもビートとつきあっていたニューヨーク時代、かれは『ジャンキー』を書いていただけで、それが売れなかったために作家になる希望も失っていた。かれは年上の、変な教養があって後ろ暗いところもたくさん知っているという兄貴分だった。
ただの傍観者ではなく
1993 年初頭、悪意ある傍観者であれば、Unix の物語はほぼ幕を閉じかけていて、それとともにハッカー部族の命運も尽きかけていると考える十分な理由があったともいえる。そしてコンピュータ業界誌には、悪意ある傍観者はいくらでもいた。その多くは、1970年代末以来、6 ヶ月おきに Unix の死は間近という予想を、儀式のように繰り返してきたのだった。
Linux に競合相手がなかったわけではない。1991 年、リーヌス・トーヴァルズの初期の実験とほぼ同時代に、ウィリアム&リン・ジョリッツが実験的に、BSD Unix のソースを 386 に移植していた。BSD 技術と Linus の粗雑な初期の試みとを比べていた傍観者たちは、PC 上の最も重要なフリー Unix は BSD の移植版となるであろうと予想していた。
対 CDA 戦の勝利とともに、歴史はいま現在のできごとへと引き継がれる。続くこの時代は、史家たる不肖このわたくしめが(われながらいささか驚いたことに)ただの傍観者ではなく、役者を勤める時代でもある。物語は「ハッカーの復讐/ハッカーの逆襲」へと語りつがれることとなる。
あらゆる偉大な変化に先だって、数々の散発的で、傍観者から見れば途切れ途切れの試みがやってくるものなのよ
これはしごくもっともな疑問で、答えておく必要があるだろう。わたしはこう答える:よりよい社会状態を目指す実験の道は、失敗だらけだというのはまったくその通りだ。でも、価値ある成果を得るための実験の道というのは、なんであれそういうものなのだ。成功というのはほとんどが、失敗によって築き上げられる。『ロバート・エルスミア』でハンフリー・ワード夫人が述べるように「あらゆる偉大な変化に先だって、数々の散発的で、傍観者から見れば途切れ途切れの試みがやってくるものなのよ」。成功した発明や発見というのは、ふつうはゆっくりと成長するもので、そこに新しい要素が追加され、古い要素が除かれていくのだ。まずは発明家の頭の中で、次に外に見える形で。そうしてついには、本当に正しい要素だけが集まり、それ以外はないようになる。
オレは単なる傍観者だよ
https://gyazo.com/9c9f02e5a39186ab9064dfc188b110fc
「さよなら私のクラマー」最終話で、深津監督(クマ)が能見に言った最後のセリフが「オレは単なる傍観者だよ」と
このあとの能見の言葉は「いいんです。それで」「そばで観ていてくれるのなら」
クマの言っている傍観者はただ見ているだけの人ではない。ここにヒントがあったりなかったり
主体、客体
主観、客観