ラピュタの下半分
行ってみたいとしたら、ラピュタの上半分と下半分とどっちに行きたいか。
という問いがそもそも人工的すぎるが。
私の思い出になるがラピュタを最初に見たときから、あの下半分の黒い半球体の中にやけに憧れた。
ではなく。あの立方体(キューブ)が、秩序にしたがって「♪コーン」という音とともに精密に連携している、あの静謐さと有機的な機能のある世界。 あの世界に行きたかった。
で、上半分は、権威と行政(市民生活)と社交と馬鹿騒ぎと自然や本能に溢れた庭園。
下半分は機能と静謐さ。
なんだかこう、外向的と内向的みたいですが、だから、私はそんな空間に憧れたのだと思う。 木の根とインドラの矢なしの半球体の中に、寝袋持って住みに行きたかったなあ。
さらにSFチックに言うなら、肉体のない完全な精神のみ生命体になりたいとか、電脳空間に精神生命体(というか思考プログラム)として自分の意識だけを転送させたいとか、そんでテレパシー同士で誰か他人と一体になるというか交流していたいとか、そんな妄想も中二病的にはあった。 そういえば、あの映画の中では、炭鉱のSLと軍の装甲列車とか、タイガーモス号とゴリアテとか、親しみや人間味のあるローテク機械とハイテクデザインの対比、みたいな作図の対称性があるけど、そういう意味ではあのキューブの半球は、究極のハイテクというか一種のコンピューターネットワークシステムみたいなものかもしれないね。
コンピュータープログラムを視覚化したものというか。
それと、中心部の青い石と光も素敵だった。あれも青色LEDの光や、占いの水晶玉みたいで神秘的で陶酔感がある。
透明感や寒色って、どこか人の高度理性とでもいうものを活性化させてくる気がする。 まあ、あの「青い光」は、実は核反応の青い光のメタファーで、ラピュタの力は原子力などの「人には扱いきれない力」を暗示しているという説もある。そうすると、神秘的だの素敵だの言っていられなくなるわけだが、そのあたりは物語にメタファーを使うときに当然起こることで、「別の受け取り方をされるところまで含めてのメタファー」って部分もあると思う。