ツァラトゥストラ読書会
日時:2023/8/20 22:30〜26:00
場所:301
参加者:ぷゆ、イタロー、春人、Phil Schweinsteiger、久住哲、アリス(敬称略)
読む箇所:読むことと書くこと〜戦争と戦士
ツァラトゥストラ読書会
日時:2023/8/20 22:30〜26:00
場所:301
参加者:ぷゆ、イタロー、春人、Phil Schweinsteiger、久住哲、アリス(敬称略)
読む箇所:読むことと書くこと〜戦争と戦士
ツァラトゥストラ読書会
日時:2023/09/10 22:30〜25:00
場所:301
参加者:イタロー、ふじはら、久住哲(敬称略)
読む箇所:千の目標と一つの目標〜老いた女と若い女
ドストエフスキーの長編小説(ドストエフスキー後期五大長編のひとつ)
妻のアンナ・グリゴリーエヴナに捧げられている。
よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。
(ヨハネによる福音書。第十二章二十四節)
新潮文庫より
哲学的分野で言う超人(ちょうじん、ドイツ語:Übermensch、英語:overman, superman, super-human)とは、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェが提唱した概念の一つであり、そのような新しいあり方を体現する人類の呼称である(その、漢字文化圏における表記)。
ニーチェはその著『ツァラトゥストラはかく語りき』において、人間関係の軋轢におびえ、生活の保証、平安、快適、安楽という幸福を求める現代の一般大衆を「畜群」と罵った。その上で、永劫回帰の無意味な人生の中で自らの確立した意思でもって行動する「超人」であるべきと説いた。
ツァラトゥストラ第1部
図書室 - Discord
読むことについて
11-13行は、ツァラツゥストラ第3部の冒頭に引用されている。
笑いについて
ニーチェの著書『ツァラトゥストラ』の自主読書会
概要
【期間】 2023/07/09〜2023/9/24(約2ヶ月)
【場所】 Discordの301(VCにジャンプ)
【連絡先】 Discord本部のスレッド
ツァラトゥストラ第1部
新しい偶像 - 「純潔」
図書室フォーラムでの議論
Discord
登場人物
to ウサギアヒル
著者:カント
出版年
第一版 1781年
第二版 1787年
アープラ
ツァラトゥストラ読書会(1)
ツァラトゥストラ読書会(2)
ツァラトゥストラ読書会(3)
ツァラトゥストラ読書会(4)
ツァラトゥストラ読書会(5)
ツァラトゥストラ読書会
日時:2023/8/13 22:30〜
場所:301
参加者:イタロー、Phil Schweinsteiger、ぷゆ、くすみ(敬称略)
読む箇所:青白い犯罪者〜死の説教者
書き込み自由チェ
このメモの目標
ツァラトゥストラ読書会の振り返りメモなども合わせて、何年後かでも、ニーチェの全体について話し合うときがきたら、それらを参照しながら話す。
『道徳の系譜』日記
ニーチェってノーモーションでギャグ言う人では
ツァラトゥストラ読書会
日時:2023/9/17 22:30〜25:00
場所:301
参加者:タラちゃん、春人、久住、ぷゆ、イタロー(敬称略)
読む箇所:まむしのかみ傷〜自由な死
哲学(哲学書)の読書会
国語からやり直す(1)(『省察』)
ツァラトゥストラ読書会
有志のメンバーが定期読書会以外で行なう読書会。
特に明確なルールはない。自由参加。
そのつどの主催者や参加者がルールを決める
ルールが全くないときもある
課題図書や開催時期・開催場所は主催者が決める。
ツァラトゥストラ読書会
日時:2023/07/16 22:45~26:15
場所:301
参加者:イタロー、見たら死団子、ぷゆ、ToTTo、ぬこ、yume、神奈川、saitou、telecom、くすみ(敬称略)
読む箇所:序説6〜10
毎週日曜読書会の一環
ルソーの『社会契約論』を読んでいく
