既知への扉
Scrapboxで、「なにかこんなタイトルのページにあんなこと書いてたなあ」と思ったらその場で にうろ覚えのタイトルのキーワードを入れ、サジェストされたページで確定してリンクにし、これを踏んで確認する、というのを個人的に「どこでもドア」と呼んでいるのだが、これほんとに便利。 私はこれを「既知への扉」と呼んでいる。
たとえばここで、「ああ、発見について以前書いた何かがあったな」と思いついたら、即座にブラケットを入力し[発見]を作れば、それっぽいものが表示される。
https://gyazo.com/7aa20ac49e2b3f20618c43ce7f2be9d3
重要なのは、入力しているエディタから1mmたりとも移動しなくて良い(フォーカスを動かさなくてもよい)という点で、このシームレスさが、それを探そうという気持ちを沸き立たせる(あるいは沸き立った気持ちを阻害しない、抵抗値が低い)。
これ本当に便利なので、この機能のないツールで知識の構造化をしようとしてる人を見ると「Scrapbox使えばいいのに…」って思うんだが、人間自分が経験してないことの価値は評価しにくいのだろうな
容器のメタファーと道のメタファーがあって、Scrapbox以前のEvernoteなどメンタルモデルを引きずってる人はタグを「容器」として使いがち。例えば「本」ってタグを読書メモ全部につけて回るのは「本に関するページが入る容器」と認識している。でもshokaiとかの話を聞いてるとしばしば道のメタファー、
つまり「つながる」「たどる」という表現が出てくる。「リンク」という呼び名もそう。この「どこでもドア」も「道がつながってなくてたどれない時に、ドアを出して行きたいところの名前に近そうな文字列を入れると、実際に行ける所の中からいくつかサジェストしてくれて、選ぶと道がつながる」ってこと
「検索をより良くしたい」的な話はよく聞くのだけど、それって自動車が生まれつつある時代に「もっと速い馬が欲しい」って言うようなもんで、慣れてるからって理由で馬に固執するのが問題なんじゃないのって気もする
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