20190426
嬉しいとか怖いにせよ、意識を入り口に感じちゃダメだな。体がどっこい生きていることと、昨日も何かしらの活動をしたという事実と。
文字を含めた自意識って、五感とは別にもう一個の感覚、という感じがするな。
ツリーのスナップショット
前書き
そんな人間のかけらを、本として、あるいは概念としてあなたの隣に置いてみてください
私はどういう人間か
★●雨の日は目が覚めない、力が入らない
実話の寓話①
●実話の寓話、とは
前の節で書いた「雪道では、正解よりもフィードバック」は、オンラインで公開されている場所では、「実話の寓話」というタグ(リンク)を張って、サイト内で分類している。
そういった傾向の記事を何本か書いている。
子育てをしていると、教育理論一般への応用を考える。
雪道の歩き方は、本当に「雪の降った日の実用」として頭の中で考えていたことではあるけれど、一度言語化して考えてしまうと、やはり
タスク管理だとか
人生とか
「未知と相対するときの基本的マナー」みたいなことを考えてしまう。
抽象化する脳内回路が発達しているともいえるし、内的思考の力が高いとも言うことができるけど、あらためて考えると、
目の前の環境や対象と照応していないとか、目下の課題に集中できていないということでもあったかもしれない。
おもしろい記事にはなったかもしれないけど、生き方としては不器用で、ちょいちょい無自覚なうちに損を抱え込んでいる生き方だったかもしれない。
私はどんな苦悩を抱え込むか
さういふものに……(仏教)
どんな世界を見ているのか
排斥の始まり
養生(リライト)
真ん中(リライト)
私は何を愛してきたか
何を望んで届かなかったか
大丈夫、僕も一緒だから
たいして救いはないけど生きているよ
物語er
■
●社会の要請する基準どころでなく、自分が思い描くヒーローにすら手が届かない。
(間に時間がほしい)
後書き
動かされまい、動かされまい
未使用
日本教
心を込める
企業の裁判