読む配分は『社会契約論』ページ数を参考に
2024/1/21から開始した
4ヶ月くらいやる予定
ツァラトゥストラ読書会
日時:2023/07/30 22:30〜
場所:301
参加者:Phil Schweinsteiger、くすみ、ぷゆ、イタロー、安部火韻(敬称略)
読む箇所:徳の講壇~喜悦と情熱
アープラの企画で、毎週開催の哲学書等の読書会
略称は「毎読会」
数ヶ月にわたり毎週日曜日に読書会VCを開く
時間帯
22:30〜24:00ぐらい
ツァラトゥストラ読書会のスピンオフ企画
企画概要
三様の変化の第1段階は駱駝(🐪)である
獅子や小児と比べると駱駝(が担う重いもの)の記述はより細かい
この駱駝の記述をより細かく見ていく企画である
ツァラトゥストラ読書会
日時:2023/07/23 22:30〜24:30
場所:301
参加者:くすみ、ぷゆ、ふじはら、イタロー
読む箇所:第1部 三様の変化〜肉体の軽侮者
この計画書は毎週日曜読書会(毎読会も同じ)の主催方法をどんどん良くしていくためのやつである。
1 目的
選ばれた本についての理解を深める
アープラに緩い連帯を作る
2 基本方針
ツァラトゥストラ読書会
日時:2023/9/24 22:30〜25:40
場所:301
参加者:くすみ、イタロー、ノブ、鶴翼、フィル(敬称略)
読む箇所:贈り与える徳
ツァラトゥストラ読書会
第1部
✅3 2023/7/23 三様の変化…肉体の軽侮者
✅4 2023/7/30 徳の講壇…喜悦と情熱
✅5 2023/8/13 青白い犯罪者
犬
#ツァラトゥストラ読書会
著者:ニーチェ
翻訳者:手塚富雄
版元:中央公論新社(中公文庫)
ツァラトゥストラを主人公にした寓話のようにもなっている
副題
ツァラトゥストラ読書会
毎週日曜日の22:30からやってます。
今は第1部を読んでいます。
だいたい15ページずつ読んでいきます。
次に読むのは⭐です。この箇所は読んできてください。
ツァラトゥストラ読書会
日時:
場所:301
参加者:(敬称略)
読む箇所:
ツァラトゥストラ読書会
日時:2023/7/9 22:30~25:30
場所:301
参加者:イタロー、yume、telecom、くすみ(敬称略)
読む箇所:序説1~5
平岡公威は、ニーチェの超人の寂寥と平安時代の女性文学者のそれに近しいものを感じる、と手紙に書いている。
超人は大地の意義である
ツァラトゥストラの序説の3
Der Übermensch ist der Sinn der Erde.
問い
【ニーチェ】超人は大地の意義である。この文章変じゃないですか?【独自解釈】
『ツァラトゥストラ』に登場する用語「超人」についての独自解釈だす
前提:超人像
個人が自己を乗り越えて超人になるなんてことは起こらない
人間個人が超人になる、そんなことが書かれてあっただろうか?
ツァラトゥストラですら超人ではなく、超人の伝令者である。
ドイツ語
ユーバーメンシュ
ユーベルメンシュ
イューバーメンシュ
ウーバーメンシュ
書いてけ
骨丸→アープラでは超独裁なので、帰結として超人
2024/10/21
オプチャでニヒリズムの話からニーチェの話になった。それで、結局、ニーチェが嫌悪した同情こそ最も人間にとって重要な道徳的価値なんじゃないかみたいなことを書いたら、「ツァラトゥストラがわざわざ山を下りて街に行ったのも、民衆への憐憫・同情・期待さまざまあったよね。ニーチェはとても同情深いと思った」というような書き込みがあって気になった。
確かにツァラトゥストラは人々への憐憫や憐れみ等の同情に類似する感情があったからこそ、山を下りて説教をしたんじゃないだろうか。
ニーチェの言葉
ニーチェ
一覧と書籍
力への意志
『ツァラトゥストラ』、『権力への意志』、『生成の無垢』
ニーチェの「アンチクリスト」について
使用書籍
白水社のニーチェ全集第4巻(第II期)
ちくま学芸文庫
講談社+α新書
Letzter Mensch 独
Last man 英
最後の人間
「末期の人間」(村井則夫)
