「教養のある人の会話」は、お互いに大量の「相手の知らない知識」を持っている人が、会話の状況に合わせてその知識を出してきて、相手が「その知識面白いね!」という「知識の交換」
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五者会談
なるほどなー。違和感の正体がわかった。僕のイメージする「教養のある人の会話」は、お互いに大量の「相手の知らない知識」を持っている人が、会話の状況に合わせてその知識を出してきて、相手が「その知識面白いね!」という「知識の交換」なわけだ。「共通の知識を前提とした冗談」とは対極に近い
相手が何かを知らなかった時に「お前はこんなことも知らないのか」と言うのは、テーブルマナーに例えるなら相手がフィンガーボールの水を飲んだ時に指差してゲラゲラ笑うようなもの。マナーがわかってるとは言えない。表層的な知識はあっても、その知識の適切な運用を理解していない。教養も同じ マウントを取るための教養か、知識を交換するための教養か
教養が悪い文脈で使われるのは、ほぼ前者のコンテキストのイメージ
数学を学んで、数学を知らない人をバカにしたりマウントを取るのは、悪い教養のイメージだった
後者こそが、前進するための重要な意味としての教養のイメージ
教養がある人は、この「知識の非対称」をたくさん保持している
この言葉を知ってから、自分が知らないことを他人が話しているのを聞くのが嬉しくなった
「知識の交換」ができていると感じたから
とはいえ、自分から知識のひけらかすような話はしたくないので、聞かれたら答える程度