2019年7月のアイデアライン
2019/7/1
キーワード感覚というキーワード
カードとこざねの間
歌うためには耳を、書くためには目を鍛えることだ。
人は言葉とともに倫理観も持った
アウトライナーをランダムソートしてみたい
2019/7/2
GTDの収集は本当に必要か?
具体的にはまず、ツイートのログをダウンロードして、「食事」「セクシュアリティ」「音」のように項目を立てて分類していきました。次にそこから、時系列に沿って、様々な場面を浮かび上がらせていく。そして具体的にまとまりを持った文章に書きかえていったのですが、その作業はある意味では「形式」ということ自体について考えることでもあって、本の構造全体は一つの変奏曲のようなものになったと思います。「信頼」「二人称」「聖なるもの」など32のパートからできていますが、一つひとつの主題は異なりながらも、実は同じようなことを言っているとも言えて、全体を通じて、「分身」や「型」の問題、あるいは異なる型の間の分身関係という問題が32回繰り返される形になっているんです。ちょうど本の構成をしているときに聴いていたバッハのゴルトベルク変奏曲の数と、章の数とたまたま一致していたのが個人的には嬉しいことでした。
2019/7/4
脳内のツリーと、現実のツリー
考えて、生み出す技術に、知的生産技術の話を入れていく
思考法・発想法・インプット・アウトプットなどのキーワードをindexに
面倒さと個人主義
面倒さを徹底的に避けるなら、個人主義が蔓延する
儀式性について
手間と手順
概念としての儀式
一つ手順を間違えたら、儀式性はどこまで損なわれるか
知的生産活動のコアとなるものは?
1時間のメモなし時間の苦痛
家系図の記憶
何者にもなれない僕らの戦い方
ネットの自由さは失われているのか?
やがて悲しきインターネット
Youtubeの規制が強まっているが、それはプラットフォームの話
目に見えないところは、どうなっているのかわからない。
そういう場所ではない、というだけ。
完璧な調和とは過剰な調和なのかもしれない。
自分がコミットしている対象について日誌をつける
執筆日誌はその一環
アウトラインをシャッフルしたい
2019/7/5
自分データベースにおけるSEOとスパム
2019/7/6
知の再投資
農地的発想
一つの場所に拘る(一所懸命)
パイを増やすには、生産性の拡大
投資的発想
情報の整理欲求を刺激するNotionと、抑制するScrapbox。
自分の頭で考えないことと、自分の頭だけで考えること。
思考の技術
愚かしさに、合理性を持って対処するという愚かしさについて、考えるだけの力を。
正論をぶつけて、解決しないのは、相手が悪いと考えてしまう愚かさ
「行ったり来たり」、二つ以上の領域、シェイク、熟慮、行動と思考。白黒思考から逃れる術。
2010年以降で3周以上したアニメは、まどマギ、PSYCHO-PASS、幼女戦記。
精神の自由さとは、真実の知覚による解放ではなく、自分の真実性がある偏りなのではないかと疑える常なる監視にあるのではないか。
基本的に僕たちの大半は何者にもなれない。なりたくても、なれない。じゃあ、そこからどうするのか、というところから話を始めないと。
自己啓発商材
「ユーザーの要望をすべて叶えるのが良いツール」というわけではない、という前提。
#やるおわ にも書いたけど、優れたノウハウやツールを手にしたところで、人間の限界みたいなものを超えられるようになるわけではない。睡眠時間が少なければ、スペックは落ちるし、体にもよくない。「できないことは、できない。できるのは、できることだけ」。 そういう当たり前の話から起こしていかないといけないのが、現代の労働環境だと感じる。
「〜〜すれば、すべてうまくいく」的な謳い文句は、結局「したいことをすべて成し遂げたい」という欲求をまったく傷つけないので、状況を変えないだろう。
構想が膨張するとき、着手への意欲は反比例して縮小してしまう。
「インフルエンス」というのは、いずれ終焉を迎えるのだ。物を売るにはそれでいいかもしれないが、何かを変えるにはそれでは足りない。