おしまいの人間 氷上英廣
(独)der neue Mensch
新しい価値体系を打ち立てる人間を意味する概念。表現主義運動の重要モチーフの一つ。
もともとは宗教の領域で用いられており、当初は救世主を、次いで信者を指していた。
その後、ニーチェの思想を重要した若者たちによる表現主義運動の中で、既存の諸価値を破壊し新たな価値を創出する「超人」、あるいは既存の諸価値の重さから解き放たれて新たな価値を軽やかに作り出す働きを表す「遊戯」の性格が付け加わる。
(※この記事は書いたあとにアープラの人達と議論して考え方が変わったような気がするのでいずれ修正する)
『ツァラトゥストラはかく語りき』より。
現時点では理解できないが、いつか分かるかもしれないのでメモ。
この平等を説く者たちと、わたしは混同されとり違えられたくはない。なぜなら正義はわたしにはこう語るからだ。「人間は平等ではない」。
そしてまた、人間は平等になるべきでもないのだ。そう言わぬとすれば、わたしの超人への愛は一体どうなる。
#ジャイナ教
jiva
本質
精神作用(ウパヨーガ)
六種
from イタロー
「孤高の人」というタイプがいる。彼ら(彼らは群れはしないが世の中にごまんと存在する)はあらゆるコミュニティを白眼視し、あらゆる倶楽部を内輪の盛り上がりだと冷笑する。それだけではない。彼らは森羅万象に対して一家言持っている。私はかねがね、彼らを嫌いになるどころか、むしろ尊崇の念を持ってその意見に耳を傾けたいと思ってきたが、最近はめんどうくさくなってきた。なんとすればそれがまったくの正統であれ、まった
2022/9/12
ニーチェの「積極的ニヒリズム」について、Wikipediaには以下のように書かれている。
ニーチェによれば、ニヒリズムにおいて私たちが取りうる態度は大きく分けて2つある。
1. 従来の最高の価値を信じる精神力を失ったために、そうした価値が無意味に感じられるということ。何も信じられない事態に絶望し、疲れきったため、その時々の状況に身を任せ、流れるように生きるという態度(弱さのニヒリズム、消極的・受動的ニヒリズム)。
マルメラードフの残された一家が十字路でダンスするところはラスコが十字路で大地に接吻するところより臓腑にこたえた。『悪霊』の終盤のパーティシーン、TBKのドミトリー乱痴気に並ぶ狂騒シーンだと思うたし、悲惨みが過ぎて諧謔になってないのがずーんときた。
#C&P #TBK
ラザロ
『大審問官』
話中話
朗読
カラマーゾフの日々
TBKで最も人気のセリフはなんだろう!?
一人何票でも許される
神がいなければ、全てが許される
人間は誰に対してもすべてのことに対して罪があると意識するとき、天国が訪れる
TBKを翻訳した人
米川正夫(岩波文庫)
原卓也(新潮文庫)
亀山郁夫(光文社古典新訳文庫)
中山省三郎
スピノザの主著。
1677年(スピノザの死の年)に刊行された。
すぐ発禁になる。
表記揺れ:『エチカ』
関連サイト
エキュメニカル総主教 - Wikipedia
エキュメニカル総主教(ギリシア語: Οἰκουμενικὸς Πατριάρχης, 英語: Ecumenical Patriarch)は正教会のコンスタンディヌーポリ総主教の称号のひとつ。正教会における名誉上の最高の地位を表す。
エキュメニカルはギリシア語「オイクメノス」に由来し、全地・既知世界の総体を意味する。全地総主教とも世界総主教とも訳されるが、定着した翻訳語は現在のところ存在していない。なお、日本ハリストス正教会では「エキュメニカル」(Ecumenical)に「全地」の訳をあてている事から、これに準拠すれば訳語は全地総主教となる。
アープラノート内で使われる省略記号のリスト
省略記号は各自勝手に決めてください
省略記号を使う義務はない
書籍名省略記号についての議論
ルール
「生誕200年 あるある ドストエフスキーと若者」(みみより!くらし解説) | みみより!くらし解説 | 解説アーカイブス | NHK 解説委員室
TBKやC&Pが説明されている
