Scrapboxの肥料
https://gyazo.com/1298370ec6f0899e46df2a4a8825ba4f
茨潰し
「文明は肥料だ。」
――野生語りのガラク
自家製の肥料だけだと栄養が偏るので、お隣さんたちの肥料もまく
つまり、自分に関係ある情報が全部みつかることになる
明日以降の自分が検索できるように何でもScrapboxにメモっておく
溜め込む一方では意味がなく、検索して、活用すること
Scrapbox を使っている限りはこれらに再到達する機会が絶対にあるので,まとめた文章や作業時間は無駄にはならない.自然成長させられたノイズアイデアの集合体から,当初は考えてもみなかったコアアイデアが突然抽出されることもあるのかもしれない
いきなりコアアイデアにはたどり着かない。思い付いたとしても、後からノイズだったと再認識することがある。
Scrapboxに今はノイズだと認識していることも含めて蓄積しておくと、自然成長していく段階でコアアイデアが抽出されるかも
Scrapboxは
「雑なメモ/数行だけの走り書きを書いても気にならない」「アイコンでワイワイしたくなる」「書きながら考えるのに適している」
結果、暗黙知がへり形式知が増えるツール。
Scrapboxを起点にどんどん知恵が生まれていく。
つまりScrapboxを上手に組み合わせることでKnowledgeがたくさん生まれるようになります。
雑なメモ、数行だけの走り書きが起点となってどんどんKnowledgeが生まれる感覚
今はまだ活用法が見いだせなくても、未来に蘇生するタイミングが生まれるかもしれない
ある起点から波が広がり、それぞれのプロジェクトでまた波が生まれる
大きい波ではない
反応にそっと反応が返るような感じ
ゆえに漣
他の人の意見を読んでいるからか、一人で考えるよりもずっと広がりがある
個人的に、アウトプットを始めるまでのコストは極限まで削る価値があると思っている。
Scrapboxのページ作成・編集のコストは極限までに低い
経験上、ブログ記事の取り掛かりはコスト高い
承認欲求が排除されている状況では人々は純粋に書きたい事だけを書く そうやって書かれた文章は深みがあって面白い
いいね狙いのノイズが減り、書きたいことだけを書き散らしてくれるから
人間の頭の中には沢山の情報が入っているが、頭の中にフォルダや棚を用意している人はいない。情報をなんとなく放りこんでいるだけなのになんとなく情報が活用されている。頭の中に整理システムなど無いのに沢山の情報を扱えているのは、沢山の情報の間の関係がうまく扱われているからだろう。
Scrapboxは、人間の頭の中と同じように情報を扱えるようにしようとするシステムであり、脳のアウトソーシングを狙っている。コンピュータ上のいろんな情報を整理するために使うのではなく、いろんな情報を書いておくと勝手にネットワーク的にリンクされて自然に利用できるようになるところが良いと思っている。 人間の頭の中ではしっかりと構造化されて保存されているわけではないと思われる
書籍は読者が編集するものだとは考えられていないと思うが、本をブラウザで読めるようにして編集しながら読むと読書体験が格段に向上する。
感想やメモや関連情報を書ける
難しい単語の説明を書ける
関連情報へのリンクを貼れる
間違ってるところがあれば修正できる
こんな風にもっと読書は、著者と読者が相互にやり取りをしていっていいものだと思う
何も考えてない状態でいきなりブレインストーミングしても発想が出るものではないが、それまで考えていたことを他人と議論することによって発想が進展することはあるだろう。「ひとりで熟考する」「時々他人と議論する 」「関係ないものとの関連に気付く」といったことが発想に重要だとよく言われるが、これらはまさにScrapboxが得意とする領域である。 関連に気づく効果が見込める
ある情報を正しく理解するためには、複数の異なる視点を持つ必要がある
事例を集めて複数の側面で切り取る
周辺知識を調べる
メモは取りまくっておいて、後で「確かこういうことを考えたな」として検索などで発掘した後にリンクを貼っておけば、後から構造化して考察ができるようになる(こういうことはScrapboxをつかってもう何度も起きている)
検索で発掘しやすいのはもちろん、ブラケット記法の中で編集している最中にも時々検索ができるから関連付けしやすい
Scrapboxを使うと自分の考えの断片(書き散らしたメモ)の関係性をそのまま提示できる
過去の考えを目にする機会が多く、考えが整理しやすい
何度も同じことを考える切っ掛けが生まれるので、問題の理解度が上がり、よりよい問題解決ができるかもしれない
何度も自分の書き散らしたメモを目にする機会が多くなり、考えが整理しやすい
見返すトリガーも多い
ブラケット記法で繋がりやすくするために、ページタイトルに思いを込めてつけるようになる。
このページタイトルをつける瞬間、立ち止まってよく考える傾向がある
同じ単語に対する記事でも、私の書く記事と、あなたの書く記事はきっと違う。
一つの物事の見方の違いは、経験、知識、情報解釈の非対称性、分野の違い(例えば、🍁はふつう楓を表すが、/vtuber/樋口楓のファンにとっては樋口楓を表すだろう)によって生まれる。これらのことを「コンテキスト」という。 どのような発言にもコンテキストがある。それは普通説明されない。なぜかといえば1から説明するのは大変すぎるから。でも、1から説明されないと、本当はなにもわからない。 知識の交換をやりやすくするために、自分の世界の見え方をScrapboxに表現し、自分と他人の非対称性を明らかにしていく Scrapboxに考えをまとめるようになったのは、同じことを何度もTwitterで発言していたため
Scrapboxなら、一度書いたことは出てくるので気づける。そのタイミングで以前思っていたことを読むと、現在と差分があることがあるので追記すれば、その記事が参照された時に読み手は最も良い記事を読むことができる。
全く逆のことも言っていそう
個人用Wikiは将来の自分が読んで楽しいように作るもの
「ページタイトル」は読む気を引き起こすものが良い
自分がすでに知っている単語について辞書的解説を書いても、自分が読んで楽しくない
公開しておくとたまにSNS上で言及されたりする(社会的トリガー)
その時に自分が読み返してみる
時間を置いて読み返したことで、違った視点から眺めることができる
すぐに書き換えることができるので、表現を直したり、新しいアイデアを書き足したりする
こうやってコンテンツが育っていく
重要なのは、入力しているエディタから1mmたりとも移動しなくて良い(フォーカスを動かさなくてもよい)という点で、このシームレスさが、それを探そうという気持ちを沸き立たせる(あるいは沸き立った気持ちを阻害しない、抵抗値が低い)。
ブラケットの中に色々なキーワードを入れて、そこに入れたいページを探す時間は色んな扉が開閉する