方法論そのものも好きだけど、その裏に潜む欲望(何を欲してそれを行うのか)みたいなものも好きなのだ。というか、それがセットで語られているときに、一番面白さが感じられる。
「啓蒙されすぎた世界」
書かないで、書く
それは、「書く」に対する認識をリセットするしかないでしょう。
「書く」という行為を「自らの思いの丈を、自らの言葉で、精確な描写でもって、誰にでも伝わるような比喩を駆使しつつ、誤解なく、広く、多くの人に、知ってもらう」などという濃厚で、リッチな、全部入りの状態から、「考えついたことをとにかく人に知ってもらう」という、これ以上そぎ落とせないくらいのあっさりとした、プレーンな、原形になるまで煮出し切る。
リッチな状態の「書く」の中からプレーンな「書く」という行為のみを切り出すイメージです。
Amazonで星一つをつけたくなる気持ち
ビギナーズラックという沼からの誘い
倉下の執筆を支える○冊の本 LA
異世界転生した幼なじみが帰ってきた話
ライトノベルネタ
自分データベースにおけるSEOとスパム
優しい日本語
梅棹忠夫が目指したもの
2019/7/7
2019/7/8
それはそれとして、という気持ち。
Aさんが○○の文脈で、〜〜と言っているけど、それはそれとして〜〜って大切ですよね、のような受け取り方。
それでもの心
逆境の可能性を理解しながらも、それを選択するという人間らしい活動
小説の断片
失われた意味は、二度と戻ることはない。いや、問題は私なのだ。私が、意味をすくい上げるための手を伸ばすのをやめるのだ。だから、永遠にそこに意味が見出さられることはない。電池が切れてきまった時計のように。
江頭はこういう輩が大嫌いだった。己の力を誇示するために本を利用しようとする。しかも、ひどく的外れな方法で。
個人主義が見えなくするもの
天才
無知の科学
現象の責任と成果をすべて個人に還元してしまう
2019/7/9
2019/7/10
Scrivenerで足場を作る
努力信仰と自己啓発
努力すればなんでもできるようになる、という考え方は、「できないものは、できない」とは相容れない
静かな世界
Scrivenerは工事現場
ライフハックはとりまとめ議論する場が必要だったのでは
2019/7/11
野生のタスク管理
GTDとレヴィ・ストロース
モンティ・ホール問題に同じことを感じた。
勉強になった
2019/7/12
時間の家計簿と天引き封筒術
なんどか触る項目はページを立てる
Scrapbox、アウトライナー、Evernote
段階的な締め切り
思いついたことをただ書いていくために
ワンアウトラインの思想
スポーツウェア
ライティングウェア
2019/7/13
タスク管理の情報と行動
自らの差別意識と向き合うことなく、ただ言動が禁止されているからガスが溜まる
差別は差別している意識がないところで発生する
上記のようなことについて語るブログ
dotspacemacs-editing-style 'hybrid
お母さんらしき女性が、お父さんらしい男性に向かって、「もっと男の子らしい強さをしつけなければダメでしよ」と言う旨のことをものすごい大声で怒鳴っている場面に遭遇したのだけども、その内容と構図のツッコミどころの多さに、頭がクラクラしてきた。
音声入力だと、割にすらすらと書けるのだけれども、若干そのすらすら感が強いというか、滑りすぎている印象もある。
最初に「自分はダメだ」という結論があって、その結論を補強するためにさまざまな「証拠」が揃えられる場合、構造的に閉じてしまっている。
乖離。知的生産のためのツールが、さまざまな要求に応えてくれることを望むのだけれども、現代社会で(情報を扱う技術としての)知的生産の技術が大切だよという話をするときには、そこまでマニアックなことまで必要としていない人が大勢である、という状況。
たぶんタスク管理とかでも似たようなことがあるのではないか。キリッキリまでやらないと意味がないなら、じゃあそんなことまったくやりたくありません、という0/100な感じになってしまう。
カームコンピューティング
