教養という言葉の二通りの使われ方
nishio: 教養が必要な理由として、教養がないと「春はあげぽよ」がわからないって説明を見たけど、世界中の教養のある人の大部分はそのダジャレを面白いとは思わないので「内輪受けの、外の人には面白くない冗談」のたぐいでは… nishio: 個人的には「春はあげぽよ」はクスッとするんだけど「これを理解できるようになるために教養が必要だ!」と言われると「いやこれ理解できる必要ってある?」という気持ちになる satoru_takeuchi: このような例で説明される教養は社会の特定のコミュニティに属する人が共有する知識に過ぎないのかなと思ってます。言ってしまえば「春はあけぼのを知っているか」は北斗の拳の「汚物は消毒だ〜」を知っているかと似たようなもので nishio: そうそう。「同じアニメを見たからそのアニメのネタが通じる」とか「同じワイドショーを見たから一緒に芸能人不倫騒動の話で盛り上がれる」とかと本質的には差がないですよね。それを知っていることが高尚なことであるかのように言うことに違和感… 「知識をコミュニティ内外識別のメルクマールとして使うわけね」←わざとやってる Cs3J1eLP26ZrKtK: パプアニューギニアは村ごとに言語が変わる。不思議なことに遠い地域同士は同じ言語で近い地域だと別言語になる。有力な説は、言語によって村のアイデンティティを確立したというもの。教養も同じで、内輪にだけ通じる言語を作りアイデンティティを得ようとしているのかもしれない。 女子中高生を中心として用いられる若者言葉で、テンションが上がっている状態、アゲアゲな状態、などの意味の表現。気分が昂揚している状態などを指す語。2010年「女子中高生ケータイ流行語大賞」で銀賞に、同じく2011年には銅賞に入っている。
10年も前の流行語だから今はもう流行してないのでは
nishio: あ、いま気づいたけど、この「外の人」って「非日本語話者」って意味で使ってます。「あげぽよがわからない自分は外の人」的な反応を見てその解釈も可能だと気づきました。 nishio: 「あげぽよを知らないから面白くない」じゃなくて「世界の教養のある人の大部分は『春はあけぼの』をこの文字列として知ってるわけじゃないから音の響きを合わせたダジャレを理解できない」って意味 Luzwell: Twitterに流れる「教養」って全部教科書に載っていた話ばかりだねという結論になって、「なるほどな、みんな共通の思い出の話をしていたんだ」と思った。 nishio: なるほどなー。違和感の正体がわかった。僕のイメージする「教養のある人の会話」は、お互いに大量の「相手の知らない知識」を持っている人が、会話の状況に合わせてその知識を出してきて、相手が「その知識面白いね!」という「知識の交換」なわけだ。「共通の知識を前提とした冗談」とは対極に近い nishio: 相手が何かを知らなかった時に「お前はこんなことも知らないのか」と言うのは、テーブルマナーに例えるなら相手がフィンガーボールの水を飲んだ時に指差してゲラゲラ笑うようなもの。マナーがわかってるとは言えない。表層的な知識はあっても、その知識の適切な運用を理解していない。教養も同じ つまりこの場合の教養とは「学校でみんなで同じ内容を学んだこと」ではなく「社会人になってから自発的に学んだこと」であり天下り的なカリキュラムがないので人それぞれ学んでいることは異なる
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