結城メルマガYMM380の感想
たとえば後輩の発表にコメントするとき、内容はおもしろいと感じていても、発表がうまくないとスライドの作りや喋り方にばかりコメントしてしまい、批判的になってしまいます。
たいへんよくわかる。
悪い点や直すべき点は見つけやすいですが、うまくいってるものはうまくいっているがゆえに気付きにくいからです。
失敗からの復旧は「手柄」になりやすいが、失敗を未然に不正だ施策は評価されにくい問題と同系統。
「できること」が当たり前だと思ってしまう。
でも、相手にとって、それができたことがすごい頑張りの結果かもしれない
具体的にほめるためには対象を深く理解している必要があります。評価の前には理解が必要であるというゆえんです。
〈相手のことを考える〉の黄金律が適用できる?
いろいろ思考した後、もう一度そこに至るまでの思考を繰り返して、それを言語化しようとするときのことです。最終的な主張があって(主張自体は言語化できます)そこに至るまでの思考回路を言語化しようとするのですが、まるで毛糸が何重にも絡まったような状態になって結局、思考の軸となったマインドマップ的な単語の群れしか浮かばなくなります。
たいへんよくわかる。
世の中には「たいへんよくわかる」悩みがいっぱいある、という事実。
言語化するというのは、必然的に思考の一部分だけを切り出さざるをえません。しかもある程度まとまりを持った部分だけを切り出すことになります。なので、思考の何をどう言語化するかを「見切る」必要があります。せっかく作ったからといって炊飯器のごはん全部を相手に出すわけにはいきません。お茶碗一杯分をよそって出すのです。
比喩的に言えば、脳のメモリは小さく、出力はリニアに限定されている。
もしも、相手がどう感じるかのすべてをあなたが先回りして考え過ぎるならば、それは結局、その場にあなた一人しかいないということになってしまいます。
「自分」の理解、あるいは自分と世界の関係性についての大切なこと。