双曲割引
それはそれとして、「世の中ググればOK」と考えている人は、「ググるだけでは不十分ですよ」という考えにリーチできるだろうか、という疑問もある。
わからないことはググったらいいんだから勉強する必要はない、というのと、「それって何の役に立つんですか?」という(修辞)疑問には近しいものを感じる。
結局、人件費を抑えて「競争力」を維持していた、というのは、社会に存在していた(そして未来に存在する)人的資本を食いつぶしていたということなのだろう。で、その結果が現状なわけだ。
で、人間の感覚は未来の価値をたいして評価しないので、何らかの教え(たとえば朱子学など)によって、未来への投資を促さないと、こういう結果に陥りやすい、という傾向があるのだろう。
なんからのコード(倫理観といったもの)を外してしまうと、もろに人間のバイアスの弊害が出てくる、ということがあるのかもしれない。(もちろん、コードがもたらす弊害もある、というのは前提です)
加速主義的には、もっとどんどんコード的なものを外していって、どーんと破綻させようぜ、ということになるのだろうか。
午前中に主要な原稿を書く習慣を。まずは15分からスタートする。
こういうときに「1時間かっちりと」とかでやりはじめると、だいたいすぐに挫折することになる。日常の他の行動も大きな影響を受けることになって、負担が大きくなりすぎるから。15分とかなんなら5分くらいからスタートして、状況を見て少しずつ拡大していくくらいがいい。
ちなみに、この「5分」ですら失敗することがある、という前提を持っておく、という話も #やるおわ にはあります。で、実際それはあるわけです。他人のマネジメントも簡単ではありませんが、自分のマネジメントも同じです。少なくとも「やろう」と思ったら、それができるようにはなりません。 この社会がAの傾向を持つとして、人間は多様だから必ずAにそぐわない人が出てくるんだけど、そういうときにAに合わなくてもいいんじゃね、と言えるのが豊かさではないかと思う。
たとえば、30人に一人くらいの割合で相性があまりよくなくてイラッとしてしまう人がいて、日常生活で30人くらいとしか会わないなら一人に会うだけなんだけど、3000人フォローしていたら、みたいな益体のない計算。
表面的な付き合いだけならうまくやっていけるけどディープに知ってしまうと埋められない溝を感じてしまうことはある。逆に、いろいろな面を知ることで「憎みきれなさ」を覚えることもある。
先入観が作用して、嫌な部分だけが目につくこともあるだろうし、坊主憎けりゃけさ袈裟まで憎い効果、みたいなものもあるだろう。
緩衝地帯、みたいなものが喪失している傾向はあるのかもしれない。何もかもがダイレクト。
重要/緊急のマトリックスとか、GTDの高度とかの考え方は有用なんだけど、それを自分のセルフマネジメントにどう活かしていくかについてはよく考えた方がいいと思う。
たとえば重要/緊急マトリックスは、必然的に「無駄な行動」を決定する基準を作ってしまう。高度の考え方は、人はより大きな目標に向かって生きることが素晴らしいのだという価値観と背中合わせになっている。そこが自分とマッチするかは考えた方がいい。
「いかがでしたでしょうか」でフィルターはできたとしても、質の高いコンテンツだけが残るというものでもない。
でもって、質の高いコンテンツによく出てくるキーワードなるものを設定したら、結局それがスパムにも使われる。 あるいは、ある狭い分野だけで情報流通に使われる符丁のようなものを設ければいいのだろうか。
有用だとされるノウハウがあるにしても、それを自分で使っていくには、ノウハウと自分との距離感みたいなものを考える必要がある。でもって、そのためには「自分」について理解しておかなければならない。
しかしそれは、「本当の自分」のような意識的(理念的)なものではなく、なぜかしらそうしてしまうという傾向的なものであったり、やむなしに与えられた制約といったことがらである。
だから、「本当の自分を探しましょう」と促すものと、「自分についてなどぜんぜん考えなくていいねす」と促すものには、あまり近づかない方がいいだろう。
