可能的な
久住哲.icon
カントやハイデガーを読んでるとmöglichという形容詞によく出くわす(そりゃあ、ドイツ語だから)が、これはたいてい「可能的な」と訳されている。ところで、可能的とは? 私はこの形容詞の意味について、次のような想定をしている
例えば、「今日なんの本読もっかな〜」と思ってるとしよう。そのとき、私は可能的な本を前にしている と言える。『純粋理性批判』は可能的な一冊である。つまりこの場合は、可能的な本は読む可能性のある本を意味している。そのまま言うと「ありえる本」なのだが、こう言ってしまうと、なんだか意味が違ってきてしまう。実質的には、読む候補がいくつかある ということ。ここでの「読む」は日本語だと断言に見えるが、実際には「読みうる候補」を意味する。だが、ここには可能の意味はない。