ドストエフスキーとトルストイ
トルストイがドストエーフスキイについて、おおむね沈黙を守っていたのに対して、ドストエーフスキイは年下のライバルに関して、賛辞を表明することに躊躇しなかった。ことに『戦争と平和』が雑誌に掲載されはじめた時には、驚嘆の目を見はった。この長編が完結する頃には、ドストエーフスキイは長い外国の旅に出ていたが、最後の部分が単行本として出版された時、彼は祖国の友人にあてた手紙の中で、ぜひとも至急にそれを送ってくれるようにと、自分にとって最大の問題であるかのごとく哀願している。 しかし、ドストエーフスキイは芸術としての『戦争と平和』の偉大さに打たれはしたものの、これによって何かの暗示を得たということは、おそらくなかったろうと想像される。なぜなら、この二人の文豪の本質は、全く異質なものであったからである。ただ彼の中に湧き起こったのは、いわば競争意識である。といっても、それは決して凡人に見られるような卑小なものではなく、自己の芸術をより高度のものにしようとする、純な名匠気質(かたぎ)から出たものである。『戦争と平和』を読んで深い感銘を受けたドストエーフスキイは、量においても、質においても、これに劣らぬ作品を書こうという意欲に燃え立った。
トルストイは死の直前まで『カラマーゾフの兄弟』を読んでいたらしい
メモ
イタロー.iconピエールとアンドレイの対話と、フョードル・イワン・アリョーシャの鼎談のテーマの共通、問題意識の共通(家族、キリスト教、生き方と思想、神がかりなど)