「あっ、私は今頭が固くて、視野狭窄に陥っている」と、頭が固くて、視野狭窄に陥っている人は気づくだろうか。
ある状態xに陥っていることに気がつけないことが状態xの特徴であるとき、人は常に「状態xであるかもしれない」という可能性を抱え込むことになる。
しばらく未着手期間が続いていたので、企画案のプルアップ作業。作業管理用に使っているScrapboxのプロジェクトで、ホーム画面をゆらゆらとスクロールしていき、「おぉ、これを着手しないと」というものをページを開いていき、ソート順を更新していく。
勝利の美酒で、正義酔い
自主性を持って取り組む、つまり、すべてを自己の裁量下に置けば物事はうまくいく、わけではない、というところから話を始めたい。 2019/7/14
思想的なことについて書くブログ
そのテーマ
行動は変えられる
感じ悪く思われたい場合は、感じ悪く振る舞うのがコツです
「演技」をすれば、他人への印象は変えられますが、問題はその振る舞いに自分(の意識)が耐えられるか、ですね。あと、感じ悪く思われる人もメリット・デメリットがありますし、いいヒトオーラの人も同様なので(僕が今こうして気楽にリプライしているのもそのひとつ)、優劣はつけがたい気もします。
強く出たいと思う人には強く出たらいいと思います。もちろん簡単なことではないでしょうが、仮にそうしても「いいヒト」であることは変わらないと思います。
あと(若干スピリチュアルですが)、自分は強く出ようと思えば強く出れるのだと信じられるなら強く出られるようになるかと思います。人間の行動には傾向があって、その傾向を「自分」だと思うと、それ以外の行動が選択肢から外れてしまう(自分を「自分」という鋳型にはめてしまう)のですが、
それは変えられます。時間はかかるかもしれませんが、変化可能な対象です。一方でそれを「変えなければいけない」と感じるようなら、ある鋳型から別の鋳型に移っているだけで不自由さは変わりません。「自分はそれを選ぶことができる」という感覚を持てているかどうかがポイントになるかと思います。
僕もその「納得」が大切だと思います。それがあれば、たとえ望む成果が得られなくても、人は前を向いて生きていけると思います。
直線的にアイデアをこなさない
たとえば、上は変形してショートショートのネタになる
先行きは未分化
バレット表示ひとつですら、僕たちの「文章を書く」という行為には影響が生まれる。主体が支配する世界ではないのである。
「広い視野を持ち多角的な観点から怒鳴り散らしている人」というのを見かけた経験は少ない。
考えすぎと蝙蝠。たぶん「効率化すばらしい!」とか「目標達成最高!」というようなところで思考を止められるなら話は簡単なのだろう。でもつい「本当にそうかな?」みたいなことを考えて話をややこしくしてしまう。しかも「そうは言っても効率化が必要なときはあるよね」とここでも極端にはならない。
効率化万歳と、効率性却下のはざま。そこをうろちょろしてしまう。たぶん断定的なものにある迫力は宿らない。
現実の要請、自分が欲すること、環境的制約。この絡み合いによって生じる点
型の異なる変数の比較
自分と他人の比較
インテリヤンキー
どこまでが自由意志でどこまでが自分か
苦悩からの完全解放
判断を消し去ること
効かない薬
喉が渇いている人に海水を与える
誤った推論
新聞配達とコーヒー
運による成功体験
比較の話
ブログとリファクタリングの話
アイデアに手を入れることについて
アイデア地層の形成にはどんな化学変化が必要か
2019/7/15
2019/7/16
優先順位に正解はあるか
管理と優先順位
メモとリストと賞味期限
メモについて、タスクについて、めちゃくちゃ基本的なことが共有されていない
インスタ映えの効能
無理矢理なセブンのスクラップアンドビルド
インターネットコンテンツにとっての立地とは何か
静けさを取り戻すトレーニング
クイックメモの設定をしておくこと
2019/7/17
2019/7/18
では書籍はどうか?
wikiとの違いは?
