過去殺し、理想殺し
過去殺し、理想殺し
最近、「親殺し」について考える。
(父殺し、母殺し、エディプスコンプレックス)
トリガーは2つあって、ひとつは『不自由な男たち』、もうひとつは「父殺し、母殺しの物語」。
なんとなく、「父殺し」というと、スターウォーズのダースベイダーや、ドラクエ3のオルテガのように、「能力的に超えるべき壁を超える」イメージが私にはあった。
あるいは、「こうしろ!」と言ってくる相手に対して「もういやなんだ!」と対決して、自分の領域を勝ち取る。
だけど、前者の本なんかを読むと、母殺しというのなんかは、「母の背中を殺す」というイメージ、つまり「親だったらこれくらいは子供にしてあげるもの」という自分の中の先入観を「あ、時代が変わったんだから、今の『親』にはそこまでは無理」と振り払っていくこととしてとらえられていた。
つまり、壁を超えるんではなく、むしろ「理想に届かないことに開き直っていく作業」と言える。
だから、規制を押し付けてくる者がいるわけでもないし(そういう毒親もいるらしいですが)、いたとしても現在生きていて介入してくるから排除する、という意味ですらない。
むしろ、自分の中の基準とか理想(すでに刷り込まれてしまったもの)を変えていく、崩していくことによる罪悪感のようなものとの対峙。
夢を諦めるとか、一度立てた目標や計画を変えるとかも、その変法かもしれない。
これ、変に能力が高いほど、または親の持つ倫理観が真っ当で逆らう必要がないほど、「崩す」ことに慣れてなくて、あとで大変ということも起きるかもな。
過去殺し、自分殺し。
自立と罪悪感と言えば、
後者のブログ記事に出てくる娘による父殺しの伝説にしても、新しい価値観を選択するためのトロッコ問題という感じだ。
だが、古い物語にそのまま乗っていてもジリ貧だ。過去の枠組みは僕らを救わない。
理想殺し、物語殺し、という側面もあるかもしれない。
そう考えると、
人をヒーローにしてしまう生き物って、罪深いよなあ〜
捕まったお姫様とかよお〜
聖母、聖女とか。
ここの文脈とは外れるけど、健気な子供とかもね。
そこにだから、「母の無償の愛」みたいなのを加えたとして。確かに与えられればやる気は出るよ?
大衆の支持、ナショナリズム。
その分だけ、より、後から崩すのが難しくなる。
from 20190426
タグ 壁を超える、すり込、あらゆる英雄は 過労で死ぬ。