事実を評価せずに情報として貯める
事実は自分の気持ちとは関係なく存在する
奴隷制度も、差別問題も、誰かが誰かを裏切ったとか
自分がモヤッとした気持ちになろうがなかろうが、事実として存在する
知らないものにも口を出そうとしてしまう
よく知らない問題にも自分の視点を見つけることはたやすい
そしてそれをみた人は感情を発散する
問題解決ではなく感情の発散が主目的になる
そもそもTwitterの発言程度で問題が解決することはほとんど無い
SNSにはいっちょかみするインセンティブがある
多少知っているとさらに口に出したくなる
しかし、感情の問題は問題の一部である(ことが結構ある)。その場合、その口出しは意義のあることではない
よく理解していない人の意見は、しばしば問題を矮小化する
解消されるべきかもしれないが、どうしたってあって起きてしまうコスパの悪い問題かもしれない
対抗意見:興味を持つのはいいことなのではないか
YES。ただし、興味を持つことと発信は分けられる。正確な理解のなさすぎる発信は誤解を生む 誤解を含めてすら、話した時がいい時があるだろうか?
参加するボリュームを増やすことが目的なら、意義はある
無理に意見を言わずに、事実を認識するだけでも十分なことが多い
自分は評価しないけど、こういうことがあるらしい
「事実の理解」と「評価」を分ける
理解が溜まってくれば確固たる意見が言えるようになる