2019/7/19
界隈がなくなり、場が消え去った
僕たち一人一人の知識などたかが知れている
クリックシフト
2019/7/20
私の知的生産法
自分が文章の意味を汲み取れる。
相手がどんな風に文章を汲み取るのかをイメージする。
人のやる気を削ぐ言い方というのがあって、ほとんどの場合発言者は人のやる気を削ごうなどとは考えていないどころか、この発現によってやる気が削がれることがありうるとも考えていない。
周りをエンハンスする力
Scrivener3の解説記事書こうかと思ったけど、やっぱりcompileが一番のネックだよな。仕組みが理解できれば、そうややこしくはないのだけども。
自分が「これっていいかも」というものを差し出して「それっていいですよね」って言ってもらえればそれでOK。「それっていいですよね」と言われそうなものを先回りしようとすると、やっぱり疲れる。
当たり前だけど、最初に踊り始めるのは、結構怖い。それだけは引き受けないといけない。
アルテさん「まず君が踊るのよ。そうしたら誰かも踊ってくれるかもしれない」
理路整然とタスクを整理しても、それらすべてが達成できるわけではない。
黎明期でもバナー広告はあったけど、ここまでどこもかしこも広告になったのは、アドセンス以降だろうな、きっと。
持てる時間が無限にあったら、その価値はゼロになる。
ちょっと思ったけど、これって本を(それもそれなりに大きな構造を持つ本を)書くときにも、ちょっと似ているかもしれない。最初は構造が見えていなくて、要素の配置に関して「い〜〜〜」となるんだけど、少しずつそれが見通せるようになって、あるときふと自分が構造を手に入れていることに気がつく。
構造を手にすると、要素をみたときに、それをどこに入れたらいいのかが「わかる」ようになる。もちろんそれは精度の高い「あたり」(=>あたりをつける)でしかないのだが、不安感のようなものは小さい。しかも、無知ゆえの不安感の欠如ではなく、「これでいい」と思える安心感である。
jun.26近辺で参加した人は、どんどん山が高くなるグラフをイメージしていたのだろうけれども。
上のグラフを見て、「乗り遅れる、まずい」と思うか「高値で掴まされる」と思うかの、差異。
たぶん生得的に直感的なのは前者だろう。市場に参加していると、だんだん後者の感覚が学習される(場合もある)。
ラテマネーとかも、それを使わなければ節約できるという話は理解できるが、そういうのを使っている人間は経済合理性を持たない愚かな人間だ、みたいに人を見下すための文脈までいっちゃうと、「うるせぇ」みたいな感じになるよね。
完璧なリストを作りたくなる欲求
リストを完璧にしたくなる欲求
家で仕事ができない、ということはないけど、外で仕事がしたい感じはある。
キャッチーな言葉でまとめられることで、そこに含まれていた機微が消し飛んでしまう現象。
判断をとめて愚直に実行するタームと、理性を働かせて判断を行うタームの両方を持つこと。
「人間の理解力なんて同じようなもの」というのがちょっとわからない。個人的な経験では、むしろ逆な気がする。
いや、理解力、というものは同程度かもしれない。でも、文脈・歴史・経路依存があるから、理解のされ方・フォーマットが異なる、という印象かな。
思い込みは推論を歪めるから、断定できないなら、可能性は開いておいた方がいい。
問題を切り分ける
問題がありそうな部分を狭めていく
仮説を立て、実証してみる
記録があっても、解釈によって、その意味付けは変わってくる。
小売店は立地が極めて大切ですし、別の場所でも同じものがかえるコンビニならなおさらです。もしコンビニを始めるならお店の立地にこだわってください。平日・休日・昼間・夜間・深夜の人の流れを自分で観察してください。本部は甘い見込み値を示すでしょうが、それよりも現実的な人の流れが大切です。
「自分の記録」の比較は、自分の比較にとどまる。
「性急に成果を求める態度を、性急に改めたい」
変数の型がバラバラでもなんとかなっちゃうのが脳の思考機能なのだろう。
文化の話と個人の話をごちゃまぜにするとややこしくなる。
でもまあ、一般的にそういうツッコミすら普通は発生しない。他者との対話を欠いている状態では、errorすら発生しないのだ。
現実の要請、自分が欲すること、環境的制約。この絡み合いによって生じる点
セルフオーガナイズ
経営者ごっこ
界隈がなくなり、場が消え去った。
川の流れとタイムライン
雨が振ったときに十分な余裕を持っておく
情報摂取の作法
自己のコピーと五分前仮説
まるっきり同じ状態に脳をコピーできるなら、意識は二つありえる。
タスク管理が必要な状況
なぜタスク管理が必要なのか
「絶望を喰らえ。僕から言えることはそれだけだ」
2019/7/21
セブンのときも最初は問題児のオーナーの、という文脈があったが、結局ここまで広がった。
とりあえず知見を集めておいて、必要な人が自分で探し出すwikiという場。あるいは必要な人を想定して順番と中身を著者がコントロールする本というメディア。その両方があっていいだろうし、あった方がいいだろう。
情報の集め方、読み方の方法。
スマホ投票できるようになったら
定義集のようなものを意識して増やしていく
目標を飼いならす
ないしは
大きなプラットフォームの弊害
個人の参加意識が希薄になり、独立できなくなる
裁量がプラットフォーム側に大きく傾く
いずれ暴走したときに、止められるものが出てこない
自分のことばかり考えていると、些細なことでも大げさに感じられる
2019/7/22
記憶はネットワーク、意識はライン
タスクリストにすると、やり終えたノートを開くのが心理的に嫌になる現象
修正を失敗だと思わなくなったら、計画は役立ち始める
2019/7/23
無為に耐えられない
「人はギリギリせっぱつまってくると、無為に耐えられないものなんだ」
「そして勇気を出す。今までの人生で使ったことのない勇気をな……。とんでもない弱虫が、限りなく死に近い決断だってするもの」
『銀と金』 4巻
人は無意味に耐えられない
無意味ですら、意味があることにしてしまう
脳は意味づけ装置
論理の中に正しさはあっても、その外までは及ばない
ロゴスと公理系の選択
公理系の選択次第で、ロジックの正しさは変わってしまう
2019/7/24
お花畑ウケ
軽く好きではだめですか?