また現代のドストエフスキーファン層の厚さも紹介
#『カラマーゾフの兄弟』 #ドストエフスキー #TBK
人物紹介とか追記してくれてもいいかも。
一瞬だけとか、登場か……?という人も載せてます
アレクセイ・フョードロウィチ・カラマーゾフ
アリョーシャともいう。
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の構成
四部構成。
エピローグがある。
『リア王』(リアおう、King Lear)は、ウィリアム・シェイクスピア作の悲劇。5幕。1605年から1606年頃初演。シェイクスピア四大悲劇の一つ。
リア王 - Wikipedia
姉妹 三姉妹
老王が三姉妹のうち長女と次女を信頼して三女を信頼しない話
これって、『カラマーゾフの兄弟』の逆じゃんねーくわばらくわばら!でもあれは兄弟か……
from 『春の雪』を読む(イ)
『春の雪』を読む(一その1)
学校で日露戦役の話が出たとき、松枝清顕は、もつとも親しい友だちの本多繁邦に、そのときのことをよくおぼえてゐるかときいてみたが、繁邦の記憶もあいまいで、提灯行列を見に門まで連れて出られたことを、かすかにおぼえてゐるだけであつた。あの戦争がをはつた年、二人とも十一歳だつたのであるから、もう少し鮮明におぼえてゐてもよささうなものだ、と清顕は思つた。したりげにそのころのこ
from 老イタが過ぎるだロー日記
2022/04/29
昼の文学カフェVC
作品と作者
akillaさんのケインズ・ハイエクの話。
『カラマーゾフの兄弟』の中で語られる、イワン・カラマーゾフの創造した叙事詩。
『カラマーゾフの兄弟』が小説なので、フィクションのなかのフィクション、話中話だ。
プロとコントラの章で、飲み屋《都》の衝立で仕切られた窓際の席で、イワンがいくつかの話題のあとに最後にアレクセイ・カラマーゾフに語る。
※いくつかの話題……若さのこと、恋バナ、神様の話、世界で起こっていること、子供、最終的な調和、反逆とか
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の第五編の五『大審問官』に記載されている。
Wikipediaには「無神論者のイヴァンと修道僧のアリョーシャが神と信仰をめぐって論争した際に、イヴァンのセリフ «Если Бога нет, все позволено»(神がいなければ、全てが許される) によって文学史的に特に有名な部分である。」とされているが、中
『カラマーゾフの兄弟』の主人公。フョードル・カラマーゾフとソフィア・イワーノヴナの息子。
カラマーゾフ家の三男。
『屍者の帝国』、『カラマーゾフの妹』にも登場する。
異母兄
ドミートリー・カラマーゾフ
#『カラマーゾフの兄弟』
問いも答えも書いてけ
好きな登場人物は誰ですか?
フョードル・カラマーゾフ
アレクセイ・カラマーゾフ
『魚の夢 私と愛と正義にまつわる逆説的で倒錯した悪夢のような総合小説、あるいはセックス・ポルノ・エロスをめぐる胡乱で猥雑で巨大な迷宮的書物』
MMMの大長編小説
五部構成
言語:日本語
序文:2024年
『ヨブ記』(ヨブき、ヘブライ語: סֵפֶר אִיּוֹב)は、『旧約聖書』に収められている書物で、ユダヤ教では「諸書」の範疇の三番目に数えられている。ユダヤ教の伝統では同書を執筆したのはモーセであったとされているが、実際の作者は不詳。高等批評に立つ者は、紀元前5世紀から紀元前3世紀ごろにパレスチナで成立した文献と見る。ヘブライ語で書かれている。『ヨブ記』では古より
ヨブ記 - Wikipedia
ドストエフスキー(1820~1881)
トルストイ(1828~1910)
『戦争と平和』と『カラマーゾフの兄弟』
河出書房、世界文学全集の、米川正夫によるあとがき
トルストイがドストエーフスキイについて、おおむね沈黙を守っていたのに対して、ドストエーフスキイは年下のライバルに関して、賛辞を表明することに躊躇しなかった。ことに『戦争と平和』が雑誌に掲載されはじめた時には、驚嘆の目を見はった。この長編が完結する頃には、ドストエーフスキイは長い外国の旅に出ていたが、最後の部分が単行本として出版された時、彼は祖国の友人にあてた手紙の中で、ぜひとも至急にそれを送
