梅棹忠夫とゾルバイの論争
「論理的」であるということが、いかにドグマティックでありうるかをいっているのだ。はじめから自分につごうのよい結論がちゃんと用意してあって、「論理」というものは、それを他人におしつけるための手段にすぎない。手まえ勝手のシロギズムである。この種の論理の特徴は、他人を論破できてもなっとくさせることができない、という点である。
https://gyazo.com/0d7306298c9a39c6d2bc0245515fdf01
『モゴール族探検記』
『著作集』第4巻
#梅棹忠夫