本は終わらない
執筆作業には、ブログ更新のような明示的な終わりの感触がない
区切りはあるが、自分だけ
不可視ファイルはパターナリズムか
ブログを書いていないまま午後になると、「ああ、もう今日はいいか」という気分ゲージが徐々に高まっているのが感じられる
毎日ブログを書く秘訣は午前中に更新してしまうこと
伝播拡散性と誤解発生確率
広まりやすいものは誤解されやすい
一日がはえる感覚、デイリーリスト
習慣に合わせてリスト(テンプレート)の移動
2019/7/25
自分にとっての顧客は誰か
顧客価値とは何か?
学生の頃から知っておきたい三種の神器
「タスク管理」「知的生産の技術」「他者と交流できる力」
2019/7/26
2019/7/27
自己完結するのではなく、誰かに考えを伝えてみようとすること。対話
それにより、自分の考えがよりハッキリしてくる
たしかに「真の」とは言わない(というよりも、言えないが近いか)傾向はあるよな。
タイムラインは自分で作るので、華々しい投稿をしている人をたくさんフォローしてしまっている、という時点でバイアスがありそう。
つまりある種の欠落がはじめからあって、それがSNSによって強化されてしまっている、というような。
ゲーム的リアリズムで描かれないもの。
「R-styleってめっちゃ面白よね」と言及されるようなブログではないのだが、だいたい毎日何を書いてもアクセス数が同じくらいというのは、定期的に読んでくれている方が一定数いらっしゃるということなのだろう。
ただ、それはそれとして感想などを頂けるのは、やっぱり嬉しいのである。自分の考えは、あくまで「なのだろう」という推測でしかないから、その辺はけっこう揺れてしまうものなので。
話し相手になってくれるアウトライナー、と思いついて、ソウトラインを思い出した。
進捗の音。進捗がないとき、進捗の音はなく、進捗があるとき、進捗の音は聞こえない。
Evernoteの毎日見るノートに「首の凝りに注意」と書き足しておいた。
トートロジーだけど、目立つものは目立つし、目立たないものは目立たない。そして、僕らは目立つものだけで「世界」を認識しがちである。
『札束で殴る』=>『バビロンの宝物庫を投げる』
レシートを受け取って財布にしまう、という行動が儀式的なまでに習慣化されてしまっているので、スマホだけでレジを済ませても、結局財布を取り出していることに気がついた。
問題意識はあるけど、問題について考えるのは苦手、という人に受けやすい意見・表現というのがあるのかもしれないな。
アイデア・思いつきを集める発想工房は公開にしていて、自分では「Date last visited」でソートしているので、一日経つと結構順番が変わっていることがあって、それが面白い。他の人が僕の糠床をかき回してくれているみたいな感じ。
新しい本を書き始めるとして、その本をうまく書き上げられる自信が100%なければならない、というのならば、たぶん書くことはできないのではないか。
町の小さな薬屋さんで、漢方と大きく書かれた下にめちゃくちゃたくさんの病名が並んでいて、おいおいなんでもありだなと思っていたら、新しくのぼりが立っていて「不登校」というのが増えていたんだけど、さすがにそれはやり過ぎではないか、という気がした。
もちろんそういうお店で「改源」とかを買う分には問題ないわけだが、でもだからといってそこで相談することがまったく問題ないかというと、それは別の話的なことが、自己啓発界隈でもあるわけです。
webとかでも、消費に関する情報はどどーっと流れるけど、政策に関する話はあんまり流れないし、流れるにしてもイデオロギー色が強すぎるので、そりゃまあ理解は進まないよな、とは思った。もちろん、どどーっと流れたらそれで解決、というわけでもないけども。