『カラマーゾフの兄弟』の「六 何のためにこんな人間が生きているのだ!」でゾシマがイワン・カラマーゾフに話す言葉。
長い 小説
特に長い長編小説
支持
ボラーニョ(『2666』の第二部を参照せよ)
批判
「世界最高の文学100冊」は、2002年からノルウェーのブッククラブによって出版されている、古典的世界文学のシリーズ。54ヶ国の作家100人によって提案されたベスト100冊のリストに基づいている。
ベスト100冊リスト(時代順)
読んだ本にアイコンをいれるとか、読書の手引きに
参照元:https://en.wikipedia.org/wiki/Bokklubben_World_Library
ultramontanism
教会が国家に従属することに反対し、ローマ・カトリック教会の権威を集中化しようとする傾向
教皇至上主義などと訳される
「超モンタニズム」ではないらしい
『カラマーゾフの兄弟』(原卓也訳)第一部第二編・五のミウーソフの台詞にでてくる(p146,p158)
Eテレで放送される100分de名著を視聴しながら、ボイスはミュートにして、テキストでノートを取りながら会話をする自主読書会
特徴
本を読んでいない人でも入りやすい読書会入門編のような企画
リアルタイムで朗読を聞くのでその場で一緒に読んでいる感覚になる
専門家の解説と伊集院光さんの鋭いコメントが素晴らしい
『カラマーゾフの兄弟』
美――こいつは恐ろしい、おっかないものだぞ! はっきりと決まっていないから恐ろしいんだ、しかもはっきり決めることができないのだ。だって、神様は謎より他に見せてくれないんだからなあ。美の中では両方の岸が一つに出会って、すべての矛盾がいっしょに住んでいるのだ。おれはね、ひどい無教育者だけれど、このことはずいぶんと考えたものだよ。なんて神秘なことだらけだろう! この地上では人間を苦しめる[
『カラマーゾフの兄弟』 ドミートリーのセリフ
図書室にある本
Discord
『ミメーシス』
『嘔吐』
『死靈』
今年のはじめにやっていたり思っていたりすることと、今年のさいごにやっていたり思っていたりすることとのあいだには、かなりのひらきが出ることだろう。そういった自分の変化を観察したい。そこで、半月に1回くらいのペースで自分を振り返ってみるのはどうだろうかと思いついた。
その目的は、個々の「半月誌」間の比較である。今後、振り返りの期間は変わるかもしれない。半月にこだわりはない。1ヶ月にするかもしれないし、半月のままかもしれないし、定かではない。(2023/11追記:結局、変わらなかった。)とにかく、数週間以上の期間の活動をまとめたものをいくつか記録としてとっておいて、それを材料として、いかに自分のその時その時の関心が移り変わっているかを見てみたいと思ったのだっ
Discord本部でオススメされていた著作(一部。価格安い順)
須賀原洋行『現象学の理念(まんが学術文庫)』 ※原作:フッサール
ダン・ザハヴィの『初学者のための現象学』(晃洋書房)
ダン・ザハヴィ『フッサールの現象学』晃洋書房
『現代現象学ーー経験から始める哲学入門』ワードマップ
筑摩書房の『純粋理性批判』(石川文康)を読む者あり……
p277あたりから
どうも。「付け焼きカンティアン」です。
どうやら、ここは、神さまの存在を論証によって証明できるか?という話のようです。
……私が読んだ限りでは、
「神の存在の存在論的証明が不可能であることについて」メモ(イ)の姉妹ページ
ゆるルール
好きな哲学者(または或る哲学者を読みつつある人)を登場させて、議論をさせましょう。
他のユーザーが登場させたキャラクターを動かすのも、いいですよ。
すでにある話題に、あるていど沿ってください。
『純粋理性批判』の「想像力」はどういうもの?
構想力
『人倫の形而上学』文庫本出るけど買う?
