自分の正義を疑う
誰でも自分の見識の正しさ、みたいなものは感じてるものです。 私もそうではありますが、歴史的に砕かれている部分もあります。
2段階くらいあります。
一つは、小泉改革。
郵政解散、劇場型政治なんて言われて有名になりました。
私は確か、その選挙での投票そのものでは、刺客でもなく郵政改革推進派でもなく、野党に入れたんだった気がしますが、
しかし小泉構造改革路線そのものには内心で喝采を送っていたと思います。 年功序列や、既得権益に守られた旧体制をぶっこわし、公正なルールでの競争を取り込まなければ、国際的な競争やグローバル企業には勝てない、というジリジリとした焦りの中で、ムダを省き、合理的で実力主義な世界を指向しなければならない、ということはそれまで何年もうっすらと考えていたことだった。 間違いなく、それは私の思考ではあったし、劇場に煽られていたわけではない、と思っていた。
けど、それは長年積もってきたバブル期のアンチテーゼ的な思想の澱みたいなものではあったのかもしれない。 まあ結局、小泉さんの最大の成果って、クールビズ(第一弾)だったんではないか、ってところではありますけど。 与党(当時の自民党)の選挙資金として、農協や医師会や経団連などの業界団体から賄賂として献金があり、強者同士が自分たちの身を守るための政策を考える。 自民党内の派閥均衡人事や順送り人事。
見識の足りない大臣。
とにかく一度変えないと、現政党のままでは何一つ変えられない・実行できない種類の善政がある。弱者イジメの政治を終わらせる。(実際には自民党はそれ以前にも野に下ったことはあるわけだが、当時の野党には「実行力がなかった」・が、今度は違う、ということになっていた)
そういう焦りがあった。
このときも、それは私自身の思考であり、メディアに騙されていたとか洗脳されていたとは思っていなかった。当たり前だけど。それでも で、それぞれの節目で、その後政治はそのように流れた。が、その結果は伝えられるとおりだ。生活に食い詰めるほどの弱者が見捨てられる流れができたり、外交や防衛で大混乱が起きたりした。
その失望は、正しく自分にも向けられた。
そういう屈折が自分の中にある。
いや実際、自分の見識なんてものはそうそう信じられたものではないんだよ。