民主主義というのは、修正メカニズムが組み込まれたシステムであって、一回の投票でどうこうということではなく、その結果を受けて次なる投票行動へと繋げていく。その絶え間ないプロセスこそが民主主義の基盤であろう。だから、「正しい選択」に怯えなくてもいい。
プログラマーのメンタルモデル
計画を完璧に立てようとするあまり、その修正がやりにくくなるというのは、一つのパターンとして見なせる気がする。計画立案のサンクコスト。
ある「場」の維持と発展に注力している人がいないと、時間と共に崩壊してしまうものなのだろう。
「峠で勝つテクニックを教えよう。それは夜中のバトルでライトを切って運転し、隙を見て抜き去ることだ」とかアドバイスされても困ってしまうわけで、技術ではあっても限られた人だけが使える技術というのはある。でもって、使えない人がそれを使ってしまうとひどい事態になることもある。
2019/7/28
した方がいいことリストを作る
考える場所を作る
調べ物をするときは、必ずノートを作る
たくさんの教養
その中から選ぶ教養が必要
セルフマウンティング
棚にあげる、棚卸し
ジムと時間の枠
運動は勝手にすればいい、ジムはお金がかかるだけ。でも、ジムには力がある。
時間の枠を作り、当てはめるという力が。
他の行動をする、という選択肢を剥奪する
会話のキャッチボールに必要なもの
サイズや硬さも必要
安易な理解は、ときに暴力的である。
安直な理解を拒絶しておく。
デザインの基本、のような執筆本
引用の作法
かつてはブログに書くだけでよかった
10万字への道
アイデアメモを手作りする効能
2019/7/29
「成功者は逆に考える」
求めているテキスト操作
ブロック化
ファイル化
行単位の移動
ブロック単位の移動
今まで生きてきて「自分は絶対こう」と思ってきたことが、何度ひっくり返されてきたことか。
海に沈んでいるときには浮力は必要でも(カウンター)、海面まで上昇できたらそれ以上はいらないよね、というかそこからまだ浮力を増やしたら、今度は空中に浮かんでしまって地に足がつかないよね
己否定とのバランスというか、カウンターとしての自己肯定の高揚、というのならまだわかるけど、原理主義的になってくるとさすがにちょっとな、とはたしかに思う。
自己啓発書の中に自己啓発への毒を微量に含む本と言えるかもしれない。免疫を作る程度に微妙の。
「君は物事についてよく考えていないようだ。そのことについてよく考えてみてはどうかね」
「与える」ことは、ゴール
考える道具としての言葉
「やること」について考えること
知的生産技術の雑誌がない
防腐処理された企業
腐らないから、腐っていく。
循環が働いていない。倒産しない。
大きくなればなるほど。→プラットフォームの
普段吸っている空気にお金を払う人はいない
哲学者や思想家の執筆法などをまとめた本が読みたい
2019/7/30
2019/7/31
読んでもらうこと、腰を据えて書くこと。
何でも書けばいい、何でもシェアすればいいと言ってる人の記事が次第に薄くなるとき、そこには一つの手放しがあります。バズるニュースに頼って記事を書いても、そこに自分がないのは、城や魔法を追うのと似ているわけです。
そこで重大な壁にぶつかっていることを指摘せずに「書けばいい」というのは正直さに欠けることだと私は思っています。つまり楽に書けることは楽に自分の声が見つかることではないという、いとも簡単な事実を伏せているといっていいでしょう。
楽になりたい、という気持ち。
楽で何が悪いのだ、という開き直り(あるいはそれは開き直りですらないのかもしれない)。
org-mode用のScrapboxプロジェクトを作る?
タスクから実物の壁
アウトプットの質に、興味を持つノウハウが影響される
糠床と家屋
本はいかにかかれるのか
Scrapboxはつながるが、巻き込んで大きくはならない