どうして三批判書のアイデアを思いついた?
個人向けデジタル化資料送信サービスで閲覧できるようになった書籍
『純粋理性批判』
『存在と時間』
『意志と表象としての世界』
『資本論』
カントについて話すときのカンペ
『純粋理性批判』の第一版の序文
人間の理性、それはある種の認識において特異な運命をかかえている。その運命とは、理性が退けることもできず、それでいて答えることもできないような問題にわずらわされるということである。退けられないわけはと言えば、そのような問題が、理性自身の本性によって突きつけられているからである。答えられないわけはと言えば、そのような問題が、人間の理性能力をことごとく超えているからである。
「空気抵抗がなければもっと飛べる」と願う鳥の比喩の出典は? - 空気- 哲学 | 教えて!goo
『純粋理性批判』第二版の序論
カントやハイデガーを読んでるとmöglichという形容詞によく出くわす(そりゃあ、ドイツ語だから)が、これはたいてい「可能的な」と訳されている。ところで、可能的とは?
私はこの形容詞の意味について、次のような想定をしている
例えば、「今日なんの本読もっかな〜」と思ってるとしよう。そのとき、私は可能的な本を前にしている と言える。『純粋理性批判』は可能的な一冊である。つまりこの場合は、可能的な本は読む可能性のある本を意味している。そのまま言うと「ありえる本」なのだが、こう言ってしまうと、なんだか意味が違ってきてしまう。実質的には、読む候補がいくつかある ということ。ここでの「読む」は日本語だと断言に見えるが、実際に
diskursivは「推論的」といった意味
思考と概念と関連づけ
『純粋理性批判』のB94における解説
光文社古典新訳文庫でいえば2巻pp51-52のところ
悟性は思考能力だと言われ、思考は概念による認識であると言われ、そして概念について解説がある。
参考
https://www.kotensinyaku.jp/common/guide/pdf/kant01-07.pdf
純理目次(パターン3)
純粋理性批判における「超越論的な論理学」の位置づけ
『純粋理性批判』の第1部「超越論的な原理論」の第2部門(全2部門)
『精神のエネルギー』p249にある次の文を他の人の考えと比較してみたい
ところで、図式はそうした過程を通じて不動なままではいない。図式は図式を満たそうとするイメージによって変容される。ときには、最終的なイメージの中に元の図式からは何も残らないことがある。発明家は発明する機械の細部を実現していくにつれて、つくろうと思っていたものの一部を捨てるか、あるいは別のものを手に入れる。同様に、小説家や詩人によって創造された人物は、それらの人物が表現するはずの観念や感情に逆作用す
Scrapboxで本のページを作るとして、書名をそのまま(鉤括弧などなしに)タイトルにしたときに、それが書名なのか概念の名前なのかが分からなくなる可能性がある本を書いていく。
関連
書名タイトルの二重鉤括弧
リスト
『野生の思考』
『純粋理性批判』の略。
一般的に言われるものかどうかは不明。
『純粋理性批判』の……
1 超越論的原理論
第2部 超越論的論理学
第1部門 超越論的分析論
第1篇 概念の分析論 ←ここ
Discord本部の読書会
リスト
『純粋理性批判』
『私の個人主義』
『創世記』
薄い哲学書書いてけ
哲学書を読む
『純粋理性批判』
『精神現象学』
『ツァラトゥストラ』
『埴谷雄高――夢みるカント』
『アメリカ哲学』
『哲学の練習問題』
『老子』(池田知久)
『孟子』(宇野清一)
→『純粋理性批判』
カント
『純粋理性批判』
『実践理性批判』
『判断力批判』
哲学サークル(仮)の概要
思想哲学系の本を読んでいく会
継続的に固定メンバーで哲学の話をする会。
6月、7月は『純粋理性批判』をやります。哲学サークル(仮)課題図書ログ
フランシス・ベーコンのこと
『純粋理性批判』に序言を書いている書いてない。
序言というかエピグラム?
「序言」というかエピグラフ?
「ベーコンが書いている」というよりベーコンの『大革新』の文章をカントが引用してエピグラフとして用いているという感じですかね?