結城メルマガYMM383の感想
仕事の種まきをする
種まきばかりしすぎて収穫してないんじゃないか、という気分に襲われることが(ごくまれに)ある。
種が実になるのは時間がかかるので、じっくり「自分の仕事」をやっていくしかない。 人間関係を壊さないための投資
そして、自分の限界を理解し、そのために対策すること
投資は、お金がなくてはできない。しかし、想像力がなくては意味がない。
「自分は能力が低い」と感じるときには、無意識のうちにものすごい一般化をしているものですから、
これはまさにそうだなと思った。
「自分の能力が低い」という結論に走る前に、起きた事実をよく見ましょう。そしてそれをどう認識するかを考えましょう
これができるようになるのは、ある種の知的体力が必要なのだろう。 あるいは、それができるとき、知的体力があると言える。
具体的なストーリーが全く思いつきません。
僕は、具体的なストーリーから物語を書き上げたことは(たぶん)一度もない
場面やセリフあたりから始まることが大半
むしろ、具体的なストーリーを思いついてしまうと、書く意欲が湧いてこない
プログラマが、大体のアルゴリズムを考えてしまうとコードを書く意欲が小さくなる、というのに似ているかも
おそらく、学問の本来のあるべき目的というのは「自分の人生を豊かにするため」といったところかと愚考するのですが、今まで抱いていた「競争としての勉強」のステージから「自身の人生を豊かにするための学問」というステージにシフトすることがうまくできず、悶々としています。
とりあえず、この時点で、そうした問題をきちんと把握できているのはすごいと思う。
問題は認識しているが、その取り組み方(アプローチ)がわからない、というところだろうか。
言葉遣いから言えば、必要なのは「シフト」というよりも「チェンジ」とか何かそういったことだろうと推測する。
まったく違うゲームをプレイするかのように。
将棋からチェスに変更するのではなく、ぜんぜん別のゲーム(遊び)に乗り換える感覚
そういうとき、どうするか?
慎重に観察し、そのゲームのルールを理解しようとするのではないか?
ゼロベースで、手探りで、理解を構築していこうするのではないか。
この比喩にも限界はあるが、メンタルモデルをいったんリセットできたらいいのではないかと思う。 人の心の機微はどうしたら分かるでしょうか。
難しい問題だ。
どうしたらわかったと言えるか、という証明は可能か。
相手に尋ねても、相手が自分の機微を把握しているとは限らない